第80話 荷馬車のまにまに


「お祭りのなかに王都からわざわざ王女様がアビシュリに来るってこと?」

「う、うん。そ、そうなんです」


 アビシュリの街を出て早一時間。

 僕とセレーナさんとアイちゃんはセレーナさんの故郷のあるドローミ高原方面へと向かうという行商人の馬車の荷台に乗せてもらい、ゆらり揺られて何とものんびりとした旅路を満喫していた。おまけに天気は快晴。風もなし。まさに絶好の旅日和というやつだ。


 なんでもセレーナさんの故郷であるパストレ村までは荷馬車でも2日間かかるそうで、その間あまりに持て余す時間を利用して僕はライサさんに言われた『王女様がくる日』についてセレーナさんに窺ってみた。


 それによると大戦中、アビシュリの街が魔王軍の襲撃にあった際、それを見事撃退したことを記念して毎年この時期に5日間『勝利祭』なるものを行うとのこと。そして毎年その勝利祭の3日目に王室から王女様がアビシュリにやってくるのが通例となっているそうでかなり盛大なお祭りらしい。


「あ、でもパストレ村まで片道2日間ってことは勝利祭には間に合わないのかな?」


 せっかく異世界に来て初めてのお祭り行事だったので是非この目で見てみたかったものだが、う〜ん。やむ無しか…。


「たしか勝利祭の開催期間まであと4日間はありますから帰ってからでも何日かは見て回れると思いますよ」


 ふぅ。どうやら間に合うようだ。

 それはそうと僕にはお祭りよりも、王女様よりも気になることがあって…、


「それでセレーナさん、そろそろ慣れてくれないかな?」 

「わ、わかってはいるんですよ。頭ではわかってはいるんですけど、ただ、まさかこれほどチャコさんが男性の役がしっくりくるとは思っていなくて、緊張しちゃう…」


 僕はアビシュリを出てからまだ一度もセレーナさんとは目が合っていない。

 気持ちは分かる。僕だって初めてファビーリャ女学院に潜入する羽目になった時は誰とも目を合わせたくないと思った。


「でもセレーナさんがそんなにたどたどしいとせっかく僕が堂々としていてもすぐにご両親に怪しまれちゃうよ」


 今日僕はヘリウの飴を舐めていない。つまり今は完全な地声の『茶太郎』そのものなのだ。もちろんセレーナさんには「ヘリウの実は食べた」とは言っている。

 ただ普段女性声で話している人と地声で話すというのは若干の気恥ずかしさを覚えたものの、慣れてしまえばこっちこそが本来の自分なのだからちゃんと女性としての振る舞いさえ疎かにしなければいつもより何倍も気楽だった。


「うぅ…こんなことならもっとお店で男の人と話す練習してくればよかった」


 顔を赤くしながら俯くセレーナさんがあまりに可愛らしくてつい僕は意地悪をしたくなってしまった。


「照れてるセレーナさんも可愛いなぁ」


 そう言って俯くセレーナさんの顎に顎クイをしてみせた。(全然そんなキャラじゃないのは重々承知しているんですけど!)


「あの、あの、あ、あ~…」


 普段絶対に出来ない『茶太郎ジョーク』のつもりだったのだがセレーナさんの顔がまるで茹ダコのように赤くなっていくのを見て「マズいことをした」と後悔した。


 最終的にセレーナさんは「ひゅぅぅぅ~」と言いながらまるで空気が抜けていく浮輪のように体をくねらせながら真横に倒れていき、荷台の上でパタンと気絶してしまった。


「あー! ちょっとセレーナさーーーん!」


 その後目を覚ましたセレーナさんはしばらく僕と口を利いてくれなかった。



――――――――――



 まる一日をかけてたどり着いたのは『ゴンザス』という街だった。

 ここはドローミ高原の麓にある比較的大きな街だそうで目的地であるパストレ村まではまた更に別の荷馬車(定期運送用)に乗り換えるそうだ。


 僕らはここまで乗せてくれた行商人さんに別れを告げ、パストレ村行きの荷馬車

に乗り換えた。


せわしなくてごめんねチャコさん、アイさん」

「へーきへーき。なんだかものすごく遠くまで旅行してる気分で楽しいよ。ねぇアイちゃんもそう思うよね?」


 僕の言葉にゴンザスで買った名物らしいスパイスの効いた骨付き肉を黙々とかぶりつきながら『コクコク』と頷くアイちゃん。


「あと、もう半日くらいでパストレ村だからもう少しの辛抱だからね」

「だからそんなに気にしなくて大丈夫だってば」


 そうは言っているのに申し訳なさそうに自らの頬を掻くセレーナさんであったが、あることを思い出したらしく、持ってきた荷物の中からを取り出した。


「これ、チャコさん、アイさん、使って」


 そう言って差し出されたのはローブだった。それも僕が普段使うローブと違ってかなり厚手の質の良さそうな代物の。


「今はまだそんなに標高が高くないけど、パストレ村は結構高い標高だから暖かい時季でもわりと寒かったりするから」

「でもこれ真新しそうで使っちゃうの少し抵抗あるなぁ…って、もしかしてこれもセレーナさんが作ったの?」

「うん。この日のために作っておいたの」


 はにかみながらググっとローブを差し出してくるセレーナさん。

 『この日のため』ということはもうずいぶん前から僕のことを誘う計画をセレーナさんの中で立てていたようだ。


「でもアイさんのは時間の都合上『マント』になっちゃったんだけどね」


 するとちょうど骨付き肉を食べ終えたアイちゃんが自分の指を丁寧になめながら「別にいい。私、寒くないから」と言った。(さすが氷の精霊さん…。そういえばアイちゃんの声を久々に聞いたような気がする)


「えっ! それじゃぁこのマント、もしかしてアイちゃんがパストレ村に行くことが決まった日に仕上げたってこと?」

「う、うん。そうだけど。 材料はあったし、マントはフリーサイズだから結構簡単に出来ちゃうよ」


 裁縫は授業でしかやったことのない人間にとってはたった一日でこれほどのものを作り上げてしまうセレーナさんはまさに拝むに値するレベルの人物だった。

 

 僕は差し出されたローブをありがたく受け取り、パストレ村への荷馬車へと乗り込んだ。



――――――――――



 荷馬車はどんどんと山道を進み、徐々に傾斜もきつくなっていった。

 心なしか空気も薄くなってきたような気がする。


 時刻は夕刻。

 僕らを囲うようにそびえ立つ遠くの山脈の山頂付近は少しずつ赤く染まり『夜』というものが意識し出した頃、僕はセレーナさんの言っていた「暖かい時季でもわりと寒い」という言葉の意味を身をもって知る。


「さ、寒い」


 徐々に気温も下がり、荷馬車という特性上、風よけとなる壁もないため僕らはもろに風に当たってしまう。

 僕はたまらずセレーナさんからもらったローブにさっそく袖を通すことにした。


「あぁー、暖かい」


 サイズ良し。着心地良し。暖かさ良し。デザイン性良しの完璧なローブだった。

 これを作るのに一体どれほどの手間をかけさせてしまったんだろうと思うと改めて僕がこの旅でセレーナさんに期待されていることをしっかりとしなくてはという使命感が沸き上がってきた。


 それはそうと…、


「ほらアイちゃんもこれ羽織ってごらんよ」

「別にいい」


 う~ん。さすが相変わらずのクールビューティーぶりだ。

 でも僕にはアイちゃんにどうしてもマントを羽織ってもらいたい事情があった。


 だってアイちゃん薄着なんだもん。見てるこっちが寒々しいよ。


「まぁまぁそう言わずに」


 なのでお節介だとは思ったけれど僕は無理やりアイちゃんにセレーナさんのマントを羽織らせてしまった。


「うん。よく似合ってるよアイちゃん」

「…………」


 少し困惑しているようだけれど、まんざらではなさそうだった。そして何よりもマントを贈ったセレーナさんの表情が安堵していたのでこの件は良しということにしておこう。


 直近の懸案事項もなくなり、心の余裕から不意に辺りを見回すとそこには信じられない光景が広がっていた。


「…雄大だなぁ」


 荷馬車の上から望む朱色に染まり出した遠くの山脈。

 アルプスでないことは百も承知しているのだが、目の前に広がる景色はまさに観光雑誌に載っているようなアルプス山脈のよう景色だった。


 この世界に連れて来られた日に見た『ふたつの月』を見た時のような「本当に遠いところに連れて来られてしまったんだ」という感じに近しい感覚はあるけれど、あの時感じた絶望感はまるでなく、この景色を楽しむ余裕がある。まさに旅行者気分というやつだ。(なんて言ってしまうとセレーナさんに失礼かな)


「チャコさん」

「……っ!」


 雄大な景色を眺めてしまっていたせいで反応が少し遅れてしまったけれど、慌ててセレーナさんの方を向くと、まるで童心に帰ったように嬉しそうな表情で一点を指さすセレーナさんの姿があった。


「あそこがパストレ村だよ」

「ん? どれどれ」


 そこにあったのは小さな集落と大きな草原と…、


「おぉー、ようやく着いたんだ!」

「はい! ようこそチャコさん、アイさん、私の故郷パストレ村へ!」


 きっとあの村が彼女にとっていかに優しかったかが推し量れるほどの友人の優しい笑顔が僕の目の前いっぱいに広がっていた。

 

 

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