第3話 シーボルトの国外追放


 鳴滝塾は全国から英才が集まり、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海らを筆頭に、その後医者として活躍する人材を輩出した。日本のことを調べるとしてもシーボルト一人では限界がある。そこでシーボルトはいいことを思いついた。弟子たちにいろんな課題を出し、オランダ語で論文を出させることであった。優秀な論文はこれを表彰した。弟子たちの論文は見事なものが多く、シーボルトの日本研究に寄与した。


 商館長が将軍に謁見する年がやってきた。またとない機会である。同行することを希望し、商館長の力添えもあって幕府からも許可された。弟子たちの何人かも従者として加わった。彼は下関海峡の深さを計り、瀬戸内海の島の位置を計測し、道中観察記録を克明に記した。そのようなシーボルトの振る舞いをいぶかる役人もあったが、シーボルトは巧みに誤魔化した。

 江戸では役人に多額の賄賂を使い江戸城の絵図まで入手している。彼は医者である以上に、国からのミッションを託された人物であり、彼はそれに忠実であった。彼が一番欲したもの、それは正確な日本地図である。優秀な学者としてのシーボルトの名前は知れ渡っており、医学関係者以外にも著名な江戸の学者の来訪が絶えなかった。その中に天文方・書物奉行の高橋景保がいた。伊能忠敬の役務上の上司に当たる人物である。高橋が欲しがっていている書物との交換の話で上手くこれをまとめ、写しを得る。


 鎖国政策を取る幕府にとっては秘密にしておきたいものであり、西洋諸国にとっては喉から手が出るものであった。それを入手するということはオランダが一歩優位に立つことを意味する。シーボルトのオランダへの貢献度は計り知れないもので、彼の栄達を保障するものであった。

 シーボルトの国禁を犯した行為は、多くの関係者を巻き込んだ。関係した者は過酷な処分にあった。地図を譲った高橋景保は獄死、その子供らは遠島、同行した長崎奉行は監督不行届きで百日の押込め、幕府方通詞らも同様の処罰が下った。優秀な門弟たちも協力したかどで、処罰された。塾頭だった高野長英は発覚することを予知し逃亡生活をした末に捕縛され絶命している。高弟、二宮敬作は長崎と江戸払いになり郷里の宇和島に帰っている。当然、鳴滝塾は閉鎖、弟子たちは全国に散らばっていった。長崎追放を免れた石井宗謙も、暫らくして岡山に帰り医者を開業。この二人が深くイネの運命に関係することになる。


 シーボルトが国外永久追放処分されたのは1829年、シーボルト33歳、イネが3歳のときである。イネは父親の記憶がほとんどない。シーボルトは日本に6年いたことになる。去っていくについて、滝やイネのことを高弟たちに託す。

シーボルトが去った後の滝が1年ほどで結婚したことは先に書いた。相手の時次郎は下関と長崎を行き来する廻船業を営み、使用人も多く使っていた。最初の内こそ、滝はシーボルトを恋しがり、来航してくるオランダ船を通じて手紙のやりとりをしていたが、イネも引き取り可愛がてくれる、優しい時次郎を思って、それを禁じた。


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