20210914「犯罪」

 行きつけのコンビニで、女子高生が万引きをしているのを見かけた。

 

 僕は少しはっとして彼女の事をじろじろ見つめてしまったけど、何かを咎めるとか店員を呼ぶとかの"社会倫理に沿った行為"はしなかった。僕はこの店の関係者じゃないし、彼女の人生について責任を負うような立場にもないからだ。取るに足らない、とまでは言わないけど、ありふれた行為にいちいち首を突っ込んでいれば疲れるばかりだ……というのは、いわゆる"社会人"になってから得た教訓だった。彼女は素知らぬ顔をして鞄に商品を突っ込んだまま、店の外に出ていった。

 

 それから数週間経ったある日、同じコンビニでまた彼女を見かけた。彼女はまた素知らぬ顔をして、108円の紙パック入りカフェオレを鞄にねじ込んでいた。このコンビニがある種のスポットと化しているのだろうか。僕はこんな偶然ってあるんだな、と驚きつつ、また彼女の事をじろじろ見つめてしまった。別に不良のような出で立ちではなく、いかにも普通の女子高生のような見た目だ。ただ、よくよく考えてみれば僕が学生の頃も不良らしい見た目の子がこういう事をしているというわけではなかった。比較的真面目そうな子がなぜかこういう行為に手を出していたのを覚えている。成績も学業への態度もよい生徒に限って隠れたところでこんなことを、とよく教師が零していた。僕はどうこう言える立場にはないけど、優等生には優等生なりの鬱屈があるのだろう……学生の頃の僕はそう結論付けて、そう言った話にはかかわらないようにしていた。彼女も彼女なりの、大多数の人にとってはどうでもよい葛藤や鬱屈を目の当たりにしてこういった行為に手を染めているのかもしれない。ただ、僕には彼女のケアや社会復帰を支援する義務や義理もないので、その時も何もせず彼女を見送った。ただ、彼女が去り際に僕の方を見て少しにやにやしていたのが気になった。自分が意識した以上にじろじろ見つめてしまっていたのだろうか。

 

 その次の日――その日は土曜日だったから僕は一日中部屋で寝ていて、深夜になってから起き上がった――、また同じコンビニで彼女を見かけた。昨日と同じ学生服に身を包んだ彼女は、昨日と同じカフェオレをまた鞄にねじ込もうとしていたのだ。僕は正直びっくりしてしまって、これって本当に偶然なのか、108円のカフェオレくらい普通に買ったらどうだ、そもそもなんで土曜日の深夜にそんな服を着て外に出ているんだ、といった様々な考えが頭を巡った後、さすがにこう何回も"犯行現場"を目撃していては無視するわけにはいかないのではと思い至った。そして、彼女に声をかけた。

 

「ちょっと、君……」

「……はい?」


 その後僕は彼女が持っていたカフェオレをひったくって、それと一緒に僕の夜食――飲みやすい缶ビールと味付けの濃いから揚げ、それからツナマヨのおにぎり――を買った。一体どうしてこんな首の突っ込み方をしたのか、と自問自答しながら、僕は店の外に出た。彼女も存外素直に、というよりむしろどこか喜々としつつ、僕が差し出したカフェオレを受け取っていた。その日は珍しく熱帯夜で、もう秋も始まっているというのにむんむんと蒸し暑い空気が僕の身体を包んだ。

 

「三回会ったから声をかけるなんて、お兄さん結構ロマンチストですね」

「はあ?」


 突拍子もなく彼女が言うものだから、僕は気の抜けた返事を返してしまった。彼女はにやにやと笑いながら紙パックを開けて、直接口をつけてカフェオレを飲んでいた。僕はてっきりストローを渡し忘れていたのかとレジ袋の中を確認したけど、中にストローは入っていなかった。彼女はストローを受け取った上でああいう飲み方をしているらしい。結構ざっくばらんとしている子のようだ。それはそれとして、僕は彼女の小ばかにするような口調にちょっとムッとしていた。

 

「別に、店員に言う事だってできるんだけど」

「あはは、そこですよ。店員さんを呼んでそれでおしまいのはずなのに、どうして奢ってくれたんですか?」

「それは……」


 ちょうど僕もそのことについて考えていたのだ、というのも変だと思い、僕は続く言葉を探していた。その言葉が見つからなかったから僕は手持ち無沙汰になってしまって、ぐびぐびとカフェオレを飲む彼女に倣って缶ビールを飲み始めた。よく冷えた液体が喉を駆けて胸を流れていくのはなんとも爽快だ。昔はアルコールなんて飲まなかったのに、今じゃ定期的に飲むようになった。それも僕がこの社会に適応していってるからだろうか……冷たいビールで彼女についての思考をひとまずどこかに追いやって、僕はひとつため息をついた。彼女はそれを見ていたのかけらけらと笑い出して、"変な人"とだけ言って、またカフェオレを飲み始めた。

 

「やらしい動機ってわけじゃなさそうですね。お兄さん、そういうのできなさそうだし」

「……どういう意味?」

「そのままの意味ですけど。お兄さんって、そういう人じゃなさそうだから」


 コンビニの前に立てられた車止めに腰掛けて、彼女は遠くを見つめながら言った。そしておおきく振りかぶって、空になった紙パックを放り投げた。僕は、ゴミぐらいちゃんと片付けないと、と言おうとしたけど、彼女の表情――横顔しか見えなかったけどなんだか物憂げで、自分の身近にあるものすべてを疎んでいるような、そんな印象を受けるような目をしていた――を見て思いとどまった。それを言ってしまうと彼女にとって僕が、かつて僕自身学生の頃に疎んでいた"普通の大人"になってしまいそうな気がしたのだ。

 

「何かの縁だと思って、聞いてってくれませんか。つまんない身の上話なんですけど」


 そう言って彼女は滔々と語りだした。割のいい"アルバイト"の話。この制服がアルバイトの相手にとってステータスとなるという話。僕より一回りも二回りも年を取った男からする匂いの話。僕はそういう世界に触れたことはないけど、多分世の中にはありふれた話。

 

「前は『悪いことをしてるんだ』ってドキドキしてたんですけど、今じゃ全然。あんなの、ただの作業と同じなんですよね」


 彼女は、自分が万引きを始めたのはドキドキを求めていたからだ、と言っていた。でも結局、そういった行為でも望んでいたものは得られなかったらしい。社会倫理に照らし合わせれば、僕は彼女を諭してその針路を修正させるべき立場にあるのだろうけど、僕は何も言わなかった。彼女と僕の倫理観や価値観はきっとあまりにも違う。生まれからどう育ったかまできっとまるで違う僕の言葉は、彼女にとってはすべて的外れな言及になってしまうのだと思う。"あなたの事を理解し、心配している"と言われるのは、少なくとも彼女と同じくらいの歳の頃の僕にとっては苦痛だった。

 

「お金はあるけど何にも欲しくないし、やりたいこともないし……つまんないですよね、人生」

「……大人になったら慣れるよ。つまんなさに慣れるのが大人になるってことかもしれないけど」

「あはは……本当に、つまんない大人って感じ」

「僕も昔はそんなつまんない大人にはなりたくないって思ってたよ。なんでだろうな……一番なりたくないタイプの大人になっちゃった」

「そういうものなんですかね、大人になるって」

「多分そうだよ。多分ね」


 学生の頃の自分と話しているようで、僕は少し懐かしい気分になった。その後彼女は車止めから降りて、ごちそうさまでした、と言って歩道に向かって歩き出した。僕はその背中に、もうこういうのはやめなよ、と言ったけど、彼女は笑いながら振り向いてこう返した。年頃の子供らしい、普通の笑顔だった。

 

「余計なお世話!」


 彼女は振り向かず、どこかへと歩いて行ってしまった。それきり彼女の事を見かけることは無くなった。あの時、社会的には多分僕に"彼女を行為は犯罪であることを指摘して、適切な処置を受けるよう誘導する"といったような義務が生まれていたのだと思う。でも、彼女について何も知らないただの大人である僕にそんな権利あるんだろうか。彼女のバックボーンも知らず思想も知らず、普段何を感じているかも知らない僕に、彼女を警察に突き出して保護してもらうなんて選択肢を取る権利があったのだろうか。しばらく経った今も時折考えて、その度に同じ結論を出している。学生の頃の僕は、多分そうして欲しくはなかっただろうと。

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