第5話 装備を奪う装備

 一瞬にして消し飛んだ町の中、血塗れた金ピカ男がゆらゆらと歩いていた。その赤く染まった瞳や、稲妻のように浮き上がった血管の筋を見なくても、彼が理性を失っているのは一目でわかる。


 彼が手にした赤黒い刀を振るたびに、衝撃波で建物が十も二十も吹き飛ぶ。あまりにも圧倒的すぎる攻撃力だ。金ピカ男が使っていたBランクのゴールドソードさえ、玩具に思えてくるほどの力がある。


「くそ! よりにもよって、やっかいな呪いの装備にさわりやがって……!」


 ヤブキさんは舌打ちすると、側に転がっていた剣と盾に触れた。武具との魂の契約はすぐに完了し、一瞬で装備してしまう。さすが元Bランク冒険者だけあり、武具が装備を拒むことがない。


「そんなに質はよかねぇが、ないよかマシだろ。そんじゃ、逃げんぞ」


 ヤブキさんは立ち上がると、いまだに腰を抜かしている僕に手を差しのべた。


「逃げるって……隠れてたほうがいいんじゃ」


「隠れた瓦礫にプレスされたいか?」


「それは……」


 逃げられるとも、隠れられるとも思えなかった。

 少しずつ戻ってきた理性のせいで、絶望ばかりが頭を埋め尽くす。冷静になればなるほど、計算すればするほど、この状況で生き延びるのは不可能に思えた。

 ヤブキさんはそんな僕を見かねたのか、元気づけるように笑ってみせた。


「なに、大丈夫さ。俺はこれしきの修羅場なら何度もくぐってきてんだ。呪いの装備のトラブルに巻きこまれるのも初めてじゃねぇ」


「……ヤブキさん」


 ヤブキさんが、これほど頼もしく見えたのは初めてだ。

 この人についていけば、きっと助かる。

 そう確信し、僕はヤブキさんの手を取ろうとし――。



 ――ぼとっ。



「え?」


 なんの音か、一瞬わからなかった。

 わかってからは、今度はわけがわからなくなった。

 どうして、ヤブキさんの手が……地面に落ちてるんだ?

 答え合わせをするように、おそるおそる顔を上げた。

 夕焼け空が、見えた。


 ――ヤブキさんの上半分がなくなっていた。


 なぜだか僕は、早く探さないとって思った。

 でも、周囲を見まわしても……ない。どこにもない。なくなってしまった。あれだけ大きな体だったのに、一瞬でなにもなくなってしまった。

 そうこうしているうちに、ヤブキさんの残った部分がふらりと揺れて、どちゃりと地面に倒れた。温かい血しぶきが僕の全身を濡らした。

 それを最後に、辺りは静かになった。

 町は、死んだように音を消し――。



 ――ごつ。



 ふいに、背後から物音がした。



 ――ごつ。



 それは、革靴が地面を叩くときの音に似ていた。



 ――ごつ。



 靴音が、近づいてくる。



 ――ごつ。



 近づいてくる。



 ――ごつ。



 音は、もうすぐそこまで来ている。



 ――ごつ。



 すぐ後ろで、音。


 …………。

 それを最後に、音は止まった。

 立ち止まったらしい。

 僕は、おそるおそるふり返る。


「……っ!?」


 ――男が、じぃっと僕を見つめていた。

 鼻と鼻が触れ合いそうな距離に、感情の抜け落ちた男の顔があった。


「……っ」


 悲鳴すら、出なかった。

 全身がびくっと硬直してしまって、指一本動かせなくなる。

 男のごっそりと表情が抜け落ちた顔からは、なんの感情も読みとれない。

 ただ、飛び出そうなほど見開かれた目玉で、僕をじっと眺めている。そのつるりとした赤い目玉に、僕のくしゃくしゃになった顔を映している。


 男の手には、依然として赤黒い刀が握られていた。

 その刀はよく見ると、どくっ、どくっ、どくっ、どくっ……と脈動している。獲物を前にして歓喜に打ち震えるような拍動だった。赤い刀身は、唾に濡れた獣の舌のように、ぬらりと粘ついた光沢を帯びていた。


「……っ……っ」


 僕の声は、いまだに出ない。声の出し方を忘れてしまったかのように、口をぱくぱくさせて喘ぐことしかできない。

 男の無表情な顔がさらに迫る。もはや眼球と眼球が触れ合いそうな距離だった。

 男はその距離のまま、すぅぅっと刀を振り上げた。

 視界の隅でそれを見て、ハッとした。


 ――死ぬ。


 そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。

 生きたいと思ったわけでもなく、ただ逃げたいと思ったのだ。

 体が弾かれたように前に飛び出し、無様に地面を転がる。

 その行動が結果的に、自分の命を救うことになった。


「……っ」


 刀が振り下ろされ――僕がつい一秒前までいたところが、一瞬で消し飛んだ。

 巨大なクレーターが穿たれる。刀の衝撃波がヤブキさんの残った部分を弾け飛ばしたのか、遠くからぼとぼとと湿った音がした。


 男はすぐに、刀が外れたことに気づいたらしい。

 首だけをぐるんと回して、僕をふたたび見る。

 そのまま僕に顔を近づけて、じぃぃっと眺めてくる。まるで、僕を品定めするかのように……僕に攻撃するのを躊躇するかのように。


 ……なぜ、すぐに殺さないのかわからない。

 ヤブキさんは一発で殺したのに。殺すなら一思いにやってほしい。どうせもう、逃げることも隠れることもできないんだから。

 そう思うと、全身から抵抗感が抜けた。

 そうか、刀をかわす必要なんてなかったんだ。刀を一発かわしたところで、よくて数分の延命にしかならない。それにどうせ生き延びたところで、たいした人生が送れるわけでもないのだ。こんな恐怖を覚えながら一秒でも長く生きつづけるぐらいなら、さっさと死んでしまったほうがいい。

 僕は全身から力を抜いて、ぎゅっと目をつぶり――。



『――ふわぁ……なに、工事の音? うるさくて起きちゃったじゃない』



 すぐ足元から、場違いな少女の声が聞こえてきた。

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