第15話 徒競走
ついにこの日が来てしまったか。
学院に通うにあたってどんな授業があるのか色々とルリィさんに聞いてはいた。
『歴史』などの座学のほかにちょっとマニアックなところで薬草など調合する『調剤学』、モンスターなどの行動パターンや習性などを学ぶ『魔物行動学』など日本ではまず学べないような科目が多々あることが判明した。
その中でルリィさんは「要注意」と喚起してくれた授業があった。それが『実習』と呼ばれるものだ。
実習とは魔法を学ぶ学問のことなのだが、このファビーリャ女学院ではひとえに実習と言ってもさまざまな授業スタイルが存在する。
例えばこの世界の魔力の源であるマナに関して学んだり、自分とは違う属性の魔法を使う際や魔道具などに用いる『魔導石』について学んだりと様々だ。
ただその中のひとつに僕の日本帰還計画に大いに支障をきたし兼ねないものがあって。それが…、
「じゃぁ次は『実技』だからな~。さっさと着替えて、さっさと校庭に集合しろよ~」
一限目の授業を終えたパルナ先生が教卓を軽く叩きながらそう言って、教室を出ていった。
「私、『地』の魔導石を使うのって初めてだからなんかワクワクしちゃう。ってチャコさん、更衣室行かないの?」
大丈夫。昨日からシミュレーションは何度もした。あとはその通りにすればいいんだ。
【先に行っててセレーナさん。私ちょっといろいろあって、あとから行くから】
「いろいろ? 私に手伝えることなら手伝うよ」
【いーのいーの。お手洗いだから先に行ってて】
セレーナさんのせっかくのお気遣いだけど申し訳ない、でもこれも作戦のためになのでどうか勘弁してください。
「そう言ってますから私たちだけで更衣室に行きましょうセレーナさん」
「え、あ、ちょっとルリィさん? じゃ、じゃぁ、あとでねチャコさん」
作戦内容を知るルリィさんはセレーナさんの背中を押しながら見事教室から誘い出してくれた(ほんと、ルリィさんには感謝してもしきれないな)。
【ふぅ】
そして僕は作戦通りトイレに向かった。
作戦内容とはこうだ。
1)トイレで魔法の実技の際に着る実習着(体操服みたいなもの)に着替える。
2)みんなが着替え終わった頃合いをみて、更衣室に着ていた制服を置きにいく。
3)授業が終わったら誰よりも先に更衣室に行き、自分の制服を回収して再びトイレで着替える。
完璧な作戦だ。
これなら僕の着替えを見られることも、僕が誰かの着替えをのぞき見ることもない。
男としてはひとつの大いなるロマンを捨てていることになるが性別バレのリスクを考えればこうするのが一番良い選択なんだ。
【さてと、そろそろかな…】
頃合を窺い、僕は更衣室へと向かった。
………。
よし。更衣室に人の気配はなさそうだ。
これならと、僕は禁断の花園へと踏み入れるとそこで僕を待ち受けていたのは信じられないくらいの甘い香りと…、
「あら、チャコじゃありませんの? 急がないと遅刻してしまいますわよ」
(あぁ、さすが良家のお嬢様。まるで白魚のような透明感のあるお肌ですねぇ…)
【って、失礼しましたーーーー!!】
下着姿のエスティさんが実技服を着ようとしているところだったので僕は慌てて踵を返し、更衣室から出ようとすると、
「お待ちなさい!」
【はひッ!】
律儀にもエスティさんの言う通りビシッと足を止めてしまった(これもお嬢様力というのだろうか)。
もちろん彼女の方を直視することのないようにあさっての方向を見ながら振り返り、【なんでしょうか?】と問うと、
「あなた風邪をひいていたそうですわね?」
きっとセレーナさん経由で聞いたんだろうけど、でもごめんなさい。それ真っ赤な嘘です。
【あー、はい。先日のお休みの日に喉を少し痛めまして】
「もう体は平気なんですの? いくらあなたが魔法が使えなくても『実技』の授業は結構体を動かしますわよ?」
【お気遣いありがとうございます。でももう完治しましたのでまったく問題ありません。それに魔法が使えない私はただじっと皆さんの姿を眺めているだけの授業になるかと思っていたので体が動かせると聞いてかえって楽しみなんです】
以外だった。
ルリィさんのことをきっぱりと拒んでいたエスティは他のクラスメイト同様、ハーフエルフやもしかしたらセレーナさんのような地方からの上京者に対しても塩対応なのかと思っていたのでまさか僕のような異世界人にそこまで気にかけてくれるとは思わなかった。
まさか本当に喫茶店の時の僕のお願いを聞いてくれているってことなのかな?
「でもあなた。顔が赤いですわよ?」
それはあなたがそんな格好でいるからです。
「まだ熱があるのではなくて?」
そしてエスティさんはあろうことかそのあられもない姿のまま僕に近づいてきた。
【だだだ、大丈夫です! お、お気になさらず】
と、声が裏返りそうになりながらも元気さをアピールしたのだがエスティさんはどうにも納得していないようで、
「気にしますわよ! だってもしかしたら私があなたをお茶に誘ったことで風邪を引かせていたのだとしたら…」
…どうして、どうしてこの人はこんなにも優しいのにルリィさんのことをあんなにも拒むのだろうか? 二人ならきっととても仲の良い友達になれそうなのに。
それともこの世界でのハーフエルフを扱いってそんなにもひどいものなのだろうか? それでエスティさんも体裁上、辛辣に接しなくてはいけないとか…。
だとしたら本当に甚だしい。ルリィさんはとてもいい子だ。何も悪くない。
だからこの世界のハーフエルフを取り巻く環境を本当に何とかしたいと思った。思ったけど、人の世話を焼くことどころか、人さまに世話を焼いてもらわなくては生きていけない僕に一体何が出来るというのだろうか。
自分への嫌悪感でさっきまでとは違う意味でのドキドキが僕を襲ってきた。
「ちょっとチャコ? あなた本当に大丈夫ですの?」
そう声をかけられてはじめてエスティさんの胸の谷間が僕の間近まで迫っていたことに気が付いた。
【ごご、ごめんなさーい!】
結局僕は羞恥に耐えきれず、持っていた制服を置き捨てるようにして更衣室を後にした。
――――――――――
「大丈夫ですかチャコさん? まだ授業始まってもいないのにだいぶお疲れのようですけど?」
【だ、大丈夫。肉体的疲労じゃないから】
「???」
校庭に集められた僕らは『実技』の授業の担任であるマルサラ先生を待ちながら歓談していると程なくしてマルサラ先生がやってきた。
「よーし! じゃぁさっそく実技の授業を始める! 今日は異世界から来た奴が初参加するみたいだから特別大サービスだ! いつもより2周増やして、校庭を5周してもらう!」
マルサラ先生の指示にクラスメイトたちは一斉にブーイングをして抗議するももちろん認められず、結局クラスメイトたちの冷たい視線を一身に浴びながら僕ら校庭を走り始めた。
【ハァ、ハァ、あの、どうして魔法の授業なのに、ハァ、長距離を走らなくてはいけないの?】
「ハァ、それは、マナ以前に体力がなければ、ハァ、戦いに勝てないからです。マルサラ先生は先の大戦で長引く魔王軍の猛攻からこの街を守り抜いた立役者の一人だと聞いています」
なるほど。だから気力や体力を養うために走らされているのか。
最初は一緒に走っていたルリィさんとセレーナさんだったけれど、3周目をむかえる頃にはだいぶ二人のペースが落ちてきたので僕は二人を置き去って自分のペースで走っていると、
「あなた、見かけによらず結構タフですわね?」
僕の横をエスティさんが並走してきた。
【見かけって私そんなに弱弱しく見えますか?】
先ほどの一件のせいでエスティさんの顔をまともに見ることが出来ず、当然のことながら僕は前だけを見て走り続けた。
「そうではなくて、とても華奢で女性らしいので勝手に運動が苦手なのかと思いましたわ」
うっ! 何たる精神攻撃…。
以前にも高校の体育の授業で友人から似たようなことを言われたことがあったが、その時はちゃんと否定出来たのに、今この状況ではそれが出来ず何ともむずがゆい。
「でもまぁ、それだけ走れていれば私の心配など杞憂に終わったようですわね」
【でしたら杞憂だったついでに私と勝負しませんか?】
もちろん内容はこのマラソンでどちらが早くゴールするかだ。
僕の言わんとすることを理解してくれたのかエスティさんはすぐに不敵な笑みを浮かべた。
「いいですわね。その申し出受けて立ちますわ」
【では今からです。よーい、ドン!】
僕の合図を機に僕ら二人のペースは長距離走のそれから中距離走程度のものへとシフトチェンジした。
競って初めて分かったのだがエスティさん、僕が思っていたお嬢様像とはだいぶ違ったみたいだ。
お高そうな喫茶店の紅茶を嗜み、絵などの美術品に興味があるものだからてっきり深窓の令嬢的な人なのかなと勝手に思っていたのだが、彼女のスプリントはほんとすごい。まだコース1周残しているのに勢いはほぼ短距離走並みの早さだ。
僕も負けじと彼女の後を必死に食らいついた。
そんな僕らの姿を見てクラスメイトのみんなも走っているはずなのになぜだか「おー」とどよめきが起こっていた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
【ハァ、ハァ、ハァ】
ちょっとした意趣返しのつもりだった。結構走るのは得意だったから。
ちょっとズルいけど男女の差を駆使してエスティさんに勝利し、ドヤ顔を見せつけようと思っていたのにこうも
レースは残り終盤、100メートルほど。
もちろん彼女はラストスパートをかけてきた。当然僕もそれに合わせて全力を出して走り切った。
そして、結果は、
「ハァー、ハァー、ハァー」
【ハァー、ハァー、ハァー】
なんとかギリギリ勝てた。
僕とエスティさんはゴール付近に座り込み、息を整えるながら遅れてゴールするクラスメイトたちのことを眺めていた。
「…負けましたわ」
そんなこと言われても結果は僅差だっただけに男としては素直に喜べない。
【いい勝負が出来て楽しかったですよ】
「私、『負け』が大嫌いですの」
確かに負けが好きな人はいないだろうけども。
「ですので次は絶対に負けませんわ!」
【私だって負けるつもりはありません】
そう言い合い、見つめ合っているうちにお互いの表情が段々と緩んでいき、最終的には二人で声を出して笑い合っていた。
そしてひとしきり笑い合ったのちにエスティさんがポツリと、
「まったく。もしあなたが魔法を使えていたら間違いなく『《アリアメント》』を申し込んでいましたのに、残念ですわ」
【ありあめんと?】
初めて聞く単語だ。
「『アリアメント』とは生徒の魔力向上のために学院が設けた模擬戦のことですわ」
そう言ってエスティは立ち上がり「ではまた。次の勝負の時まで『勝ち』はあなたに預けておきますわ」と捨てゼリフを言い残しエスティは先生のもとへと去って行った。
【…アリアメント】
結局実技の授業での僕の見せ場はここまでで魔力を持たない僕はそのあとマルサラ先生のサポートという名の雑用をすることになり、みんなが使う魔導石を配ったり、片付けたりをして過ごした。
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