第18話 人間に戻るための条件
ドラゴンが、ぽつりぽつりと事情を語りだした。
自分が聖女シルルーラ・トゥ・レイクであること。
自室にあった髪飾りをさわったら、それが呪いの装備であったこと。
気づいたらドラゴンの姿になっていたこと。
ドラゴンになったことを誰にも信じてもらえず、この山まで逃げてきたこと。
にわかには信じられない話だけど、いろいろと辻褄も合う。こっそり羅針眼でも確認してみたけど、『半径三メートル以内に、聖女シルルーラ・トゥ・レイクがいる』のは間違いないようだった。
「まさか、君が聖女様だったとは……」
『し、信じてくれるのですか? こんな荒唐無稽な話を……』
「まあね」
それにしても、サンプールの聖女か。僕でも話ぐらいは聞いたことがある。
この辺りの地域では、一番といってもいいほどの有名人だ。
聖女という存在自体、世界中でも両手の指で数えられるほどしか存在しないわけだけど、彼女が有名なのはそれが理由ではない。いや、理由の一端ぐらいは担ってるだろうけど、よくて一割ぐらい。残りの九割は――純粋な美しさだ。
彼女を一目見るために、遠方の国から訪れる人もいるという。彼女の言いなりになるといわれる権力も多いらしく、もしも彼女に邪心があるのなら、すぐにでも一国ぐらいは傾いてもおかしくないというのが、もっぱらの噂だった。
「いや、聖女様とは知らず、いろいろとご無礼を……」
慌てて頭を下げる。
性別チェックしたり、ジュジュを顔に近づけたりしたのは、完全にアウトだった。
『そ、そんな気にしなくていいですよ。あと、口調もさっきのままで大丈夫です』
「そう? それは助かるよ。身分の高い人への言葉遣いなんてわからないしね」
『あと、わたしのことは〝シルル〟って呼んでください。そのほうが親しみやすいかなって』
「わかったよ、シルル」
『えへへ……シルルって呼ばれたの久しぶりです』
シルルは飼い主に撫でられた子犬のように、尻尾をぶぉんぶぉん振る。地面から土飛沫が上がり、周囲の木々が激しくざわめく。傍から見たら、ドラゴンが激怒しているようにしか見えない。怖い。
『ノロア! わたくしのことも、〝ジュジュるん〟もしくは〝ジュジュちん〟と呼ぶといいわ!』
「あはは、鼻水をすする音かな?」
『……』
ジュジュが無言で顔を引っかいてきた。なんでだ。
「それにしても、聖女誘拐事件の裏に、こんな真実が隠されていたとはね」
『え、わたしって誘拐されたことになってるんですか?』
「うん。ドラゴンが突然現れて、シルルを連れ去ったって話になってたかな」
『……なんででしょう? わたしが飛んでいるところは、多くの人が見ていたはずなのに』
『ま、噂なんて尾ひれがつくものよ』
ジュジュが珍しくまっとうなことを言う。明日は嵐でも来るのかな。
まあ、実際、聖女誘拐事件についての話は、馬鹿げた噂でしかない。冷静に考えてみれば、ツッコミどころだらけだ。この地に生息していないドラゴンがいきなり都市を襲って、狙いすましたかのように聖女をさらうなんて。
しかし、謎も残る。
――どうして、シルルの自室に呪いの装備があったんだろうか?
いや……考えても仕方ないか。
ともかく、まずは呪いの装備だ。シルルはどうも呪いの装備にほとほと困っている様子。それなら奪っても問題はないだろう。シルルは人間に戻れて、僕は呪いの装備が手に入る。みんな幸せだ。
「シルル。君の呪いの装備について聞いてもいいかな?」
『この髪飾りの、ですか?』
「うん、そうだ」
装備者であれば、装備の情報は頭に入っているはずだ。
「少し興味があってね。もしかしたら、なにか君の力になれるかもしれないし」
『まあ、かまいませんが……』
シルルが目を閉じて、頭の中にある情報を引っ張り出すように、ぽつりぽつりと語りだす。とくに情報を出し渋ることもなかったため、呪いの装備の情報はすぐにつかむことができた。
・
……美しい白薔薇の髪飾り。身につけると、強大な力が得られる反面、装備者がもっとも恐ろしいと思う姿になる。人間の姿に戻るには、真実の愛が必要。
ランク:SSS
種別:アクセサリー
効果:獣化(装備者がもっとも恐れる姿になる。変身時、その姿に応じた能力を得る)
代償:心から愛する人とキスしなければ、人間の姿に戻ることはできない。
だいたい、シルルの呪いの装備の効果はこんな感じか。
――強大な力を得る代わりに、自分がもっとも恐れる姿になる。
そして……人間に戻るためには、愛する人とキスしなければならない。
「なるほど」
僕は平然とした顔を装いつつ、ひそかに奥歯を噛みしめた。
……これは、奪えないな。
『ずいぶんと、やっかいな代償ね』
ジュジュも顔をしかめる。呪いの装備から見ても、だいぶ特殊な代償なのかもしれない。
『で、どうするの? 奪う? 奪っちゃう系?』
「いや、やめておく。僕には、この代償は支払えない」
欲しいか欲しくないかで言えば、もちろん欲しい。この呪いの装備を手に入れるためには、ある程度のリスクを背負う覚悟もある。この呪いの装備によって困っている人がいるなら、なおさらだ。
装備は、誰かを幸せにするために作られている。それなのに、誰も幸せにならないのなら、呪いの装備も装備者も報われない。もしも僕が装備できるのなら……その呪いを肩代わりできるのなら、きっとそれが、みんなが幸せになれる結末のはず。
でも……この代償だけは、ダメだ。
この獣ト薔薇の代償の肝は、誰かを愛すること。
だけど、僕が愛せるのは装備だけ。こればかりは努力でなんとかなるものではない。
そもそも、これまで愛することも愛されることも知らずに育ってきたから、愛がどういうものなのかよく知らないし、誰かを心から愛せる日が来るとも思えない。
この獣ト薔薇は、僕との相性が致命的に悪い。
『あの、この髪飾りは、そんなに危険なものなのでしょうか?』
僕たちの表情からなにかを察したのか、シルルが不安そうに身をよじる。
「いや……危険なものじゃないよ。ただ、じゃじゃ馬というかおてんば娘というか……」
『まあ、面倒な装備ってことよ』
ジュジュがさらりと言う。
面倒。たしかに的を射た言葉かもしれない。
暴走したり死んだりするような危険性はないけど、装備していると困るという感じだ。とはいえ、装備に困らせられるというのも、それはそれで男冥利に尽きることではあるんだけど。
『面倒、ですか。それは、その……対処が難しいということですか?』
「そう、かもしれないね。くわしくはわからないけど」
曖昧な言葉で、お茶を濁す。
対処が難しいといえば、そうだ。だけど、呪いの装備の代償には抜け道というものがある。
ただ、それをシルルに伝えるべきかどうか……迷う。シルルが人間に戻ったとき、僕が呪いの装備について異様にくわしいと知られているのはデメリットしかない。そもそもシルルの手助けをしてやる義理もないし、ドラゴンと一緒にいるところを誰かに見られるのも都合が悪い。
メリットを取るなら、このまま去るべきだろう。
これ以上、彼女の事情に首を突っ込んでもいいことはない。
僕の答えは、最初から決まっていた。
「残念だけど、その呪いの装備にどう対処すればいいか、僕にはわからない」
『そう、ですか……いえ、そうですよね』
「だけど」
僕は一瞬迷ってから、続ける。
「もしかしたら、君の力になれるかもしれない」
『え?』
結局、僕は手を差し伸べることにした。
呪いの装備によって、一人で苦しんでいる少女に向けて。
そう……答えは最初から決まっていたのだ。
このままではシルルは殺され、美しい呪いの装備も処分されてしまう。それを黙って見過ごすには、少しだけ彼女とその装備に情を移しすぎた。それに呪いの装備によって人生を狂わされる苦しみを、僕は知りすぎていたから……彼女の苦しみを、とても他人事とは思えなかったのだ。
取捨選択――なにかを選び、なにかを切り捨てる。
そんなふうに賢く、要領よく生きられたらよかったんだけど。誰かが苦しんでいるのを見てしまったあとに、それを忘れて笑うことができたなら、よかったんだけど。
……僕には、まだ無理だ。
『まったく、甘ちゃんね。あんたは』
ジュジュが呆れたように耳を引っ張ってくる。なぜか不機嫌そうだけど、たぶんお腹でもすいたんだろう。ジュジュの悩みの九割は、『お腹すいた』だし。
「なんにせよ、まずはここから離れたほうがいいね」
『え、どうしてですか?』
「君の討伐隊が向かってきてるんだ」
冒険者をやっていれば、大規模討伐の話はどうしたって耳に入ってくる。
シルルがサンプールを離れてから六日は経ってるし、そろそろ討伐隊もこの森に入っている頃かもしれない。討伐隊には羅針眼がないとはいえ、あまり猶予はないと考えるべきだろう。
『討伐隊……』
『早ければ、明日にでも襲われるかもしれないわね! ざまあ!』
『そ、そんな……』
シルルがショックを受けたように身をすくめた。たとえ誤解があるとはいえ、大勢の人間が自分を殺そうとしているのだ。それは恐怖以外の何物でもないだろう。とくにシルルは、殺す殺されるといった血生臭い世界とは無縁だっただろうし。
しかし、事実を告げないわけにもいかない。自分が討伐対象だと知らないで、不用意に討伐隊に近づく恐れもあるからだ。
『わたし、いったいどうしたら……』
「――大丈夫だよ」
そっと、シルルの頭――につけられた髪飾りを撫でる。
「僕が守るから。必ず、君を幸せにしてみせるよ」
可愛い呪いの装備にいいところを見せようとして、ついセリフがキザっぽくなってしまった。
だけど、虚言というわけではない。その言葉に込められた思いは、本物だ。
呪いの装備に触れたから不幸になる……そんな常識は嫌いだった。
呪いの装備に触れてしまった人でも、幸せになってもらいたい。こんな可愛らしい装備を身に着けてるんだから、装備してよかったと思ってもらいたい。呪いの装備のほうだって、ちゃんと使いこなしてもらえたほうがうれしいだろう。
『……そ、それって、プロポーズ……』
「ん、なにか言った?」
『い、いえ……あ、ありがとうございますっ』
シルルはなぜか照れたように顔を前足で覆った。
まあ、少しだけでも安心させられたということだろうか。
しかし……わずかに気が緩んだ、その瞬間――。
――ごごごごごごっ!
「……っ!?」
突然、すさまじい地鳴りが響いてきた。
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