第2話 見守られた災厄

 ◆◆◆


 彼女パンドラは、

 アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、

 アフロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、

 ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。


 そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて、ひとつの「箱」を持たせ、プロメーテウスの弟であるエピメーテウスの元へ送り込んだ。


 ◆◆◆



 礼拝室を出て、部屋と部屋をつなぐホールを出て左に進むと、書斎があった。

 いかにも古びた本棚に、これまた古びた本が収まっていた。

 ここはずいぶん前から使われている建物みたいだ。


「お菓子をもらったんだから、帰るぞ。ったく、そもそも仕事の時間内にこんなところで油を売買している暇は無いんだ」


「事件が先輩を呼ぶんですから、ここでも何か事件が起こるかもしれないじゃ無いッスか」


「何かってなんだ」


「密室事件とか」


「密室事件だぁ?」


 どこが密室になるのだ。礼拝室もこの書斎も、鍵はかかっていない。ただひとつ入り口が謎の合い言葉オートロックになっていたくらいで、どの部屋も入れる。事件が俺を呼ぶのもいいが、そろそろちゃんとした密室事件に招いて欲しいところだ。


「ほら、こっちに部屋がまだ一つあるみたいッスよ」


「チャペル内を探索したからって、遺体があるわけじゃないんだぞ」

 俺たちの仕事は刑事、つまり俺を呼ぶ事件とは殺人事件のことだ。そんなもの、わざわざ探索して見つけることでも無い。


 しかしそんな小早川はさっさと奥に行ってしまったので、仕方なく後をついて行くことにする。


「これは……物置ッスね。よっこらせっと」


 また部屋と部屋をつなぐホールに戻って、右手奥に位置するトイレの横にあったのは、8枚のたたみを敷いたほどの広さの物置部屋だった。エアコンが暖かい風を排出している。


 書斎の本棚とは比べものにならないくらいの、これまた古びた絵画や荷物の箱が積み重なっていた。


 そしてその部屋に特に異質なものが存在感を放っていた。

 物置の奥。天窓のすぐ真下に位置するところに、人一人入っても問題ないほどの形の箱があった。

 箱の外部には手の込んだ絵が彫られ、飾りが施され、何かとても価値の高いお宝が中に入っていると誰もが思わされる箱だった。


 ……が、小早川はそんな異質な箱に何も思わなかったみたいで、その箱に腰を下ろして、もらったお菓子を食べていた。

 やはり先刻せんこくお菓子を握りつぶしていたらしく、袋を開けたらカスがぽろぽろと落ちた。


 おい、汚すな。家に帰ってから食べろ。

 って、俺はお前の保護者じゃないんだぞ。


 小早川をどかしてから、例の箱を再び一度観察した。


 カギの類いは見当たらないみたいだ。

 その箱は宝箱の如く見えるが、棺桶の如くにも見えた。


 俺は身体が勝手にその箱を開けんとしていた。


「なりません!!」

 突然叫ばれ、身体がビクッとなった。振り返るとそこには一人のシスターが立っていた。

 チャペルにシスターがいるのは不自然なことではない。


「その箱は『パンドラの箱』。ひとたび開けるとこの世にわざわいが放たれるとわれのある災厄さいやくの箱です。決してその箱を開いてはなりません」


「だとしたら、何故こんな箱が、チャペルの中にしまわれているんだ?」

 至極もっともな質問だろ?

 神様が見守っているこのチャペルに、災いの箱があるなんてな。


「私たちは生活している限り、欲に囚われてしまいます。楽をしたい。休みたい。お金を得たい。愛する人と共にありたい。それはそれで良いことですが、場合によっては他者を押しのけてまでそれを成し遂げたいと思ってしまいます。私たちにとって欲とは願いでありながら、他者を害するトリガーでもあるのです。欲をコントロールしなくてはなりません。それがこの箱の存在意義です」


「この箱を開けたくても開けることの無いまま過ごすことが、そのトリガーを抑える、もう一つのトリガーだと?」


「はい。このパンドラの箱は、全知の神が作りし物。とても魅力のある外見をしているこの箱は、中身もまたとても魅力のある物が入っているかに見えます。しかし、絶対に開いてはならないのです。それは神が私たちに与えた試練なのですから」


『絶対に開いてはならない箱』、『災いの箱』をこのチャペルに置く意味か。分かるようで、分からない話だな。


「名乗るのが遅れましたね。私は和沢井わざわい 葉虎はとら。ここでシスターをしています。よろしくお願いします」


「俺は髭宮。刑事だ。こいつは部下の小早川」

「ええ、存じております。小早川さんは二ヶ月に一度、ここに来られますから」


 お菓子欲しさに律儀りちぎかよっているんじゃ無い!!

 と、小早川に喝を入れるその間際、物置部屋の扉が開いた。


「シスター! 司祭がどこにも見つからないんだ!!」

 線の細い青年が扉から雪崩なだれ込みながら部屋に入ってきた。


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