第4話 イネの学問修行


 イネは寺子屋に通うようになっていた。物覚えもよく、寺子屋の師もその才を褒めた。イネの髪は薄茶色で目は青みをおびていたが、鼻筋が通った色白の顔を人々は「可愛い」と賞嘆した。当時の日本は外国人を見ること少なく、毛唐として忌み嫌っていた。また、尊王攘夷の武士たちは、外国人に対して血なまぐさい事件を数々起こしていた。しかし、長崎は外国貿易で栄えており、住民たちも外国人は珍しい存在ではなく、抵抗感も少なかった。日本の中では唯一外国人に開かれた町と言えた。

しかし青い目の〈あいの子〉はやはり珍しい存在で、奇異の目で見られることは避けられなかった。成長するにつれ、イネはやはりその違いを強く意識した。そして異端の目で見られても、父親が偉大な医師であったことを誇りにして耐えた。その思いは熱烈な学問志向となってあらわれた。寺子屋から帰って来ても外で遊ぶよりも机に向かうような子だった。


 当時は、女が学問をしても生かされる道はほとんどなかった。それよりも、料理・裁縫等の家事見習い、花や芸事に興味を持って、適齢期には嫁に行くのが女の幸せと考えられていた。滝は習うことは他にあると、学問すること禁じた。それでもめげないイネに悩んだ滝は、宇和島の二宮敬作に諭して貰うよう相談の手紙を出す。しかし返って来た答えは期待とは違って、シーボルトの血を引くイネに学問の道を叶えてやるよう、ついては敬作が責任を持って引き受けることを言ってきた。滝は思案したが、敬作の意見に従うことにした。イネ13歳のときであった。

 イネは敬作の紹介する商人一行と同行して宇和島を目指す。長崎から諫早に出て、船で熊本へ、陸路を大分の臼杵へ、そこから舟で四国に渡る。伊方から宇和島街道の険しい山道を経て宇和・卯之町まで辿る。初めての長旅は、女には辛いものであった。まるで作家吉村氏がその旅程を経験したかのように丹念に描く。それによって、イネの気持ちは語られないのだが、イネの強い気持ちが読む者に伝わって来るのである。


 敬作一家は暖かく迎えてくれたが、1カ月たち、2か月たっても家の雑用を手伝うだけで、敬作が教授してくれる気配はない。イネは思い切ってそれを問うた。

「学問といっても何のためにするのか、それが大事」と、問われてもイネは答えられなかった。しばらく考えたが「わかりません」と正直に言うしかなかった。

敬作は医学の道、とくに産科を習得することを勧めた。産婦の中には男の医者に診てもらうことを恥ずかしがって、手遅れになるものもあったのである。女医者の道として産科をすすめたのである。医者といえば男性と限って考えられていた時代である。イネは普通の女の幸せでない道に自分が生きることを覚悟する。

 敬作のもとで6年修行をし、一通りのことを習得した。敬作はさらに高度な産科のことなら石井宗謙が優れているので岡山行を勧める。イネは長い間母滝に逢っていなかった。一旦長崎に帰った上で岡山に行く。


 宗謙は、勝山藩の藩医であったが、シーボルト事件さえなければ、自分はもっと評価されてしかるべき存在だと不満であった。田舎医者で終わりたくないと、岡山藩に派遣を頼み了承され、岡山で開業する。顔立ち、身のこなしは中々で、女性にもてるタイプあった。医業の腕も達者であったが、女性にも達者であった。妾を外に囲い、生まれた子供は本妻、シゲが引き取って自分の子のように育てていた。シゲはそのような宗謙に何も言わず、そのことによって家の秩序が保たれているのだとイネは思った。その子供が久吉といって聡明な目をした子供で、イネは可愛がった。

 イネは宗謙の家で働く年下の下女お七と寝起きをともにした。宗謙のもとで助手をこなせるようになっていた頃、滝がイネに逢いに岡山までやってきた。暫らく逗留して滝が帰るのを宗謙と共に下津井まで見送る。その帰りの船の中で、イネは宗謙に手籠めにされる。そのときに出来たのが高である。帰って来たあとのイネの不自然さに、シゲはそれと気付き、泣いて謝罪するがせんのないことであった。


 宗謙は外に家を借りて、従来通りの関係で世話をすると言ったが、イネは長屋を借りて貰うが、宗兼の来ることはきっぱり断る。そこで子供を出産したのである。産気づいたイネに気付き、シゲは産婆を呼ぼうとするが、それを断り、シゲの助けも拒絶して、自分の手で取り上げ、へその緒も自分で切る。さすがに、赤ん坊に湯を使うことだけは、お七の世話になる。壮絶な出産である。その決意にイネという人の強情というか、意思の強さ、プライドの高さを計りみるのである。

 そのことは、生まれた子供を抱え、長崎に帰るとき、見送る宗謙夫妻の前でイネは宗謙に向かって「人でなし」と云う言葉になってあらわれる。生まれた子供の名前をタダとつけた。天から貰ったタダの子の意味である。後年、高(タカ)と改める。


 滝は驚き悲しんだ。母の悲嘆にどのように接していいのか、イネにはわからなかった。産んでも、タダの子には強い愛情が湧くわけでもなく、また医学への道にも熱情が湧かなくなって、いたずらに日々を重ねるような生活であった。滝はそんなイネに代って高を世話することに生き甲斐を見出していた。

 そんなときに敬作が長崎を訪ねて来た。もう一度宇和島の自分のところに来ないかと誘ってくれる。イネは行く末を考え、子供とともに強く生きていくことを決意し、タダを滝に預け、再度の宇和島行を決意する。


 長崎に蒸気船研究に来ていた宇和島藩士の一行があった。敬作もその一員であった。イネを彼らに紹介する。その中の一人が村田蔵六で、後の大村益次郎*である。イネは敬作の甥の三瀬周三と一緒に源六にオランダ語を習うため月に2度程度、卯之町から宇和島の城下に山道を通った。イネは周三の語学の才能に驚き、歳の差はあるが好ましい青年とイネは気に入る(三瀬は後に高の夫になる)。しかし村田源六の藩侯に従っての江戸行に伴って、半年ほどでその授業は中断することになる。


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