2 outward

 ありえないことがおこった。

 女王の座が簒奪される事件が起こったのだ。小秋千広、あの女が清子から女王を奪おうとしている。言葉巧みに女王に取り入り、甘言を囁き、堕落させようとしている。あれほど迷いなく命令していた言葉は濁り、純白だった彼女の意志までもが汚染されていく。女王の女王たる尊大さ、奔放さ、無慈悲さが削ぎ落され、彼女がふつうの人間に堕とされていく。

 ぼくは焦った。また失うわけにはいかない。ぼくだけの女王。ぼくだけの命令。

 しかし、小秋千広はずるがしこい蛇のように女王に絡みついた。呪いのように、繰り返し言い聞かせていた。『ふつうの人間に力なんてないんだよ』、と。清子はふつうの人間じゃないのに! 彼女は女王の器があるのに! その言葉には幾万の凡夫を従わせる力があるのに!

 女王は小秋千広に関わり始めてから、ぱったりと命令しなくなった。それどころか、意志を曲げたり、自分を外に出すことを抑えたりするようになってしまった。彼女の女王たる力を封じ込めるように、小秋千広が洗脳していっているのがわかった。邪悪な女だ。

「わがままいってごめんなさい」

 清子はこれまでの行為をぼくらに謝罪する。

 そんな言葉が聞きたいんじゃない! ぼくは無慈悲な命令が欲しいんだ!

 ふつふつと湧き上がる怒りを押し留め、ひたすら機会を待った。小秋千広を排除するために、いくつもの手段を考えながら耐え忍んだ。ふたりの登下校を尾行し、デートを監視し、談笑を盗み聞きした。女王を取り戻すための隙を探していた。

 ある日の放課後、廊下に隠れて聞き耳を立てていたときのことだ。

「あんたなんか、死んじゃえ」

 清子が千広に対して、そう言葉を吐きかけていた。

 女王が命令をくれた。間違いない、ぼくに対して命令をくれたんだ!

 本心では小秋千広の支配から逃れようとしていたに違いない。

 ぼくはかねてより思いついていた小秋千広を排除するための計画を実行に移すことにした。それは、事故にみせかけて小秋千広を消してしまう、という完全犯罪だった。

 思いつくきっかけとなったのは、とある交通事故の記事だった。母が交通事故で死んでしまったこともあり、その記事はやけに記憶に残ったのだ。内容は不注意で飛び出したひとを助けようとした善意のひとが、車に轢かれて死んでしまった、というものだった。水難救助などでよくある話で、助けに入った人自身が死んでしまうというもの。この記事がぼくにひらめきをくれたのだ。天国というものがあるかは知らないが、天国から母がぼくに計画を授けてくれたのだと思った。

 そして、小秋千広の行動を思う時、妙な違和感があった。彼女は女王の座を簒奪しただけでなく、清子に取り入るようになった。もしかすると、小秋千広は女王の寵愛を独占せんがために、王座から引きずり下ろしたのではなかろうか? いや、そうに違いない。

 彼女は一見、皆に平等に接しているようにみえる。だが、清子への目線は明らかに熱を帯びたもので、ふたりっきりの時間は誰よりも長い。ぼくはその独占欲にこそ、つけ入る隙があると考えた。

 ぼくはあらかじめ用意していた、清子と同じ服装をし、かつらをかぶって女の子にみえるように変装する。声変わりもしてないような小学生で、線が細いぼくは近くで見ても女の子のようだった。正確にいえば、清子によく似た女の子だった。

 遠目で、しかも動揺している状態でなら、ぼくと清子を見間違えても不思議はない。

 ぼくは女王の命令を聞いて変装し、下校した小秋千広の行方を追った。彼女の行き先を先回りして、仕掛けるポイントを選ぶ。交通量が多くて、車の流れも速い道路がいい。おあつらえ向きに、片側一車線の国道が進行方向と重なる。狭いくせに荒い運転の車が多く、ハザードマップにも載っている場所。ここだ。

 先回りしたぼくは、小秋千広がやって来る反対側車線で待ち伏せる。ちょうど信号機を挟んで向かい側。

 赤信号。小秋千広が立ち止まる。視線がこちらを向いた瞬間。

 ぼくは飛び出した。小秋千広の真向かい、正面。彼女からは清子が飛び出したように見えるはずだ。

 釣れた。小秋千広が飛び出した。

 甲高いブレーキ音。激突する車とガードレール。

 次にぼくが考えるべきは、自分の身の安全。身をひるがえし、急ブレーキをかけ、ハンドルを切った車から逃げる。幸いにも、こちら側の車とは距離があったおかげで助かった。運転手が動揺してガードレールに突っ込んだこともいい方に転がった。飛び出したぼくのところまで、車は到達しなかったのだ。

 やり遂げた。ぼくは小秋千広を完全に排除した。


 そう思ったのはつかの間だった。諸悪の根源たる小秋千広さえいなくなれば、すぐに清子は女王に戻ってくれると思っていた。しかし、それは甘すぎる考えだったのだ。

 小秋千広の支配と洗脳は、想像以上に根深く清子に入り込み、心を蝕んで、他人はおろか世界を拒絶しはじめた。

 ぼくは頭を抱えた。生まれて初めて自分で考えるとことをしなければならなくなったのだ。

 彼女を解放する方法など、誰が教えてくれるだろうか。ぼくはただ、命令してほしいだけなのに。

 ぼくがぼくのままでは彼女を解放できない。小秋千広の呪いから解き放つには、もっと彼女の心に入り込まなければならない。たぶん、それは小秋千広と同じ方法で、ということになるのだろう。認めるのは悔しいが、小秋千広は狡猾にして、賢い人間だった。

 孤立した清子に、優しさを与えてやるのだ。そして、心を開いてくれたら、彼女に思い出させる。女王としての力のあり方を。女王と奴隷による世界の形を。清子は女王になるべき人間なのだから。

 ぼくはそれまで待ち望む。

 あの麗しい唇から、言葉が、命令が発せられるのを待ちわびる。


 ただひとつ、拭いきれない不安が、頭の隅に居座っている。

 小秋千広は本当に死んだのだろうか。

 本当にただ死んだだけなのだろうか。

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