20210908「整理」
「アカウント消してたけど、なんかあったの?」
「めんどくさくなっちゃった。あの界隈、しつこい人が多くてさ」
喫茶店のテラス席で、俺の目の前に座っている男は垂れた前髪を人差し指で弄びながらそう応えた。オフショルダーのニットの上からショールを肩にかけたそいつは、自分の髪と遊ぶのに飽きたのか今度はくしゃくしゃに丸めたストローの紙袋に水滴を垂らし始めた。縮こまった袋がうねうねと悶えて伸びていく。待ち合わせ場所でこいつと顔を合わせた時に"肩を出したいのか隠したいのかどっちなんだ"と聞いたら、ちょうど今のようににやにやと笑っていた。目が細まり口角も上がって、なんだか満足げな笑みだった。
こいつとは大体3年ほど前にSNS経由で知り合った。情報技術系の情報を交換したのが最初だ。そこからオフラインの勉強会――ITエンジニアは"ある会場に集まってPCを触りながら技術系の会話をする"という催しを勉強会と呼ぶ。技術的な成果のプレゼンをすることもあるけど、大抵は静かな集まりだ――で初めて顔を合わせて、そこからこうやって一緒に遊びに行くような仲になった。お互い20代前半というのもあってすぐ打ち解けられたのもあるけれど、不思議とこいつの方から距離を縮めてきたというか、気づけば自分のパーソナルスペースに入り込まれていたという感じ。今日は二人でコーヒーを飲んだ後に技術書を探しに行くことになっている。
そして、3年前に知り合ってから今に至るまでこいつはSNSのアカウントを5、6回ほど消して作り直している。"人間関係を整理する癖がある"とは本人の弁だけど、明け透けに言ってしまえばそういう不安定な面もあるタイプだ。妙なところで神経質で気に食わないことがあるとすぐに機嫌を悪くして、その少し後にはけろっと笑っているような性格。最初は面倒な奴だとは思っていたけどもうすっかり慣らされてしまった。
「ネットの人のああいうところ、苦手なんだよね。何にでも当事者意識を持ってて……自分の領域を無限に拡張しようしてるんだ。自分の両手が届く範囲の事だけ考えてればいいのに、変に突っかかってきてさ」
そいつは髪にもストローの袋にも飽きて、今度は肩にかかったストールをふりふりと揺らし始めた。こいつが言わんとすることはわかる。インターネットの匿名掲示板やSNSには数えきれないだけの人がいて、それぞれの発言を制限なく閲覧することができる。そういう場に居続ければ、あれもこれもと言及したくなって……最終的に、"何にでも噛みつく人"が出来上がる。人の人格はインターネットの情報の奔流を真正面から受け止めれば歪んでしまうような設計になっているのだ。
「それはわかる。目に入る情報全部に言及しようとする人っているよな」
「でしょ? それだけ自意識を膨らませてるのが嫌なんだよね。膨らんだ自意識には針を刺して萎ませなきゃ……ああ。僕にとって人間関係の整理って、そういう側面があるのかも」
「……まあ、いいんじゃないの。カッコよくてさ」
こいつはたまに比喩のような表現をする。俺はそれが苦手で"もっとわかりやすく言ってくれ"と何度か伝えたことがあるけど、こいつの性格に慣らされるのと同じようにそういう言葉遣いにも慣れてしまった。俺の"カッコいい"という言葉を聞いて、そいつはにやにやしながら肩をすくめた。思ってないくせに。そう言って、今度はくすくすと笑い始めた。口を覆いながら縮こまって笑う姿にほんの少しだけときめきのような暖かい感情を抱いたのも束の間、不穏な考えが頭をよぎった。
「俺もそのうち、整理されちゃうのかな」
俺がそう零したのを聞いたのか、そいつは今度は声を上げてあははと笑い出した。俺はなんだか馬鹿にされたような気分で、自分でもわかるくらいムッとした表情になってしまったけれど、そいつは意にも解さず椅子の上で身体を傾け――横倒しになるくらい。俺はバランスを崩してしまわないかと少しだけ心配になった――、上目遣いで俺の事を見ながらこう言った。
「君とは電話番号も交換してて、ショートメッセージでやりとりしてるんだよ。それで『整理されちゃうかも』って、あはは……そういうとこ、嫌いじゃないけどね」
もしかすると、俺は相当な性悪男と付き合っているのだろうか。
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