第6話 外の世界


 町の外へとつながる扉に、俺が手をかけたとき。


「…………テオ、なのか?」


 ふと、背後から声をかけられた。

 ふり返ると、町の住民たちが遠巻きに俺を眺めていた。


 先ほどオーガが叫びまくっていたし、何事かと様子を見にきたのかもしれない。

 できれば、住民たちの意識が火事に向いているうちに町を出ていきたかったが……さすがに騒ぎすぎたか。


「やっぱり、テオか……」


 住民たちの先頭にいたのは、友人のトールだ。

 その視線は、俺とオーガの死体に交互に向けられている。


「これ……お前がやったんだよな?」


 質問というよりは、確認といった感じだった。

 おそらく、俺が戦っているところを見ていたのだろう。

 だから、今さら取りつくろっても意味はない。


「ああ、そうだ」


 俺は、短く頷いた。


「なんで、人間が……魔物を倒せるんだ? それも、こんな簡単に……」


「レベルが上がったからだ」


 俺はそれだけ答えて、自分の手の甲を見せる。

 そこに刻まれている紋章は、あきらかにレベル1のときとは変わっていた。


「今の俺のレベルは――15だ」


「ば、バカな……!? なんで、レベルが上がってるんだ……!?」


「それが、人間の天恵ギフトだからだ」


「え……?」


 ――天恵ギフト

 それは、レベルとともに、生まれつき1つだけ与えられる種族固有の力。


「で、でも、人間は天恵ギフトを持たないはずじゃ……」


「持ってるんだよ、俺たちは。魔物を殺すことでレベルアップする、最弱にして最強の天恵ギフトをな」


 俺はトールに背を向けて、改めて鉄扉と向かい合った。

 頭上高くまでそびえ立つ、家畜にんげんを閉じ込めるための檻の扉。


 レベル1のときには突破できなかったが、レベルが上がった今は違う。

 俺はそっと拳を握りしめ――。



「――肉体強化バ・ベルク



 最大限の強化魔法とともに――扉に拳を放った。

 がぎィ――ッ! と、破城槌のごとき拳の一撃が扉にめり込み、金属が悲鳴を上げる鋭い音が響く。

 おそらくは、扉を支えていた蝶番が弾け飛んだのだろう。

 巨大な鉄扉がぐらっと傾き、そして――。


 ――ずぅぅん……ッ! と。


 地面に叩きつけられた扉が、轟音と衝撃で町全体を震えさせた。



「……………………」



 誰も言葉を発しなかった。

 生まれたときから住民たちを縛りつけていた檻の扉が、あまりにもあっさりと破壊されたのだ。


 俺たちの前に現れたのは、遮るものがなくなった町の門。

 市壁をくぐる通路の先から、光が漏れてくる。

 長年、ずっと求めていた――外の世界の光だ。


 その光を背負うように、俺は今一度ふり返った。



「これが、人間の力だ」



 唖然としている人々に言う。


「俺たちはただ食われるだけの種族じゃない。むしろ、かつては人間が魔物を狩る側だった時代もあったんだ。レベルを上げることができれば……人間は最強にだって至ることができる」


 力強く断言する。

 そして、もう一度、トールに問う。


「なぁ、一緒にこの町から出ないか?」


「……え?」


 トールが目を丸くした。

 思ってもみない提案だったのだろう。

 実際、俺にとっても合理的な提案ではない。損得で考えれば、他の人間をつれて行くメリットはないはずだ。


 しかし……気づかないうちに、情でも移ってしまったか。

 いつ食べられるかもしれない仲間たちへの感情など消したつもりだったが。

 この町に転生してからの18年間は、あまりにも……長かった。


「……いいのか? 俺はお前を裏切ったんだぞ」


「裏切るように仕向けたのは俺だ。そのほうが都合がよかったからな。だから、べつに恨むようなことでもない」


「は、はは……俺は、お前の手の上で踊らされてたってわけか」


 トールが力なく笑う。


「……テオは、すごいな。お前といれば、もしかしたら本当に……自由になれるのかもしれないって思うよ」


「なら」


「だけど、悪い……無理だ」


 きっぱりと断られた。


「なんでだ……? この町にいても、どうせすぐに魔物が来るぞ?」


「それでもだ」


「どうして……」


「……怖いんだよ。俺には冒険なんてできない。テオみたいに魔物に立ち向かう力も勇気もない」


「…………」


 そこで、俺はようやく気づいた。

 自分たちを閉じ込めていた檻が開いたというのに、ここにいる人間たちが誰も外へ出ようとしないことに。


(……学習性無力感、か)


 ふと、前世で見てきたことを思い出す。

 監禁されて虐待された人間は、檻の扉が開いても――逃げないのだ。

 自分があまりにも無力で、なにをしても無駄だと思うから。なにかをすれば、もっとひどい目にあうと思ってしまうから。


「こんな俺がついて行っても、お前の足手まといになるだけだろ?」


「……ああ、そうだな。俺1人のほうが生存率は格段に高まるだろう」


「はは、お前はいつでも正直だな……」


「ただ、それでも……残念だとは思う」


 仕方のないことだとはわかっている。

 それなりに戦える人間ならまだしも、足手まといの素人をつれて行こうという判断は、あきらかに間違っている。


 今はまだ自分1人を守るだけで手一杯だ。

 今のレベルで誰かを守れるほど、この世界は優しくない。

 だけど、それならば……。


「……なら、待っていろ」


「え?」


「俺はこれから、もっとレベルアップする。すぐに最強にまで至ってやる。そして、いつか俺が魔物どもを全て討伐して――人類全員、この手で解放してやるよ」


「…………はは」


 しばらくして、トールが苦笑する。


「まったく……お前の口からは、いつも予想できない言葉が飛び出てくるな。しかも、お前なら本当にやりそうだから困る」


「やりそうではない。これは約束だ」


「わかってるよ。お前は……そういうやつだからな」


 そこで、会話が途切れた。

 町を出るなら、いつまでもここにはいられない。

 それはトールも察していたのだろう。


「もう行けよ……お前は、いつまでもこんな檻の中にいていい人間じゃないだろ」


「……ああ」


 俺は未練を引き剥がすように、トールに背を向けた。


「……食われるなよ、テオ」


 背中に投げかけられた言葉に、俺は振り返らずに答える。


「お前もな、トール」


 そして1人、出口へと続く通路を歩きだす。

 前へ進むごとに、町の外から漏れる光もだんだん大きくなる。

 その光は眩しいほどにまで膨らんでいき、やがて――。



 ――――光が、弾けた。




「…………ぁ……」


 思わず、声が漏れた。

 目の前に広がっていたのは、夕日に彩られた海だった。

 すぐ先には海へと鋭くせり出した岩崖があり、その向こうには赤い水平線が世界の果てまで伸びている。


 前世では飽きるほど見てきた、なんでもない光景。

 それなのに――胸を打たれる。足が止まる。


(俺は、今……外の世界に立っているのか)


 ふと、気まぐれな潮風が頬をなでた。

 すぅっとした冷たい風が、火照った体には心地がいい。

 18年分のよどみを溜め込んでいた肺が、一息ごとに換気されていくのを感じる。


(……風を新鮮だと感じたのは、いつ以来だろうか)


 転生してからずっと、壁に切り取られた空しか見ていなかった。

 だから、忘れていた。


 空はどこまでも果てがないのだと――。

 世界はどこまでも自由なのだと――。


 俺はもう、この目に映っている世界の、どこにだって行くことができるのだ。

 なぜだか、初めて冒険に出たときのような高揚感があった。

 いつまでも、この光景を眺めていたいと思った。

 しかし……。


(……今はまだ、立ち止まってはいられない)


 この景色の代償は――自由の代償は、けっして軽くはない。

 いつ、追っ手が来るかもわからない。


 見回せば、崖をくり抜いたような階段があり、その下にある木の桟橋には小舟がつけられている。おそらくは物資搬入のために使われているものか。

 新たな冒険の船出にはちょうどいい。


「それじゃあ…………行こう」


 自分を奮い立たせるように呟いて。

 外の世界へと、俺は足を踏み出した。

 この広い世界で、新たな冒険を始めるために。

 そして――――。



「…………は?」



 なんの前触れもなく。

 突然、あらゆる事象の流れをぶった切って――。


 ――どくんっ! と、世界が脈打つように震えた。


 同時に、辺りの空気が変質する。

 まるで、いきなり異界に足を踏み入れてしまったかのような感覚。

 そして、気づく。


 …………ひらり、と。


 視界の端で、炎の羽根が舞ったことに――。





「――――不思議だわ」





 ふと、少女の声が聞こえてきた。


「なにか燃えてるなー、と思って来てみれば……どうして、こんなところに人間おやつが落ちてるのかしら?」


 歌鳥がさえずるように美しく――。

 ゆえに、人間の声とは異質な響きがある声だった。

 それは、もはや“声”というより“音色”といったほうが近いかもしれない。


 その声のほうに、俺はゆっくりと顔を向ける。

 今まで見ていたはずの夕日と海……。


 その景色の中に――それは、いた。


 いったい……いつから、そこにいたのだろうか。

 いつの間にか、俺の目の前に――。



 ――1人の少女が浮かんでいた。


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