花束のような笑顔


 それからというものの指輪は1ヶ月の月日の中で購入した。

毎日、午前0時を過ぎても2人で調べ続けて

あれでもない…これでもない…となっていた


『実物を見てみないと分からないよねー』

と話し合っていると美月は

『もう、何にしたらいいか分からなくなっちゃった!』なんて言い始めたり


突然『これがいい!』と言ってきたものを見に行ってその指輪に一目惚れしたり


最後は結局、直感で選んでいた

あれだけ悩んだのにね


婚約指輪は給料3ヶ月分…なんて言葉をよく耳にするけど3ヶ月分までもいかないくらいの指輪しか買えなかったけど


それでも美月は目一杯に喜んでくれてそれを見た僕も嬉しくて

この瞬間も一生覚えている光景なんだろうと

目に焼き付けた


指輪への刻印は勝手に僕が決めた

『anoi』



『アノイ?なにそれ?』彼女は指輪の刻印を不思議そうに眺めていた



彼女にプレゼントするものなのに半ば強引に勝手に僕が刻印を決めた。嫌がれると思っていたけど


僕がどうしても刻印したい言葉だった。

反対されてもワガママ言ってまでも入れようと決めていた。


だけど彼女は『別にいいよー』と言ってくれていた


彼女が気に入っているのは指輪の中央に綺麗に輝くダイヤモンドだ。


色んな角度から見てもキラキラと

どこから光を拾い反射しているのかもわからない本当にこんな輝きを見た事がなくて


『わぁ…綺麗…』と美月はそれしか言わなくなっていた。



が、しかし美月へ指輪をプレゼントしプロポーズをするのは付き合って1年経った後と決めていた


お互いのタイミングで本当に大切な日に渡せたら良いなと考えていた。


なので購入した指輪は一度こちらに返してもらった。



美月は満足そうな顔で喜びが全身に行き渡ったような笑みでこちらを見ているからこっちまでも嬉しくなる


『ダイちゃんありがとうね!大事にするからね!家宝だね!』

そう言ってくれて

僕も『そうだよ、大事にするんだよ』と返した


その瞬間もしっかりと幸せを感じていた


そしてさらにサプライズで美月には目を瞑ってもらった


『目を開けて』そう言うと美月は僕が用意した物を見て

『わぁ!!いいの!?』そう言ってくれた


用意したものは婚姻届だ

パソコンからダウンロードして印刷をした

可愛いデザインの婚姻届だ


『時間がある時に書き方を勉強しながら一緒に書こうよ!』と言って約束をした

美月も『そうだね!わぁ…嬉しい…』と目を輝かせていた。


嬉しくて美月は手で口を押さえていた。

部屋に差し込む陽だまりが照らした空気中の埃がキラキラ光って見えた。


その光は一つに集まりやがて優しく温かい

思い出に変わるような 


そんな感覚を感じたそれは得体の知れない初めて感じた感覚だった。そのせいか不思議と言葉を失っていた。



1年記念までもう少しのある日の事



ここ数ヶ月間、美月の帰りが遅い事を気にしていた僕は

『最近ずっと帰り遅いよね』という話をすると美月は


『んーなんかボーッとしてると道間違えちゃうんだよねー』と笑いながら言っていた。


会社から家までは自転車で10分程度だ。

職場の近くに住んでいるし


お互いが昔から慣れ親しんでいる地域だ

道に迷うというのはあまりに不自然だったし


会社から出て2時間後に帰宅する時もあるし

どこに寄ってたか問うとどこにも寄ってないと言う



初めは僕も気にしなかったがさすがにおかしいと確信した日があった



夜中に一緒に眠っていた寝室で彼女は突然

カーテンをバッ!と開けて


『あっ、間違えた』


と言った


彼女がベッドから起き上がった時点で僕は目が覚めていた。


トイレに目覚めたかと思っていたからカーテンをバッと開けるとは思ってもいなかった


これはあまりにも予想外の出来事で驚きが隠せなかった


『なに!?どうしたの!?夜中だよ!?』


そう言うと

『なんでだろう…最近ずっと変だよね…』そう言って

泣き出してしまった。



……さすがにおかしい…

疲れてるだけとも思えなかった。



そう思い美月が眠るまで僕と美月が結婚したらこんな家に住もうとか子供は何人がいいな

とか


でも子供を作るとか作らないはたくさん話し合わないとね。もう美月だけの身体じゃないからねとかそんな将来の話に強烈な安心をお互いで感じて美月が眠るのを待った。


眠ったのを確認して僕は朝になるまで美月の変わった様子についてネットで調べた。

そしてどこの病院に行くべきかも調べた


次の日、僕は会社に美月の休みと僕も休む事について話をした。


すると事務担当の美月の上司から

『小野沢さん?そう…最近様子おかしいなと思っていてねぇ…』そう話していた。


会社の社員達も僕と美月が交際している事は知っていたので察してくれたのだろう


そして会社の人達から見た美月はもう1人では病院に行くのが困難だと感じていたのかもしれない


病院に向かう前の身支度も美月は服をどこに入れたのか

靴下はどこか?一つ一つの動作の遅れに


『疲れ』だけでは片付けられない何かを感じていた


病院に到着するまでの車内でも美月は無言だった。少しでも緊張が解れたらいいと思ったからたくさん話した


無理矢理笑って元気に返事はしてくれているけどこれ以上気を遣わせるのはやめようと思い僕も話をかけなくなった。


病院に到着して数十分待った後に脳のMRIや脳の萎縮など診断し脳の動きや血流の低下などを調べる必要があった


そして僕が前日にメモに書き込んだ最近の

美月についてメモを見ながら先生と話した。

彼女も少し質問を受けてそれに答えていた

下された診断結果は



『若年性アルツハイマー型認知症』の疑い


もう少し様子を見る必要もあるそうだが

先生の口ぶりを聞いているとほぼ確定だろう。


30代での発症は稀なせいもあってか先生も少し戸惑った様子を感じた。

 

美月を病院に連れて行く前日にネットでも見た病名だ。若年性となると主に40代50代が多く


調べると30代での認知症の例は情報が少なく

まさか自分の婚約者がなるとは思いもしなかった。



その後、僕らは病院を後にした。



2人は車に乗り家に帰る途中で昼食を食べる場所を探していた。美月はパンケーキが食べたいと僕に少し明るく振る舞っていた。


僕は『そうだねわかった、行こう!』と言いつつも会社の近くのパスタ料理店へ行った


この店ではパンケーキが置いていない事は知っていた。


もし美月がパンケーキを食べる事を覚えていれば食べに行こうとは思っていた。


彼女の意見よりも僕は2人が初めて出会った場所で思い出の場所でもあるこの場所に行きたかった。


これから先の未来にもし落ち込んでしまうような事があるのならば

出会った頃を少しでも思い出しながら2人で話し合えればいいと考えたからだ


店に到着し2人は店内に入り注文をして食事が運ばれてくるのを待った。他愛もない話をしていた。食べ物が届くと



『美味しいね!』美月はそう言い僕の方を見て笑っている。

それで良い。笑う門には福来るなんて言う

僕も安心して笑ってしまった。



すると少し疑問に思ったことがあった

『あれ、パンケーキ食べたがってたっけ?』


すると美月は

『あっ!そうだっけ!?食べようとしてたね!』と言い始めた。


やはりパンケーキを食べようとしていたことを忘れてしまっていたようだ。


試してしまって申し訳ない気持ちもあったが

彼女の状態を細かく知っていく必要が僕にはある


『じゃ普通にケーキ食べようよ!』と提案すると美月もそれに喜んでいた。



別に…この病気とは上手く向き合えそうだな…と

認知症は案外と難しい病気ではないんだなと

その時はそう感じていた。


会計を済ませて店から出るときに

『久しぶりだったねこの店』そう言うと


『そうだねー』と返事が来るけどなんとなく覚えていない気がしたので


『会社以外で初めて会ったのこの店だよ?』

そう言うと『うん!大丈夫、覚えてるよ!』と帰ってきた


そう言ってくれた美月に僕は安心をした。


家に着き美月が眠いと言うので眠っている間に僕は会社に美月の病気の事を報告した。


社長には直接電話をして報告をした。


社長は若くして認知症という事への理解があまり無いようにも見えた。

が、それも無理ないだろう30代での認知症の発症は珍しいケースだからだ。


だがしかし


会社を辞めてもらうというより復帰できる時に復帰してくれればいいし

嫌じゃなければ軽くでもいいからさリハビリじゃないけどたまに仕事に来てみるのもいいんじゃない?


と社長がそう話してくれた事が嬉しかった


嬉しさのあまり涙が出てしまった。

僕も少し疲れてるんだろうな


そう思い少し仮眠を取ることにした。


何時間寝たのだろう外は夕焼け空だった

近くで眠っていたはずの美月はいないので

リビングに行くと美月はキッチンにいた。電子レンジを開けている


電子レンジには醤油とごま油と紙パックのジュースを入れている


何してるのー?と聞くと

『冷蔵庫に物がありすぎて困るから移動してる。』との事だった


『それ電子レンジだよ…?』と言うと美月は驚いた様子で


『えっ!!??』と言いその事実に困惑していた


はぁ…と落ち込んだ様子を見せて美月は

その場にしゃがみ込んでしまった。


すぐに駆け寄り僕も『大丈夫だよ誰にでもあるよこんな事』と言って笑って見せた


冷蔵庫の上に電子レンジを置いているが

電子レンジと冷蔵庫を間違えるはずがないのでそれには少し驚いたが


ぼーっとしていたら間違えなくもない…いや

無理があるかもしれない…



『もうわからない…』

美月は突然そんなことを言い始めた。


『どうしたの?』と僕は美月に問うと


『大好きだったのに…わからないの!』

そう言って美月は僕を両手で強く押してから泣き始めてしまった。


『何がわからないの?』そう言う僕に美月は


『好きだった映画も好きだった場所もあなたの名前も!』と突然、怒りながら泣きはじめた


ちなみに美月の口から『あなた』と言われたのはこれが初めてだ。



『ごめんね…そうか……逆に何か覚えている事はない?』そう聞くと


『うん…好きだった…あなたの顔はわかるし一緒に暮らしてたことも覚えてるけど…好きなのに何も分からない…』と美月は言う



僕は驚いてしまった。

だからなんだ…とそう思ってしまった。


大切な何かを忘れてしまっても好きだという事さえ覚えてくれているのなら僕は充分に幸せだった。



だけど彼女は違った

『ごめんね…このままじゃ無理…』

そう言ってしばらく1人にさせて欲しいと言う話をしてきたので


その日は夕飯も食べず別々の部屋で寝ることにした。もちろん僕は眠れず若年性の認知症について調べていた。


医者の先生も言っていたけど根本的な治療薬は無く進行を抑える程度しかできないという事で


若年性は進行が早いようなので恐らく僕が

美月の認知症の症状に気づき始めた頃にはすでに症状が進行していたのだろう。


元々忘れっぽいなとは感じていたのはすでに認知症を患っていたからなのかもしれない。



数時間前に美月がいたキッチンからピーっと音が聞こえた

キッチンに行くとコンロの火がつけっぱなしの警告音だった


美月が火をつけたままにしてしまったのだろう



僕はあまり会社に時間を取られていたら

いつか今、住んでる家も火事を起こしてしまうかもしれないという恐怖感に襲われた。


介護を雇うにもお金が必要でそのお金を払いつつ生活していくにはお金が足りなくなる


自分が働かずに美月の面倒を見ているのもお金が足りなくなる


そう思った途端に

2人の未来が突然見えなくなってしまった。


次の日

僕は会社を休んで少しでもリハビリになればいいと思いとにかく2人でコミュニケーションを取るようにした


元々会話は少なかったわけじゃないが会話をして何か分かればいいなと考えていた。


喋りながらドライブしたり2人で初めて行った神社に行ったり彼女の好きなスイーツを食べに行ったりした。


今までの美月と認知症発覚後の美月との微かな違いに気づけるように敏感に細かく様子を見ながら会話をした



1日を通して美月の事を気にしながら見て

そして美月、本人からも直接聞いたりして分かった事は



幼少期の事は覚えているけど一緒にいた人の名前は?場所は?と聞かれると分からない

お父さんがいたお母さんがいたというのは分かるようで名前だけが出てこないそうだ


映像や景色はハッキリ覚えているようで

最近の記憶よりも昔の記憶の方がよく覚えているようだ。


父、母、友達や僕や上司など関係性は分かるが名前が全く出てこなかったりもう少しで思い出せそうだったりしてもそれはその日の疲れや体調で記憶の状態が左右されるそうだ



会話をしていてもあまり目立って支障は感じない。ただ昨日起きた事がほとんど喋れないだけで


そして突然ふと全ての状況を理解する瞬間があるそうで


その時は僕の名前や職場の上司の名前も全てを思い出すけど


自分が置かれている状況も理解してしまって

堪らず死にたくなるようだ。


本当にその瞬間が苦しくて辛くて耐え難いと

話していた


『死んじゃダメだよ…』


『…どうして…?』


『君は僕のお嫁さんになる人なんだから。

これからも一緒に生きていくんだよ?』



彼女は少しだけ照れた後


『そうだね…!ごめんね!』

そう明るく笑ってくれた。



『忘れちゃってもいいよ!何回でも言うよ!

美月は僕のお嫁さんになるんだよ!』

そうやって僕は元気に返すと


また『フフっ』なんて笑って返してくれた。


相変わらず美月が笑うと周りの眠っていた

植物達が一気に花を咲かせるような

そんな感覚に陥る








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