中編

 少女の元には定期的にカラスが遊びにくる。このカラス、ただのカラスではなく、少し離れたお山の妖である。昔々にカラスとしての命を終え、いつの間にか妖になっていたという経歴を持っている。


 同じ妖仲間の少女のところによくやってきては、行ったことのある土地の話をしてくれる。カラスの主観が多分に入ってはいるが、少女はこの土地しか知らないのでふんふんと聞くばかりだ。


 羽を持って大空を移動する奴のことをうらやましく思うこともある。だが、悔しい思いが大きくなるので、そのようなこと口にも出さない。

 少年が空き地を去った後、カラスはそのまま姿を見せなかったので、またどこぞに旅だったかと思ったが、少女の推測は外れて、次の日には姿を見せた。


 どうやら少年を追いかけたらしい。その少年の家族構成やら、ここにどういう目的出来たのかを色々とこちらが質問もしないのに話してくれた。

 曰く、少年が里に来たのは父に連れられてだったようだ。


 この土地を管理している人間の元に用事があったようで、そこに顔見せもかねて少年を連れてきたらしい。少年は顔見せが終わると、私的な話を始めた父を置いて狭い里の中を見て回っていた様だ。


 里に住んでいる小さな妖たちが彼と目が合ったと騒いでいることから、カラスは興味を持って、少女のところまで情報を持ってきたという顛末があり、まんまと少年に興味を持った少女に、少年の情報を提供するために彼を追いかけたという。


 全く、このカラスのお節介はなんとかならないものだろうか。

 まあ、話し相手になる分には暇な時間がなくなっていい。そこだけは利点だ。

 この近くにいる妖は、あまり意思疎通を行えないことが多く、何かを話している事はわかるが、こちらから話しかけても返事をよこしてくれない事が多々ある。

 生まれたばかりの力を持たない妖なんてそんなものだ。


 少女はたまたま、まだ神様がいた時代に生まれたため、その影響を受けてそこそこ力のある妖として意識を持った。

 神がいなくなってからこっち、無為に時間を過ごすのは思いのほか退屈なのである。


 祠の裏にある林には翁と呼ばれる巨木もあるが、大半の時間を寝て過ごしているし、時折目覚めては欠伸をしてまた眠るなんて事もざらにある。

 あれは話し相手にはならないな、と割と出会った最初の頃に思ったものだ。


「退屈は妖には敵だな」


 そんな事を独りごちると、カラスがいつもやれやれといった顔をしながらも土産話を持ってきてくれるのだ。

 二度目に少年に会えたのは、季節が二つ過ぎた冬のことだった。



 珍しくというには少女は少年のことをよく知らないが、その日、少年は少し落ち込んでいる様に見えた。初めて会ったときに見たあのひまわりのような笑顔はなりを潜めてしまっている。

 彼曰く、今日この里に来た目的は里の交流のあった家に亡くなった人間が出たかららしい。


 前回の訪問の時に顔合わせをした人間の親族であるようで、少し顔を合わせて会話をした程度の仲ではあるみたいだが、父親が呼ばれ少年も付いてきたと言うことだった。

 葬式の間、ずっと泣いている人がいて、親しい人間がいなくなってしまうことを考え、落ち込んでいるというわけだ。


「泣いてる人の気持ち、よくわからなかったけど、ぼくにとって親しい人がいなくなってしまったら、とても悲しいんだろうなって想像は出来るんだよね」


 その場所では言えない少年の心だった。

 人間は寿命が来たら死んでしまう。

 体が機能しなくなって心臓が止まってしまえば、生きられない。

 病でも、事故でも、人の体は脆いから。ある一定以上の付加が掛かると耐えられなくなってしまう。


「人間は死ぬからな」

「妖は死ぬ事はないの?」

「基本的にないな」

「すごいね」

「そうか? 長く生きるのが幸福だとは思わんぞ」

「でもこうやって悩むことはないでしょ?」

「ないな」

「いいな」


 少女はそれに返事を返さなかった。何を言っても慰めにもならない。


「ぼくの好きな人がいなくなってしまうのは嫌だな……」


 落ち込む少年に掛ける言葉が見つからず、もどかしく思い、少女は少年に手をさしのべた。温度のない己の手だけれど、そうせずにはいられなかった。

 初めて関わった人間だ。感情豊かな少年は、この後この感情に折り合いをつけてすぐにけろりと日常に戻っていくのかもしれないが、笑顔のない少年には心の内がそわそわと落ち着かなくなる。

 それだけの情を少年には抱いていた。

 ふわふわと柔らかい少年の髪。

 顔を上げた少年はまだへにょりと曲がった眉だったが、照れくさそうにはにかんだ。


「ありがとう」

「なにもしておらぬ」

「でもありがとう」


 その表情に胸が温かくなった。そして思ったのだ。この少年が暗い表情をしているとき、少し力になってやれればいい、と。



 数日後、カラスがやってきた。少女を見ておやっという顔をした。祠の上に降りたって、ぱたぱたと羽を動かすと、首を傾げながら少女の方を凝視する。挙げ句の果てには周りをぴょんぴょんと跳ねながら右に左に視界をうろちょろする。


「なんだ、いつになくうっとうしいな」

「うーん、君さあ、前より力強くなってない?」

「そうか?」


 自分では何か変わったような気はしていない。しかし、カラスは違和感を感じているらしい。その首を捻っている。


「人に何か貰ったら気をつけた方がいいよ。特にここには神様がいないんだから」

「何が言いたい」

「祠の神様に据えられる可能性は十分あるよって事。空位の場所に近くの妖が据えられるって事はよくあるんだから」


 そういえばしばらく前、少年から大福を貰って食べた記憶がある。


「ただ貰うだけならいいが、願いごとをされたら気をつけろ。ま、君が妖のままでいたいのだったらの話だけど」

「あまり興味はないな」


 神様にあこがれはない。元々ここにいた神様は風のように自由の似合う神だった。

 一時里から人がいなくなり、神様への信仰が薄れたとき、役目を終えて神は去ってしまった。よって側だけが残ったと言うわけだ。


「それだったらなおのこと気をつけるんだね」

「そうだな」

「気のない返事だなーもー。ほんとに気をつけるんだよ」

「わかったわかった」


 話半分に受け流したこの話題が、後々必要になることを少女はまだ知らなかった。



 少年が里に来るのは年に数回だった。その度に祠によって、日々の生活で面白かったことや、発見したこと、うれしかったこと、悲しかったことを教えてくれる。

 少女はそれに相槌を打ちながら聞く。その時間は退屈を忘れてその話にのめり込んだ。


 少年の話はうまかった。身振り手振りを交えて、少女の知らない世界の事を教えてくれる。町に住んでいる人の話は、里の人の暮らしより忙しそうだけれど、楽しそうでもあった。


「土産話は持ってきたか?」


 少年が小道からやってくると、開口一番にそう聞いた。

 少年は嬉しそうに破顔すると、「あるよ」と言うのだった。

 そんな少年も成長して少年から大人になっていく。

 来る度に身長は伸び、顔の線は細くなり、幼さが抜けて、大人の精悍さを磨いてゆく。

 しかし、その目はいつまでも変わらず、キラキラと輝いていた。


「君はいつでもその姿だね」

「妖だからな。成長することはない」

「そうだね。でも、そのままだからかな、ここに来ると故郷に帰ってきたような安心感があるんだ」

「妖の元に来て、安心を感じるとは、本当にお前は変な人間だな」

「そうかもしれないね。他の人には君の姿は見えないわけだし」

「端から見ると祠に話しかけている信仰深い人間ができあがるというわけだな」


 皮肉を交えてみたが、青年には軽く受け流された。この男、のほほんと生きている様に見えて意外としたたかだ。



「今度お嫁さんをもらう事になったんだ」

 そう、報告されたのはいつのことだっただろうか。

 少女は祝福した。

 人の営みは他の人間との関係性の中に生まれるものだ。

 幼い頃から妖が見えた男は、人間との関わりが希薄であった。それを気にする父に、この里に連れてこられ、他の集落にもいくつも訪れたという。


 そんな中で出会った少女は、その祖母が男と同じ妖が見える人間であったらしく、理解を示してくれた。言葉を交わすうちに、次第に惹かれ合ったそうだ。


「理解してくれる人間は貴重だぞ」

「うん、わかってるよ。大事にする」

「そうするといい」

「君は、歓迎してくれる?」

「しないわけがないだろう」

「うん、ありがとう」

「浮かない顔だな」

「実は少し不安だったんだ。家族なんて持って、支えていけるんだろうかって」

「お前の事情は知らないが、人間の家族とは、お互いがお互いを支えて暮らしているものだろう? 一人で暮らす訳ではないのだから」

「そうかも」

「伊達に人間を二百年も観察しておらんわ」

「流石だね。やっぱり君は僕の神様みたいな存在だよ。欲しいときに欲しい言葉をくれる」

「神ではない」


 花の妖だ。花を作ることしか出来ない。

 少女は自分の小さな手を見て、それを掲げた。

 男との目線はずいぶんと開いてしまった。少女に合わせてかがんでくれた男に、一輪の花を手渡した。


「手向けだ」

「ありがとう。何よりも、君からのお祝いが嬉しいよ」

「そうか」


 神様ではないから彼の願いを叶えることは出来ないが、これくらいの贈り物ぐらいなら少女にも出来る。そこにわずかばかりの祈りを込めるだけだ。



「君、人間の願いに応えた経験は?」

「ないな」

「じゃあ何でまた力が強くなってるのさ」

「何でだ」

「君がそうと思わない間に、神格が付いちゃったみたいだね」


 カラスの妖は呆れたようにそう言った。


「まだ雛みたいなよちよち神様だけど」


 少女は両手に目をやった。日々の変化に少女は疎い。自分の力など、考えたこともなかった。少女は花から生まれた花の妖で、手から花を出すだけしか出来ない存在だとずっと思っていた。


「もー、気をつけろって言ったのに」

「そうは言われてもな」


 もしかして、原因は男に渡した花が原因だろうかと。

 ぎゃんぎゃんわめくカラスをぼんやりと見つめて、考える。

 あのとき、青年は少女に祝って欲しいと言っていた。それが、彼の願いだったのだとしたら、それはとても小さい。小さくて純粋だ。


「何か人間に貰ったんじゃない?」

「最初の豆大福ぐらいだな」

「何それ、結構前の話だよね」

「そうだな」


 その時カラスは力云々の話をしていなかった。


「じゃあ、別のものかな。心当たりはないの?」

「あの人間とよく話をするぐらいだな。土産話というやつだ」

「あーたぶんそれだね。『土産話』を神様が求めて、人間がそれを叶えるって関係性が出来ているって訳だ。それで? 何か叶えたでしょ」

「結婚を祝ったな」

「その人間に言われて?」

「そうだ」

「うん、それだね」

「それで神様になるのか」

「そういう『約束事』は大事だよ」

「そうか」


 関心の薄い少女に、カラスの首ががくりと垂れる。


「はー、神のいなくなった祠の神様が挿げ変わるって事は他の土地でもある話だよ?」

「あいにく他の土地の事は知らないものでな」

「まあ、君の場合、この土地で生まれて、ここでしか生きていないから、選ばれやすかったって言うのもあるだろうね」


 軽く羽繕いをすると、その目を細くする。


「でも、神様としては本当に小さな存在だから、何かのお願い事を叶えたいと思ったときは気をつけるんだよ? 花を出すなんて朝飯前だろうけど、人の寿命を延ばしたり、厄災を退けたりなんて大それた事は出来ないからね」


 昔ここにいた神様は、それこそ指をするりと動かすだけで、人間の願いを叶えられるような大きな力を持っていた。そういう信仰から生まれた神故に、願いを込めた力は、それはそれは強かった。


「そうなのか、以外と不便なものだな」

「まだまだ雛だからね」

「つまらんな」

「わかってるのかなぁ、本当に」


 カラスは疲れたような顔をした。

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