第7話 どきどき

 海から戻って真っ先にやったことは、七津の車椅子の点検整備だった。

 以前お邪魔したダヴィンチ工房に運んで整備をするというので、私たちも、海に行った後の車椅子のメンテナンスをしてもらうことにした。


「で、何をしたらこの車椅子から飛び出たんだい?どんな地形でもバランスを崩すことはないはずなんだけどなあ」

「シートベルトを外して、セーフティーモードを解除していたんです。その時に限って」

「それでも、傾きを感知したら進行は止まるようにできているんだけどね。電気系統は特に異常ないし」

「すみません。ちょっとスピードも出てて・・」

「いや、なっちゃんが謝ることはないよ。今のところ特に問題はないので、このまま使ってもらって大丈夫だけど、メーカーには報告しておくから。君たちにとっては身体の一部なんだから、誤作動はあってはならないからね」

「ありがとうございます」

 確かに身体の一部なんだよね。以前は道具を操作している感じだったけど、今は自分の身体を動かしている感覚だ。


 修理やメンテナンスも無事に終わり、近くのショッピングモールに移動して、この後どうするか決めることになった。

「今、このアニメが上映中なのよね」

 春陽が持ってきたパンフレットには「この恋を終わらせよう」という映画のタイトルが書いてあった。

「あー、これ有名な恋愛コミックスね。原作読んでるよ」

「うんうん、なかなか進まなくてじれったいんだよね」

「これ、観てみる?」

「うん、いいね!」

 ショッピングセンターの中にある映画館は、週末で初日の映画が何本かあって混んでいた。車椅子が4台ということで、受付で購入する。

「4名様ですね。お並びで観るとなると、この真ん中の車椅子座席になりますが」

「みんな、席どこにする?いつもの席でいい?」

 愛来が口を挟んだ。

「車椅子座席って、たいてい真ん中の通路にあるのよね。たまには劇場の一番前とか一番後ろで迫力ある映像を観てみたいものだわ。それに通路脇って寒いのよ」

「ブランケット借りればいいじゃん。なんかあったら逃げやすいし」

「はいはい、それで異議ありませんよ。私、グッズ見てくる」

 春陽が発券手続きしている間に、愛来がグッズ売り場へと向かって行った。

 春陽が戻ってきたので、3人で愛来のところへ向かう。グッズ売り場には、映画のパンフレットや、キャラクターの様々なグッズが置いてあった。

 今日が初日の映画があるので、買い物客の数も多くレジ前には列ができていた。

「あれ、愛来がもうレジに並んでるよ、早えーなー、アイツ」

 ほんとだ。手にいくつかのグッズを持っている。

 列の真ん中くらいに、車椅子に乗っている子もいた。私たちよりちょっと下くらいかな。

 改めて列を見ると、ほとんど私たちくらいの女子と、カップルが少し混じっているくらい。この恋愛映画、流行ってるんだ。

「愛来―、何をそんなにあわてて買ったのー?」

「ふふん、秘密。あとでね」

 春陽がグッズに手を出すならわかるけど、愛来がこんなに積極的に買うとは意外だ。

「飲み物はどうする?ポップコーンは何味にするの?」

「私一人でLサイズ一個食べちゃうよ」

「え、あのデカイ容器のやつ?」

「うん」

 春陽が怖いことを言っている。これだけたくさん食べて、どうしてこの体型なのだろうか?

 私は観ている最中にあまり飲食しない方だ。

「春陽専用のもの一つと、あと3人で一つでいいんじゃない?」

「うんうん」

 みな頭を縦に振った。

「飲み物は、愛来と私がコーラ、七津と二柚は?」

「私は、アイスティーをお願い」

「じゃあ、私もアイスティーで」

「了解!あとで精算するね」

「一人では大変でしょう。私も行くわ」

 七津が春陽に声をかけた。


 買い物を終えた二人を待って、中に入る。スクリーンでは予告が始まった。

「あら、お正月にこの映画来るんだ」

 この時間ならまだ会話ができる。

「その頃までには誰か彼氏できてるかなあ」

「がんばろう?」

「そうなったら、みんなで観に来られないかもよ」

「所詮、女の友情なんてそんなものよ」

「と、言ってみたいわね」

「ほら、始まるよ」

 予告も終わり、場内が暗くなった。私の隣には、塩味のポップコーンを持っている七津がいる。その隣には愛来がいて、七津を真ん中に3人でポップコーンに手を伸ばす。春陽は専用でキャラメル味だ。一つ席を空けて、さっき見かけた車椅子の子がいた。一緒にいる子は車椅子ではない。

 映画が始まり、話が急展開で進んで行く。最初の説明が少ないのは、これを観る人はすでに話を知っていると言う前提なのだろう。

「えっ?」

 いくつかの幸せと悲しみを越え、あー、やっと結ばれるんだ、と話が落ち着きかけた時、七津が私の手を握ってきた。

 驚いて七津の顔を見るが、ずーっとスクリーンを見たままである。七津、どうしたの?それはポップコーンじゃないよ。

 ヤバイ、緊張して手汗がすごいことになっているかも。

 そのままエンドロールが流れ始めたとき、七津の手が離れた。

 ドキドキして横を向くことはできなかったけど、スクリーンのほのかな光越しに、私に微笑んでいるようなシルエットが見えた。


 場内が明るくなって観客が退場し始めた。おおよその人が出た後に、4人で外に出た。外の光が自分たちを照らし、眩しさで一瞬何も見えなくなった。

「ねえ、二柚、どうするの?」

「え?」

 光が人の形になった。七津だった。

「もう話を聞いていないんだから!そんなに映画良かった?」

「あー、うん、ごめん、何だっけ?」

「で、この後どこに行く、って話。みんなで何か食べましょうということになってるけど、二柚はどうしたい?さっきから聞いてるのに」

「うん、みんなと同じでいいわよ」

 さっき七津と目が合ったと思うけれど、気にかけている様子はない。手を握ったことも。

「じゃあ、パンケーキのお店でいいよね。前からシックスエッグスにみんなで行きたかったの!」

「いいけど、結構並ぶんじゃないの?」

「それは仕方ないっしょ。車椅子だからって優先されても、ねえ。食べるチャンスはみんな平等だもん」

 うん、まあそうだけどさ。

 列に並ぶこと30分、春陽が言うには、このくらいで入店できるなんて奇跡だわ、という滅多にないチャンスをモノにして席に着いた。

「すごい、あれ、山だ」

 ここの売りは、山のように高く積まれたホイップクリームだ。

「三郎太ラーメンのモヤシみたい」

 それ、女子高生の例えとして適切だろうか。

「オムレツもすごーいのよね。迷っちゃうなあ」

「じゃあシェアできるようにしようよ」

「オッケー!」

 程なく料理が運ばれてきた。料理というよりは作品と呼んでもいいかも知れない。

「待って、インストに上げる写真撮るから!」

 今や法律で、食べ物は必ず写真を撮って他人に見せることが義務化されているようだ。

「撮影会終わった?じゃあいただきまーす!」

「うわ、これ美味しい!」

「うん、見た目だけじゃないね!」

「二柚、ハイ、あーんして」

 春陽が自分のパンケーキを、一口すくって私の顔の前に差し出した。

 これは、こちらから顔にクリームを当てに行かなければならないやつか?押すなよ!ってやつか?

「いや、この店でやる勇気あるの?」

 ありません。

「じゃあ、もらうね」

 チラッと七津の方を見るが、七津は愛来から別のパンケーキを口に運んでもらっていた。

 あの手は、何だったのかな。

「おいすーい」

「はいはい、じゃあそっちのもよこせ」

「私のオムレツ、好きなだけ持って行って」

「えー、食べさせてよー」

 一瞬、七津がこちらを見たような気がした。いちいち七津のことが気になって仕方がない。

「でさ、あの結末はどうよ?」

「うん、結局は本命のところに戻っちゃたね。あんなに嫌いな態度取られてたのに」

「でも、ああやっていずれ結婚して、この先何十年もあるのに、同じ気持ちを持ち続けていられるもんなのかね?」

「確かに。こんな短期間で好きって気持ちになって、この後死ぬまで同じ気持ちでいなきゃならないんでしょ?」

「いなきゃならないと考えるかどうかなんじゃないの?」

「好きになる時って、相手と同じ場面にいて、心臓がドキドキすればいいんでしょう?」

「あー、聞いたことある!えーっと、釣りに行くと何だか効果、みたいな?」

「吊り橋効果でしょ」

「それそれ」

「そんな単純なことで始まって、何年も長く同じ気持ちで一緒にいるって、意味わかんないけど」

「どうやったら同じ気持ちでいられるんだろうかねえ」

「だから、一緒にいる時の努力が必要なんじゃない」

「私なんか、誰かと結婚するなんて想像できないよ。こんな状態だし」

「でも、ずーっと一人って、今から決められるのもねえ・・」

「今は家族が一緒だからいいけど。熱が出たり病院に行かなきゃならない時も、一緒にいてくれるから。でも、いなくなったらどうするんでしょうね」

「うんうん、そうしたら一人で困っちゃうもんね」

「そのために彼氏が欲しいわけじゃないけどね。ついいろんなこと考えちゃうから、一歩踏み出せないよね」

「うん、純粋に恋愛したいわあ。できるのかな」

「やってみる前から心配しても仕方ないでしょ。いろいろやってみればいいのよ」

「でも、こんな身体だと、何となくうまく行かないなー、って思っちゃうじゃない」

「じゃあ、健康なら恋愛はみんな上手く行くの?」

「いや、それはわからないけれど・・」

「そう思ったら負け、と言うか、答えにたどり着かない考え方は、意味ないわよ」

 七津が珍しく強い口調で話をしている。

「このパンケーキもそうだけど、実際に自分で食べてみなきゃ味なんてわからないのに、誰かの感想がたくさん流れてきて、自分もそうだって勘違いすることが多いじゃない?それと同じことだと思うけどな」

「でも実際に自分でやって失敗したら、やっぱり怖いよ」

「自分で経験してダメだったんだから、納得すればいいだけでしょう。春陽は美味しそうなケーキを誰かが食べた感想だけでがまんできるの?」

「それは無理、絶対食べに行く!」

「美味しくなかったから、食べなきゃよかったって思う?」

「いや・・、それは食べてみないとわからないから・・」

「それでいいってこと。だから、これからも一緒にいろいろ食べに行きましょうね」

「押忍!」

「二柚、話聞いてる?どうしたの?」

 手を握られたくらいでドキドキして、私、一体どうしちゃったんだろう。

 女の子同士ならよくあることなんだろうけど。

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