僕らはきっとこの時間を青春と呼ぶ。
ニッコニコ
一話
「あなたが好きです。僕と付き合ってください」
放課後の裏庭にて。広がる青空の下、僕は同じクラスの
彼女はいわゆる優等生といった人で、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能というアニメのヒロイン三種の神器を持ち合わせている。
「えっと、同じクラスの
彼女は僕の名前を確かめるように首を少し横に傾げながら聞いてくる。一緒に揺れた髪は日の光が柔らかく反射していて綺麗だった。
「はい」
少し緊張しながら答える。夏の暑さの影響か、いつもとは桁違いの量の汗が全身から吹き出てくる。
しかし、そんな僕とは対照的に、彼女は汗ひとつかいている様子はなく涼しそうだった。
そんな彼女からはきっと何回も告白されてることが容易に想像できた。それもそうだろう。彼女の容姿は人の目を引くからだ。
彼女の髪は肩のあたりで切り揃えられていて、いつも光を柔らかく反射している。彼女が細やかな動作をするたびにその髪はサラサラと揺れてとても綺麗だ。
まるで宝石のような瞳に、蕾のような小さな鼻。そして、極め付けは抜群のスタイル。そんな数多の美しさをあわせ持つ彼女は落ち着きのある性格で友達も多い。その大人っぽさは後輩からの憧れの的だ。
今考えるとなぜ僕は告白をしてしまったのだろか。彼女は僕なんかよりもずっと優秀で容姿だって釣り合わない。天と地ほどの差だ。
落ち着かせるために深呼吸をしてみると、金属バットの甲高い音や、まるで警報のようなブザー音。どこか自信のなさげな楽器の音が聞こえてくる。
僕は今日、始めてそれらを認知し、自分の視野はこんなにも狭くなっていたのかと呆れる。
「ごめんなさい。叶斗くんの気持ちはとっても嬉しい。でも君と付き合うことはできない」
微笑んでいるのにその表情からは悲しみが伝わってくる。僕の告白を本気で受け止めてくれたことに喜びを感じるが、その感情よりも否定されたという事実の方が僕の胸を深く抉った。
「そっか……そっかぁ―だめか」
もしかしたら僕も付き合えるかも、なんて思ってた自分が恥ずかしくて仕方がない。
そうだよ。元々分かってたんだ。僕と彼女では全く釣り合わないことぐらい。
力なく吐いたため息は蝉の鳴き声にかき消された。
「ねぇ、叶斗くん」
不意に呼ばれて顔を上げる。
「……うん?」
「ありがとう」
まるで
振られてしまったけど、この笑顔を見れたのなら無駄じゃなかったのかなと思ってしまう。
彼女は本当に笑顔が似合う。だって、こんなにも嬉しかったのだから。
「でさ……こんなこと聞くのって失礼かと思うんだけどさ……」
上目遣いでこちらを見てくる彼女からはどことなく少女らしさが感じられた。周囲の人間からは大人っぽいと比喩される彼女だが、僕はこういった時折見せる少女らしさが大好きなのだ。
「私のどういうところが好きなの?……なんて」
彼女は身を捩らせながら自信なさげに聞いてくる。そんな予想外の反応を得た僕は――
「ぷっ、くっはははっははは!」
思わず笑ってしまった。だってこんなの完全に予想外だったから。彼女は急に笑った僕のことを、目を開き驚いた様子で聞いてくる。
「ど、どうしたの!?私変なこと言った!?」
「そりゃ、ねぇ。普通だったら振った相手に気を使ってわざわざ聞かないよ。返事する前に聞くとかさ」
弾けるように話す僕に彼女は頬を膨らませてプイッと右を向いた。風船のようにぷっくりとした頬は赤く染まっていたことから恥ずかしかったことがうかがえる。
さらに横顔からは綺麗な顎のラインが曲線を描いていて、やはり彼女は美しさの塊だと改めて思った。
「そ、そんなの……知らないもん……。告白されたのだってこれが初めてなのに……」
「〜〜ッ!?」
羞恥で顔を真っ赤に染め、泣き出しそうな彼女。
校舎を挟んだ先にあるグランドからは明らかにホームランだとわかる爽快な金属音が聞こえた。
どうやら彼女は意外にもこういったイベントは初めてだったらしい。意外だ……。学校でもトップレベルの男子人気を誇る彼女がまだ告白されたことがなかったとは……。
「と、に、か、く、答えてよ!」
彼女は僕の方に顔を勢いよく寄せてくる。いくら彼女が動揺しているからと言ってこんな行動を取ることは全くの予想外だったわけで。いつも遠くからしか彼女を眺めることができない僕を動揺させるには十分だった。
「え、えっと……」
「はーやーく!」
恥ずかしさに言葉を詰まらせる僕を、まだかまだかと急かしてくる。なかなか言い出せない原因は君なのに僕が怒られるのはなんかおかしくない?
「まぁ、色々あるけど……やっぱり一番好きだなって思う部分は子どもっぽいところかな」
やっとの思いで最後まで言葉を紡ぐ。照れ隠しに右頬を人差し指で軽く撫でてみるも照れは緩和されず、逆に変じゃなかったかな、なんて気にしてしまって余計に恥ずかしさは増してしまった。
「子どもぽいっ……」
力のない声で繰り返される。
「うん。さっきみたいなふとした時に見せる少女っぽさがすごく可愛いなって」
「それは仕草の話でしょ?それだけで子どもっぽいって言うのは違うと思う」
納得いかない様子では言い返される。彼女は眉間に皺を寄せ、珍しく不機嫌さを露わにしていた。初めてみるその仕草に少し背中がヒヤリとしたのを感じた。
しかし、ここで止めるわけにもいかない。
「ううん。違わないよ。発言も立ち振る舞いも、同じだよ。だって僕は君のその背伸びに惚れたんだから」
僕は彼女の背伸びに惚れたのだ。大人になりたい、そう思いながら行動する彼女の子供っぽさに胸を打たれたのだ。
「背伸びだなんて……私は早く大人になりたい。子どもとか絶対に言われたくない」
「なんで?どんなに背伸びをしようと君はまだ子どもだ」
「なんでって聞かれても……そんなの……知らないよ。子どもは誰だって大人になりたいんだよ。それに理由なんてない。だって人は明日を夢に見るんだもん。明日よりも来年、来年よりも十年後。遠くにいる自分に憧れを持つんだから」
「憧れ……」
彼女から聞いた言葉をもう一度小さく呟いてみる。もしかしたら十年後の僕は結婚しているかもしれない。子供もいるのかもしれない。
こんな僕でも家庭を持って幸せに生活しているのかもしれない。もしかしたら、結婚せずにただひたすらと何かを頑張っているのかもしれない。
そうだ。未来は無限に広がっている。きっと未来は苦労もあるけどなんやかんやで楽しそうだ。
「そうだよ。憧れだよ。叶斗くんは憧れとかないの?」
「僕は……」
「叶斗くんは大人になりたくないの?」
彼女の真っ直ぐな視線がやけに突き刺さって痛かった。
カラカラに乾く喉を整えつつ、平然を装うように答える。ここで迷いを見せるのはなんとなく負けたような気がするから。
「うん。なりたくないよ。僕は子どもでいたい」
好きな人の価値観をここまで教えてもらって、それでも意見を変えようとしない僕の頑固さはやっぱり子どもだと思った。
「どうして?私は大人に早くなりたい。だって未来は誰にもわかんないもん。わからないからこそ手を伸ばしたいの」
晴れていた空は曇りがかかってきたように思える。高い気温とねっとりとした湿度が全身を舐めるようにまとわりついてきて不快だった。
「きっと、大人になるってことはいろんな物を失うんだよ。それは根拠のない自信だったり、純粋な心、ずっと夢を見ていられるような愚かさ。キラキラやドキドキに、ワクワク。輝いているもの全てを失ってしまいそうだから」
一つ、一つ。指を折りながら、少なくなったお小遣いを確認するかのように数える。
きっと大人になったら現実を知ってしまう。
それは責任だったりとか、孤独だったりとか、無力さだとか。今までとは比べ物にならないぐらいに感じるだろう。
そうなれば自ずと価値観は変わって、見えなかったものが見える代わりに、見えてたものが見えなくなってしまう。
根拠のない自信は社会という重圧に押し潰され、純粋な心なんてものは簡単に変わってしまうだろう。ずっと夢を見ていられる愚かさなんてものは子ども限定で、大人という現実を見た時に砕け散るだろう。
「大人はさ、現実を見ているんだよ。厳しい現実を。そうして色々と変わっていくのさ」
「でもきっと、変わらないものだってあるよ……。思い出だって私たちの中に残り続ける。だからさ……」
変わらないもの。それは思い出とか、自分の執念、根底にあるもの、だろうか。
確かにそうかしれない。大人になって変わるものもあれば変わらないものもきっとある。
それは確かに存在する。
「だめだ……私、もう分かんないや。大人ってなんだろう?あんなに憧れててたのに……」
彼女の落胆した様子にズキリと胸が痛んだ。
僕は好きな人の夢を崩壊させてしまったんだ。
何をやってるんだろうか?僕は。わざわざ彼女を傷つけて……。もしかしたら、今日は彼女の思い出に残る日になったかもしれないのに。一回しかない、初めての告白イベント。そうして一生の思い出として彼女の記憶に残ったかもしれないのに。
「もう……分からないよ。何もかも難し過ぎるよ」
困惑する彼女を目の前に、僕なんかがなんて声を掛けたらいいのだろうか?
分からなかった。言葉を探してみるけど浮かんでくるものはどれもぼやけていて、形にはできない。
「けど、本当に分からないなぁ……。保健の先生は自立することが大人だって言ってた」
彼女は今にも消えてしまいそうなぐらい細い声でポツリと言葉をこぼす。同時に、冷たい感触が頬に触れる。
「国語の先生は気配りができるのが大人だって言ってたし、生物の先生は我慢ができるのが大人だって言ってた」
彼女の口から迷いが溢れる。同時に雨もどんどんと強くなって、たった数秒でバケツをひっくり返したかのような豪雨になった。
「……大人ってなんだろうね?あんなに大人になりたいって思ってたのに、全然考えたことすらなかった。誰しもが必ず大人になるけど、曖昧過ぎるよ……何なんだろう、大人って」
「僕だって、分からないさ……」
言葉は勝手に口から溢れでた。さっきまでは単語のひとつも思い浮かばなかったのに。
本当に皮肉な話だ。
大人になりたくない僕は後、数年で大人になる。
大人になりたい君は、その数年のせいでどんなに背伸びをしても大人になんかなれやしない。
一歩、彼女の方に近づく。彼女は一歩、僕から距離をとった。当然だ。僕と彼女の距離なんてこんなもんだ。少しも近づいてなんかなかったのだ。
今も尚、止むことを知らない勢いで雨は降り続いている。
この雨がいつ止むのかは分からない。
けど、君が泣き止んだ時は、うざいくらいに晴れていてほしい。
だって君の笑顔は、あんなにも素敵なんだから。
「僕だって、分からないよ!」
もう一度大きな声で、雨に負けないぐらいの声量で繰り返す。彼女は僕の言葉にビクッと肩を震わせる。顔を上げた彼女は涙と雨でぐちょぐちょに歪んでいた。
「けど、きっとそれでいいんだよ!どんなに考えたって、大人っぽく振る舞ったって僕らは子どもだ!」
「けど、私はそんなの……!」
分かっているさ。君がそんなものを望んでいないことくらい。
「それでいいじゃないか!人生という長い時間の中で子どもでいられる時間の方が短いんだよ!圧倒的に!」
「けど、さっきも言った!未来があるからこそ私は手を伸ばしたいの!背伸びをしたいの!」
こんなのただの怒鳴り合いだ。喉は今にも潰れそうなぐらい痛いたくて、足だってガクガクと情けなく震えている。
こんな豪雨の中、夢中になって口論している僕らきっとバカだ。けど、それでもやめなかった。
きっとここでやめたら彼女は泣いたままだ。振られても好きな人には笑顔で居てほしい。そう、思ったから。
「だったらさ、そんな大人になれない窮屈な時間も思いっきり楽しめばいいじゃないか!大人になってバカだったな、子供だったなって思うくらい!目一杯楽しめばいいじゃないか!」
また一歩。彼女の方に歩み寄る。彼女は驚いた表情を見せたけど下がろうとしなかった。
「大人になりたいって願いながらも、背伸びをしながらも全力で子どもを楽しめばいいじゃん!子どもは何やったって子どもなんだから!」
君を泣かせたのも、苦しませたのも僕だ。そんな奴が今更こんなことを言うのは都合がいいってことは百も承知だ。けど、それでも、君に届いてほしい。たとえ押し付けだったとしても構わない。傲慢でも、独りよがりでも、自己満足でも。どう思われてもいいから聞いてほかった。
だって、君のおかげでこの答えにたどりつけたから。
僕も君に、大切な事を教わったから。
「誰しもが必ず大人になる」
また一歩。彼女との距離を詰める。
心臓が燃えるように熱い。
体はとっくに冷え切っているのに心だけが全身を燃やし尽くしてしまうぐらいの熱を持っていた。
「だったらさ」
さらにもう一歩。彼女に近づく。手をのばせば彼女に届く距離だ。さらさらの髪も、くしゃりと笑う笑顔も、両手に広がる確かな温もりも。手を伸ばせばきっと届く。
だからこの言葉も届くはずだ。そして笑顔にして見せる。世界一笑顔が可愛い彼女に惚れたんだ。そりゃ、笑顔にさせたい。
「今を全力で楽しむ事も大人になることへの一歩なんじゃないのかな!」
だから僕も満面の笑みで伝える。
その答えを。希望を。勇気を。
少しでも君の力になれると信じて。
「……ねぇ、叶斗くん」
「うん?」
「ありがとう」
そういって彼女はくしゃりと笑った。
あれだけ猛威を奮っていた豪雨は何事もなかったかのように去っていって、彼女の背後には綺麗な夕陽が一つ。破壊力抜群の笑顔と夕焼けの神秘さは一生僕の思い出に残り続けるだろう。
「大人って今を、子どもを積み重ねて大人になるんだ。だったら勉強も、恋も、部活もその全てが大人の一つで、希望になるんだ。手を伸ばすものじゃない。手が届くものだったんだね」
腕を後ろに組み涙をこぼしつつも笑顔でいる彼女。
そして聞こえてくるのは、雨が上がった野球部の歓喜の声に、祝福のようなブザー音、美しい楽器の音色。
見えるもの、聞こえてくるもの全てが輝いていた。
「うん。それに、大人なんてものは実際になってみないと分からない。だからさ、大人になった時に、ふとああ、あの頃バカやってたなって、思い出せたならそれでいいんだよね」
君は僕が教えたことを、僕は君から教わったことを話す。
思い出は変わらないから。
価値観が変わって多くのものを失っても、それに負けないぐらいの思い出があればきっと前を向けるから。
どんなに辛くても、苦しくても笑顔で居られるから。
だって君は、今も僕の前に笑顔で居てくれている。
「ねぇ、叶斗くん。もう一回言ってくれない?」
今度は君が、僕に一歩近づいてきてその温もりを感じさせてくれた。
トクン、トクン、と波打つリズムは心地よいけれど、僕の速い鼓動が伝わってると思うとやっぱりちょっと恥ずかしい。だけど君の鼓動も同じぐらい速いことが嬉しくて思わず泣きそうになってしまう。
「うん」
息を吸いこみ、君と見つめ合う。
夕焼けに染まった君の顔もやっぱり可愛くて。こんなに近くで感じられることが夢なんじゃないのかと思わず疑ってしまう。
「僕は奏音さんが好きです。僕と大人になってください」
「はい」
笑顔の君は後ろの夕焼けに負けないぐらいに輝いていて、胸の鼓動がこれは夢じゃないと何度も教えてくれた。
きっとこの眩しくて、どうしようもないぐらいに幸せな時間のことを、
――――青春、と呼ぶのだろう。
僕らはきっとこの時間を青春と呼ぶ。 ニッコニコ @Yumewokanaeru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます