第23話 さようなら

『ノ、ノロア様、待っ……!』


 シルルの制止の声が聞こえてくるが、すでに僕は動きだしていた。

 血舐メ丸を大きく振り上げ――。


 ――思いっきり、地面に突き刺す。


『……っ!?』


 ――轟音、そして震動。


 ゴブリンを追い払ったときとは、比べ物にならないほどの衝撃だった。

 足場が崩壊し、落下するような浮遊感を覚える。

 なんとか体勢を整えて、血舐メ丸を鞘へ。

 次に目を開くと、広場は様変わりしていた。広場全体が陥没し、巨大なクレーターとなっている。地面に転がっている聖騎士たちか。死んでいるわけではないが、しばらくは攻撃ができる状態ではないだろう。隊列は見る陰もなく崩れ、武器を手放してしまっている人も多い。


『ずいぶん派手にやったわね……』


「まあ、これぐらいしないと効果ないだろうしね」


 美しい都の景観を破壊するのは気が引けたけど、それは仕方ないとしよう。大量虐殺にならないためには、こうするしかなかったのだ。

 なにはともあれ、今の衝撃で氷の鎖も解けた。シルルも動けるようになったはずだ。


「シルル、今のうちに逃げよう!」


 僕はシルルに呼びかける。

 しかし、シルルは弱々しい足取りで女司教のもとへ歩み寄っていた。


『……司教様』


「ひっ……氷鎖縛アイス・バインド!」


 女司教はとっさに呪文を唱えるが、手元にロッドがない。先ほどの衝撃で飛ばされたようだ。魔法装備を手にしていなければ、魔法は使えない。


「誰か、この竜に攻撃を! 早く殺しなさい! 弱ってるうちに! さあ!」


 女司教がわめきだす。もはや、彼女はシルルを殺すことしか考えていない。幼い頃から一緒にいたというのに情はないらしい。いや、ずっと一緒にいたからこそ、恨みが蓄積しているのか。

 このままでは、まずい。


「シルル、ダメだ! 早くここから離れよう! ここにいる人たちは、もうみんな敵なんだ!」


『……ノロア様。少しだけ、司教様とお話する時間をください』


「話が通じる相手じゃない! いったん、出直すんだ!」


『お願いです……少しだけ』


 シルルはそう言って、女司教の前に立った。女司教が慌ててロッドを拾おうとするも、それより先にシルルの巨大な口が迫る。人間を丸呑みできるほど大きな、牙だらけの口が……。


「ひっ……!」


 殺される、と思ったのだろう。

 女司教は潰れたような悲鳴を上げ、顔をめちゃくちゃに歪ませた。


「き、貴様さえ……貴様さえ、いなければ……!」


 眼光だけで人を呪い殺せそうな瞳だった。

 それほどまでの敵意を一身に受け、シルルは傷だらけの子供のように震えだす。

 しかし、次にシルルの口から出た怨嗟の言葉ではなかった。


『ああ……よかった』


 とても、か細い声だった。


『ここに来れて、よかった。司教様の本当の気持ちを知れて、よかった』


 その場にいる誰もが、シルルの言葉の真意をつかめなかった。

 僕も、女司教も、聖騎士も、市民たちも……。

 誰もが呆気にとられたように、シルルを見つめる。


『わたしは、司教様を傷つけていたんですね。いっぱい、いっぱい……』


 シルルの目から、静かに涙があふれ出る。

 あまりにもドラゴンらしくない、慈しみの涙。

 その涙に、その場にいた人々が凍りついたように固まった。

 聖騎士たちも、いつの間にか攻撃をやめていた。

 もしかしたら、彼らは気づいたのかもしれない。このドラゴンが、いったい誰であるのかを……。

 姿がどれだけ変わっても、その暖かな陽だまりのような心までは変わっていなかったから。

 人々がざわめき、疑念の声を上げ――やがて、女司教へと不審の目を向ける。

 女司教はたじろぎ、なにか反論しようとしたのか、口を開きかける。

 だけど、それより早く。


『……ごめんなさい』


 シルルが頭を下げた。


『……もう、ここには来ません。誰かを傷つけてしまうぐらいなら』


 誰かというのは、おそらくシルルを陥れた相手のことだろう。

 これほどの目に遭いながらも、彼女はまだ慈愛の念を向けようとしているのか。

 ――聖女。

 人は、シルルのことをそう呼ぶという。それは、ただ立場を表しただけの言葉だと思っていたけど……もしかしたら、僕は見誤っていたのかもしれない。

 彼女が聖女と呼ばれるに足る所以を。


『ノロア様、行きましょう』


 シルルはサンプールの人々に背を向け、僕のほうへ戻ってきた。


「……いいの?」


『はい』


 シルルの意思は固いようだ。なら、僕がなにかを言うのも筋違いか。

 僕が背に飛び乗ると、シルルはすぐに羽ばたきだした。

 やがて浮上したシルルは、広場を見回し、女司教に視線を留める。シルルが今、どんな表情をしているのか背中からではうかがえない。ただ、少しだけ背中が震えている。


『……さようなら』


 最後にシルルの口から漏れたのは、別れの言葉だった。

 誰に向けたものかはわからない。誰かに向けたものでもないのかもしれない。

 シルルはその一言で未練を断ち切ったというように――ぐんっと上昇した。

 地上が一気に遠のき、視界の中に、ぱぁっと空が広がる。

 いつの間にか、太陽は西の地平へと沈みかけていた。

 空がくっきりと二色に分けられている。

 赤く輝いている西空と、夜色に染まりゆく東空。

 シルルは陽だまりに背を向けて、空の夜色のほうへと飛んでいく――。

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