第16話 勉強会 (前)


 放課後。


【う~ん? どこにいるんだろう?】


 心配するルリィさんを諭し、僕はライサリアさんがいつもいるという図書館へと足を運んだ。


 以前トイレで出会った際にライサリアさんにこの世界アテラの文字の読み書きを教わる約束を取り付けたまでは良かったが、それから何回かライサリアさんがよくいるという図書館や裏庭に足を運んでみているのだが、一度として会えたことがない。


【騙されたのかな? それにしても…】


 ものすごい数の本だ、何て言ってしまうと図書館なのだから当たり前なのだが日本にいた頃によく訪れていた市営の図書館よりも多い本がこの学院ある。それはつまりここの生徒さんたちの『学ぶ』ということに対する意識の高さの現れなんだろう。


【ん?】


 しばらく図書館の中をうろついていると今まで気づかなかったが地下へとつづく階段を見つけた。


【こんなところに階段なんてあったんだ】


 もしかしたら、なんて予感めいたものを感じた僕は恐る恐る階段を下りて行った。

 そして現れたのは古い木製の扉だった。


 その扉にはネームプレートらしきものがぶら下げられていたがもちろんなんて書いてあるかはわからない。

 一応ノックをして中に人がいるかを確認してみたのだが返事はなかった。なので、


【失礼します】


 部屋の中は図書館内と違って薄暗く、光源が部屋の上の方にある小さな明り取りの窓と弱弱しく灯るランタンくらいしかなかった…ランタン?

 ということはこの部屋に人がいるということだ。


 僕はゆっくりと部屋全体を見回すと、そこは俗に言うところの『図書準備室』のようなところだった。

 古びた本棚に古書の数々、そして部屋の隅にある年季の入った長机には見覚えのある人影。

 

【ライ…】


 僕は彼女に近づきつつ声がかけようとしたのだか、それははばかられてしまった。

 ライサリアさんはその長机に顔を伏せ、お昼寝の真っ最中のようだ。


 以前会った時の鷹の目のような眼光の彼女からは想像もつかないほどの可愛らしい寝顔。

 女性の寝顔を盗み見るなどしてはいけないとわかってはいてもそれを禁じ得ないほどの光景がそこにはあった。


【ふぅ~】


 僕は起こすことを諦め、自分から起きてもらうまで待つことにした。

 そこで近くに置いてあった椅子に腰を掛けようと椅子を引こうとしたのだがその際つま先で椅子をひっかけてしまい、鈍い音が辺りに鳴り響いてしまった。


「ん~……っ!! あんたここで何してんのよ!?」

【こ、こんにちはライサリアさん。起こしてしまってすみません。き、今日はその、先日お願いしたアテラ語この世界の言葉についていろいろと教えていただけたらなと思いまして、それで…】

「…本当に来たんだ」


 するとライサリアさんすんなりと納得したようで、座りながらも小さく伸びをしたあとで自分の座っていた椅子の位置を横にずらした。


「まぁとにかくそんなところに立ってないで座ったら?」


 許可が下りたので僕はライサリアさんの隣に椅子を持って来てそこに座った。


「で、何が分からないの?」

【…ぶ…です】

「なに? よく聞こえないんだけど?」

【全部です。単語はおろか、文字もまったく読み書き出来ないんです】

「…ほんと、ゼロからなんだ」


 ライサリアさんは一度深くため息をつくと、一呼吸してからすぐにテーブルに置いてあった紙とペンを取り、その紙に30文字の記号のようなものを書いた。


「これがこの世界の文字だから。全部覚えて、書けるようにしなさい。発音はいまから言うから一つ一つあなたの言葉でふりがなをつけなさい。それが終わったら…」

【ちょ、ちょっと待ってください】

「何よ?」

【教えてくれるのはとてもありがたいんですけど、もう少しゆっくりと教えてくれませんか?】

「は? 人の時間を割いてまで教えてあげてるんだから、あんたもちゃんと努力を見せなさい」


 確かにお説ごもっともなんですけど…。

 もっともすぎる正論に僕は反論出来ず、ただ「はい」と答えることしか出来なかった。 


 そこからの1時間は僕の人生において最も集中して机に向かった1時間となった。



――――――――――



「…まぁ、いいでしょう。今覚えた文字は絶対に忘れないよう帰ってからも復習しておいてよ。もしまた今度ここに来るようなことがあればその時は簡単な単語を教えてあげるからそのつもりで」


 艶のある黒髪をかきあげながらライサリアさんは言った。


【それって「またここに来て良い」ってことですか?】


 すると少し頬を染めながらライサリアさんは、


「そ、そのつもりだったんでしょ? 私をバカにするようでもなかったし、勉強の姿勢もまぁそれなりだったからね。同じ黒髪のよしみで少しなら付き合ってあげてもいいかなって思っただけよ」

【バカにするなんてとんでもない! バカなのは文字も読み書き出来ない私のほうなんですから】

「…ねぇ? 今更なんだけどあなたって本当に異世界から来たの?」

【そうですよ】


 まこと不本意ながら。


【シエナさんって人が変な儀式をしたせいで無理やり召還されられたんです】

「知ってるわよ。英雄シエナ様でしょ?」

【英雄⁉ あの人が⁉ あの人家ではお酒飲むか寝てるか変な実験するしかしてないような人ですよ?】

「私生活のことは私には分からないけど、あの人のやったことはとても偉大なことよ。知ってるかもしれないけどシエナ様たちのおかげでこの世界は平和になったんだから」

【…かもしれないですけど、もう魔王はいないんだか…】

「いるわよ」

【え?】


 ライサリアさんの言葉にただでさえ陽の入りの悪い部屋の涼し気な空気が更に冷たくなった気がした。


「いるわよまだ。ここにね」


 そう言ってライサリアさんは神妙な面持ちで自分の胸に手を当てた。

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