蚯蚓、自らを語る。 - キュウインミズカラヲカタル -

薺鷺とう

本編

 俺は空が好きだ。青い空がいい。青い空もそう、雲ひとつない晴天の青空がいい。雲がかかっては青が減ってしまうから。色で言うならば少し水色くらいがいい。青すぎても不安になるだろう? 水色なら澄んでいる感じがしてとてもいい。雲は必要ない? そうじゃない。雲は邪魔だけど水色の空を見辛くする太陽はもっと邪魔だ。人間も植物も光合成が大切だから太陽も大切、それはわかってる。けれども俺は空が好きなんだ。水色で、雲がなくて。だから今は太陽にいて欲しくない。俺が好きで、今見たいのは、水色で雲と太陽がない青空なんだ。


 君はね、――くん。もっとこう、さ、キビキビって言うの? キレ良く動けないもんかね。なんで、ってそりゃダラダラ動かれちゃこっちだって迷惑だからね。誰がどこで雇ってやってんだ、って話だよ。わかるかい、君ね。君はね、恵まれているんだよ。世の中にはさ、もっとね、まあたくさんいるわけだよ。わかるでしょ? わかるよね。……なんだその顔は、え? な。何も難しいことは言ってないんだよ。こうしてる間にもお客さんはね、来るわけよ。君はね、うん、そう、もっとシャキッとしてくれないと。そう、そうだよ、いい言葉だ。シャキッとしてもらわなきゃ困るんだよね。いいかい? ね。……え? うん、君ね、もっとね、口開かなきゃだめだよ。まあいいけどね。こっちには関係ないんだ。とにかく迷惑をかけないでくれ。いいね? あ、これはどうも! いえいえね、コイツがまたやりましてね。えぇ、クビにした方がいいですよ。はい、はい、はい? あぁそうですか、そうですか、へえ。わかりました。ん、うんそう、今の通りだよ。ちゃんとして、ね、そう、えっと、シャキッと! ね。


 俺は朝が好きだ。7時とか8時くらいがいい。学校行く時は大体そのくらいだろう? あの頃は大変だったけれどそのくらいの朝がいい。9時や10時になるとまた太陽が出てくる。また太陽が邪魔をする。だから7時とか8時がいい。早朝はなしだ。5時とか6時だって季節によっては明るい。早朝、って書くくらいだし朝なんだ。でもそのくらいの時間は寒さがある。水色の空は好きだけど水色は好きじゃない。寒さを感じるから。学校は楽しかった。毎日欠かさず朝を見て過ごすことができたのだから。お昼は太陽が邪魔だ。俺は太陽がとにかく嫌いなんだ。だから学校は楽しくなかった。


 もしもし? はいそうです。えぇ、えぇ、はい。はい、かしこまりました。すぐに、はい、はい、えぇもちろん、お任せください。えぇでは失礼いたします。どうも。――くん! そう、君だよ、君。……はあ、またその顔か。なんだその顔は、え? そう、そうだよ。君ね、頼むよ。こっちだってね、猶予ってのがあるんだから。うん、猶予がないの、そう。キミはいい子だ、よくやってるよ。キミはいいんだ。違うよ、君だって。君ね、もう遅刻だよ。そんなダラダラやってる商売じゃないんだよ。わかるかい? ねえ。え? 今度はなんだ、なんだその顔は。うん、うん、キミは本当にいい子だ。うん、もちろん、あとでゆっくり遊んであげるからね。そう、君じゃないよ。君はね、もうね、はあ。いいよいいよ、外にね、そう、たくさん置いてあるから。うん、そう、そこの鞄を忘れないで、わかるね? 早く行くんだよ。さてキミはいい子だ……なんだ君、まだいたのか? なんだその顔は。あぁ、口を使って、そう、君ね、これ。そう、ここへ行くんだよ、いいね? わかったね? やっと行ったよ。いや、違うんだ。キミはいい子だ、まだ終わらせないよ。ははは。


 俺は晴れが嫌いだ。晴天はいいがその字は嫌いだ。水色の空がいいんだ。雲も太陽もいらない。太陽が大切なのはわかる。太陽は人になくてはならない。それでも太陽はいらない。せっかくの空を邪魔するから。目で直視できなくなるなんて冗談じゃない。学校は楽しくない。晴天なら外に出される。雨が降ると教室の中だ。雨はもっと嫌いだ。太陽よりも雲よりも、時間も関係なく降る雨が嫌い。暗い空なんて見ていられない。朝も邪魔して空の色も変えて、雨は太陽よりもタチが悪い。


 ん、ん。ん、なんだね君か。もう終わったのか。なんで立ってるんだ、さっさとあっちへ行きなさい。あぁ違うんだよ、キミ、うん、まだたってるよ。頼むよ、ね、うん、キミはいい子だ、このあとも頼むよ。え、君? 君ね、どうしてまだ立ってるんだ、え? 何度も言うけどね、君ね、迷惑なんだよ、困るんだよ。君ね、わかるね、え、ねえ、うん、うん、そう、シャキッと。キミはいい子だ。いいね、君がね、シャキッとしてくれなきゃね、いつまで経っても出られないんだよ。ね、もう何日だと思ってるんだよ。ねえ、こっちもね、暇じゃないんだよ。いや違うんだ、キミはいい子だ。キミの為に時間を使っているんだ。そう、だからね、君の為じゃないんだよ。君の為に余計な時間を割いているんだよ。はあ、あの人はどうしてこんな奴を……。や、いいんだ、あっち行ってなさい君。


 俺は雨が嫌いだ。それまでは邪魔くらいにしか思っていなかった雲が嫌いになりそうだった。でもそれは雨のせいだ。雨が降ると雲が水色の空を隠してしまうんだ。雨さえ邪魔しなければ俺は空を見ることができたんだ。学校は楽しかった。雨が降ると教室の中で過ごす。それはつまり空を見ずに済むことだ。教室で音だけを聞く。空を見る以外に目は不要だと思っていた。けれどもそれは違った。教室では空の勉強をする機会があった。外に出て遊べと言う先生は邪魔だった、嫌いだった。その日は先生が黒板に空を模したものを描いた。水色のチョークを初めて見たんだ。


 あ、どうもどうも! お世話になっております。いやいや、それで? そろそろ決まったんですか、今後のことは。へえ、まだですか、そうですか。じゃあまだあいつを? そうですか、えぇ、えぇ。そうですよ、あいつね、相変わらずなんですよ。いくらどうしてね、優しく言ってやってるんですがね、えぇ、さっさと後釜をね、えぇ、こっちもたまったもんじゃないですよ。え、いやいや、あの子は本当にいい子で、えぇ、もちろん、はい。わかりました。えぇ。……ったく。お、おうよく来たね

キミ。いやいいねえ、今日はチャイナか。いいね、好きだよ、うん、チャイナ。形がよく出ていいね、どれ、もっと寄って見せなさい。いいね、いいね、うん、キミはよーくわかってくれてる、うん、最高だね、本当にいい子だ。あっ、はあ、君か。君ね、毎日毎日そこにいられてもね、こっちは困るって言ってるよね、そう。君ね、もっと、えと、シャキッと、よし、シャキッと、シャキッとね、してね、そう。頼むよ。


 俺はチョークが好きだ。寝かせて書くと出る太い線も、削れてカスが落ちるのも、それから持った指がその色に汚れるのも好きだ。俺は黒板を見ていた。先生が描いた空はまがい物でも雨の日にはとても綺麗に映った。目は水色の空を求めていた。瞬きも忘れて黒板に描かれていく空を凝視していた。やがて水色のチョークは川になった。俺は水色のチョークを追うのをやめた。それから描かれた空をずっと見ていた。俺はチョークが嫌いだ。それでも学校は楽しかった。


 そうだキミ、うん、何度見ても似合っているよ。うん、ピンク色のチャイナというのがとてもいいね、とてもいやらしさがあっていいね、純粋さもあるね、はは、キミはいい子だ本当に。それでね、キミに今日はプレゼントがあるんだ。うん、これなんだけどね、ほら綺麗だろ? うん、よくわかったね、これね、ペンダントネックレスって言うんだってね。キミは物知りだねえ、今日ね、これ見つける時までこんなの知らなかったよ。うん、綺麗だろ? これね、ラリマーって言う石が埋め込んであるんだってね、これは初めて? 嬉しいね、キミから何か初めてを奪いたかったんだ。ほら、おいで、首にかけてあげよう。ほーら、鏡を見ておいで、とても綺麗だ。うん、キミによーく似合ってるよ。おう、そうかそうか、そんなに大きくして、そんなに嬉しかったかな。ははは、見てるとこっちまで嬉しくなってくるね、それ、ちょいと見せてね。……うん? また君かあ、君ね、何度言ったらわかるんだ、こっちはお客さんなんだよ。え、このペンダント? 君にはあげないよ。


 俺は学校が好きだ。天気に左右されずに水色の空を見ることができる。雨の日でも黒板に描かれた空が俺の心を満たし続けた。授業が終わっても俺は黒板をひたすら見続けた。むしろそれ以外に目を向けるものは何もなかった。ふたつある目で横長の黒板を延々と見続けた。右から左へ、左から右へ、横長に描かれた水色の空を繰り返し繰り返し見た。先生が教室に戻ってきた。先生は次の授業の準備をし始めた。俺は空を見続けた。けれども突然空が消えた。不規則な流れで右から左、左から右、目の動きとは違うように空がどんどん消えていった。俺は困った。外からも教室からも空が消えてしまった。先生は黒板を消しながら、邪魔だから、と言ったのだ。俺は先生が嫌いだ。先生が邪魔だ。黒板消しでチョークを消すように、次の時間に、先生は死んでいた。学校は楽しくない。


 君ね、いい加減にしたまえよ。何? それは何かって? だからペンダントだと……君、今言葉を発したのか。驚いたね。キミも聞いただろう、ちょっと動きを止めて教えてね、うん、聞こえたよね、いい子だ、続けておくれ。君、君がね、こっちに話しかけるほどに興味があるのかね? そうなのかね? 今度は頷くだけか、まあいいよ。これはね、ラリマーっていう石が埋められたペンダントネックレスなんだ。さっきも言ったけどね、君にはあげないよ。ん? 石が欲しいって? いやだね、だめだめ、君はただそこに立っているだけじゃないか、ねえ、キミ? だろう? 君ね、プレゼントが欲しいなら少しはシャキッと動いて見せたらどうなんだ、えぇ? 君。今ね、こっちは忙しいのね、ほらちゃんとね、見ればわかるだろうけどね、この子の相手をしているんだ。君ね、石が欲しいなら料理のひとつでも運んで来たらどうなんだ? え? それくらいはできるんだろうね? なんだその顔は、え? はあ、はっきり言うけどね、君ね、君はね、邪魔なんだよ。邪魔。こっちが楽しんでいるところにやって来るね、邪魔者なんだよね。ほら、わかったろ? わかったよね、ね? あっちへ行きなさい。そう、そうだ、キッチンへ行ってね、料理でも作って持ってきなさい。そう。…………なんだ、もうできたのか? なんだ君、なんだその顔は、え? 君ね、客に向かって……何を持ってる!? あぐぁっ……!! な、なに……を、あ……はあ…………。


 俺は邪魔者が嫌いだ。俺はただ水色の空を見たいだけだ。それなのに雲も太陽も、雨も邪魔をする。せっかく見つけた新しい空も、先生が邪魔をした。小学校は担任の先生がほとんどの授業を持つだろう? 先生はとても疲れた顔をしていたんだ。だから水色なだけに水をたくさん飲ませてやった。俺は小さな部屋へと連れていかれた。入れ替わり立ち替わり、たくさんの大人が話をしに来た。俺は窓もないその部屋が嫌いになった。頭の中にある水色の空をたくさん浮かべた。同時に目は、俺にとって不要なものとなっていた。もう大人はほとんど見えなかった。代わりに空が見える。それでも、狭い所は嫌いだ。


 ――くん。うん、これからどうするの? ――くん、君は綺麗な顔をしているね。僕のことが見える? ……やっぱり喋らないんだね。じゃあ少しだけ、チュッ。いつも君が近くにいると安心したよ。君の無垢な表情がとても好きなんだ。このペンダント、――くん、君にあげるよ。うん、あっ、笑った! ラリマーって言ってたね、これ好きなの? ん? そうじゃないの? 色? 綺麗な色だね。君の顔と同じだね。え、どこがって? そうだなあ……うん、綺麗な青空みたいな感じ。変、かな? あはは、また笑った! ……元気でね。――くん、ばいばい。


 俺は、俺は空が好きだ。だから今何をしているのかわからない。辺りは暗い。暗くて狭い。またこんな所に。俺はどうしてこんな所にいるのかわからない。水色だけが見える目が、いつの間にか元に戻っている。余計なものが全て見えるようになっている。じめじめとしていて居心地が悪い。俺は水色の空が好きだ。俺は水が嫌いだ。俺は雲と太陽と雨と学校と黒板とチョークと先生と狭いのと暗いのが嫌いだ。俺は晴天の文字すら嫌いだ。上に隙間がある。隙間から光が漏れている。これはきっと太陽だろう。俺は太陽が嫌いだ。でも太陽がある所には空もあって、水色か青かはわからないが、一面に広がる空があるんだ。俺は上を目指した。自分の身体の不思議な動きをものともせずに、光の下へと飛び出したんだ。俺の身体が焦げていく。身体が乾いて、もがき始める。やっぱり邪魔だった。俺は、太陽が嫌いだ。

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