祠の隣には花が咲いている

桐坂

前編

 少女は木漏れ日の温かさを感じてまぶたを開いた。冬の寒さが遠のき、空き地を囲む木々は柔らかい新芽を伸ばす。


 林の中にぽつんと開いたその場所には、成人男性の胸の高さにも届かない、小さなほこらがあった。石造りのそれは、長い年月風雨にさらされて苔むしているが、周りに咲く桃色の花が、その景色を彩っている。


 そんな小さな祠の石段に腰掛けているのは、花と同じ色の着物を着た少女だ。綺麗な黒髪のおかっぱで、小さな花の飾りがそれを彩っている。

 膝に肘をついて手の上に顎を置いていた。


「実に退屈じゃな」


 花弁が開くように紡がれた少女の心が、ぽつんと落ちて転がる。

 前方に見える、人一人分の幅しかない小道の先は、小さな集落に繋がっている。昔々に立てられた祠は、その集落の端に位置付いていたはずだが、いつの間にか木々が勢力を伸ばし、祠を覆い隠してしまった。その時の流れを少女はいつの頃からか、ぼおっと追っていた。


「二百年経っても景色は変わらんと思っておったが、植物は誠にたくましいな」


 そう言いながらも、溜息は止まらない。



 少女が目覚めたのは、二百年ほど昔の事だった。祠はその時既に出来ていて、そこには神様が住んでいた。


「おや、小さな妖が生まれたようだね」


 病魔から守って欲しいという祈りの中で生まれた神様は、とても穏やかで、自然の中で生まれた少女の事をかわいがってくれた。

 時には神様の長い髪を花で飾り、膝に乗って今までの話をせがんだ。神様は祠が出来てから三百年間の事を少女に語ってくれた。


 集落の人間のこと、林の木々のこと、近くの巨木のこと、小さな妖たちのこと。


「巨木の翁は私より昔からここにいるんだよ。時折目覚めては、少しだけ話をするんだ」


 春の木漏れ日のような暖かな眼差しで、その口に歌を歌うように言葉をのせる。ただ、その瞳には、さみしそうな色が乗ることがしばしばあった。

 その頃には人の訪れはほとんどなく、祠は自然の中に埋もれようとしていた。聞けば、近くの集落から、人がいなくなってしまったという。山の麓に大きめの町が出来て、そちらに人が流れてしまったのだとか。


「忘れられてしまうのは悲しいね」


 神様は一度だけそう言った。


 そんな神様がいなくなってしまったのは百年前の話。


「後を頼むよ」


 そう言うと、祠を空けて戻ってこなくなってしまった。

 そのときどうして引き留めなかったんだろう。

うん、と頷くべきではなかったのだ。

 あるいは、自分も神様に付いていけばよかったのかもしれない。

 いや、それは出来ない。

 なぜなら、少女はこの土地に生まれた、花の妖であるのだから。


 集落に少しずつ人が戻り始めたのは、ここ五十年ほどの話だ。朽ちた家を建て直し、雑草だらけだった畑を耕し、人間たちは生活を始めた。今では家も増え、昔より活気があるのではないかと思うぐらいだ。林に分け入った人間が祠を見つけ、手を入れ、整えたのは十年ほど前になる。



「ここ数年山も里も平穏だし、妖は暇そうだねぇ」


 林の中で羽音がして、少女の前に、一羽のカラスが降り立った。少女の髪と同じ見事な黒羽を整えると、笑うように口を開いた。

 人間にはカァカァ言っている様にしか聞こえないが、妖はカラスの言葉を聞き分けることができた。


「うるさいぞ、カラス。おしゃべり相手になるのなら、もっと実になるようなことを話せ」


 手でしっしと追いやる仕草をすると、カラスは羽まで使って人間のように肩を落としてみせる。


「あらら、嫌われたねぇ」

「面白い話を持ってくるのなら、話相手になってやらんこともない」


 退屈を隠そうともせずにそう言うと、カラスはぴょんと飛んで少女に近付いた。


「そういうことなら、一つあるぜ!」

「……期待はしておらんが、話してみよ」


 胸を張るカラス。


「町の方から子供が来たみたいでな? その子供、どうやら俺たちのような妖ものが見えるらしいんだな」

「めずらしいな」

「お、食いついた」

「……はよう話せ」

「その子供が、さっきその小道をこちらに向かっているのが見えたので、知らせに来たと言うわけだ」


 そうカラスが胸を張ったところで、空き地に影が差すと、その少年は姿を現した。カラスは何か言いたげなにやりとした表情を残して、空き地から飛び去った。



「女の子?」


 少年はそう疑問を落とした。

 涼しげな麻の着物から、草履を履いた足がひょろりと覗いている。健康そうな小麦色にやけた肌。黒い目はくるりと丸まる。


 少年には初めてあった。里に訪れたときも見たことはない。完全な初対面だ。そういえば、カラスは町の方から子供が来たと言ってなかったっけ。それで、ここでは見たことがないのだ。


「お前は私が見えるのだな」

「そう!」


 少年は空に浮かぶ太陽みたいににっかりと笑った。この空き地に似合わない。日の光をしっかり浴びたひまわりのようでもある。

 少女は、彼女みたいな妖ものと、しっかりと目を合わせて話すことが出来る人間を知らなかった。実を言うと、たじろいでいる。どう行動すべきか。


 観察に徹するのがいいか。でも、こうして姿を見られてしまっている。会話もしてしまった。


「君はどうしてここにいるの?」

「そうだな、……ここで生まれたからだ」


 絞り出したのはその言葉だった。


「君は神様なの?」

「いや、違うな」

「ほんと? ぼくさ、人には見えないものが見えるみたいなんだけど、君みたいな可愛い子見たの初めて」

「それはよかった。私は人間に見られるのは初めてだ」

「初めて? じゃあ友達になれる?」

「どうしてそうなる。私とお前では生きられる時間が違う」

「なんで? 過ごす時間は一緒でしょ?」

「それもそうか……?」


 少年は頭がよいらしい。小難しいことを考えるものだと思った。


「君の着物、そこのお花と一緒だね」

「そうだな。私はあれから生まれたのだ。その証明に、こういうことも出来るぞ」


 少女は空をすくうように手を出す。少年はそこを不思議そうに見つめた。

 少女は花から生まれた花の妖だ。

 手のひらからは、桃色の花びらがあふれ出す。ふわりとこぼれるそばから次々に湧いて出て、地面に落ちていく。


「すごーい!」


 少年はその純粋な瞳を輝かせた。

 なおも少女の手のひらからは、花びらがあふれ続け、小さな空き地はあっという間に桃色の絨毯に埋め尽くされた。


「すごいすごい! 神様みたいだ!」

「だから、神ではないと言っただろう」

「でも、ぼくにとっては神様だよ!」


 遠くで少年の名前を呼ぶ声がする。慌てた少年がその懐から何かをとりだした。おいしそうな豆大福だった。


「綺麗なもの、見せてくれたお礼! 受け取って! その代わりなんだけど、またここに来てもいい?」

「いいぞ、ただ、その時は土産話を持ってこい」

「わかった! ありがとう!」


 少年は小道を駆けて見えなくなる。


 心が温かくなる少女であった。少年は約束を守ってまた来るだろう。その時は何の話をしよう。少年の話を聞くだけでもいいし、自分からも何か話してやろうか。そんな事を無意識に思うほどには、人間の子供との初めての邂逅は心地よいものだった。

 少女の口角は自然と上がり、笑みを形作っていた。

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