第24話 もう、見つけましたよ
しばらく飛んだあと、シルルは力尽きたように草原へと降り立った。まだ着地には慣れてないのか、草を盛大に巻き上げながら、ほとんど墜落の格好だ。背中に乗っていた僕とジュジュは、草の上に思いっきり投げ出された。
『おぼろろろろ……』
ジュジュがふたたび吐く。全然、飲み込めてない。これは美少女的にも完全にアウトだろう。
まあ、吐いていたほうが大人しくなっていいか。
それより、今はシルルのほうが心配だ。
シルルは草の上でうずくまっていた。身体的にも精神的にも疲弊しているのは明らかだった。
「大丈夫?」
声をかけると、シルルはわずかに顔を上げて、こくりと頷く。それから、たぶん微笑もうとしたんだろう。口角を少しつり上げて……そこで、表情が決壊した。
『……大丈夫じゃ、ないかもしれません』
シルルの声は震えていた。今にも泣きだしそうな子供のように、ドラゴンの顔がくしゃりと歪む。
『……怖かったんです』
「そっか」
『人間に戻ることもできませんでした』
「それは、まだチャンスがあるよ。また、サンプールに行けば……」
『……違うんです。ダメなんです。サンプールの人たちでは……足りないんです』
足りない。愛が足りない、ということだろうか。
『……愛していると、思ってたんです。でも、愛しているつもり、だったのかもしれません。思えば、みんなから愛されるようにと、そればかり考えていました。嫌われないように、失望されないようにと……』
結局、誰かを深く愛していたわけではないのだろう。
たとえ愛していても、敵意を向けられながら愛し続けることは難しい。
その難しさを乗り越えた先に、獣ト薔薇のいう〝真実の愛〟とやらがあるのかもしれないけど。
一生をかけても、そんなふうに愛せる人を見つけられるかはわからない。
理想を言うなら、今のシルルの姿を見ても、嫌わずに接してくれる人がいればいいんだけど……。
『……わたし、本当に全部なくなってしまいました』
シルルが顔を伏せて、ぽつりと言う。
『もう、わたしには、なにもありません……なにも、できません……』
彼女は呪いの装備一つで、なにもかも失ってしまったのだ。美しい容姿も、愛する人々も、愛する故郷も、地位も、名誉も、富も……全て。
――ゼロ。
以前の僕と同じ、ゼロ。
なにもなくて、なにもできなくて、ただ涙ばかり流していた頃の僕と同じだ。
彼女に報われてほしい。そう思うのは、おかしいだろうか。
どちらにせよ、放っておくわけにもいかないか。
どうせ乗りかかった船だ。最後まで付き合おう。
「全部なくなったんなら、僕と一緒に来ない?」
『……え?』
シルルが顔を上げる。
「僕たちは呪いの装備集めの旅をしてるんだ」
『呪いの装備集めの、旅……?』
ピンと来ないのも無理はないだろう。呪いの装備を集める人なんて、まずいないからだ。そんな動機で旅をしているのも、この世界で僕だけかもしれない。
しかし、重要なのはそこではない。
「旅をしていれば、いろいろな人と出会う。そしたら、きっといつか、君の姿を見ても嫌わない人も見つかるかもしれない。君の心としっかり向かい合ってくれる人が……」
たくさんじゃなくていい。ただ一人でいい。ただ一人でも、そんな人が見つかりさえすれば、シルルのことだ……きっと、心から愛することができるだろう。
人間にさえ戻ることができれば、あとはうまく暮らしていけるはずだ。呪いの装備持ちという障害はあっても、シルルならきっと、みんなから愛されるはず。
だから。
「それまでは、僕が一緒にいるよ」
『……っ』
シルルが動揺したように体をよじった。
『どうして……そこまでしてくれるのですか?』
シルルが問う。期待と不安が混ざった表情で、もう一度。
『こんな醜い姿のわたしのために、どうして……』
どうして、か。
うまく言葉にはできないけど、理由はいろいろあるんだと思う。ちゃんとした理由も、シルルが納得できそうなおあつらえ向きの理由も、言葉にできないもやもやとした理由も……たくさん。
だけど、やっぱり一番は……。
「綺麗だと思ったんだ……君の心が」
シルルが異形の姿だったからこそ、彼女の心をよく見ることができた。
優しい陽だまりのような、その心を。
だから、たとえドラゴンの姿だったとしても。
「君となら、一緒に旅をしてもいいかなって思ったんだ」
『……こんなわたしでも、いいんですか?』
「そんな君だからいいんだ」
『……そんなこと言ってもらえたの、初めてです』
ふいに風が吹いて、シルルの目から雫が舞った。透明な雫だった。おぞましい竜からあふれ落ちたはずの雫は、夕日の光を浴びると、宝石みたいに美しく輝いた。
『ああ――』
夕日の逆光の中で、シルルはくすりと笑う。
『――もう、見つけましたよ』
その言葉の意味を推しはかる前に。
ふたたび、さぁっと風が吹いた。草原がやわらかく光りながら波打つ。
どこかから舞ってきた花びらに視界が覆い尽くされて、僕は反射的に目をつぶった。
そのまま……どれだけ経っただろうか。
やがて風がやんで、ふたたび目蓋を開けると。
――目の前に、少女がいた。
眩しいほど美しい少女だった。淡い琥珀色の髪をふわりと風に遊ばせ、花びらの吹雪の中にたたずんでいる。その姿はまるで一枚の名画のようで、現実味がないほど様になっていた。もしも今、彼女が花の妖精だと名乗ったら信じてしまうかもしれない。
こんな少女には、もちろん見覚えはない。
だけど、すぐにシルルだとわかった。なぜかというと説明はできないけど、その純心そうな表情が、ささいな手指の仕草が、震える吐息が、彼女がシルルだと伝えているように見えたのだ。
「う……ぁぅ……」
僕がじっと見つめていると照れたのか。
シルルは耳まで真っ赤にほてらせながら、くすぐったそうにはにかむ。
「も、戻っちゃいましたね……?」
シルルがそわそわと落ち着かないように言う。なぜか僕と目線を合わせようとせず、もじもじと指先をこねくりまわしたり、前髪をいじったりしている。
「なるほど」
僕は僕で、一人で納得していた。
どうして、シルルが人間に戻れたのかを。
僕なんかが、とりわけ愛されているということはないはず。ということは、〝親愛〟でも獣ト薔薇の代償はクリアできるということだろう。やっぱり、そこに代償の抜け道があったんだな。
僕がそう結論づけたところで。
「あ……」
シルルがお腹を押さえて、ほんのり微笑んだ。
「えへへ……ノロア様の赤ちゃん、身ごもってしまいました」
「は?」
ちょっと意味がわからなかったけど、しばらくして思い当たる。
――〝ちゅー〟なんてしたら、赤ちゃんができてしまいます!
そういえば、この誤解をといてなかった。
「いや、あの。キスで子供は……」
「――あ、産まれそう」
「それはない」
「……もしかして、認知してくださらないのですか?」
「変なところだけ知識あるね、君」
そういえば、魔物にも普通にくわしかったな。おそらく一部の知識にフィルターがかけられているだけで、無知というわけではないんだろう。やっかい極まりない。
「まあ、責任はおいおい取ってもらうとしまして……」
シルルが顔をずいっと僕に近づけ、にっこりと無邪気に微笑む。
「これから、末永くよろしくお願いしますね。ノロア様」
「……う、うん」
謎の迫力におされて、僕はこくこくと機械的に頷いた。
これは、僕と一緒に旅をするという意味でいいのだろうか。
なんだか、やっかいな旅仲間が増えてしまった気がしてならない。
でもまあ、悪いことばかりではないか。シルルも少しだけ笑顔を取り戻したようだし、万事オッケーとまではいかなくても、一事オッケーぐらいの結末には持っていけたと思う。わずかなプラスでしかないが、少なくともマイナスでもゼロでもない。
「ふぅ……」
何気なく空を仰ぐ。
夜が迫りくる直前の、残り火みたいな夕焼け空。
太陽は地平の彼方にほとんど隠れてしまい、空はほとんど夜の色に染まりかけていた。
僕がジュジュと出会ったのも、こんな夕焼け空の下だったか。
日暮れは終わりの象徴、なんて言われるけど。
僕たち日陰者にとっては、新たな始まりを象徴する空のようにも思えたのだった。
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