付箋の足跡


 美月が若年性アルツハイマー型認知症という診断を受けて1週間ほど経った頃だろう


僕は会社に出勤して美月は休みの日だ

美月の事は美月の親に見てもらう事にした。


美月のお母さんやお父さんとは

僕と美月が付き合って4ヶ月目くらいで紹介された。



『今、付き合ってる人!大翔さん!』

そう彼女が紹介してくれた事を覚えている


美月のお母さんとお父さんもほとんどの事は美月に任せきりで信頼しているという事は確かに感じた


『もう美月も大人ですから。でも美月から話は聞いてますよ。大翔さんが素晴らしい青年だという事は。この子は人を見る目がありますからね!だから信じてますよ…ウフフっ』


と笑って言ってくれていた事をよく覚えている。



認知症発覚時に美月の母親に電話をしたところ信じられない様子ではいたが


さすが僕よりも倍くらい生きているせいか

そこまで焦った様子は無かった。


『あらっ…本当…?まさかうちの子が…』

そう言って美月に電話を代わってほしいとの事で電話を美月に渡してしばらく喋っていた。


『お母さんなんて言ってた?』


『心配してた…』


『それだけ…?』


『うん!』


そう言って笑っていた。何度この無邪気な笑顔に救われてきただろう

この笑顔を見てしまうと僕も安心しきってしまい何も考えなくなってしまう。


その日、僕は職場で美月の事を色々聞かれて

周りがあまり理解が追いついていない様子だったが困ったらいつでも言ってねと言ってもらえたりした。


少し気が楽にもなった仕事を終え帰宅すると


美月が『おかえり!』と元気そうな様子でいた『ただいま!』と返すと


美月のお母さんの幸子さんも

『あーらダイトくんおかえりなさい。一日

ご苦労様です』と返してくれた


美月のお母さんが家にいる事は知っていたし朝も『美月をよろしくお願いします。』なんて言って会社に行ってるが


いざ婚約者の母親に『おかえりなさい』と言われると謎に緊張感が走る


『た!ただいまです!』なんて変な返事をしてしまった。それに対して美月は

『なにそれ!』なんて言って笑っていた


それに釣られて僕も幸子さんも笑っていた。

やはり美月がいるだけでその空間が明るくなる


美月のご両親の住む場所が車で5分程度の場所という事もあり

ひと段落した後に家に送ろうとしたら

今日は泊めさせてもらえないかと言われ


美月のお母さんはその日、家に泊まってもらう事にした。


美月が寝付いた23時ごろ幸子さんも65歳でありながら23時まで起きてるって元気だなとは感じていたが


幸子さんから『ちょっと…いいかしら…』

と美月が寝た部屋から一番遠くのリビングに僕は呼ばれた。



『は!はい!』と何だろう…と思い幸子さんの元へ行くと


『まずは今日一日お疲れ様ですね…』と挨拶を受けてから


『今日、美月と過ごしてみて分かった事がありました。そんなに私が思っていた以上ではなかったので安心しました』


『はい…』


『ただこれから先、あの子はこの症状が悪化して私の事も大翔さんの事も思い出せなくなります…』


『はい…』


『本当に素敵な人に出会えたんだな…って思うんです…』

そう言って突然幸子さんは泣き出してしまった


65歳のお婆ちゃんの涙だ。なかなか見る事が無いので僕も凄くその姿に驚いたし心には感じたことのない痛みが走った


すると幸子さんは『でも…いつかあの子は大翔さんの事を忘れてしまうんです……

大翔さんは大翔さんの人生を歩んでもらえないでしょうか……?』



幸子さんは涙を流しながら僕にそう言った。


美月から離れて違う女性を探した方が良いと言う事を幸子さんは僕に話しているのだろう。




自分にはそんな選択肢は無かった。



そして美月のお母さんからそんな選択肢を

提案されるとも思ってもいなかったので

言葉を失ってしまった。



言葉を失ってる間に目の前が歪んでいる事に気づいた

多分、自覚は全くないが僕は今、泣いている



『でも…でも…!』と夢中になって目の前がモザイクで歪む中、必死で探した。どうしても幸子さんに見せたいものがあったからだ



『でも…美月さんのお母さん…でも僕…』

と言って美月に渡すはずだった婚約指輪を見せた。




『えっ……なに!……そうだったの……!?』

と、幸子さんは驚いた様子を見せた。


幸子さんは膝から崩れ落ちて泣いてしまった


『近々ご挨拶に伺い美月さんのお母さんやお父さんに結婚の了承を頂きに参ろうと思っていました…その矢先の出来事です…』

僕はそう伝えると


『うぅ……うううう……』と幸子さんは

美月が起きないようになのかこんなにも声を押し殺し娘への気を遣って泣く姿に


人生で一番辛い瞬間に今、僕はいるのだと

感じた。



『どんな事があろうと僕は美月さんを守ってみせます!』


そう言うと幸子さんも涙ながらに


『もう少し若い二人の歩みを見させてください…私は…今は何も考えられません…すみません……』そう言って幸子さんはその日は眠ってもらった。

顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。



僕は眠れずにいた。美月と幸子さんはさすが親子だ失礼な事を言うが幸子さんも変な寝相で寝る。


親子だなぁ…なんて呑気に思っていると僕も勝手に眠っていた。


次の日、幸子さんは自宅に帰った


美月や僕も事前に社長や美月の上司などに

相談していた美月の仕事復帰をする日がやってきた


僕は仕事で各地に行っていたので美月の様子は分からなかったが事務所に帰り美月の上司に美月の様子について話を聞くと


『確かに少し忘れだったり間違いが多いけど全部メモする癖がついたからそこまで支障はないですよ!』との事だ


美月の上司と僕はこの会社に入ってほぼ同期なので比較的話しやすかったりもするので

少し面倒を見てもらえないか頼んだら


『構いませんよ!』と言ってもらえた。


美月も『すみませんほんと…』なんて申し訳なさそうにしていた


美月の仕事は週に3回くらいで復帰する事にした


それから家に帰っても美月は何でもかんでも付箋にメモをして色々な箇所にペタペタ貼り付ける


付箋の量をしっかり数えるとかなりの数だという事に気づき


症状の悪化はこれ以上に進行していくのだと


付箋の数は日に日に増えていくのだろうな…と思うと少し心が苦しかった。

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