リポグラム加工前

第6話 見縊られた刑事

 ◆◆◆


『プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えたことに怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命じたという。


 ヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女(パンドラ)にあらゆる贈り物を与えた』


 ◆◆◆


「先輩! 先輩の力を借りたいんです! 今から言うところに来てください!!」


 部下の小早川にこんなことを言われたのは初めてだった。

 俺は警始庁捜査一課の刑事、髭宮ひげみや

 事件が俺を待ち、俺は事件を待ち焦がれる。

 事件が無いに越したことはないが、灰色の脳細胞が左目に伝達し時折うずくのであった。10月半ば、風が寒くなってきた頃、後輩に力を貸すときが来たようだ。


 できの悪い後輩、小早川に言われた場所にいくと、そこには大きな十字架が掲げられた建物が見えた。

 看板には『ピトス大聖堂』と書かれていた。


 厳かな建物。神に仕えし人々が集う場所。

 神様に頼ったことの無い俺がかつて訪れたことの無い場所だった。


 外からは中の様子はわからない。すでに小早川は到着しているのだろうか。駐車場はシンと静まりかえって人の気配はなかった。



 俺は入り口の扉を掴んだが、びくともしない。

 すると奥の方からくぐもった声が聞こえた。


「合い言葉は? 『山』」

 と聞かれたので、咄嗟に『P』と答えるとその扉は開いた。


 密室は開かれ、招かれざる客は招かれた。

 まだ見ぬ犯人よ、この俺をこの敷地内に入れたことを後悔するがいい。

 ……まだ被害者も見ていないが。



『ピトス大聖堂』の中に入ると、背後で扉は再び閉まった。

 俺はいつものように、開口一番異議を唱えた。

「おい! 小早川!! 警始庁の生ける伝説! 我が国の無形文化財であるこの俺がお前に力を貸しに来てやったぞ!」


 礼拝をしがちな厳かな部屋の柱の奥から小早川が姿を現した。

 部下の小早川は俺の顔を見ると、口の前に人差し指を出して「しぃ~っ」と言った。

「先輩、あまり大声を出さないでください。ここはそれはそれは霊験あらたかな、本来先輩が来てはいけないような恐れ多い場所なんですよ。でも来てくれてありがとうございます。おかげでお菓子を二つゲットできます」


「は?」


 小早川は俺に近づき、ひっそりとした声で言った。

「実は月に一度、このピトス大聖堂では外部の一般人を呼んで『見学会』を行っているんです。その見学会に来ると、お菓子のおまけをもらえるんです。先輩が来てくれれば、そのお菓子を2倍もらえますから、お願いしたんです」


 俺は小早川の頭をはたいた。はたきたおした。

 俺はそのお菓子のおまけのために警察署からわざわざ馳せ参じたとでも言うのだろうか。


「ようこそお越しくださいました。我がピトス大聖堂へ」

 野太いが芯がしっかりしてよく通った声が聞こえたので振り向くと、そこには俺より少し年上くらいの男性が立っていた。

 衣服は神に仕えていそうな出で立ち。彼の背後にあるステンドグラスに差し込む光が、何か彼に不思議な力を与えているようにも見えた。

 気のせいだろう。


「私はこのピトス大聖堂で司祭をしています。雷々亭らいらいてい 是雄と申します。今日は月に一度の『見学会』にようこそいらっしゃいました。ここ、礼拝室は神への祈りを皆で行うことができる場所です。他にも神のありがたいお言葉や歴史を学ぶことができる書斎があります故、是非観覧していってください」


「は、はい」

 小早川は雷々亭氏の天然の威圧感に恐れをなし、先ほどもらっていたお菓子を手の平で握りつぶしてしまっていた。

 初対面の我々にもわかるくらい、雷々亭氏の声色と視線にはある種の威圧感のような者が含まれている気がした。


 彼に見られているだけで、神に見守られているような。

 彼に見られているだけで、神に見放されているような。

 彼に見られているだけで、神に見殺されているような。


 錯覚。


 彼の目線からは、痛くもない腹を探られているような嫌な嫌悪感を感じとっていた。

 といっても、それは一瞬のようで、彼の柔和な笑みから、先ほど感じた威圧感はどこかに消えて見えなくなっていた。


「俺は警始庁捜査一課のエース、髭宮だ。こっちは部下の小早川」


「神は言いました。『汝、人を殺すなかれ』と」


 それは神じゃなくて、お前が、だろう? 彼の口ぶりは、神を騙っているかのようだった。


「この大聖堂の中にいる人間を、神は見てらっしゃいます。人殺しだけが罪ではありません。何人も心に神を写し、己自身を見守っていただく。それが清く正しい行動を行える指針なのです」


「あんたの考えは素晴らしいが、人はそれでも罪を犯す。それを取り締まるのが俺たちだ。罪人は人にあらずか? それでも人は人、生きている限り、最低限のルールには従ってもらわなければならない」


 俺はにやりと笑った。

「ここであなたたちが仕事をすることはないでしょう。ゆっくりとお過ごしください。書斎には神の教えや歴史について学べるでしょう」


 司祭は俺たちに背を向けて部屋を出た。


「正義は別の正義ってか」

「なんか、ここだけ見ると別の小説みたいッスね」


 小早川の頭をはたき、俺は礼拝室を出た。

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