第8話 かんこう

 河原町高校では、1年生の秋に2泊3日の見学旅行がある。今年は、北海道に行くことが決まっている。

「札幌なんて、初めて行くよ。みんなは?」

「小学校の時に行ったわ。クラーク博士の像と、あと旭川の動物園に行ったと思う。家族旅行だから車でね」

 七津だけが、北海道に行ったことがあるみたいだ。

「あー、ペンギンとかいるところ!」

「そう。カバなんか人が通る水中トンネルの上を泳ぐから、お腹が見えるの。まるで空を飛んでいるみたい」

「でも旭川までは行かないんだよね?」

「うーん、電車だとね・・、ちょっと時間かかっちゃう。隣町じゃないから」

「新幹線ってまだないんだっけ?」

「新幹線は札幌までよ」

「そういえば、札幌まで新幹線で行くの?」

「いいえ、飛行機よ。札幌新幹線は車椅子が何台も乗れないのよ。短い編成だから東京新幹線と違って、個室がついていないの。車椅子座席に乗ったことがあるけど、車両端のドアの前にあるから、身体が動くと自動ドアが勝手に開閉して周りに気を遣ったわ」

「古い車両なのね、前に行った映画館も通路脇で風がスースーした。空調がいいから」

「それと、急にスピードが変わると、体に力が入らなくて前のめりになってしまうから怖いのよ。横向きで座れないし、シートベルトがないから」

「飛行機は狭いから逆に大丈夫なの?」

「狭いから、そのまま自分の車椅子では入れないかな。機内用に乗り換えね」

「車椅子のバッテリーは外さなきゃダメって聞いたことがあるけど」

「今の電池は全固体電池だから、発火しないわよ」

「遠出になると、どうしても楽な自家用車にしちゃうもんね。人に気兼ねしなくてもいいし」

「お菓子食べながら後ろの座席で寝てられるし」

「それは春陽だから」

「高校卒業したら、自動車の運転免許は取るんでしょう?」

「そうね、そうしないと誰かいないとどこにも行けなくなるからね」

「早く自動運転にならないかなあ。自分で運転するなんて怖いもの」

「自動運転でも、もしもの時のために運転技術は学ぶのよ」

「もうすぐこの車椅子、空を飛ぶわよ」

「みんな空を飛んでいたら、何かおかしいよね」

 私たちの生活は、乗り物によって大きく変わってしまう。

「札幌での自由時間が1日あるけど、どこに行く?」

「自由時間は、グループで出かけていいんだよね。他のクラスの人でもいいのかな?」

 七津と春陽は3組で、1組の私と愛来とはクラスが違う。

「届けておけばいいみたい。自由時間以外はクラスごとのグループ行動だから、この時間くらいは4人で組む?」

「賛成!部活動ということにすればいいんじゃない?」

「じゃあ行きたいところ挙げて」

「ラーメン!」

「お寿司!」

「あとジンギスカン!」

「なぜ食べ物ばかり?」

「他に何あるか知らないもん!」

「ジンギスカンは、全体行動で2日目の夕食で苗穂ビール園ってあるから、そこで食べられるんじゃないの?」

「おー、それな」

「お寿司は、高校生にはちょっとお高いんじゃありませんの?」

「回転寿司がすごく美味しいって、ガイドブックで見たぞ」

「回転寿司なら高校生でも行けるんじゃない?」

「ここでしょ?回転寿司ポセイドン!」

「うんうん、いいねえ。ネタが新鮮で大きくて有名だって」

「これ、見学旅行なのよ」

「北海道の食についての研究です」

「車椅子4台入るかな」

「なんとかなるんじゃないの?」

 うーん、行き当たりばったりの4人だ・・。


 旅行の1週間前に定期テストがあり、それまでは旅行の準備や話があまりできなかったが、試験がやっと終わった。

「いやー、成績悪いと旅行に連れて行かないって先生方が脅かすから、必死で頑張ったよ」

「赤点で補習の人はいないのね?」

「はい、がんばりました・・」

「じゃあ、自由時間の見学は、4人で市内にある丸木山動物園ということでいいわね?」

「ホッキョクグマ、見たいな」

「白いクマ?ぬいぐるみみたいなかわいいやつ?」

「いや、大きくて怖いわよ。地球上で1、2を争う危険な猛獣だったと思う」

「えー、ぬいぐるみはあんなに可愛いのに・・・」

「北国の動物はみんな白いの?」

「雪に隠れるのに、ちょうどいい色なんじゃないの」

「あ、そうか。勉強になるわー」

「少しは勉強にならないとね」

 あと5回寝たら出発だ。


 当日は、空港に直接集合なので、親に頼んで空港まで送ってもらうことにした。今回は移動距離が長いので、飛行機に乗る前に疲れてしまっては大変だ。

「まさかとは思うけれど、忘れ物はないわね?あなた結構大事なところで忘れるから」

「この間海に行った時に、七津が下着を忘れて来たわよ」

「まあ、七津さんがそんなことするの?」

「ああ見えて結構、天然なのよ」

「みんな一緒だからなんとかなるでしょう。気をつけて、楽しんでいらっしゃい」

「うん、ありがとう。行って来ます」

 集合場所に着くと、我が校の生徒がたくさん集まっていた。クラスごとに並んではいるけど、七津の姿がすぐに目についた。

「七津―、おはよう!」

「二柚、おはよう」

「1年生全体だと結構いるんだね」

「4クラスあるものね」

「愛来と春陽、来てるかな」

「さっきメッセージしたらもう来てるって。なんだかんだ言ってみんな、楽しみなのよ」

「食べる方かな」

「それは春陽と二柚でしょ」

「七津は楽しみじゃないの?」

「食べることも、そうじゃないことも、みんなで旅行ができるってこと全部楽しみよ」

 うう、優等生の答えだ。

「でも、二柚とは泊まる部屋が違うから、ちょっと残念」

 え、どういう意味?急にそんなこと言われたら、ちょっとドキドキするんですけど!

 クラスでの班分けでは、愛来とは別の班になった。七津と春陽のクラスでも、二人は分けられたようだ。いろいろ見学するのに、車椅子の子が固まらない方が動きやすいだろうという説明を事前に受けた。

また、今回は現地でいろいろサポートしてくれる会社を頼んであるということだった。

「二柚―!今日から3日間よろしくね!」

「芽衣、茉侑、怜、こちらこそよろしく!」

「何か手伝うことあったら遠慮しないでね」

「うん、ありがとう!遠慮なんかしないでアイスをおごってもらうわ!」


 安斉芽衣は、野球部でキャプテンをしている。4番でエースピッチャーをやるくらい度胸と運動神経がいい。頼りになるお姉さんって感じ。

 大西茉侑は、吹奏楽部でオーボエを吹いていて、成績が学年トップという頭のいい子。おまけにクラス委員長だ。でも誰に対しても嫌味がなく、同級生からも先生からも信頼されている。

 富田怜は、七津と張り合うくらいの美人。ちょっと天然だけど、女子からも好かれているマスコットみたいな子だ。まるでマンガに出てくるようなキャラクターの3人と同じ班になってしまった。

 彼女たちは、今までもクラスの中で、私や愛来と一緒にいてくれた。放課後はそれぞれ部活があるけど、教室の移動やお昼ご飯の時など、あまり意識しないで側にいられる関係だ。


「じゃあ搭乗口に行きます。班ごとに行動してください」

「車椅子の方はこちらへどうぞ。同じ班の皆さんも一緒に」

 空港の係員の説明を受け、カウンターで車椅子を機内用のものに乗り換える。 芽衣と怜が手伝ってくれた。茉侑は係員の説明を熱心に聞いてメモを取ってくれている。本当は航空会社の人が全部手伝ってくれるのだけれど、ここは友人に甘えることにする。

「うわ、機内用って軽いな」

「木でできているんですよ。保安検査もこれで通過できます」

「へえ、そうなんだ」

「二柚の車椅子もすごいけどね。まじまじと見ると小さい自動車みたい」

「いろいろ装備もついてるので結構重いから。あと何年かするとこのまま空を飛ぶかもよ」

「おお〜」

「一緒に乗って飛んでみたーい!」

 怜は前にも、一緒に乗ってみたいと言っていたな。

「怜が乗ると、どこに飛んで行くかわかんないぞ」

 機内に入ると、七津と春陽のクラスが既に搭乗していた。

「二柚!」

「あ、七津!もう乗っていたのね。春陽は?」

「ここにいまーす」

 同じ班の子と写真を撮り合いながら、春陽が返事をした。

「二柚、こっち見て!」

 と言われた瞬間、目の前が眩しくなった。うわ、何だと思ったが、春陽と周りの子がケラケラ笑っている。くそう、やられた!

「あとで送るからね!」

 行きの機内からこんな騒ぎでは、帰るまで体力持つかな。

 それでも飛行機は無事に飛び、ワイワイ騒がしい空気を一緒に運んで新千歳空港に降りた。

 着地の時、芽衣と茉侑が両側から私の身体を支えてくれた。飛行機はシートベルトがあるから大丈夫と言ったけど、それでも二人の手と肩で身体が前に出ないように押さえてくれた。

 怜はぐっすり寝ていたようで、着地の振動で小さく「キャ!」と叫んで起きた。きっとこいつは大物になるわ。


 到着後バスに乗り換え、全体で昼食を取った後、クラスごとに見学に出発した。

 見学先は小倉山ジャンプ台というところだ。昔オリンピックのスキージャンプ競技の会場だった場所で、今でも競技に使われている。

「うわー、あんな高いところから人が飛ぶの?」

「飛ぶというよりは落ちてくるという感じ?」

「さあ、みんな上るよ!こっちに集まってください!」

 うーん、事前に話は聞いていたが、直接見ると圧倒される高さだ。横のリフトで上がるのよね。私、本当に大丈夫?上れるの?

「佐倉さんと班の人、こっち来て」

 小雪先生が手招きをしているので行ってみると、隣に若い女性がいた。

「こちらは伊藤さんと言って、旅行中にお手伝いが必要な方をサポートする、アシストサービス社の人なの。今回、あなた方のサポートをしてもらうから」

「こんにちは、アシストサービス社の伊藤裕美です。作業療法士という仕事をしています。このような、旅行中の方を旅先でサポートする会社にいます。佐倉二柚さんというのね。二柚ちゃん、でいいかな。どうぞ旅行中の3日間、よろしくお願いします」

 また作業療法の人だ。

 伊藤さんの会社は、こうしたサポートが必要な人が旅行する場合の、あらゆる場面でのコンシェルジュサービスをやっているということだった。なので、希望すればこちらが行くところを全て手配して、必要なサービスを付けてくれる。今回は、高校側が旅行期間中この会社と契約して、サービスを利用していると説明された。

「こんなのに私、乗るんでしょうか?」

「大丈夫、リフトには私と一緒に乗ります。別の車椅子が上にあるから、降りたらそれに乗ってもらいますね。ずっと私がついていますから、安心して景色を楽しんでください。上から見る札幌の景色は、感動ものよ」

「はあ、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

「何も迷惑なんかじゃないわ。一緒に行けないと逆に周囲の人も悩むのよ」

 グループの3人が、うんうんとうなずいている。

「だからそんな言い方をしてはダメ。一緒に楽しもう?」

「はい、わかりました。みんな、ありがとう」

「そうだよ二柚、そんな水臭いこと言わないでさ、一緒に景色見に行こうよ」

「だって自分だけ見られないなんて悔しいものね。私たちだって、二柚を置いて行くくらいなら、行きたくないよ」

 先に芽衣と怜がリフトに乗り、上で待っていてくれることになった。そのあとに伊藤さんと私が一緒にリフトに乗り込んだ。茉侑は私の後に乗ってくれて、何かあった場合のバックアップをしてくれる。伊藤さんのサポートはとても手際が良く、不安に感じることはなかった。

 横を見ると、雪のないジャンプ台の上の方から、スキー板を付けた選手がものすごいスピードで飛んで降りてくる。

「え、どうして雪がないのに飛んでるの?」

「このジャンプ台は、冬だけじゃなく一年中飛べる台なの。夏に大会もやっているわよ。あれは雪じゃなく、紐状のプラスチックを敷いているのよ」

「今、飛んでる人は誰ですか?あ、ひょっとして観光客?」

「いや、さすがに初心者には無理よ。今日は練習日なのね。だから選手よ」

 ここから飛ぶのに、どれだけの勇気がいるんだろうか。

「すごーい、もう感動です・・」

「今、後ろ振り向くともったいないから、上に行くまで見るのガマンしてね」

「伊藤さんは、こういうサポートの仕事専門なんですか?作業療法士さんって、病院で働く仕事だと思っていましたけど」

「ほとんどの人はまだ病院で働いているかな。私も以前は病院勤務だったけど、外で働きたかったからこの会社を選んだの。普段病院で働いている人でも、依頼を受けてこの仕事につく人もいるのよ。他に看護師、理学療法士とか、言葉に不安がある人のために言語聴覚士という資格の者もいるよ。お客様の状態に合わせて派遣するようにしてるの」

「へえ、すごい会社ですね。でも初めて会った人に、こんなにうまくサポートできるんですか?」

「事前に、二柚ちゃんのデータをいただいてるよ。あとは経験だね。サポートする場所がどんな建物か、などの特性は地元だからよくわかってるし」

 そう言えば旅行にあたって、自分のデータを提供するとかの同意書があったような気がする。私の普段の生活場面もビデオで撮られていた。

 面倒なことは親に見てもらったから、あんまり覚えていないけれど。

「別の街に行ったら、別の人がサポートしてくれるっていうことですか?」

「そう、地元の専門職の人と契約しているので、ご要望に合わせてお選びいたします。私の会社は札幌近郊が受け持ちエリアなの。施設見学やアクティビティ同行、温泉を一緒に入るとかもやるわよ。安全にこの街を楽しんで欲しいという願いで、みんなサポートをやっているのよ」

「それは便利です。どこに行っても大丈夫なんですか?」

「東京の本部の会社から全国に依頼が送られるから、国内ならどこでもね。そのうち海外もやりたいって本部が言っていたけど」

「うわー、すごいですね。そうなったら、誰でも旅行を楽しめますね」

「そうね、だんだんそういう世の中になっていくといいわね」

「このままずっと付いてくれるんですか?」

「夜は帰るけど、昼間は3日間ホテルにいるから、何かあったらすぐに出ていくわよ。よろしくお願いね」

「さあ、頂上に着くわよ。降りるから準備して」


 リフトは、私の乗り降りの時に減速し止まってくれた。その横にある椅子に私が座ったら、運行スタッフと芽衣と怜がこちらを見て笑顔で声をかけ、ハイタッチをしてくれた。

「ようこそ、小倉山シャンツェへ!」

 頂上で用意してくれた車椅子は手動だったが、芽衣が押してくれた。

「ここはまかせなさいって。リフト、怖くなかった?」

「ううん、伊藤さんが付いていてくれたから安心だったよ」

 そのまま展望室に上がり、窓の外の景色を見た。

「これは、すごい・・」

 それは、今まで見たことのない景色だった。茉侑、芽衣と怜も初めて見るらしく、驚いた表情でうっとりしていた。

「ここに選手は飛び降りるのよ」

 言葉が出ない。どうしてここを飛ぼうなんて、思ったんだろうか。

「ジャンプ台の先を伸ばすと、線になっているような道路が見えるでしょう?あれが大通公園よ。今度、大通公園からこちらを見上げてごらんなさい。ジャンプ台が見えるから」

 話には聞いていたが、碁盤の目になっていて、なんて綺麗な街並みなんだろう。その中心に太い線が見える。あれだ。

 一人や、家族とだけだったら、ここに上ろうなんて思いもしなかっただろうな。

 本当に知らない世界ばかりだ。

「ね、来てよかったでしょう?何事もあきらめないでチャレンジすることよ。後悔って、後に悔やむって書くんだから。最初からあきらめず、ジャンプみたいに飛び込んでみたら」

「はい、ありがとうございます。大切なことを教えてもらいました」

 下りはリフトが前を向いて降りるので、札幌の街並みが見える。伊藤さんがいろいろ説明をしてくれる。

 こんな楽しい仕事もあるんだな。

「この高校に車椅子の子が4人いるんでしょう?みんなかわいい子だって、うちの男性社員が、写真見て喜んでいたわよ。担当になりたがってたけど、女子高生相手だから私が付くことになったの。ファッション雑誌にも出たんですって?みんな、行動力あるなあー」

「はい、ビーチに行った時の写真が。なんか、いろんな人にお世話になりっぱなしで」

「若いんだから、記念になっていいんじゃないの?それと、誰かに迷惑がかかるから、って考えはダメよ。応援しようと思っている人まで悲しくなっちゃうから。どうしたらできるようになるか、って考えるの」

「そうでした、ごめんなさい」

「わかればよろしい。夜は入浴のサポートもあるから。大浴場、楽しみにしててね」

「え、大浴場って、私たちは部屋のお風呂なんじゃないですか?」

「何を言っているの。ここは日本でも有数の温泉地よ。みんなで大きな温泉に入らなきゃ、ここにきた意味がないじゃない!」

「でも大きな温泉は広くてちょっと怖いから・・」

「だから私が来てるんじゃない。プロにお任せあれ!」

「そうなんですね。大浴場なんて初めてだから緊張するかも・・」


 ホテルに着いて、全体説明やら夕食やらが慌ただしく終わった。

 我が班の茉侑班長は、テキパキと先生との連絡などを片付け、寝るまでの自由時間となった。

「二柚は入浴サポートがあるから、20時に大浴場の入り口に行ってって。私たちもその時間に一緒に入ろうよ」

「賛成!みんなで入ろう!」

「いいの、一緒でも?迷惑かけちゃうよ」

「いいに決まってるでしょ!せっかくみんなの裸を見るチャンスだっていうのに。グフフ」

 芽衣が危ない人になっている。

「じゃそろそろ行こう!」

 大浴場の前には、アシストサービス社の伊藤さんが待っていてくれた。

「おー、来たわね。さっきはお疲れさま」

「ありがとうございました。またよろしくお願いします」

「みんなも一緒に入ってくれるの?仲いいね」

「私たちも勉強になるので教えてください。よろしくお願いします!」

「他の班と他のクラスの子も一緒になるのよ」

「わー、みんなで一緒に入れるんだ」

「じゃあ先にちょっと車椅子見せてくれる?このタイプって、防水よね。この温泉、広いから洗い場まではこのまま行けるかな」

「この間、このまま海に入りました。長時間水没しなければ大丈夫と言われています」

「このタイプの車椅子を見るのは初めてなのよ。『e-bot』に乗ってる子もいるんだって?」

「3組の七津の車椅子です」

「そうなんだ。日本に何台もないから、それも楽しみね。あ、他の子も来たみたい」

「二柚―!」

 七津の声が聞こえた。続いて愛来と春陽、およびそれぞれの班のメンバーも一緒に到着した。全部で16名だ。

「一緒に温泉に入れるなんて、夢みたいだね!」

「うん、うれしい」

「では全員揃ったところで改めまして、アシストサービス社の伊藤と言います。今日はみんなで温泉に入るんだけど、そこに「安全に」と「楽しく」という目標を付け足します。心配しながらお風呂に入っても疲れちゃうでしょう?そうしたらまた来ようって思えなくなるから、そんなのお互い、嫌よね。だから、安全に、そして楽しく温泉に入りましょう!」

「おー!」

 同級生たちが掛け声をかけてくれた。今までだったら、なるべく人に迷惑をかけないようにって、部屋のシャワーで済ませていたと思う。

「他のお客様もいるので、あまり大きな声とか出して騒いではダメよ。人に迷惑をかけてはダメなことは、誰にでも変わらないことだからね」

 もうとっくに伊藤さんの掛け声で、騒いでいるような気がするが。

 脱衣所で順番に服を脱ぐ。プールではないので水着ではない。タオルも大きいものは持ち込めないから、ほぼ全裸状態だ。いくら同性でも少し恥ずかしい。

「家庭のお風呂と違うところは、一番は広さなの。広いと手すりとかがつけにくく、視覚的に頼るものがないことで不安が強くなる人が多くて、大きな温泉に入ることを尻込みしてしまう人が多いのよ」

「へえー、そういう目に見えないところも考えてサポートするんですね」

「露天風呂の方にも行ってみる?ここは広めにできているから、車椅子で行けるわよ」

「わあー、行ってみたいなー、私、露天風呂は今まで入ったことない!」

 七津が目をキラキラさせている。私もないなー。危なくないのかな。

「じゃあ行きましょう。同じ班の子も何人か一緒に来てもらって、手伝ってもらいましょう」

「私、行きます!」

「二柚と露天風呂なんて、いいよね」

 私もだよ、みんな!家族以外と一緒にお風呂なんて初めてだよ。しかも温泉!本物!

 浴槽の脇に移動用の椅子を置いてもらい、一旦車椅子からそこに降りて座り直す。そのあとは、湯船の中で待っている芽衣の胸に飛び込んでしまった。

「キャー、芽衣ごめん!」

 急に飛び込んだ勢いで芽衣がよろけそうになったが、芽衣の後ろで茉侑が芽衣を支えていたから、お湯の中に転がることはなかった。怜もその後ろにくっついてきた。

 裸の4人で抱きしめ合う。お湯がバシャバシャと勢いよく跳ねる。

「アハハ、あっぶないなー」

 みんな笑いが止まらない。うん、これ、いい。

「あらら、その椅子、移動型のリフトなんだけど、説明する前に飛び込んじゃったか。私がやるより友達との方が楽しいわよね、そりゃ。でも危ないから急に飛び込まないで、ゆっくり移動してね」

 七津と愛来、春陽もみんなそれぞれの班のメンバーと、キャーキャー大騒ぎしながら湯船に入った。幸い露天風呂に他のお客さんはいなかった。

「4人で一緒に、露天風呂に入れるとは思わなかったよねー」

 温泉に入って見る月は、大きくてまんまるだった。湯船にもその月が映って眩しかった。

「大人になっても、時々こうやって温泉に来たいね」

「また伊藤さんの会社に頼んじゃう?」

「そんなのずるい!私たちも来るわよ。温泉で同窓会しよう!」

 そこに芽衣、茉侑と怜、それから一緒に入ってくれた他の班のみんなが、後ろからどーっと私たちに抱きついてきた。

「ありがとうね、みんな」

 みんなで露天風呂に入りながら見たこの月のことは、ずっと忘れないだろう。


「二柚、朝よ、起きて」

 はあーい、あれ、七津の声?何で七津がここに?

「何言ってるの、昨日一緒に寝たでしょ」

 うん、何で?クラス違うよね?部屋違うよね?

「何寝ぼけてるの。自由見学の打ち合わせしているうちに、みんな眠っちゃったじゃない!」

 あー、そうか、次の日の自由行動の話し合いをしようと集まって、温泉から出て気持ちよくなってそのままこの部屋で寝落ちしたのか。

 って、えー!七津と一緒に寝たの!えー、キャー!

「二柚、かわいかったわよ」

 えー、どうしよー!きっと今、顔真っ赤だ。鏡見なきゃ!

 あれ?

「何よ、このヒゲ・・七津!」

「何のことかな?」

 身支度をして、今日の確認をする。昨日の話なんてみんな覚えちゃいない。

「ラーメンとお寿司!ラーメンとお寿司!」

「どっちかにしなさいよ」

「まずは、大通に出て街中を歩いて、お昼食べてから動物園見て戻る、くらいかな」

「お昼はどっちにするの?」

「うーん、どちらかにするとなると、難しい選択ね」

「え、ラーメン食べてからお寿司食べに行けばいいんじゃないの?」

「そんなに食えるか!」

「できるよ!お寿司は別腹って言うし」

「言わんわ!」


 朝食後、先生に出発の連絡をして、横の受付にいる伊藤さんから諸注意を聞いた。

「行く予定のところには全部連絡がついています。地図とか予約票とかタブレットに送信してあるので、現地に着いたら相手に画面を見せてください。もし何か困ったら、この電話番号で私が出ますから安心してね。事故のないように、楽しんでいい思い出を作ってきてね」

「はーい」

 まずはホテルを出て、大通公園沿いを見て歩くことにした。

「案外さっぱりした街なのね、初めて来たけど」

電動車椅子を4台連ねると、さすがにこちらをみんな振り返る。

「みんなに見られちゃうね。私たちそんなに有名だったかな」

「二柚は、何か悪いことして新聞に顔が出たんじゃないの?」

「七津なら、雑誌で顔を覚えられているかもよ」

 途中、アーケードの商店街があったので見て歩く。

「あ、このカチューシャ可愛い」

「もうマフラーが出てる」

 ガッチリした車椅子に乗っていても、中身は16歳の女子高生だ。おしゃれには目がない。

「一通り見たら、お待ちかねの回転寿司に行きましょう。伊藤さんが予約してくれているから」

「わーい、行こう行こう」

 お店は、このまま車椅子で走行して行くことのできる距離にあった。普通のタクシーには車椅子が入らないし、地下鉄や電車もあまり路線がないので、かえって不便になってしまう。

 伊藤さんは、こういう私たちの特性をクリアできる場所を探してくれる。店の構造、席の配置、トイレまでの動線など、きっと困るんじゃないかなという点について、細かく調べてくれていた。

 紹介してもらった店は、私たちの移動ルートから近く、電動車椅子が4台一緒に入れるところだった。

「札幌に来てわざわざ回転寿司というのも何だけど、評判はいいみたいだから」

 お店に着くと、いらっしゃいという大きな掛け声が聞こえた。結構混んでいる。

「アシストサービス様からのご予約のお客様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

「すごーい、V I Pみたい」

「お皿についている値段が安いよう!それとネタがあんなに大きいよう!」

 愛来が叫んだが、レーンを回っているお寿司を見ると、確かにネタがデカい。

 テーブルは椅子が固定席になっているので、4台で並んで座れるカウンターに案内された。

「流れてないものは注文してね、すぐ握るから。お姉ちゃんたち、どこから来たの?」

「東京です」

「あー、じゃああっちの子たちと一緒かな?負けないでたくさん食べてね!」

 よく見ると、奥のテーブルに芽衣の顔があった。あれは野球部のグループだ。

 向こうも私たちに気づいたようだ。

「おー、二柚!あんたたちもお寿司かい!ここの美味しいよ!」

「うん、今来たところなの」

「ホッキ貝って、生でコリコリしてもうどうしようもなく美味しいから食べてみな!」

「わかった、じゃあおじさん私ホッキ貝ください」

「あ、二柚ずるい!私も!みんな食べるよね。全部で4皿お願いします!」

「あと、北海道じゃないと食べられないようなものをお願いします」

「何か苦手なものはあるかい?」

 全員が首を横にブンブン振った。みんな生ものは大丈夫なのだ。

 好きな食べ物が近いというのも、長く友達でいる秘訣のような気がする。

「全部、美味しいね」

「うんうん、今流れたサーモン取って」

 みんなだんだん口数が少なくなっている。それに反比例して、カウンターに積まれたお皿の数が増えている。

「えーっと、皆さんちょっとペースが速いのでは?」

「うんうん、そこのホタテ取って」

「ちょっと、せっかくみんなで旅行に来てるんだから、楽しく話しながら食べようよ!」

「え、二柚、何?あ、おじさんウニ一枚!」

「あ、私もウニ」

「あいよ!ウニ2枚ね!」

「私ともなんかしゃべってよ・・」

 向こうのテーブルも、皿がさっき見たテレビ塔のように高く積まれていた・・。

 みんな食べ終わり、お会計金額を見て、驚きだった。 

「えー、あれだけ食べてこんなに安いんだ!」

「うん、あっちじゃ倍くらいするかも。しかも回転寿司なのに、普通のお寿司屋さんの味!」

「あー、お腹いっぱい!このまま横になりたい・・」

「次は動物園よ」

「あ、そうだった。どうやって行くの?」

「地下鉄で途中駅まで行ったら、そのまま電動走行、だって。15分くらいって書いてある」

「バスに車椅子4台はちょっとね。電車がある範囲の移動はそんなに困らないけれど」

 地下鉄はとてもスムースに乗ることができた。駅から動物園までの道も、神社の参道になっているらしく、それほど人通りが多くはなかった。

 坂道だったが、4台のモーター性能からすれば問題なく快適に進むことができた。

 それに、バスは苦手だ。


「あー、ここだ、丸木山動物園!」

 受付に行くと、アシストサービス様のご予約ですねと確認された。

「今日は動物園のボランティアスタッフがご一緒させていただきます。移動はご自身で可能ということでしたが、それでよかったですか?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「それでは、ウエルカムセンターで簡単に全体説明をして、そのあと見たい動物を中心に回りましょう。全部見るのは広くて大変だから、絞ったらいいですよ」

 昨夜寝ながら?話していたのは動物園で何を見るかについてである。だから回答はできているはずである。

「はい、ホッキョクグマ、オオカミ、エゾフクロウとフラミンゴです。あとはそれなりに」

「フラミンゴ?熱帯の鳥だけどいいの?」

 フラミンゴを選んだのは七津だ。

「いますよね」

「はい、いますよ。でも東京から来た方は皆さん、雪国の動物を見たいとおっしゃいますよ。よほどお好きなんですね」

「お願いします」

「わかりました、では準備もできたようなので、見学に参りましょう」

「札幌市内にあるけど、涼しいね。もう冬みたい」

「うん、息が白いよ」

「雪っていつ頃降るんですか?」

「いや、そうですねえ、11月になったら一回降るかな。そのあと溶けちゃうけどね。最近は雪の量が少なくなって、あんまり積らなくなりましたね。なんか変な天気なんです」

「そうなんですね、あっちも雨の降り方がおかしいです」

「そうですねー、動物も落ち着かない時があって」


 熱帯鳥類館というところに、フラミンゴがいるらしい。中に入るとピンクの羽を広げていた。

「フラミンゴのピンク色は、エサにする藻の色を吸収して変わるのよ」

「へえー」

「動物園では、エサに赤い色のものを混ぜて、この鮮やかな色を維持しているの。そのままだと赤みが消えるから」

「えー、そうなんだ。七津、詳しいね」

「自分で好んでいないのに、色を変えられてしまうってことよ」

「まあ、そうとも言えるか・・」

 うん、なんか七津の顔が少し悲しそうだった。

「七津、あの」

「ごめんなさい、ちょっとボーッとしたわ。きれいよねこのピンク色。私好きよ」

 すぐに表情を元に戻したけど、何だったんだろう?

「ねえ二柚、一緒に写真撮りましょう?愛来、撮ってよ」

「え、え、うんいいけど」

 七津から写真を撮りたいと言われたのは、初めてのような気がする。

「ほらほら早く!」

 七津が、私の腕を取って体をピッタリくっつけてきた。腕に七津の胸のボリュームを感じる。

「はい、チーズ!」

「皆さんも一緒に入ったらどうですか?撮ってあげますよ」

 ボランティアの人が言ってくれた。

「わー、お願いします」

 もうあの表情はない。いつもの七津だ。

「じゃあ次はサル山に行って春陽を見に行こうー!」

「あー、ひどーい!」

「違うのよ、サル山を見てると自分に似ているのが見つかるんだって」

「えー、本当?話ごまかしてない?」

「大丈夫よ、春陽のそっくりさんを見つけてあげるから」

 動物園の動物は、檻や囲いの中で生きている。野生の鋭さを失う代わりに、それで彼らの身の安全は保たれている。

 私たちが安全に暮らすには、やっぱり囲いがあった方がいいんだろうか。


「さあ、戻ってジンギスカンよ!」

「しかし食べ物の記憶しか残らないんじゃないだろうか、この旅行」

「記憶は総合的な感覚で残るから、味覚や嗅覚も大切な要素なのよ。生物で習ったでしょう?」

「はいはい、じゃあ戻ろう」

 最寄りの地下鉄駅から、電動走行で10分程度で苗穂ビール園に着いた。もともとビール工場があった場所らしく、広い庭と古いレンガ造りの建物が目を引いた。

「やっぱり北海道はどこに行っても広いよねー」

「うん、建物と建物の間が広い!道路幅が広いから走りやすい!」

 クラスごとの集合場所には、既に生徒が集まり始めていた。

「ここからは、またクラスの班で行動だね。昨夜の温泉の様子なら、みんな仲が良さそうで心配ないね」

「愛来たちの班も、いい感じじゃない。今度みんなで遊びに行こうねって、昨日お風呂上がりの時に言われたよ」

「そうだね、高校は友達に恵まれっ放しだね」

「七津!班長がうちのクラスも集まってって!」

「春陽、わかった今行くわ!二柚、じゃあまたあとでね」

 友達によっていろいろ変わるよね。もちろん私たちも、逆にそう思われている訳だけど。

 私の周りの人たちは、私と出会って良かったと思っているんだろうか。

「二柚、私たちも集合だよ。クラス全体で写真を撮るんですって」

「あー、あれな。あんまり好きじゃないヤツだ。愛来―、いま行くよ」

「私も写真は苦手だなー。思い出って残すものじゃなくて、どんどん作っていくものでしょう?写真に記憶しないで自分の目に焼き付ければいいんだよ」

 うん、私もそう思うよ。だから昨日、七津が自分から私の手を取って写真を撮りたいと言ったことが、気になるんだけど。

「でも人の記憶は、都合よく書き換えられるから、事実じゃなくなるのよ」

「え、そうなの?」

「そうでないと、いつまでも悲しい事実が残っちゃうでしょう?だから少しずつ変えていくようにできているんだって。そして忘れていけるように」

「愛来、なんでそんなこと知ってるの?」

「だって生物でやったじゃない」

 うちの高校の生物の授業って、記憶のメカニズムまで範囲だっけ?

「二柚、うちの班はあっちの建物ですって。行きましょう」

 茉侑が場所を確認して呼んでくれた。人数が多いから、いくつかの会場に分散するみたいだ。これで春陽の大食いは見られなくなったかな。

「うわー、広い。これ全部、焼肉会場なの?」

「そうみたい。でも思ったより匂いきつくないね、羊の肉ってもっと匂うかと思ってたけど」

「本当だね、全然大丈夫だね」

「紙エプロンしたところで、写真撮るね。みんなに送ってあげるから」

「じゃあ二柚、肉にかじりついて」

「それは、芽衣に求められる仕事でしょう」

「がおー!」

「写真撮るよ!」

 スマホの画面越しのみんなは、笑っている。でも、頭の中までは写せない。

「あっちのグループから返信来た!」

 送られてきた写真に写る仲間も、みんな笑っている。もし頭の中が書き換えられても、この写真は変わらない。

 今は同じでも、いつか記憶が変わって来るのだろうか。

 どちらか一つしか残せないとしたら、どっちが残る方が幸せなんだろうか

 そうこうして無事に帰りの飛行機にも乗り、それぞれの家族が待つ場所へ帰って行った。

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