僕の目と君の指
1.
僕は、裸で突っ立っていた。
目の前の彼女は、服を着ている。
「ユキくん、もう少し腕を上げてもらえないかな?」
カナは、そう言って自分の腕を上げて見本を示す。画板から顔を覗かせ、右手には尖った鉛筆を握っていた。
僕は、よく分からないまま耳の高さまで腕を上げた。脇が見えて恥ずかしい。
「どういうポーズなの、これ」
クロスさせた足が突っ張って筋肉痛になりそうだった。
カーテンの向こうで木の緑が揺れ、ちょうど良い風が吹き込んでくる。夏が過ぎ、そろそろ秋に移るころ。裸でも寒くはない。
僕らは団地の一室で向き合っている。ここはカナの家で、僕は居候。肩身が狭いのだ。
「オリンポスの神」
カナは簡単に答える。
「何、それ?」
「ギリシャ神話かな」
僕は、同じポーズを続けながら首を傾げる。ギリシャ神話なんてさっぱり知らない。
カナが鋭く睨み付けてきた。動くな、という意味だろう。僕は大人しく首を元の位置へ戻す。
「アレースという闘いの神。気性が荒いから、壺に閉じ込められたんだって。ずいぶん酷い目に遭わされたそうだよ。キミにそっくりだな」
アハハ、と言ってカナは大笑いをする。
「闘いの神なのに、壺へ閉じ込められちゃうの?」
カナは笑って何度も頷く。よほどおかしいようで、口元を手で覆っていた。
「乱暴で嫌な性格だった。ただの破壊神。愛人もいる。もしも生きていたら、ただのゴロツキだろうね」
「なんでそんな神様をモデルにするの?」
僕は痺れてきた右手をどうしようか悩んでいた。足も疲れている。
「よく似ているから」
そう言って、画板の後ろに隠れてしまった。
僕は裸のままで、目だけをグルグルと回す。時々、許可を取ってペットボトルのお茶を飲む。
今日は、既に三時間もこの奇妙なデッサンを続けていた。僕は裸のままでずっと突っ立っている。カナは、イーゼルの前で座っている。
「似ているっていうのは、顔の話?」
「そうだな。まぁ、性格もかな」
「さっき、性格は破綻しているって言ってなかった?」
「破綻しているだろう?」
カナは拳銃のようなポーズで指をさして、僕の目を真っ直ぐに見た。僕は、自分の身体が揺れるような気がした。
「いや、僕は結構、普通の人だよ。つまらないし、面白くない」
僕はいったん腕を下げて答えた。前を向いてしまうと裸なので、横を向いたままだ。
「そうかな。キミ、ずいぶん面白いよ」
「どんなところが?」
「そうだね。少しでも押したら、落ちそうなところかな」
「落っこちるって、何それ。怖いことを言わないで」
僕は、眉を寄せて精一杯嫌そうな顔をする。
「どこまでも落ちていきそう……」
カナは手に頬を載せて怪しく微笑む。目だけは真っすぐに僕を見ていた。彼女のこの目が、僕は時々怖い。何を考えても見透かされそうだ。
「やめてよ」
「ああ、ごめんごめん。しかし、落ちた顔が見てみたい人って、いるものだよ」
僕は急に寒気を覚えた。カナが何を言っているのかさっぱりわからない。
部屋の中には、イーゼルとイスしかなく、あとは僕らがいるだけだった。壁は白く、窓はひとつだけ。カーテンも白色で、レースが付いていた。
「今日はもう終わりにしようか」
カナはふう、とため息を吐いて上を向いた。蛍光灯の明かりに目を細める。
「疲れたかな。長く付き合わせてごめん。服を着ると良い」
彼女は、そう言って鉛筆をそっと置く。
僕は、足元に脱いだ服を足の指で拾って着ようとする。疲れ果てて座る力も残っていない。
「わっ」
僕はその場で倒れそうになった。
突然、カナが抱きついてきた。
「な、何?」
こちらは裸で猛烈に恥ずかしい。三時間突っ立っていてもやっぱり恥ずかしい。
「いや、どういう反応をするかな、と思ってね」
「はぁ?」
僕は両手でカナの身体を突き飛ばした。それでも華奢な彼女はほとんど動かなかった。
「急に抱きついてこないでよ」
「良いじゃないの。裸は見せても、抱きつくのはダメなの?」
僕はしばらく彼女の白い顔を見つめていた。
髪は茶髪で毛先まで細かなウェーブが掛かっている。
唇は真っ赤だった。
「もういいだろう。僕は帰るよ」
僕は足元の服をかき集めて拾って着ようとした。下着から急いで履く。
そんな僕を彼女は腕組みをしたままじっと観察していた。仁王立ち、とでも言うんだろうか。
「ユキ君、身体はそのまま鍛えてね」
微笑むように言い放つ。
「ああ、うん。絵の方は協力するよ。でも、抱きついて来ないでくれ」
僕は睨みつける。
「なんで?」
「当たり前だよ」
「誰の?」
「みんな!」
「ふぅん。初耳だわ。我が家では聞いたことがない」
カナは冗談めかしてそう言う。彼女は一人暮らしで、他には誰も居なかった。
ら yuurika @katokato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。らの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます