第13話 希望


 う~~~ん。


「――さん」


(やっぱりこの世界でのハーフエルフの扱いってひどいのかな…)

 

 昨日の喫茶店でのエスティさんとのやりとりが頭から離れない。


(結構上機嫌っぽく話してたのに…)


「―さん。 …――ロウさん」


 高校の美術の教科書を喜んで受け取っていたし、お互いあだ名で呼び合うことにもした。

 なのにどうしてルリィさんのことになった途端あんなに風につっけんどんな態度を取ったのだろうか?


「チャタロウさん!」

「!!!」


 そこで初めて僕は声をかけられていたことに気が付いた。


「どうしたんですかチャタロウさん? 朝から難しい顔になってますよ」


 不思議そうにこちらの顔をのぞき込むルリィさんに僕は慌てて笑顔で応対した。


「いや~、学校行ってまだ一日しか経ってないのにもう今日が休日なんてビックリだなぁって」

「あぁ、それはたぶん週の頭からみっちり学院生活を送らせると大変だろうからというトリエステ学院長の配慮だったんだと思います」


 その可能性は十分にありそうだし、もしそれが本当ならお心遣いに感謝しなくてはいけない。

 でもそんな僕らの休日は今朝方シエナさんの頼まれごとによって結局学院のあるアビシュリの街に向かうことになったのだけれど…。


「でも本当に良かったんですか? 飴(ヘリウの実の)も食べず、制服も着ないでアビシュリの街に行くなんて?」

「いいの、いいの。休みの日くらいスカートとは距離を置きたいから。それに飴もヘリウの実って買えば結構高い実なんでしょ? だったら節約しないと。大丈夫、二人ともローブを羽織っているし、用が済んだらすぐに帰るから」


 と、高をくくっていたら、


「あれ? チャコさんにルリィさん、もしかしてお買い物?」


 アビシュリに来て5分もしないでメイド服姿のセレーナさんと鉢合わせてしまった。


(ヤバい、どうしよう…飴持ってこなかったよ。こんなことならルリィさんに注意された時点で家に取りに戻ればよかった)


 僕もルリィさんも動揺を隠しきれず二人して目を泳がれてしまった。


「どうかしたの二人とも? あ!」


 そう言ってオロオロしている僕らに一気に詰め寄って来るとセレーナさんは目を輝かせながら、


「その服もしかしてチャコさんの故郷の服? すごーいまるで男の人の服みたい」


 そうですね、学ランってそういうものなので…。

 セレーナさんは普段見せないようなテンションの高さで僕の着ている学ランを眺めている。そんなセレーナさんに対してあいさつさえ出来ないこの状況を歯がゆくを覚えていると、


「おはようございますセレーナさん。セレーナさんは今日も仕事ですか?」


 僕の代わりにルリィさんがあいさつをしてくれた。


「はい。休日はお客さんも多くて結構忙しいんだけど、すごくやりがいがあってとっても楽しいんだ」


 学院では肩身が狭そうに過ごしているセレーナさんも今はとても生き生きして見えた。

 いつの日か学院でもこんな表情を浮かべて過ごせる日が来ることを心から願っている。もちろんルリィさんも。


「それでお二人はどうしてまた…?」


 さぁ、いよいよ僕のターンだ。さて、一体どう乗り切ったものか…。


「く、薬を買いに来たんです。実はチャコさん風邪をひいてしまったらしくて喉が痛くて声も出せないみたいなんです」


 なるほどその手があったか!

 僕はルリィさんのファインプレーにもろに便乗するように自分の喉に手を当てて顔をしかめてみせた。


「そ、それは大変! うちの店すぐ近くだから休んでいって」


 正直セレーナさんがどんなお店で働いているのか少し興味はあったがその好奇心のせいで僕の正体がバレたら元も子もないでここはグッと堪えて首を横に振った。


「い、いえ、買う薬も決まっていますからササッと買って家で安静にしてもらおうと思っていたんです」

「そうですか…そういうことならチャコさんお大事にね」


 僕は小刻みに頭を縦に振った。


 そしてセレーナさんは仕事場へと向かう後ろ姿を見送ったあと、本来の目的であるシエナさんの頼まれものを調達したのち真っすぐに家へと帰ったのだが、問題だったのはその翌日だった。



――――――――――



「はい、チャコさん! これ飲んでみて!」


 そう言って机の上に置かれたのは2リットルのペットボトルよりも更に大きな水筒だった。


【あの~、セレーナさんこれは一体…】

「私の故郷に伝わる風邪によく効くお茶です」


 そこで僕は悟った。

 セレーナさんという人はとても真面目で何事にも全力投球だけど、その全力が時にあだとなっちゃうタイプの人種なんだな、と。


 ただ今はそのセレーナさんの真面目さを棒に振らせてしまったことに対する罪悪感で心が痛かった。


【あ、ありがとうございます。ただもうだいぶ体調もいいからそのお茶、あとでみんなで飲まない?】

「ダーメ。いい、チャコさん? 風邪は治りかけの時が一番油断しちゃダメなんだからね!」


 結局僕はセレーナさんの目力と胸元の迫力に負け、その場で半分の量のお茶を飲んでしまった。

 で、そんな経緯で授業を受ければ…、



(や、やばい。お手洗いに行きたいです)



「えー、今日は異世界から来た子のために魔導石について簡単におさらいしておくぞー」


 大して喉が渇いていなかった状態での水分補給はものの見事に僕に尿意をもたらした(もっとパルナ先生が教室に早く来てくれていれば「授業始まっちゃうから」なんて言って断ることもできただろうに…)。


「魔導石とは一言で言えば自分の属性魔法と異なる属性魔法が使えるようになるツールアイテムのようなものだ」


 あぁ、僕のコンディションなどお構いなしにパルナ先生はどんどんと授業を進めていく…。


「仮にもし自分の属性が『炎』で『水の魔導石』を使った場合は例え自分が火の属性であっても水系統の魔法が使えるようにはなるが、その場合『水の魔導石』本来の力の半分程度の力しか発揮されない」


(これは授業を一旦退席しないといけないかな…。でも…)


「だが逆に言えば自分と同じ属性のこもった魔導石を使えばその魔導石の力を100%の使いこなせるというわけだ」


 ここは女学院。だから職員用のトイレ以外は全部女子トイレのはず。仮に男子トイレがあったとしても今の僕は女装しているから男子トイレに入るところを見られるなんてあってはならない。

 だから女子トイレを使用しなくてはいけないんだろうけれど罪悪感と男としてのプライドがその事実を受け入れさせない。


「私たちに備わっている魔法属性は主に『火』『水』『風』『地』の4属性だが、まぁ少数派だが学院長みたいな『光』属性やシエナ様みたいな『闇』属性など6つの属性に分類される」


 でも、もう…背に腹は代えられない。


「けれど自然界には精霊の…」

【先生!】

「ん? どうしたチャコ? 分からないことでもあったか?」

【トイレに行ってもいいですか?】

「おいおいお前のために…ってまぁ仕方がないか。早く行ってこい」


 僕は先生に一礼をし、迅速に、速やかに、教室をあとにした。



――――――――――



【ふ~】


 なんとか間に合った。

 トイレはもしものことを考えて教室から少し距離のある、あまり利用者のいなさそうな校舎の隅のトイレにした。そのおかげで誰とはち合うわけでもなく事が済んだ。


【さてと…】


 尿意の前では男のプライドなんてものは簡単に捨てられたが罪悪感だけは捨てることは出来ず、用が済んだのだから早くここから出なければといけないと水を流すレバーに手をかけようとしたのだが…、


【ん?】


 僕が知っている位置にあるレバーがこのトイレには存在せず、代わりにその位置に青い小さな石のようなものが埋め込まれていた。


【これってまさか魔導石?】


 …そうか! さっきパルナ先生が言っていたことか!

 この世界の人はみんなマナがあるからこの魔導石を使って水を生み出し、流すのか! ハハハ、こうも学んだことがすぐに立証されるなんて本当に勉強って楽しいな…って違ーーーう!!


 …どうしよう。これじゃぁマナを持たない僕には流せないじゃないか!

 最悪流さないでそのまま立ち去るのも手ではあるが…。


【どうしたものか………ん? そういえば…】


 確か、前にルリィさんとセレーナさんと裏庭で話した際に井戸があったぞ!

 あそこで水を汲んでくればちゃんと流せるじゃないか!


(善は急げだ)


 僕はすぐに個室から出て廊下に出るべくトイレをあとにしようと駆けだしたのだが、その直後トイレに入って来た人と出会い頭でぶつかり、その衝撃でお互いその場で尻もちをついてしまった。


「ちょっと! なにトイレで走ってんのよ⁉」

【すみませ…】


 そして互いに顔をあげると、更なる衝撃が互いに訪れた。


「あなた、たしかうちのクラスに転入してきた…」


 僕にとっては何の変哲もない髪色。けれどこの世界に来てからは僕以外ではシエナさんしか見ることの出来なかった漆器のような黒い髪。

 間違いない。僕が求めていた、僕が女装をしてまでも会いたかった『希望』が今、僕の目の前にようやく姿を見せてくれた。

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