第7話 見守られた災厄

 ◆◆◆


 彼女は、

 アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、

 アフロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、

 ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。


 そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて、ひとつの「箱」を持たせ、プロメーテウスの弟であるエピメーテウスの元へ送り込んだ。


 ◆◆◆



 礼拝所を出て、廊下を左に進むと、書斎があった。

 いかにも古びた本棚に、これまた古びた本が収まっていた。

 ここはずいぶん前にできた建物のようだ。


「お菓子をもらったんだから、帰るぞ。ったく、そもそも業務中にこんなところで油を売っている暇は無いんだ」


「事件が先輩を呼ぶんですから、ここでも何か事件が起こるかもしれないじゃ無いッスか」


「何かってなんだ」


「密室事件とか」


「密室事件だぁ?」


 どこが密室になるのだ。礼拝室もこの書斎も、鍵はかかっていない。唯一入り口が謎の人力オートロックになっていたくらいで、どの部屋も行き来可能だ。事件が俺を呼ぶのもいいが、そろそろちゃんとした密室事件にお招きいただきたいところだ。


「ほら、こっちに部屋がもう一つあるみたいッスよ」


「教会を探索したからって、遺体があるわけじゃないんだぞ」

 俺たちの仕事は捜査一課、つまり俺を呼ぶ事件とは殺人事件のことをいう。そんなもの、わざわざ探索して見つけるようなことでも無い。


 そんな小早川はさっさと先に行ってしまったので、仕方なく後をついて行くことにする。


「これは……物置ッスね。よっこらせっと」


 先ほどの廊下を戻って、右手奥の突き当たり、トイレの横にあったのは、8畳ほどの物置だった。


 先ほどの本棚と比べものにならないくらいの、これまた古めかしい絵画や木箱が積み重なっていた。


 そしてその空間に異質なものが存在感を放っていた。

 物置の奥。天井近くにある窓のちょうど真下に位置するところに、人一人が入れるほどの形の箱があった。

 箱の表面には手の込んだ装飾が施され、明らかに何かとても貴重なお宝が中に入っていそうな雰囲気だった。


 ……が、小早川はそんな詩的表現になんとも思わなかったようで、その箱に腰を下ろして、もらったお菓子を食べ始めた。

 やはり握りつぶしていたらしく、封を開けたら粉がぼろぼろと落ちた。


 おい、汚くするな。家に帰ってから食べろ。

 って、俺はお前の保護者じゃないんだぞ。


 小早川をどかしてから、例の箱に向き直った。


 カギのようなものは見当たらないようだ。

 その箱は棺桶のようにも見えるが、宝箱のようにも見えた。


 俺は身体が勝手にその箱を開けようとしていた。


「なりません!!」

 ビクッとなった。振り返るとそこには一人のシスターが立っていた。

 大聖堂にシスターがいるのは当たり前だよな。


「その箱は『パンドラの箱』。開けるとこの世に災いが放たれてしまうという災厄の箱です。決してその箱を開いてはなりません」


「だとしたら、どうしてこのような箱が、大聖堂の中にしまわれているんだ?」

 至極もっともな質問だろう?

 神様が見守っているこの大聖堂に、災いの箱があるなんてな。


「私たちは生きている限り、欲に囚われてしまいます。楽をしたい。休みたい。お金を得たい。好きな人と共にありたい。それはそれで良いことですが、時に他者を傷つけてまでそれを成し遂げたいと思ってしまう。私たちにとって欲とは原動力でありながら、他者を傷つけるトリガーでもあるのです。欲をコントロールしなくてはなりません。それがこの箱の存在意義です」


「この箱を開けたくても開けることの無いまま過ごすことが、そのトリガーを抑えるための、もう一つのトリガーだと?」


「はい。このパンドラの箱は、全知の神が作りし物。とても魅力的な外見をしているこの箱は、中身もまたとても魅力的な物が入っているようにも見えます。しかし、絶対に開いてはならないのです。それは神が私たちに与えた試練なのですから」


『絶対に開いてはならない箱』、『災いの箱』をこの大聖堂に置く意味か。分かるようで、分からない話だな。


「自己紹介が遅れましたね。私は和沢井わざわい 葉虎はとら。ここでシスターをしています。どうぞよろしく」


「俺は髭宮。刑事だ。こいつは部下の小早川」

「ええ、存じております。小早川さんは二ヶ月に一度、ここに来られますから」


 お菓子目当てに律儀に通っているんじゃ無い!!

 と小早川に喝を入れてやろうとしたそのとき、物置の扉が開いた。


「シスター! 司祭がどこにも見つからないんだ!!」

 線の細い青年が扉から雪崩れ込むように部屋に入ってきた。

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