第7話 どうして、レベルが上がっているの?


「なにか燃えてるなー、と思って来てみれば……どうして、こんなところに人間おやつが落ちてるのかしら?」


 町の外へと脱出した俺は、1人の少女と対峙していた。


 それは、夕空から染み落ちてきたかのような、紅い少女だった。

 炎のようにけぶる繊細な髪。

 燃えるように爛々と輝いている真紅の瞳。

 そして――その背を飾っている、紅炎の翼。


 ……人間、ではない。


 人間のはずがない。

 が人間であっていいわけがない。

 どれだけ擬態していようが、人間とはまとっている空気が違いすぎる。


 ただ、そこにいる。

 ただ、それだけのことで。

 俺の本能が、この少女を――“災厄”だと断じた。


 こいつは――魔物だ。


「……っ!」


 町の外に出たからと油断しきっていた自分を呪う。

 魔物がいるのは町の中だけ、なんてはずがない。

 外の世界の美しさに足を止めている暇なんてなかった。


 ここから見える世界の全ては――魔物の支配領域なのだ。



「あなた、とっても美味しそうな匂いがするわね? いつもは若くて綺麗なメスの肉しか食べないのだけど、それよりもずっとずっと美味しそうだわ。どうして、そんなに美味しそうなのかしら? 不思議だわ」


 少女は唇をなめてから、地面にとんっと降り立った。


「それに……どうやって、ここまで来たのかしら? どうやって、魔物の支配を抜けたのかしら? もしかして、ここの町が燃えてるのもあなたの仕業? そうだったら、とても不思議でうれしいのだけど……」


 一歩、また一歩……と、少女が近づいてくる。

 その一歩ごとに、残酷な理解を突きつけられる。

 今の俺では、この少女とあまりにもレベルが違う――違いすぎる。

 このままでは……食われる。


「……ッ!」


 とんっ、と少女が無防備に足を前に出し。

 俺の間合いに――入った。

 その瞬間、俺はぎりっと足に力を込めながら叫んだ。



「――肉体強化バ・ベルクッ!」



 強化魔法の発動とともに、少女に飛びかかる。

 少女へと一息に接近し、そして――。


「――物質強化ミ・ベルクッ!」


 その白い首筋に向けて、強靭化したナイフを抜き放つ。


 まだ少女は、俺がただの人間だと油断しているはずだ。

 ただの、どこにでもいる――レベル1の家畜にんげんだと。


 もちろん、この攻撃でこの化け物を倒せるはずがない。

 あっさり回避されてしまうだろう。

 だが、それでいい。


 わずかでも少女の体勢を崩すことができれば……その隙に、彼女の背後にある海へと飛び込むことができるかもしれない。

 それだけが、この状況から逃れるための道だ。

 しかし、俺は予想に反し――。


「…………は?」


 少女は回避をしなかった。防御をしなかった。反撃をしなかった。

 ただ、無抵抗にその場に立ったまま――。




 ――すぱんっ、と。




 少女の首は、あっさりと飛んだ。

 首の切断面から、果実が破裂するように新鮮な血が飛散する。


 ゆっくりと宙に舞う、少女の首――。


 その首についている双眼が、わずかに見開かれる。

 俺は思わず逃げることも忘れて、その場に留まってしまった。


(…………殺した、のか?)


 一瞬、そんな希望が芽生えたが……。




「――――あ……ッははははははッ!」




 突然――首が、笑いだした。

 その笑い声に呼応するように、少女の体から爆発的に炎が噴き上がる。


「……ぐっ!?」


 半ば宙に浮いたままだったせいで、踏ん張ることができない。

 俺の体が勢いよく吹き飛ばされる。

 とっさに受け身を取って顔を上げると、辺り一面は火の海になっていた。


「――あッ、ははははははッ!」


 少女は壊れたように笑い声を響かせながら。

 自ら発した炎に包まれ――炭と化し、そして灰と化す。

 ……かと思えば、その灰が意思を持ったように渦を巻いて、みるみるうちに人間の形をなした。


「……不思議だわ。不思議、不思議、とっても不思議。こんな不思議なこともあるのね」


 そうして現れたのは、先ほどまでと変わりない少女の姿だった。

 そう……まったく、変わりないのだ。

 傷ひとつない。焦げ跡ひとつない。炭になったことも、灰となったことも、首を切断されたことすら――全てがにされている。

 まるで本当に何事もなかったかのように、少女はしゃべり続ける。


「魔物に反抗する人間なんて、まだ絶滅していなかったのね。それも、このわたしの1回も殺すなんて……生まれてこの方、こんなにびっくりしたのは初めてよ。どうして、レベル1の人間ごときがそんな力を持っているのかしら……?」


 そこで少女の目が、俺の手の甲――レベル刻印へと向けられた。

 とっさに隠すが、遅かった。

 少女はしばし、目を丸くする。



「――ねぇ、あなた……どうして、レベルが上がっているの?」



「…………」


「どうやってレベルを上げたのかしら? それに、どうやってさっきの魔法を覚えたのかしら? わからないわ。すごく不思議だわ。いいわ……あなた、とっても面白いわ。世界は不思議に満ちていなければ、このわたしが生きてあげる価値がないもの。だけど……あなたにとっては相手が悪かったわね」


 と、少女は悪戯っぽく微笑する。


「わたしは魔界七公爵の一柱、フィフィ・リ・バースデイ。永遠に死と再生をくり返す、不死鳥フェニックス――」


 そして、少女は告げる。



「――わたしのレベルは77よ」



 炎に染め上げられた世界の中。

 少女の胸元のレベル刻印が青白く輝いていた。

 そこに刻まれているレベルは、少女の言葉通り――77。


(……不死鳥……聞いたことはある)


 それは、“太陽の化身”と称される世界最上位の魔物の名だ。

 はるか空の高みでその身をまばゆく燃やしながら、世界を巡り廻り、回り廻る――円環の炎鳥。

 死んでも、死んでも、死に尽きることなく、炎の中から永遠に蘇生し続ける不死の鳥。


 文字通り、レベルが違いすぎる。

 こんな冒険の始まりには、絶対に出遭ってはいけない存在だった。


「あなたはここに来るまでに、たくさんの夢を見たのよね? たくさんの希望を抱いたのよね? そして、たくさんの努力をしたのよね? それは、とても素敵なことだわ。でもね……」


 少女がぱちんっと指を鳴らすと、周囲の炎たちが意思を持ったかのように俺のもとに集まってきた。炎は渦を巻きながら鳥かごの形をなして、俺を逃さないように閉じ込める。



「それでも、人は魔物には勝てない。あなたは、わたしには絶対に勝てない。あなたの壮大な冒険の旅は――幕を開けない」



 くすくすと、悪戯っぽく、楽しげに――。

 少女はスキップでもするような弾んだ動きで、俺へと顔を寄せてくる。


「でも、そうね……あなたは面白いから、特別に2つの選択肢をあげるわ」


「……選択肢?」


「えぇ、よーく考えて好きなほうを選ぶといいわ」


 少女がもったいぶるような間をあけながら指を立てた。


「まず1つ、わたしにここで食べられる。そして、もう1つ――」


 炎の鳥かごの隙間から、少女がくいっと俺の顔を持ち上げる。



「――わたしの愛玩動物ペットとして生き続ける」




   ◇




 不死鳥のフィフィが目の前の人間をすぐに食べなかったのは、ほんの気まぐれのためだった。

 永遠に続く同じ日々に飽きていた、というのもあるかもしれない。


 ――【輪廻炎生リンネエンセイ


 それが、不死鳥の身に宿っている天恵ギフトだ。

 それは、死んでも永遠に蘇えることができる祝福にして――死ぬことができない呪いでもある。


 この退屈な永遠を吹き飛ばしてくれるような刺激が欲しかった。

 そして、この人間ならば、そんな刺激を与えてくれるのではないかと思ったのだ。


 この人間はあきらかに他の人間とは違っていた。

 魔物の家畜であることに甘んじ、死んでいるように生きているだけの人間ではない。

 それも、なぜか魔法を覚え、なぜか武器を扱うことができ、そして……なぜかレベルが上がっている。


(……面白すぎるわ)


 だからこそ。

 たとえ、魔界の掟に反しているのだとしても。

 たとえ、“王”に逆らうことになるのだとしても。

 ……殺すのはもったいない、と思ってしまった。


「あなたは面白いから、特別に2つの選択肢をあげるわ」


 炎の鳥かごにとらえた人間の頬をなでながら、フィフィは告げる。

 ここで食べられるか、それとも愛玩動物ペットとして生き続けるか。

 あきらかに偏った2択。

 選択肢を与えると言いつつ、どちらを選ぶかなんて明白だった。


「答えは決まったかしら?」


「……選択の余地なんてないだろ」


 人間が忌々しげに睨んでくる。

 血濡れの刃を思わせる、紅い眼光――これだけ絶望的な状況だというのに、この人間はいまだ反抗的な瞳を揺らがせない。

 それどころか、こちらが隙を見せたら飛びかかってきそうな戦意さえ感じる。


「ふふ……やっぱり面白いわね、あなた」


 こんなにわくわくしたのは、いつぶりだろうか。

 とても不思議で、興味深く、刺激的な人間だ。

 やはり、ただ食べて終わりではもったいない。


「それじゃあ、一応、答えを聞かせてもらうわ」


「……ああ」


 とはいえ、どうせ答えは決まっている。

 そもそもこれは、どちらが上位者かいぬしなのかを思い知らせるためのパフォーマンスでしかないのだから。


 人間がこちらに首を差し出すかのように、頭を垂れる。

 そして――。



 ――――どすっ、と。



 フィフィは胸の辺りに衝撃を感じた。


「…………え?」


 一瞬、なにが起こったかわからなかった。

 理解より先に、フィフィの口元から血が垂れる。


 そこで、フィフィはようやく気づいた。

 ……自分の心臓にナイフが突き立っていることに。

 そのナイフを握りしめているのは――目の前にいる人間だ。


「……言っただろ? 選択の余地なんてない、と」


 気づけば、人間は不敵な薄笑いを浮かべていた。




「――――俺の答えは、“選択肢なんて知るかボケ”だ」


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