第7話 時代は明治


 徳川慶喜は大政奉還をし、王政復古が発令され、もはや内戦は避けられないと人々は語り、イネはこの先どうなるのか全く読めなかった。長崎の人々の不安は激しく、町は落ち着かない状態が続いた。イネは産科としての仕事もこなしながら、ボードインの講義に通うのを楽しみにしていた。


 新政府が樹立され明治となった。イネは男たちの行動力の激しさにあらためて驚嘆した。不可能としか思えなかった倒幕という大事業に挑戦し、多くの死を乗り越えてそれがなされたのである。時代は大きく変わることだけは確かだと思えた。そんな中、明治二年、滝は息を引き取った。

 滝の死によってシーボルトが初来日したおりに親しくしたものは全てこの世を去った。長崎は寂しくなったとイネは思った。今は大坂の病院勤務の周三夫婦の一緒に住もうと云う誘いがあって、イネは大坂に移ることにした。イネがボードインについて大村益次郎の看護にあたったのはこの時である。


 新政府は日本医学の手本をドイツ医学として採用した。ボードインは東京に創立されていた医学校兼病院(後の東大になる)に招かれた。イネはボードインについて東京に行こうと思った。新しい時代を、自分の後半生を、一人で生きてみたいと思ったのである。

 東京に行く決意をしたイネは、東京にいる石井信義に手紙を出した。信義は政府の興した医学校の教官として要職についていた。身寄りのない初めての東京である。やはり心細さはいがめない。思い切って手紙を出したのである。信義からは上京の折には出来るだけのことはするとの返事が届いた。その中に、アレクサンダーがイギリス公使館付通訳として働き、かたわらオーストリア公使館の通訳も担当し、オーストリア皇帝から男爵の称号が贈られたとその活躍が記され、弟のハインリッヒも前年に日本にきており、二人にイネのことを話したら、逢うことを楽しみにしていると付け加えられていた。


 イネは上京して信義に会った。30歳の壮年になった信義は宗謙とそっくりであった。ただ、宗謙の目は冷ややかなものを宿していたが、信義は優しい目をしているところだけが違った。イネは44歳であった。アレクサンダーにも出会った。彼は24歳になっており、住むところを用意してくれていた。

 産院を開くお金を援助するとアレクサンダーは申し出てくれたが、そういうわけにもいかず、イネは長崎の鳴海の家の権利書を差し出して買ってくれるように言った。金額は150円。イネは麻布で産院を開いた。


 三瀬周三も監獄新制度の役職に就き東京に越して来た。夫婦はイネが忙しくしているのを喜んだ。周三とアレクサンダーはイネの家で久しぶりに対面した。周三はアレクサンダーの日本語の先生であった。シーボルトの子供たち、高弟であった二宮敬作の甥の周三、石井宗謙の子信義、あらたなシーボルトの縁ある者が東京に一同集まったことになったのである。ハインリッヒはオーストリア公使館に正式に雇われることになった。すべてがうまく行っているようであった。


 大坂の医学校の校長で移っていた信義が、また東京医学東学校に復帰したと云う知らせを受けて、イネは人力車で信義の家を訪ねた。帰り際に、福沢諭吉が女医としてのイネに関心を示していて、一度会う機会を作るのでよろしくと、信義はイネに伝えた。

 石井信義、三瀬周三とともにイネは福沢の家を訪れ、四人は楽しく歓談した。三瀬はその年の4月、文部省の命令で大阪の医学校兼病院(後の阪大)に勤務することになった。イネは思わぬ人の訪問を受けた。宮内省役人で宮内省に出頭せよということであった。イネは見当もつかなかった。福沢の推挙もあって、宮内省御用掛に任じられるというのである。葉室光子、公卿の権大納言葉室長順の息女で若い天皇のお側に親しく仕える身になって懐妊が明らかになったのである。産科係の医師として招かれたのである。

 結果は母子ともに悲運となった。光子は脚気の持病を持っていたのである。宮中ではイネの労をねぎらい、金一封を下賜した。宮内省御用掛となったイネの名声は上がり、患家の依頼は増した。福沢がイネを訪ねて来た。福沢の縁者である今泉とうという女性を見習いとして仕込んで欲しいというのであった。今泉とうは24歳で寡婦となり、一人息子を養育していかねばならない身であった。彼女は見習い助手としてかいがいしく働いた。三瀬が東京土木局勤務になったとまた東京に戻って来た。


 信義と三瀬がイネを訪ねて来た。三瀬はまた大阪に転勤と苦笑いをした。信義は言いにくそうに躊躇していたが、福沢が立腹していると云うのである。ついては〈とう〉の見習いも止めさせたいと、理由はイネに大病院を起こすことを期待していたが、市井の町医者で満足していて、一向にその気配が感じられない。応援する積もりでいたのに期待を裏切られたと云うのがその理由であった。信義にイネの真意を聞いてきてほしいということであった。


「福沢様のお苛立ちはよくわかります。私のようなものに目をかけてくださり、身に余る光栄と思っています。御恩はわすれません。私は福沢様からも医業を盛大にするようにたびたびお励ましの書簡も何度か頂きました。しかし、私は町の一開業医として終ろう、それで十分すぎるのだと思っています。御維新を迎え、全てのことが大きく変わりましたが、私が女であることには変わりません。女医者として仕事をさせて貰い生活の糧を得られるだけで満足すべきだ、とも思っています。そのような私が大病院を作り上げるなどということは、夢のようなことであり、力もありません。たとえこのような御時世になりましても、私には、そのような大それたことをする気などないのです」

「御維新で、将軍様から天子様の御代になり、あらゆる仕組みが変わり、その変わり方に呆気にとられています。汽車や人力車が走り、ランプが灯りガス灯も据えられたとききます。しかし、たとえざんぎり頭、洋服が流行っても、人間そのものが変わるのでしょうか・・私は異人を父に持ち、女医者になりはしましたが、昔通りの日本の女です。このような椅子に座るより畳に座る方がはるかに楽な日本の女です。そのような私に、大病院などつくれましょうか」イネはお茶を一口飲むと、

「私は正月がくれば50歳になります。老いました。この頃昔のことを振り返ってみることが多くなりました。二宮敬作先生、石井宋謙先生、大村益次郎先生、ポンぺ先生、ボードイン先生に師事させて頂きましたが御講義を拝聴いたします時には、常に私は、男の皆様の後ろに座っておりました。私は女であり、男の方の前に出る気など毛頭なく、拝聴できるだけでも女の分に過ぎたことだとありがたく思って参りました。御維新になり、福沢様が男も女も平等と申しておられますが、私は日本の古い女です。医者と認められていますが、聴講させていただいた時と同じように、私はあくまで末席にいたいと思っています」

 石井が息をついた。「よくわかりました。たしかに御時世は変わっても人間が変わるはずもありません。それはわれら男にしても同様です」。三瀬はそれに同意するように何度もうなずいた。


 長い小説だが、イネが自分の考えを長く語る場面はほとんどない。イネの考えがまさにそうだったのだろうが、作者の考えもここに反映されているように思ったので、長々と引用した。

 後日、福沢からは謝する手紙が届き、〈とう〉も従来通り使ってやって欲しいと書かれてあった。

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