0-2.Alone

 わたし・森有希江と、たっくんこと三嶋卓也は、いわゆる幼なじみの関係だった。


 両親同士が仲良し、家が隣同士、どちらも一人っ子で同い年という、あまりにも出来過ぎの環境。小さい頃からお互いの家に出入りするようになるのは自然のことだろう。おおきくなったら、ケッコンしようね! ぜったいだよ! なんていうのも、自然なことだろう。あ、窓から窓へ出入りなんてことはしなかったよ。わたしの部屋の向かいは壁だったから。一回、壁伝いに行こうとして落っこちて……うん、黒歴史ってやつだね、詳しいことは聞くな。


 小学校の時は、わたしの方が成績はちょっと上だったけど、彼も十分にいい成績だったから、わたしはその地方で難易度一番の女子中学校を、たっくんも難易度が高い男子中学校を受験して、それぞれ合格、入学した。小学校ではずっと一緒だったから、自分たちが選んだこととはいえ、別々の学校に進むのが寂しかったのは確か。どちらも中高一貫校で、六年間続くわけだし。


 でも、その分を取り返すかのように、帰宅後になると、一緒にいる時間はかえって増えていった。告白なんか、したことも、されたこともなかったけど、お互いをパートナーだと当然のように認識していたから、そんなのは今更だった。わたしたちが通っていた学校の間でのカップルは他にもけっこういたみたいだけど、みんな隠してたんだよね、見ればバレバレなのに。でもわたしたちは、堂々と一緒に並んで歩いたりしてた。たっくんなんか、わざわざ、わたしの学校の最寄り駅まで来て、ちょっとしたデート気分を味わったり。友人に冷やかされるのが、こそばゆくも嬉しかった。わたしが女子校、たっくんが男子校だったこともあって、ライバルなんていなかったし。


 学年が上がると、ほぼほぼ通い同棲状態になって。わたしたちが通っている学校にはどちらにも制服がなかったから、例えばわたしが学校から帰ると、自分の家には入らないでたっくんの家に直行して、彼の部屋でいちゃいちゃ過ごす。夕ご飯は、わたしとたっくんがキッチンで一緒にご飯を用意して、たっくんの家でいただく。食後はたっくん家のリビングで過ごし、お義父さんとお義母さんが仕事から帰るのを待って、帰ったらしばらく家族団らんタイム。その後はまたたっくんの部屋で、朝までいちゃいちゃ。そして翌朝もたっくんの家で厄介になり、電車の最寄りの駅まで一緒に歩く。そして翌日は、たっくんがわたしの家にくる。これの繰り返しだった。


 二人で外を歩く時は、最低でも指を恋人結び、大抵は腕を組んで、時には肩を組んで。下心をもって近づこうとするのがいたら、二人がかりで威嚇して。犬か。おかげで、都市部だというのに、近所では有名なカップルになってしまったらしい。高等学部に上がった時、タウン誌が取材に来たよ。うん、たっくん、格好いいもん。


 後になって思うと、大学生にもならないうちに、両方の親がよくこんな生活を許していたものだと思う。それだけ、将来も含めて、わたしたちのことを信用していたんだろうね。わたしにはもったいない親二組……いや、子供がこういうのは、傲慢というものかな。でも、感謝はしている。今でも。


 あ、一回だけ、叱られるというより、お母さんから文句を言われたことがあった。夜、あんたらの声がうるさくて、眠れないというより変な気持ちになるから、ほどほどにしなさい、って。そりゃまあ、元気いっぱいなお年頃ですし、密室で二人きりになれば、いろいろ激しくしちゃうわけですけど。特に、夜には。それ以来、廊下の扉とか窓とかは、きっちり閉めるようになった。“ほどほど”程度で自制できる自信なんてないしね。もっとも、わたしたちが高校二年の頭に、たっくんに妹ができて、年の終わりに、わたしに弟ができたのは、何というか、その、わたしたちの行動、いや、行為が、間接的に影響を与えた結果かもしれない。


 それはさておき。中学と高校が別だったんだから、大学は絶対一緒のところに行こうね、そうすれば、堂々と一緒に住めるし。うん、だったら、自宅通学できないところに入学して、一緒に下宿しよう。そういう、かなり本末転倒な理由で、大学の志望先を決める。この時点で、わたしの方が成績はちょっと上だったけど、志望先が決まった時点で、いわばライバル関係として、頑張って勉強。勉強している間は、基本的に各自の部屋にこもっていた。恋人同士が一緒に勉強して教え合うなんてシチュエーションは創作物の定番シチュエーションだけど、同じ部屋に居て受験勉強なんて器用な真似、わたしたちには到底無理だった。教え合うっていっても、大学受験レベルなら、ご託を述べるよりプロセスを頭にたたき込む方が効率的だし。だいたい、目と目が合ったりすれば、勉強になるはずないでしょ、そのままいちゃいちゃモードに移行しちゃうから。そういうのは、夜までお預け。


 そんなこんなで、半年以上真面目に勉強した結果、二人とも、都内にある第一志望の同じ大学に、無事合格。わたしの方がちょっといい成績だった。


 下宿先に選んだのは、都心に近い小ファミリー向けマンションの一室。繰り返す。小ファミリー向けマンションの一室。少なくとも大学生の間は、家族を増やすつもりは全くないけれど、気が付いたらこんな物件に落ち着いた。たっくんは、安い木賃アパートでもいいだろ、って言ったけど、ああいう建物って、音や振動が筒抜けだから、いろいろ自重しなきゃいけなくなって、ストレスが溜まりそうだしね。で、双方の親公認で、純然たる同棲生活スタート。生活用品などは二人で一つだし、月々の持ち出しは意外と少額で済んだ。


 大学入学と同時に、事実婚同然の生活がスタート。わたしの友達からは、たっくんのことは旦那扱いされてたし、向こうも似たようなものだったって。籍を入れていないというと、盛大に驚かれた。だってねえ、二人とも学部生の身分で、バイトをしててもギリギリ生活費を維持できる程度の収入だし、子供を作る経済的余裕はなかったから。


 ところが、教養課程から専門課程へ進む時に、一騒動起きる。大学での成績は、わたしの方がちょっと……いや、違う。わたしはそれなりの成績だったけど、たっくんはなかなか単位を取れずに留年直前、カフカ全集状態だった。どうすんのよこの成績、これじゃわたしと近い専攻なんて無理よ、と、ちょっとした口げんかが。さすがに、パートナーの成績が悪いから専門選択もそれに付き合う、なんていうアホなことをするつもりはなかったから、泣く泣く、全く違う専攻に進むことになった。いや、専攻が違うのはいいとして、キャンパスが別々というのは、ちょっとこたえた。


 そして、専門に入ると、勉強が大変になる。わたしが進学した先では、毎日三つのゼミ形式の授業、毎週二回のプレゼン発表、毎週二回のレポート提出で一つは全文外国語。資料を求めて、別キャンパスの中央図書館や他学部資料室へ、授業の合間に足を運ぶ。ヘロヘロになって帰宅しても、今度は資料を見ながらキーボードを叩き続けるんだけど、電子ジャーナルって目が疲れるんだよ。平日はこれが常だった。卒業するだけならそこまでやる必要はないけど、わたしが進学した学際系コースでは、浅く広く知ってるけど深い知識が何もない、ということになりかねない。そんなの御免。だから、わたしの目標は“最強の器用貧乏”だった。器用貧乏、大いに結構。でも、だからこそ、古典的学部の連中にゃ負けないぞ、専門分野は専門分野でキッチリ仕上げたらぁ、って。


 でも、実際にこれをやると、軽く死ねる。中学受験どころじゃない、本当に大変。就職活動だの資格試験勉強だのやってる暇はないし、バイトなんか論外。就活する余裕ないから院に行く、というのが決して冗談ではないコースだった。同情するなら時間くれ。文系でこれだよ、スタディホリックじゃないと務まらんよ。勉強の内容自体はとても刺激的で面白いけど、これで肌に合わなかったら発狂してたね。某自治体の職員採用試験に合格できたのは、試験対策なんかほとんどできなかったことを考えると、偶然だと思う。公開されてないけど、合格ラインすれすれだったんじゃないかな。


 ちなみにたっくんの方は、試験対策ペーパー、通称シケペーさえ確保できれば、定期試験前に詰め込めばどうにかなるそうな。そもそも、全ての授業が大教室での講義だそうで、一週間誰とも会話せずとも大学生活が成り立つらしい。なんだそのリアル東京砂漠。


 おかげで、自由時間は事実上土日限定になって、しかも雑事に追われるから、いちゃつけるのは週一に。デートに出かける余裕なんかない。結果として、引きこもりカップルのできあがりと相成る。収入はたっくんのバイト頼み、買い物だの何だのもたっくん頼み。仕事も家事も亭主に押し付けるという、ある意味最低の専業主婦と化していた。


 それでも、卒業が見えてくると、式は東京で挙げるか親元で挙げるか、なんて会話が、自然に出るようになる。二人とも都内就職でほぼ決まってたけど、地理的ルーツが共通だから、親元での挙式に傾きつつあった。プロポーズした記憶はないけど。そう、この時が、幸せの絶頂だったのだろう。


 そんな幸せが崩れるのは、一瞬だった。


 四年生も半ばを過ぎた、ある日の夕方。わたしたちの家に、制服を着た警察官が二人訪問。桜田門のお世話になる心当たりはないんだがと思いつつ、玄関ドアを開ける。


「森有希江さんですね。こちらにお住まいの三嶋卓也さんが、交通事故に遭われて、お亡くなりに」


 それから後のことは、全く覚えていない。


 家を訪れた警察官に後で聞いたところ、その場で目を回して崩れ落ちて、救急搬送されたらしい。


 お父さんにお母さん、お義父さんやお義母さん、それに弟と義妹まで駆けつけてくれたけど、どう対応したのか、何の記憶もない。


 葬儀などは、わたしが主導でちゃんと進めたらしいけれど、そのあたりのことが、頭からすっぽり抜けおちている。


 恋とか愛とかじゃない。そこに居るのが当然の存在が、ある日ぷっつりと、姿をくらました時。人間はこうなるのか。グリーフケアという概念は知っていたけど、事前に得ていた知識と、今の状態を、重ねることができない。


 自分が強い人間だとは思っていなかったけれど、ここまでもろいとも思っていなかった。


 涙が止まらない。食欲が起きない。思考ができない。そしてなにより、この先、どうすればいいか、何もわからない。


 これが、実家住まいだったら、まだよかったのかもしれない。でも、今は一人暮らしで、頼れる人も、構ってくれる人もいない。


 まして、ここは、彼との密な関係を構築していた場所。


 彼の濃密な香りが、わたしを縛って離さない。


 あなたの胸で、泣きたい、眠りたい。もう一度。でも。


「たっくん……助けてよ……苦しいよ……」


 一日一回は口にするつぶやきに、答えてくれる人は、もういなかった。


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主人公が通った小学校→中学高校→大学(学部学科)には、具体的なモデルがありますが、小学校が特定可能な形で出ることは、恐らくないでしょう。

「カフカ全集」とは、「可」と「不可」で成績表が埋め尽くされていることを指します。

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