パンドラの密室

ぎざ

本編

第1話 見縊られた刑事

 ◆◆◆


『プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えたことに怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命じたという。


 ヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女パンドラにあらゆる贈り物を与えた』



 ◆◆◆


「先輩! 先輩の力を借りたいんです! 今から伝える場所に向かってください!!」


 部下の小早川こばやかわにこんなことを言われたのは思えばはつだった。

 俺は警察官で、刑事事件を担っている課の刑事、髭宮ひげみや

 事件が俺を待ち、俺は事件を待ち焦がれる。

 事件が無いに越したことはないが、神の天啓が左のまなこに伝達し、たまにドクドクと脈の音を奏でるのであった。九月くがつから一ヶ月ほど過ぎると、風が寒くなってくる。小早川は相変わらずバカをやっている。

 俺の力を借りたいとは、よほど難事件が舞い込んだと見える。

 かわいい部下に力を貸してやるが、そろそろ俺がいなくてもバリバリに働いてほしいところだ。


 ぽんこつの部下、小早川に言われた場所にいくと、十字架クロスが掲げられた建物が見えた。

 看板には『ピトスオブチャペル』と書かれていた。


 おごそかな建物。神に仕えし人々が集まる場所。

 神様に頼ったことの無い俺がまだ訪れたことの無い場所だった。


 当たり前だが、外からは中は見えない。立派な扉はかたく閉ざされている。すでに小早川は現着げんちゃくしているのだろうか。エントランスはシンと静まりかえって人の気配けはいはなかった。



 俺は入り口の扉を掴んだが、びくともしない。

 すると奥からくぐもった声がした。


「合い言葉は? 『山』」

 と言われたので、咄嗟とっさに『P』と答えるとその扉は開いた。


 その密室は開かれ、招かれざる人は招かれた。

 まだ見ぬ犯人よ、この俺をテリトリー内に入れたことを恐れおののくがいい。

 ……まだ被害者も見ていないが。



『ピトスオブチャペル』の中に入ると、背後で扉は再び閉まった。

 俺はいつものごとく、すぐさま異議を唱えた。

「おい! 小早川!! 警察の生ける伝説! 我が国の無形文化財であるこの俺がお前に力を貸してやるぞ!」


 礼拝をしがちな厳かな部屋の柱の奥から小早川が姿を現した。

 部下の小早川は俺の顔を見ると、口の前にインデックスフィンガーを出して「しぃ~っ」と言った。

「先輩、あまり大声を出さないでください。ここはそれはそれは霊験あらたかな、本来先輩が足を踏み入れてはいけない恐れ多い場所なんですよ。でもありがとございます。おかげでお菓子を二つゲットしました」


「は?」


 小早川は俺に近づいて、ひっそりとした声で言った。

「実は隔月かくげつで、このピトスオブチャペルでは外部の一般人を呼んで『見学会』を行っているんです。その見学会に来ると、お菓子のおまけをもらえるんです。先輩が参加すれば、そのお菓子を2倍もらえますから、お願いしたんです」


 俺は小早川の頭をはたいた。これでもかとしこたまに。

 お前がそのお菓子を欲しいってだけで警察署からわざわざ馳せ参じたってのか。俺は。

 力を借りたいって簡単に先輩を呼び出すんじゃ無い!! 暇ではあったがな。


「遠い場所からわざわざお越しくださいました。このピトスオブチャペルへ」


 野太いが芯がしっかりしてよく通った声がしたので振り向くと、そこにはよわい五十路いそじほどの男性が立っていた。白髪交じりの髪はかっちりと整っていた。


 白き衣をまとい、姿勢正しく佇む様はまさしく司祭。彼の背後にあるステンドグラスに差し込む光が、彼の左手のリングフィンガーにはまっていたリングに反射した。ステンドグラスの色鮮やかな光が彼に何か不思議な力を与えている。錯覚かな。

 それはなんとかのせい、森の精ってやつだろ。


「私はこのピトスオブチャペルで司祭をしている、雷々亭らいらいてい 是雄ぜおすといいます。本日は隔月開催される『見学会』によくいらっしゃいました。ここ、礼拝室は皆で神へ祈る場所です。他にも神のありがたいお言葉や歴史ヒストリーを学べる書斎がありますので、是非観覧していってください」


「は、はいッス!」

 小早川は雷々亭氏の威圧感に恐れをなし、もらっていたお菓子を手の中で握りつぶしてしまっていた。食べづらくなるぞ。

 会ったばかりの我々にもわかるくらい、雷々亭氏の声色と視線にはある意味、威圧と捉えられるものが含まれていると見えた。


 良く言えばカリスマ性。

 悪く言えば悪魔。まさか、神? なんてな。


 彼に見られているだけで、神に見守みまもられているごとし。

 彼に見られているだけで、神に見放みはなされているごとし。

 彼に見られているだけで、神に見縊みくびられているごとし。


 彼の視線からは、痛くもない腹を探られているかの不快感を感じとっていた。

 といっても、それはほんの少しの間。転じて彼の柔らかな笑みからは、少し前に感じた威圧感はどこかに行って見えなくなっていた。


「俺は警察刑事課のエース、髭宮だ。こっちは部下の小早川」


「神は言いました。『汝、人を殺すなかれ』と」

 それは神じゃなくて、お前が、だろ? 彼の口ぶりは、まるで神を騙っているかのごとく何にも気取けどられずに怯えることなく物語る。物騙ものがたる。神の言葉を借りているのに、そこに遠慮は感じなかった。


「このチャペルの中にいる人間を、神は見てらっしゃいます。髭宮さん。刑事のあなたならご存じかと思いますが、人殺しだけが罪ではありません。何人なんぴとも心に神を宿やどし、己自身を見守ること。それが清廉せいれんで潔白な、正しい生活を営むひとつの指針なのです」


「あんたの考えは素晴らしいが、人はそれでも罪を犯す。それを取り締まるのが俺たちだ。罪人は人にあらずか? それでも人は人、この世界に生活している限り、最低限の法律ルールには従ってもらわなければならない。それができなければ、俺たち警察の仕事だ」


 俺はにやりと笑った。司祭は首を縦に振った。


「ですね。ここであなたたちが仕事をすることはありません。この聖なる庭で安らぎ、癒やされてください。書斎にて神のお言葉に耳を傾けられてはいかがですか? では」


 司祭は俺たちに背を向けて部屋を出た。


「あくまで自分の言い分を曲げないってか」

 チャペルに身を置く者としたら当たり前か。


「なんか、ここだけ読んでいると社会派ミステリーみたいッスね」


 小早川の頭を再び叩いた俺は、礼拝室を出た。

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