第5話 シーボルトの再来日


 敬作の代診も任されるようになっていた頃、イネは思わぬ知らせを滝からの手紙で知らされる。シーボルトの追放処分が解かれて、近く日本に来られるかも知れないというのであった。幕府は外国と通商条約を結び、鎖国政策を解いた以上、シーボルトの追放処分は不要のものとなったのである。

 敬作は大いに喜び、イネに帰ることを勧め、自分も是非シーボルト先生に逢いたいと、結局、周三を入れて三人の長崎行きとなる。イネはタダの成長ぶりを見たいと長旅も苦にならなかった。シーボルトはオランダ貿易会社顧問として再来日を果たす。30年振りの日本であり、63歳になっていた。出島で、シーボルト、滝、イネ、高の涙、涙の対面となったのである。シーボルトは長男アレクサンダー(12歳)を連れてきていた。異父姉弟の対面でもあった。


 シーボルトが再来日したときには滝はすでに夫を亡くし、自分の手に合う商売として油屋を始めていた。しかし、滝には30年という時間は余りにも長すぎる時間であった。出島で流した涙は、イネが父親と出会ったという感動の方が大きかったのである。シーボルトは塾として使っていた鳴滝の家に住むことを希望する。それは滝に買い与えていたものであった。嫁いだ滝には不要なもので売り払っていたが、シーボルトの再三の督促でそれを買い戻す。そこにシーボルトの身の回りを世話する女中として〈しほ〉という若い女をイネは雇い入れる。

 滝はシーボルトの来日した当初はイネと一緒にシーボルトを訪ねたが、そのあとはめったに鳴滝に行こうとしない。不思議に思ったイネがそれを問うと、滝は「お前は何も気づいていないのかい」と、シーボルトと〈しほ〉との関係を匂わせる。イネの父親としか見なくなった滝ではあるが、そこは元夫婦、女としての嫉妬も入るのであった。


 イネにはショックなことであった。偉大な医師、尊厳ある父としてしか考えてこなかったのである。それが生身の人間、シーボルトの男の部分を見せられたのである。イネの不幸な男性経験はそれを許されないものと感じた。もう一人、下女を雇い入れることによって特別な関係を防ごうとする。しかし〈しほ〉は新しい女に解雇を言い渡す。頭に来たイネは使用人の主は自分であり、勝手な振る舞いは許せないと〈しほ〉を詰る。

 シーボルトが〈しほ〉の肩を持ったから、イネの怒りは収まらず、口論になる。イネのオランダ語は不十分なものであり、シーボルトの日本語も30年使っていないものであった。感情のもつれは、言葉の乱れとなって、さらなる感情のもつれを産む。


 鳴滝を訪れなくなったイネ。父と娘の関係を心配した敬作がイネを慰め、諭すも、かたくなになったイネは、自分がオランダ語をちゃんと話せないからこんなことになったと、言葉のせいにして、オランダ語を習いたいと云う。敬作はイネの強情さに飽きれながらも、丁度、村田蔵六が長崎に来ているので、再び習うように言う。敬作のとりなしで、イネはシーボルトに言葉の行き過ぎを謝罪し、シーボルトは〈しお〉に暇を出して、一応は収まったのであるが、イネの鳴滝へいく回数はほとんどなくなった。


 言葉の先生といえば、シーボルトは周三の才能を評価し、医学修行を兼ねて手元に置く。そして息子に日本語を教えて欲しいと頼む。まだ幼くて目的意識のはっきりしないアレクサンダーには日本語は難しく退屈なものであった。周三はアレクサンダーのやる気のなさをイネにこぼすようになる。

 貿易商社との契約期間が切れたシーボルトは、幕府に外交顧問として自分を売り込む。思案の末、幕府はシーボルトを雇う。このとき幕府にも通詞がいたが、シーボルトが頼りにしたのは周三であった。周三はシーボルトのもとを離れたがっていたが、江戸へ行くことは勉学の面でも魅力に感じられ、同行したのである。


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