第30話 伯爵邸




 寝ているときに、夢を〝見た〟ことがなかった。

 僕にとっての夢は、いつだって〝聞く〟ものだった。

 暗闇の海を漂いながら、ただ声を聞き続けるのだ。声はどれも水の中で響いているかのようにくぐもっていて、うまく聞き取ることができない。

 ――装備枠、9……素晴らしい器だ。

 声が、聞こえる。

 ――×××ちゃん、私も行くことになったの。

 ――いつかまた会うときは……きっと、私を助けてね?

 ――約束だよ、×××ちゃん。

 声が、聞こえる。

 ――×××さん、こっちに子供が!

 ――なんだぁ、捨て子か? こんなとこに?

 声が、聞こえる。

 ――それにしても、さわっただけで死ぬとは……。

 ――恐ろしい呪いの装備だったな……思い出すだけでも震えが止まんねぇ。

 ――ほんと、××××××××じゃ釣り合いませんね……。

 声が、聞こえる。

 ――×××・××××××? 変な名前だな、おい?

 ――なにかあったら、俺の店に来い。してやれることは、なんもねぇけどな。

 声が、聞こえる。

 ――ねぇ……××ごっこ、楽しい?

 ……声は、鳴りやまない。

 知らない記憶の、知らない声たちが、無遠慮に耳から脳へと染み込んでくる。

 声はいつも、僕の心を急かす。

 早く×××を助けないといけないのだ、と。

 きっと、今もどこかで×××は泣いている。

 今度は、僕が×××を助けなければならない。

 だけど……×××って、誰だっけ?

 そもそも、僕は……。


 ……誰?


   *



『――ノロア! ノロア!』


 誰かの呼び声で、意識が急激に浮上した。

 目蓋の向こうにある光に気づく。頬がぺちぺちと叩かれているのがわかる。


「ジュジュ……?」


 うっすらと目蓋を持ち上げると、まつ毛の隙間から小さな少女の姿が見えた。

 なにやら『カラシ』と書かれた小壺を抱えているが……。


『これでも起きないとなると……やっぱり、鼻の穴にカラシぶち込むしか……』


「やめようか」


 ジュジュの不穏な発言に、一発で目が覚めた。危機一髪。あと少し目が覚めるのが遅かったら、大変なことになっていた。


『え、ノロア……?』


 目をぱっと開くと、ジュジュの表情がぴたりと固まる。それから、みるみる驚きに崩れていった。


『ノ、ノロア……! 起きたのね!』


「ぐふっ」


 ジュジュが僕の首にがばっと抱きついてきた。親愛表現なんだろうけど、首の血管がしめつけられて意識が遠のきそうになる。


「と、とりあえず、落ち着こうか」


『わたくしは、いつだって落ち着いてるわ! クールビューティーなのが、わたくしの一番の取り柄だもの!』


「うん、だいぶ冷静さを失ってるみたいだね」


 なんとかジュジュを引き剥がして、一息つく。

 起き上がりざまに、永眠させられるかと思った。


「よかった、ノロア様……起きたんですね」


 気づけば、ベッドの側には人間状態のシルルもいた。僕が寝ている間にキスしたのだろう。心配そうに涙ぐんでいるあたり、僕はだいぶ危険な状態になってたんだろうか。


「僕って、どれぐらい眠ってたの?」


「……丸一日ぐらいですね」


『もう、このままぽっくり逝くかと思ったわ。ノロアって、もやしだし……』


「一日じゃ、たいしたことないと思うけど」


 単に熟睡してたのもあると思う。昨日は一睡もしてないし。


「でも、ごめん。心配かけたね」


『心配なんてしてないわ』


 ぷいっと、そっぽ向かれる。


「でも、すごい名前呼んでたし」


『あれは発声練習よ』


「顔叩いてたのは?」


『二の腕のたるみ解消とバストアップが目的よ』


「そうなんだ」


 思わず苦笑する。素直じゃない人形だ。


「それにしても、僕は生きてたのか……」


 ジュジュと話しているうちに、いろいろ思い出した。

 僕はたしか裏装備ギルドの根城で、呪いの装備の代償に倒れたはずだ。新しく手に入れたスライム装備の代償は、二つ合わせて『毎秒、最大HPの一%ダメージ』というもの。HPがMAXの状態でも、一〇〇秒で死んでしまうはずだが……。


「代償は、どうなったの?」


『回復薬でなんとかカバーしたわ。騎士団が回復薬余らせまくってたおかげね』


「それと、騎士団の中には回復装備者もいたので」


 つまり、継続ダメージに対して、継続回復によって対処したということか。あまりにも単純な方法だけど、HPが少ない僕には有効だったのだろう。回復薬も少しずつで足りるし、回復魔法にかかるMP消費も少なくて済む。

 騎士団の回復薬と回復装備者を使って延命しつつ、シルルの移動速度で一気に町まで運んだのだろう。

 見れば、腕には針がつけられていた。針からは管が伸びて、回復薬の入ったガラス容器へとつながっている。これは点滴というやつだろうか。この点滴で少しずつ回復薬を投与することで、ここまでHPを維持したと。


「でも、そうか。大丈夫ならよかった」


 ほっと安心し、ベッドに深く身を預ける。

 一時はどうなるかと思ったけど、なんとか回復が間に合ってよかった。本気で死ぬことも覚悟していただけに、安心感も大きい。

 緊張が解けたためか、他のことにもいろいろ気が回るようになってきた。

 たとえば……ベッドのふわふわ感とか。

 虫まみれの腐った藁とは違う、まるで羽毛に包まれているような感覚。僕の知っているベッドではない。


「というか、今さらだけど……ここって、どこ?」


 上を見れば、視界に入るのは知らない天井だ。というより、知らない天蓋だ。

 どうやら僕は、天蓋付きのベッドに寝ているらしい。ベッドの周囲にある調度品も、よく見れば品のいいものばかり。僕が今まで暮らしていた世界の寝室とは、あまりにも違う。おとぎ話の世界に迷い込んだような、居心地の悪さがある。


「ここは、エムド伯のお屋敷ですよ」


「へぇ……って、え?」


 シルルが何気ない調子で言うものだから、一瞬だけ反応が遅れてしまった。


「エ、エムド伯の屋敷……?」


「はい、そうですが?」


 シルルがさも当たり前のように言う。彼女の頭の中では、貴族の屋敷なんて一般民家と等価値なのかもしれない。


『ま、屋敷といっても離れだけどね』


「セラさんがここに運んできたんですよ」


「なるほど……」


 たしかに貴族の屋敷と言われてみると、いろいろ理解はできた。ただの病院がここまで豪華な部屋を用意するはずもないし。どうして、ここに運ばれたのかまではわからないけど……まさか、僕が貴族の屋敷に入る日が来ようとは。


「これが貴族の屋敷か。やっぱり、住む世界が違うな」


『この程度でビビってどうすんのよ。あんたはもっとリッチな屋敷建てて、わたくしに貢ぐ義務があるんだから』


「それは初耳だ」


『今、言ったもの』


「そういえば、あの双子は?」


 僕が倒れたとき、側にはスライムソードとスライムシールドの双子の少女がいたはずだ。

 呪いの装備ならば、今も側にいないはずがない。多かれ少なかれ距離制限があるはずだし。


『双子なら、あそこにいるわよ』


「ん? ああ、本当だ」


 たしかに、部屋の隅っこに双子の少女がいた。

 水色の髪に、水色の瞳、水色のワンピース……間違いない、あのときの双子だ。

 たしか、名前はスイとラムだったか。

 ただ、前に見たときより元気がなく、どこか怯えたように身を寄せ合っている。僕と目が合うと、びくっと肩を跳ねさせて、さらに縮こまる。僕に怒られるとでも思ってるんだろうか。子供の扱いは慣れてないから、こういうときどうしたらいいのかわからない。


「スイちゃん、ラムちゃん。ノロア様は怒ってませんよ」


 僕の代わりに、シルルが二人を手招きした。子供の扱いにはずいぶん慣れているらしい。

 双子は顔を見合わせてから、おずおずと近づいてくる。


「ごめんね、あるじー」「……主様、ごめんなさい」


 やっぱり、自分たちの代償について責任を感じているようだ。

 どこかの人形とは違って、ちゃんと良心というものがある。


「君たちが謝ることじゃないよ」


 代償については、双子が望んでつけたものではないだろう。制御だってできないはずだ。

 それに呪いの装備のなかには、さわっただけで死ぬものもあるというしね。それと比べれば、この代償はかなりやさしい。


「あるじ、本当に怒ってない?」「……ラム、違います。これは怒ってないと言いつつ、叱るパターンです」


「いや、本当に怒ってないから」


「どうする、スイ?」「……やっぱり、ジュジュ姉様の言う通り、〝あれ〟をするしか」


「ん、ジュジュがどうした?」


「な、なんでもないよ?」「……ジュジュ姉様は、なにも言ってません」


「そ、そう?」


「それより、あるじ。布団入っていい?」「……スイも入りたいです」


「え? べつにいいけど……」


 なぜか双子の様子が不自然だった。

 なにか企んでるんだろうか……? 悪意があるようには見えないけど……。

 そう僕が戸惑っていると、双子がベッドによじのぼり、腕の中にもぞもぞともぐり込んできた。


「ふぅ……」「……添い寝完了です」


「ん?」


 今、〝添い寝〟って言った?

 あ、うん。たしかに添い寝だ、これ。


「いや、気持ちはうれしいんだけどね。なんかお礼の仕方がおかしくないかな」


 装備と添い寝というシチュエーションは当然ありだけど、こんな無垢な少女たちが、おわびとして添い寝をチョイスするとは思えない。そこはかとなくジュジュの入れ知恵の匂いを感じる。


「まず、どうして添い寝を?」


『だって、ジュジュ姉が言ってたもん』「……主様は、幼女にさわると元気一〇〇倍になると」


「へぇ」


 ジュジュを見る。


『……ひゅぅ、ひゅぅぅ』


「口笛、吹けてないから」


『ま、まだ、本気出してないだけよ! わたくしの口笛は、あと二段階変身を残しているわ!』


「いや、君の口笛の実力には興味ないんだ。それよりさ、なに意味不明な嘘ついてるの? 僕と喧嘩したいの?」


『……ノロア、もしかして怒ってる?』


「うん」


『なんで、あんたが怒るのよ! 逆ギレ!?』


「たぶん、正当な怒りだと思うよ」


 事実無根なロリコン疑惑を広められたら、どんな聖人君子でもマジギレするだろう。

 というか、こんな状況を誰かに見られるわけにはいかない。今の僕はどこからどう見ても、幼女を体にまとわりつかせている変態だ。両手に花ならぬ、両手に幼女。知り合いに見られたい状態ではない。

 双子には悪いけど、すぐにベッドから出てもらわないと。


「ねぇ、二人とも」


 ベッドから出てくれないかな。そう言いかけたところで。


「おおっ! ノロア殿、起きたのか! よかっ……」


 勢いよく部屋に飛び込んできたセラさんが、双子を見るなり固まった。

 しばらく呆然としたように僕を眺めたあと。


「……すまない。取り込み中だとは知らずに。出直してくる」


 Uターンして帰っていく。

 うん……いろいろ遅かったようだ。

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