第40話 魔物の正体
――テオ様、壁の向こうへ行ってはなりません。
――テオ様はそこに座っているだけでよいのです。
――なにもしてはなりません。なにもしゃべってはなりません。
――それが、テオ様にとっての幸せな生き方なのですから……。
幼い頃、俺は住んでいた城を抜け出した。
玉座から飛び降りて、止めようとする大人たちをなぎ倒して、高い壁を乗り越えて、そしてたどり着いたのは――移動遊園地だった。
――やぁ……君は迷子かな?
――ワタシ? ワタシはこの移動遊園地の支配人モリガナだよ。
――え? 甘いものを食べたことがない? わくわくする冒険をしたこともない? 涙が出るほど笑ったことも、みんなからバカにされるような夢を見たこともないのかい? それは大変だ! 急いでワタシについて来たまえ!
――さあ、剣はしっかり持ったかな? かっこいい決めゼリフは思いついた? 不敵に笑う準備はOK? それじゃあ――君の冒険の幕上げだ!
「………………ちっ」
いきなり目の前に現れた遊園地のせいで、昔のことを思い出す。
幼い頃の、初めての冒険の記憶――。
改めて、辺りを見回してみるが……。
やはり、幼い頃に見た遊園地とほとんど同じ光景が広がっていた。
まるで前世の空気をそのまま持ってきたかのような、にぎやかな景色……。
「……ありえない」
今は前世からかなりの時間が経っているはずだ。
こんな世界が平和であるような光景が、この時代にあるわけがない。
(……幻術か?)
とっさに左目に手を当てる。
「――
幻術を看破するのは簡単だ。
ただ、魔力反応を視ればいい。幻では魔力反応まではごまかせない。
しかし――。
「………………本、物?」
ここにある全ては、幻ではない。実体がある。
わけがわからない。余計に混乱する。
そんな俺の思考をかき乱すように、遊園地はあいかわらず陽気な音楽と笑い声を響かせている。
「……な、なんなんだ……いったい」
まるで、たちの悪い夢だ。
(いや……夢なのか? それとも、こっちが現実?)
本当は転生なんてしていなくて、今まではただ悪い夢を見ていただけなのだとしたら……。
「くそっ」
思考が正常に働かない。
あきらかに異常事態が起きていることはわかる。
これはきっと罠だ。攻撃だ。
だが……いったい、敵はどこにいる?
この場には、敵意も殺意もない。平和で幸せな光景が広がってるだけだ。
(……俺はいったい、なにを斬ればいい?)
なにも考えずに斬れるような、わかりやすい敵がいてくれたらよかった。
すでに殺し合いは始まっている――そんな感覚はあるのに。
しかし、周りにあるのは、遊具にお菓子に子供に笑顔……。
平和で、陽気で、笑顔に満ちあふれた光景。
(……頭がおかしくなりそうだ)
俺は迷子になったように、きょろきょろ辺りを見回すことしかできない。
そんなときだった。
――ぱちぱちぱちぱちぱちぱち……!
と、いきなり無数の拍手の音に包まれた。
それから、ぱんっ! ぱんっ! とクラッカーの破裂音が鳴り――。
「――ぱんぱかぱーん♪ ボクたちの町へ、ようこそです!」
背後から、そんな調子外れな少女の声が聞こえてきた。
俺は反射的に、剣で斬りかかる。
「ここは魔物から逃げ延びた人間たちの町です。ここまで来るのは大変だったでしょう。でも、もう大丈――って、わぁああっ!?」
剣の切っ先が、少女の大ぶりの帽子をかすめる。
うまいこと身をのけぞらせたらしい。
「ちっ、避けられたか」
「……ふ、ふへっ!? な、ななな、なにを……!?」
「お前が人喰山脈の魔物だな? とりあえず――まずは死ね」
「ひ、ひぃ……っ!?」
それから、さらに攻撃しようとしたところで――。
ぴたり、と俺は剣を止めた。
「ん、お前……」
頭を押さえて震えている少女を改めて見る。
着ぐるみの一部みたいな帽子。
人畜無害そうな小動物じみた顔。
そして、その手の甲に刻まれているのは――レベル1の刻印。
その最弱のレベル刻印を持っている種族は、1つしかない。
「…………人間?」
「え? あ……そ、そうです! ボクは……ボクたちは人間です……!」
いつの間にか――いや、最初から少女とともにいたのだろうか。
俺を取り囲むように大勢の人間が集まり、俺の来訪を歓迎するように笑っていた。
その手の甲に刻まれているレベルは、どれも――“1”。
(……本物、なのか?)
「……ここはどこだ? お前たちは、なんだ?」
帽子の少女に剣を突きつけながら問う。
「え、えっと……ま、まずはその剣を下ろしていただけると……」
「3秒以内に質問に答えろ。はい、いーち……」
「わ、わわ……っ! あ、あの、ですから、ここは魔物から逃げ延びた人間たちの町です……!」
「魔物から逃げ延びた?」
「は、はい」
少女が笑顔を取り戻す。
それから、背後にいる人間たちを示して。
「こ、ここにいる人たちはみんな、魔物の支配から逃げてきた人です。みんなこの町にたどり着いて、ここが気に入って生活しているのです」
「なら、この山に入った魔物が消えてるのはなんでだ?」
この山に入って消えてるのは人間だけじゃない。
むしろ、人間が消えるだけなら、なにも問題はないのだ。ただ食われているだけのことなのだから。
「それは……ボクたちが魔物を倒してるからです」
「…………は?」
「人間はたしかに最弱種族です。しかし、力で敵わずとも知恵があれば……人は、魔物に勝てます。ここにいる人間たちは、みんな魔物の倒し方を知っているのです」
「そうだ、人間は魔物に勝てるんだ!」「俺たちが守ってやるよ!」「もう魔物に怯える心配もないぞ!」「危険なことはなにもないんだ!」「毎日ぐっすり寝られるよ!」
周囲の人々も、少女に同調するように言う。
「……なるほどな」
山に足を踏み入れた人間はこの町で暮らし、魔物はその人間たちに倒される。
だからこそ、山に足を踏み入れたものは全員消える。
「……それが人喰山脈の真相、ってわけか?」
「は、はいです! ここでなら、あなたはなにもしなくても、望むものは全部手に入ります。甘いものも、綺麗な服も、楽しいおもちゃも、きらきらした宝石も、気のいい友達もなんでも手に入ります! あなたも外の世界のことなんて忘れて、ここで幸せに生きましょう! ボクたちは、あなたを歓迎します!」
少女が抱擁を求めるかのように、両腕を広げる。
背後にいる人間たちも笑顔で拍手する。
優しくて、美しくて、幸せな夢のような光景だ。
その中で、俺は――。
「――ダウト」
すぱんっ、と。
手にしていた剣で、少女の首をはねた。
「…………へ? ……あれ?」
少女の頭がぽかんとしたような表情のまま、地面に落ちる。
そんな少女の背後では――。
「歓迎するよ!」「おめでとう!」「やったね!」「僕たちは仲間だ!」「幸せに生きよう!」
幸せな言葉がつむがれ続ける。
目の前で少女の首がはねられたというのに。
ここにいる人々は……笑顔のままだ。
まるで、それしか表情を知らないとでもいうように。
まるで、幸せな夢がまだ続いているかのように――。
「なるほど。すっきりした。たしかに、これはあのアホインコも騙されるだろうな」
「ど、どう……して?」
首だけになった少女を、俺は無感情に見下ろした。
「それはこっちのセリフだ。どうして、お前らは魔物を倒せるのに――全員レベル1のままなんだ?」
「…………え?」
きょとんとした少女に、俺は手の甲のレベルを見せつける。
ここに来るまでマントでレベル刻印を隠していたから、俺のレベルも1だと勘違いしていたのだろう。
しかし、俺の手の甲に刻まれたレベルは――。
「れ、レベル……65……? な、なぜ……人間が……」
「やっぱり、お前は人間の天恵を――【レベルアップ】を知らなかったな」
「……っ!」
魔物を殺してきたのなら知っているのが当然だ。
集団で倒そうが、罠で倒そうが、魔物を殺せばレベルは上がるのだから。
「まあ、それがなくても、お前らのにやけ面のおかげでピンと来た。人喰山脈の正体がな」
「……え?」
「この遊園地は、たしかに幻じゃない。遊具も、青空も、人間たちも――どれも実体がある」
幻ではないのだとしたら、ここはなにか?
その答えはシンプルだ。
それでも、あまりにも突拍子もない考えだったから、幻だと考えようとしてしまった。
俺は手にした剣に、魔力を込め――。
「――
青く澄んだ空、カラフルな遊具、甘いお菓子、笑顔の人々……。
その幸せな夢みたいな光景に向けて、俺は全力で剣を振り抜いた。
ざん――ッ! と。
放たれた風の刃が、遊園地を真っ二つに斬り裂く。
そして――ぶしゃぁあっ、と遊園地が血飛沫を上げた。
『『『――――ィィイッ!!』』』
どこからともなく、人間の赤子が泣き叫ぶような絶叫がとどろく。
まるで、遊園地そのものが生きているかのように。
青空が、木々が、遊具が、人間が……血を流しながら、どろどろと表面の絵の具が溶けるように生肉へと変貌していく。
「やっぱり……幻術じゃなくて擬態か」
不意にダメージを受けたことで擬態が解けたのだろう。
どろどろと赤黒く染まっていく空。
その表面から――。
――――ぎょろり、と。
数千もの巨大な目玉が浮かび上がり、一斉に俺を見た。
その目玉の下から、ぱかりと開くのは、にたにた笑いを浮かべる牙だらけの口……。
そんな悪夢に変貌した光景を見上げながら、俺は両手に剣をかまえた。
「……ようやく化けの皮を剥がしたな、人喰山脈の魔物――ミミック!」
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