第14話 とりつけた約束


「はい。流しといたわよ」

【ありがとうございます。それでその…】

「はいはい、安心して。ちゃんと目は瞑ってたから」

【に、ニオイとかも嗅いでないですよね?】


 は、恥ずかしすぎる! スカートを穿いて僕の羞恥はもう最大値に到達したかと思っていたけど、女の子に自分のトイレの後始末をさせておまけにニオイ事情を聞くなんて…しかもこんなかわいい女の子に…。

 もう穴があったら入ってそこで死にたい。


「嗅いでないわよ! 私を変態扱いしないでよ!」

【す、すみません!】


 黒のショートヘアに切れ長の目。いかにも活発そうな雰囲気なのに、その肌の白さは毎日家で引きこもっているシエナよりも白く、何ともちぐはぐな感じがした。


「ところであなた、あなたってたしかうちのクラスに編入して来た子でしょう?」


 今後のこともある。第一印象だ。第一印象が大切なんだ(もう結構手遅れ感はあるけど…)。


【はい。チャコといいます。困っていたところを助けていただいてありがとうございました。もしかしたら聞いているかもしれませんが異世界から来ました】

「ふ~ん。そ、まぁ私には関係ないけど。じゃぁそういうことで」


 そういうとライサリアさんはあっさりと踵を返し、その場から立ち去ろうとした。


【あー、あのー!】

「なに?」


 せっかく見つけた希望なんだ。ここで簡単に帰してしまっては僕の帰還に響いてしまう。


【お礼を…】

「いいって。たかだかトイレの水流したくらいで。じゃぁ」


 そういうと再び歩き出そうするライサリアさん。ここは何としても次につなげるために爪痕を残さないと。


【ライサリアさん!】


 僕に名前を呼ばれ、どうして自分の名前を知っているのかという顔をしながらこちらを振り返るライサリアさん。


「何?」


 口調がさっきよりも不機嫌そうだ。もう長くは引き留められそうにないかな…。


【お願いついでに私に勉強を教えてくれませんか?】

「は? なんで私が?」


 当然の疑問だ。逆の立場なら僕だって何で見ず知らずの人にそんな提案をされなければならないのだろうと思う。

 それでもどう相手に不審に思われようと今の僕にはこんな方法しか思い浮かばなかった。


【さっきも言いましたけど、私は異世界から来たのでこちらの勉強はおろか文字の読み書きさえままなりません。幸いこのネックレスのおかげで普段の言葉のやり取りで不自由を感じたことはないのですが、それでも読み書きに関してはこのネックレスの力の範疇になくて、その…こっちの世界で生きていく上で今、とても困っているんです】

「だったらあなたといつも一緒のハーフエルフの子に教えてもらえばいいじゃない?」


 僕は学院で一度もライサリアさんを見かけたことがないのにライサリアさんは僕たちのことをそれなりには知っているようだ。だったらここは…、


【ルリィさんは放課後よくシエナさんの手伝いを頼まれることがあるんです。本当は居候の私がそういうことを進んでするんでしょうけど、私マナ無しこんなんだから何の役にも立たなくて】

「ならあの田舎娘は?」


 セレーナさんのことだろうか? だとしたら本当に僕たちのことをよく知っている…。

 僕は一瞬まさか自分の性別までも知られているのでは? と思ってしまったが彼女の様子を見る限りそこまではさすがにバレていないようだ。


【セレーナさんも放課後はほぼ毎日お仕事で誰も僕にかまっている時間がないんです】


 微妙な嘘まじりの事実。

 きっとルリィさんもセレーナさんも多少自分が忙しくても頼めば絶対に読み書きの練習には付き合ってくれるという確信はある。でもそうでも言わないときっと切迫感が伝わらないと思って多少の脚色はさせてもらった。


「だから暇そうな私に勉強を教えろってこと?」

【決してそういう意味で言っているのではなくてですね! ただその、ライサリアさんは私と同じ黒髪だし、故郷を思い出せて少し安心すると言いましょうか…】

「あなたの故郷ってみんな黒髪なの?」

【はい。ただオシャレで髪を茶色とかに染める人もいますけどね。僕はやっぱり黒髪が一番好きです】

「私はこの髪色大っ嫌いだけどね」

【そう…なんですね】

「………」


 沈黙。


 僕の言葉の真意もしくは熱量を精査しているのかもしれない。

 ライサリアさんは鋭い眼差しで僕のことをしばらくじっと見つめたのち頭を掻きながら小さくため息をもらした。


「まぁ、気が向いたら見てあげていいけど」

【本当ですか!】

「気が向いたら、ね!」


 そう捨てゼリフのように言い残し、ライサリアさんは廊下を歩き出した。


【ありがとうございます!】


 僕は嬉しさのあまり彼女からは見えていないだろうに深々と彼女の背中に向かって頭を下げてしまった。


 すると彼女は振り返りも立ち止まりもせず、ただ右手をひらひらと振りながら「あたし、学院ではだいたい図書館か裏庭にいるから」とだけ告げながら今度こそ廊下の奥へと姿を消してしまった。



 けれどその日の放課後さっそく図書館に行ってもライサリアさんの気が向かなかったのか、結局勉強を教えてもらうことは出来なかった。




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