館のもの

はちやゆう

第1話

 集落の正面には貴族の屋敷があり、市場はその裏手にあった。この集落から市場に向かうには屋敷を右か左に大きく迂回しなければならなかった。ときどき大きな荷物を抱えたものなどが貴族の庭園を横ぎり、屋敷の主人の不興を買った。主人は“立入禁止”の立札を掲示した。

 ある日、集落から市場へ向けて、屋敷の入口を少年がくぐろうとしていたのを屋敷の主人は注意した。

「小僧、この立札が見えないのか。すぐに立ちされ」

「這って入ったのにどうして立ちさらなければならないのでしょう。わたしは文言を守りました。もし入られたくなかったのならば、立札を“進入禁止”にでもすればよかったのではないですか」

 はっきりと主張する少年に、なるほど一理ある、と思った主人は少年をとおし、すぐに立札を新しいものへ変えた。立札は“館のもの以外の進入を禁じる”と建替えられた。

 数刻がたち、両手いっぱいに荷物を抱えた少年が、市場からもどってきた。主人は腕をくみ、立札のとなりで少年をねめつけた。少年はたち止り、立札を一読し、うなずき、笑顔をみせ、主人の横をすり抜けようとした。主人は威圧するような大きな声を出した。

「まてい、小僧。立札が読めぬか」

 少年は笑顔のまま、落ちついた声で答えた。

「いいえ、読みました」

「では、なぜここをとおろうとする。進入を禁じるとかいてあるだろう」

「たしかに進入を禁じるとかいてあります。でも、わたしは村へ戻るのです。聡明な旦那さまならご存知だったはずです。わたしが村からここをとおり市場へ、市場からここをとおり村へと戻ることを。これをあきらかな進入といえるのでしょうか」

 主人は片眉を上げて少年を睨んだ。少年は主人から目をそらさなかった。

「うむ。ちと弱い、ただの屁理屈だ。だが度胸はある」と主人はひとりつぶやいた。

「とおってもよろしいのでしょうか」

「条件をのめばとおしてやろう、いや、とめることができなくなるといっていいか。わかるか」

「・・・・・・“館のもの”になれということですか」

「左様。おまえはこれからもここをとおることが出来るし、このあたりでこの屋敷より高給なところはない。それだけの荷物、家族がたくさんおるのだろう。まあなんだ、悪い話ではなかろう」

 少年は目を伏せ、うつむいて、頭をかいた。つぎの瞬間、思いをのみこみ、主人をまっすぐに見据え、はっきりと返事をした。

「わたしはいまから館のものです。奉公します」


 こうして少年は貴族の屋敷に雇われ、懸命に働いた。数年がたち、少年は青年となり、若いながらも主人を支える家臣のひとりとなっていた。青年の活躍はめざましく、貴族の屋敷はますますの繁栄をし、ついには裏手の市場を治めるに至った。青年は主人に申し上げた。

「旦那さまはあの立札のことを覚えておいででしょうか」

 主人は視線を遠くにうつし、懐かしそうな顔をした。

「もちろん、忘れるはずがないだろう」

「市場は旦那さまのものとなりました。この屋敷の一部となったといってもいいでしょう。わたしはあのとき屋敷に進入し、館のものになった小僧です。旦那さまには数知れないご恩を受けた身です。その旦那さまに恩を仇で返すようですが・・・・・・」青年はそのあとの言葉を言いよどんだ。

 会話の意図を察した主は、言葉を言い終えるまえに、青年の肩に手を落とした。

「うむ。そうか。残念だ。おまえが決めたことなら引きとめるのも無粋だろう。だがな、ここはもうおまえの家だ。わたしの家族と言っていい。家族も館のものだろう。いつでも遊びにくるがよい。話し相手になってやらないこともないぞ」主は豪快にわらった。


 青年は学究の道を志して都に向かうことにした。屋敷の主は青年に気づかれないように青年を援助した。青年はそれと気づきながらも厚意をありがたく頂戴した。

「まったくひとのことには平気で立ち入る。困った御人だ。孝行の甲斐がなさすぎる立派な家族というのも大変だ」

 屋敷のほうをみて、青年はうれしそうに困って、頭をかいた。まもなく船がでる。

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館のもの はちやゆう @hachiyau

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