第32話 囚われのお嬢様
少女は、今日も窓の外を見ていた。
窓から見えるのは、いつだって同じものだ。
高い塀に囲まれた立派なお屋敷に、季節の花々に彩られた庭。
少女の住んでいる家の景色。幼い頃から見てきた、馴染み深い景色。しかし少女にとっては、窓枠という額に飾られた絵画を見ているようで、まるで現実味のない景色でもった。
少女が部屋から出ることを禁止されてから、どれだけの年月が過ぎただろうか。
もう、前にいつ部屋の外に出たか、少女は思い出せない。
すでに窓の外は、少女にとって別世界だ。
まるで囚われのお姫様だと、少女は思う。
これがもし物語ならば、王子様が颯爽と窓を開けて、外の世界へと連れ出してくれるだろう。
少女は手元の本に目を落とす。開き癖のついてしまったそのページには、ちょうど王子様が窓から入ってくるシーンが描かれていた。
――君を、救いに来た。
それだけ言って、王子様はお姫様に手を伸ばす。
しかし、そんなことが起きるのは物語の中だけだ。
自分のもとに王子様が現れるのを待つほど、少女は子供ではない。
救いがあると思うから、失望する。
それがわかる程度には、少女は大人になっていた。
「……レイシャお嬢様」
と、少女の側に控えていた女騎士が口を開く。
「外の世界が、恋しいでしょうか?」
「……セラ」
少女は、このセラという女騎士と付き合いが長い。嘘をついても、すぐに感づかれてしまうほどに。少女は答える代わりに、本をぱたんと閉じた。
「……そう、ですね」
言葉はなくても、セラには通じる。
こういうとき、セラはいつも、なにかを我慢するような顔をする。あいかわらず、気持ちがすぐに顔に出る少女だ。しかし、彼女の表情がひび割れるのは、いつも一瞬だけ。
すぐに何事もなかったかのように、取り澄ました顔に戻る。
「では、お嬢様……始めましょう」
「……ええ」
死ぬまでこの部屋に閉じ込められるのが、呪われた少女の物語だ。
呪いが人目に触れないように。呪いが少女を殺さないように。
呪われたお姫様は、優しく幽閉され続ける。
きっと、この部屋の窓が開くことはない。
……そのときまで、少女はそう思っていた。
*
エムド伯の屋敷に呪いの装備があるとわかってから、ニ日が経った。
このニ日間で、僕は屋敷や呪いの装備についていろいろ調べた。
その結果わかったことは、呪いの装備が屋敷の本館にあるということだ。羅針眼の針の動き方をもとに、呪いの装備のだいたいの位置も割り出している。
問題は、どうやって呪いの装備を手に入れるかだ。
エムド伯が呪いの装備をどう扱ってるにせよ、話し合いで手に入れるとはいかないだろう。
どちらにせよ、情報が必要だ。呪いの装備がどういう見た目をしているのか、どういう効果があるのか、どう扱われているのか……僕はまだなにも知らない。羅針眼の代償を消すためにも、一度見にいく必要があるだろう。
というわけで、僕は夜中にこっそり部屋を抜け出すことにした。
「じゃあ、シルル。留守番頼むよ」
「はい、お任せを!」
僕の部屋の前には、常にエムド伯家のメイドがついている。なにかの拍子に部屋に誰もいないとバレないとも限らないのだ。だから留守番をつける必要がある。
シルルはいそいそとベッドに布団を頭までかぶった。
「ふふふ……ノロア様の匂い……ふふふふふ……」
なにやら怪しげな声が聞こえるけど、まあいい。
たとえ人が入ってきたとしても、夜中ならこれでごまかせるだろう。
「じゃあ、ラム。お願い」
「わかったよっ」
僕は鞭に変形させたスライムソードをロープ代わりにして、窓から地上まで降りた。
わざわざ窓から出たのは、部屋の前にメイドが常駐してるからだ。なにかあったときに、すぐに対応するためなんだろうけど、動きにくいことこの上ない。
「ありがとね、ラム」
「えへぇ……」「……ラムばかり見せ場が……ずるいです」
ふにゃりと表情を崩すラムと、恨めしそうに指をくわえるスイ。
やっぱり装備的には、使ってもらうことが一番うれしいらしい。
『でも、あれね。なんか、盗人にでもなった感じでわくわくするわね!』
「わくわくするんだ」
どういう神経してるんだろう、この人形。
正直、こっちは悪い意味でドキドキしかしない。
「ともかく、早く行かないとね」
呪いの装備は、本館にある。
ここは屋敷の離れだから、まず本館まで向かわなければならない。
ここで問題になるのは、やはり点滴だ。点滴器具を担いだままだと隠密行動が阻害されるうえに、そっと運ばないと点滴容器がちゃぷちゃぷ水音を立ててしまう。
そしてなにより、回復薬の残量が時間制限になってしまう。補充用の回復薬を持ってきたが、どちらにせよ呪いの装備のもとまで短時間でたどり着かなければならない。
時間を無駄にしている余裕はない。
「〝半径二〇m以内にいる見回りの位置〟を示せ」
羅針眼を使って、付近の人の居場所を把握する。
さらに角を曲がるときはジュジュを先行させて、人がいないか確認させる。
時間制限はあるものの、安全第一で屋敷の敷地内を進んでいく。
もともと隠密行動は得意だった。かつての僕は装備ができなかった分、魔物から隠れるのが生き残るための必須技能だったからだ。
それに屋敷の庭の地図は、すでに頭の中に入れている。昨日、外の空気が吸いたいとの名目で、屋敷の庭を散歩させてもらったのだ。ダンジョンや森と比べたら脳内マッピングの難易度も低いため、どこになにがあるのかも全て把握している。
だから視界の効かない夜闇の中でも、さくさくと進むことができた。
本館の前までは、すぐに到着した。
呪いの装備がある部屋の位置も、だいたい見当がついている。
しかし、そこで一つ問題が発生した。
「……参ったな」
呪いの装備があると思われる部屋の窓から、明かりが漏れていたのだ。
つまり、呪いの装備の側に人がいるということ。呪いの装備の位置はニ日間ほとんど動かなかったから、放置されているものとばかり思っていた。
「人がいなくなるのを待つわけにもいかないしな……」
こちらには時間制限があるのだ。回復薬の量にはまだ余裕があるといっても、限度はある。
『とりあえず、中をのぞいてみましょ』
「まあ、せっかくここまで来たしね」
次にいつここまで来られるかわからない。隠密行動に絶対はないのだ。それならせめて、呪いの装備の見た目だけでも確認しておきたい。
スイを変形させてハシゴを作り、窓の近くまでのぼる。
そこから身を乗り出して、こっそり室内をのぞき――。
「……っ」『こ、これは……』
――視線が、釘付けになった。
部屋の中には、お嬢様がいた。
淡い桃色の髪をしっとりと垂らし、頬をうっすら朱に染めている。まるで物語のお姫様のような、淑やかな美しさを体現した少女。
だけど、僕の視線が釘付けになったのは、けっして美しいからではない。
そのお嬢様が……セラさんに尻をしばかれていたからだ。
「このメス豚が! メス豚が!」
「ありがとうございます!」
蝶マスクをつけて鞭をふるうセラさんと、人には見せられない顔で喜んでいるお嬢様。
状況についていけない。ついていきたくもない。
「な、なにが起こってるんだ……?」
『SMプレイしてるんじゃないの?』
「わざわざ、呪いの装備がある部屋で?」
『ドM的には、むしろスリルがあっていいんじゃない?』
「うん、僕の知らない世界だ」
見てはいけないものを見てしまった気がする。
しかもこれ、たぶん屋敷の重要機密だ。貴族のお嬢様がこんな特殊性癖を持っていると知られたら、エムド伯家の名前に傷がついてしまう。まったく知りたくもない情報だったけど、これを知ったことで消されたりしないよね……?
「なにが見えるのー?」「……見えないです」
「な、なんでもないよ。ただ面白い珍獣がいるだけだ」
「え、珍獣っ? 見たいっ」「……興味があります」
「見ちゃダメだよ。目が腐るから」
スイとラムが興味を示すけど、子供には見せられない。これは教育に悪いってレベルじゃない。
「とにかく、早く帰ろう」
『呪いの装備は?』
「また今度にしよう。いいね?」
一刻も早く、この場から立ち去りたかった。この場面を目撃していたことがバレたら、いろいろな意味でやばい。セラさんにも、いろいろな意味で顔向けできなくなる。
しかし、そっとハシゴを降りようとしたところで。
ちゃぷっ、と点滴容器の中身が波打った。
「……っ」
予想外に大きな音が立ち、体がびくっと硬直する。
「誰だっ!?」
さすがに今の音では、セラさんの耳はごまかせない。素早くこちらに顔を向けてきた。
なんとか窓から顔を離すのは間に合ったけど、その場から離れるのに手こずる。慌てれば慌てるほど、ハシゴからうまく降りられなくなる。もういっそのこと飛び降りよう……そう思ったときには、すでに窓が開け放たれ、セラさんが僕のほうを見ていた。
思いっきり目が合う。
「……」
「……」
しばらくの間、互いに固まったまま動けなくなる。
「ノ、ノロア殿……いつからそこに?」
「えっと、ちょうど今……」
『「このメス豚が! メス豚が!」の辺りからよ』
人がせっかくごまかそうとしたのに、ジュジュが正直に答えてしまう。
「……」
「セラさん?」
「ふっ……セラなどという者は知らんな」
「――セラ? 誰かいるのですか?」
「いや、セラって呼ばれてますけど」
「……違う、私は美少女戦士セーラー仮面。愛と正義とケツ叩きの妖精さ」
『な、なんですって!?』
「いや、そういうノリいいから」
無駄に状況をカオス化させないでほしい。
「……セラ、どうかしましたか? って……あら?」
続いて窓からひょこっと顔を出したのは、先ほどのお嬢様だった。
その桃色の瞳が、僕をとらえる。
……これは完全にアウトだ。
彼女はおそらくエムド伯の娘だろう。つまり、この屋敷の主の身内。明らかに不審者である僕を、見逃してくれるはずもない。
「あらあらあら……」
お嬢様はじっと僕を見つめたまま、口元に手を当てて固まる。
これは悲鳴を上げる前兆だろうか。
しかし、お嬢様が次に取った行動は、予想外のものだった。
「――ご機嫌よう。よい夜ですね」
ふふっ、と可憐に微笑むお嬢様。
予想外の展開に、しばらく言葉が出てこない。
「えっと、ご、ご機嫌よう?」
「たしか、お客様でしたよね? どうぞ、お上がりになってください」
「お上がりにって、部屋にですか?」
「それ以外にありますか?」
「それは、ないですが……」
まさか、この状況で部屋に招き入れられるとは。
罠かと思ったけど、お嬢様の瞳には一点の曇りも見えない。これで罠を張っていたら、たいした役者だ。
「お上がりにならないのですか?」
「い、いえ、お上がりになります!」
どちらにせよ、いつまでも壁に張りついているわけにもいかない。
ここは言われた通り、部屋に上がらせてもらうとする。
「お、おじゃまします」
ハシゴをのぼり、窓から部屋へ。
お嬢様の部屋の中には、多種多様な鞭が散乱していた。壁や棚にも、たくさんの鞭が飾られている。なんに使うんだろう、こんなに……鞭マニアかな。
「あ……汚い部屋ですいません」
僕が不躾に部屋を眺めすぎたせいか、お嬢様が恥じ入るように顔を伏せる。
「え、いや、そういうつもりじゃ」
『ちょっと、来客にお茶の一つも出さないってどういうこと?』
「あっ……気が利きませんでしたね。この部屋にセラ以外の人が来るなんて、久しぶりで……すぐに、ご用意します」
「あの……うちの人形がふてぶてしくて、すいません」
「ふふ、お気になさらず」
「お、お嬢様。お茶なら、私が……」
いそいそとお茶の準備をするお嬢様と、おろおろしながら手伝うセラさん。
なんか普通に歓迎されてて怖い。
なにこれ、罠なの? 僕、取って食われちゃうの? 「お菓子というのは、お前のことさ!」みたいな展開なの?
わけがわからなすぎて、パニックになりそうだった。
「さて、ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません」
やがて紅茶がカップに注がれてから、お嬢様が優雅にスカートのすそをつまんだ。
「私はレイシャ・イタイノスキー。エムド伯家の長女です」
やっぱり、エムド伯の娘か。つまりは貴族ってことだ。
「ぼ、僕はノロアです」
『わたくしはジュジュよ!』
「ラムは、ラムだよ!」「……スイは、スイです」
「そして、私がセーラー仮面だ」
セラさんは、それで貫き通すつもりらしい。
追求するのも気まずいし、スルーすることにする。
「ノロアさんのことは、セラから聞いてますよ。私と年齢もあまり変わらないのにSランク冒険者とは、ご立派ですね。まるで、物語に出てくる王子様のような……」
「……ありがとうございます」
適当に返事をしながら、さりげなく周囲に視線を走らせる。
いろいろ想定外の事態が起こったものの、この部屋に来た目的を忘れるわけにはいかない。羅針眼によれば、この部屋に呪いの装備があるようだけど……。
「……っ」
そこで、気づいた。
レイシャさんがつけている黒い首輪が……とても美しいことに。
犬用の首輪みたいな野性味のある見た目でありながらも、その品のよさが隠しきれていない。これだけ小さな装備だというのに、このあふれんばかりの高貴な美しさはなんだ。
目も、心も、魂さえも……奪われてしまう。
「……美しい」
無意識に、吐息が漏れた。
「え?」
「こんな美しいものに出会えるなんて、僕はなんて幸せ者なんだ……」
「ノ、ノロアさん……?」
「ああ、僕の運命の相手はこんなところにいたのか……君に会うために、僕は今まで生きてきたんだね……」
「あ、あの……?」
「もっと、よく見せてください……もっと側で……」
「……えっ!?」
つい、レイシャさんの首元に手が伸びてしまう。
桃色の髪をかきわけて、首輪に顔を近づける。
ああ、近くで見れば見るほど興奮が止まらない。理性が蒸発してしまいそうだ。この光を吸収するような皮の質感、目立たずとも主を引き立てようとする健気さ……まったく、呪いの装備は最高だぜ!
「お、おい、ノロア殿!? お嬢様になにをする!?」
「え……? あっ!? ごめんなさい、セラさ……!」
「セーラー仮面だっ!」
セラさんが怒気を放つ。今にも攻撃してきそうな顔だ。
さすがに、初対面の装備をナンパしたのはまずかったか。
しかも見る感じ、すでにレイシャさんに装備されているらしい。
人の装備をナンパするなんて最低だ。僕がそれやられたら、たぶん血舐メ丸抜くし。でも、なんだろう……人の装備っていうのも、それはそれで興奮するな。新たな性癖に目覚めそうだ。
『ふーん、あの首輪が呪いの装備ね……それより、ビスケットおかわり!』
もきゅもきゅとビスケットを頬張るジュジュ。いつも思うけど、この人形の食べたものはどこへいってるんだろう。
『で、どうするの?』
「もちろん奪えるなら奪いたいけど……問題は……」
ちらっ、とレイシャさんを見る。
優雅に微笑みながらティーカップに口をつけているレイシャさん。
ぱっと見た感じ、呪いの装備の代償に苦しんでいる様子はない。もしかしたら、呪いの装備をうまく利用している可能性もある。
装備というのは、その人の生涯のパートナーであり、その人の人生そのもの。もしも望んでつけてるなら、気軽に奪うわけにもいかないけど……。
『んぐ……それは大丈夫でしょ』
ジュジュは僕の視線から、言いたいことを察したようだ。
「大丈夫って、なんで?」
『呪いの装備をつけて、苦しまないわけないでしょう? あんたは例外としてね』
「それじゃあ、あの首輪の代償も……?」
『ええ。けっこうキツいわ』
「そっか……」
呪いの装備の代償のキツさは、僕が誰よりも知っている。
もしも呪いの装備で苦しんでいるのなら、解放してあげたい。僕の好きな呪いの装備で、誰かが傷ついてほしくない。
『じゃ、やることは決まりね』
ジュジュがビスケットを飲み下すと、レイシャさんのほうを向いた。
『ちょっと、そこの淫乱ピンク!』
「私ですか?」
レイシャさんが上品に小首をかしげる。
いや、なんで〝淫乱ピンク〟で反応しちゃうんだよ。
『ノロアがあんたに話があるそうよ。あとビスケットおかわり』
ジュジュがこちらに丸投げしてきた。
「え、ノロアさんが……?」
レイシャさんが上目で僕を見て、少しだけ頬を染める。
いきなり話を振られた僕は、とっさに言葉が出てこない。
「話とは、なんでしょう?」
「いや、その……」
なんて言えばいいんだろう。おたくの呪いの装備を、僕にください……とか?
いや、ダメだ。そうじゃない。僕が言いたいのは、そうじゃない。
こういうとき、口下手なのが嫌になる。
助けを求めるように視線をさまよわせると、ちょうど近くの机に置いてある本が目に入った。開き癖のついたページ。その紙上に書かれた、一つのセリフが目に留まる。
――君を、助けに来た。
そうだ……目の前に困っている少女がいる。僕はそれを助けたい。なら、言葉はシンプルでいい。
大きく息を吸って、僕は言葉を続けた。
「――僕には、あなたを助けることができます」
そして、レイシャさんに向かって手を伸ばした。
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