第4話 月、ふたつ
休みなく歩き始めておよそ1時間。辺りはもう暗くなり始めていた。
「どこだよ、ここ」
歩けばすぐに道に出て、道をたどればすぐに街に着くと思っていたがその考えは歩き始めて30分で改めさせられた。
嗅いだことのないニオイ。
見たこともない樹。
聞いたことのない動物の鳴き声。
それらのことがついさっきまであった「家に帰りたい!」という脳内パラメーターを一気に「この森から出たい」に押しやった。
「これってもしかして…」
遭難
そんな言葉が脳裏に過ったが、すぐにかぶりを振り、そんな考えを捨てた。
「あーあ、こんなことなら無理してもスマホ買っておけばよかったな」
「髪を切りに行こうとしたのがまずかったのかな…」
後悔先に立たずとばかりに自分の伸びてしまった髪を触れてみるも、すぐに前を向き足場の悪い森の中を月明かりを頼りにさらに進む。
すると、前方から「ガサっ」と葉がこすれ合う小さな音が聞こえてきた。
「!?」
人? もしくは動物? …まさか、熊とか。
そんなことを考えている間にもその音の発生源は徐々にこちらに近づいてくる。
本来なら隠れるなりゆっくり後ずさりした方がいいのだろうがここまでずっと歩いてきたせいで思うように後ずさりが出来ずに形としてはその音の正体を待ち受ける体勢になってしまった。
鬼が出るか蛇が出るか、そんなの内心で身構えていると茂みから現れたのは…、
「なんだウサギか。心配して損したよ。ほらおいでおいで」
ホッと胸を撫でおろし僕は中腰になってそのウサギに手招きをする。
まぁさすがに近づいては来ないだろうと高を括っていたのだが、なんとまさかまさかそのウサギはかわいらしくピョンピョンとこちらに近づいてくるではないか。
「おぉ! すごい来た!」
思わぬ出来事に思わず笑みがこぼれるもすぐにそのウサギの様子がおかしいことに気が付き、眉間にシワができた。
「あれ?」
最初はピョンピョンとかわいらしく近づいて来ていると思っていたウサギが思いのほかスピードを上げてこちらに近づいてきた…だけならまだしも、そのウサギの額からはさっきまでなかった白く鋭い角生えていた。
(あれ? ウサギって角なんてあったっけ?)
なんて吞気に考えている間もウサギはこちらに向かって猛スピードで近づき、ある程度まで距離が縮まったのを見計らってかウサギは地面を蹴り上げ、文字通りこちらに向かって『飛んできた』。
「うわ!!」
僕は慌てて体をひねり何とか飛んできたウサギを避けた。
すぐに飛んで行ったウサギの行く先を目で追うと僕の背後にあった木の枝のいくつを切り落とし、地面に落していった。
「うそ…今の避けてなかったら…」
間違いなく致命傷は免れなかった。
(まさか故意で僕に飛びかかってきたのか?)
僕は必死で(角?)ウサギの姿を探した。
すると奴はまるで闘牛のように後ろ足で何でも地面に蹴り、タイミングを計っているようだった。
どうやら本当に故意で僕の方に向かってきたみたいだ。
(もしかして彼の縄張りに入っちゃったとか? 何にせよ、逃げなくちゃ…)
そう思っても不慣れな森の中を1時間以上歩き続けてきたせいで足はもう棒のようでとても逃げ切れる自信はない。
そんな最中でも角ウサギはこちらをじっと眺めながらまるで威嚇のように後ろ足で地面を蹴り、その際に生じる「ザッ、ザッ」という音だけが不気味に辺りに響いている。
とにかく刺激しないようにゆっくりと後ずさりを試みたが、
「わっ」
不運にも小石に足を躓き地面に尻もちをついてしまった。
そんな好機を(角?)ウサギは見逃すはずもなく瞬時に駆け出し、僕のもとに向かって来た。
「!!」
正直こういうときは走馬灯のように人生を振り返ると聞くが、僕はそんなことはなかった。代わりに視界の端から何か黒いものがゆっくりと現れ、(角?)ウサギに向かって行くのが見えた。
そして「ガブッ」という音と共に角ウサギの姿は一瞬にして消えてしまった。
「おー、今日の夕飯は『トッド』(角ウサギのことらしい)の丸焼きか~、久しぶりだな~」
そこにいたのは先ほど汚部屋で別れた残念思考な魔女もどきと今の今まで僕のことを苦しめたあの角ウサギを口に咥えた、体調2メートルはあろう大きな黒い狐のような生きものとが並んでこちらを眺めていた。
「おまえ今、私の悪口を言ったろう?」
「………どうしてあなたがここに?」
「何だ今の間は! ちゃんと『そんなこと思ってません』とか言え! まぁいい…、」
そう言うと彼女はその黒い大狐の背中を軽く叩き、
「ロキ、すまないがそのトッドを先に家まで運んでいてくれないか?」
「了解だ。
「しゃべった!?」
そう言い残し、その『ロキ』と呼ばれていたその黒い大狐は一瞬にしてその場から姿を消した。
「消えた!?」
「お前はいちいちリアクションが大きいな」
「いや、だって……っ!」
「今のは私の《使い魔》のロキだ」
そして僕は納得してしまった。
「…つき」
「『ツキ』じゃない『ロキ』だ。…ってどうした? 」
そして彼女は僕の異変に気付き、僕の視線を追ってそれを見た。
「月がどうかしたのか?」
だって仕方がなかったんだ。暗い森の中を歩くために足元を見るしかなかったんだから…。だから気づけなかった。
木々に遮られた夜空の中に月が二つあることに。
(あぁ、やっぱりここは異世界なんだ)
…いや、本当はわかっていたんだ。
あの角の生えたウサギを見た時から…いや、このネックレスをかけた時から…。
ただ認めるのが嫌で、認めるのが怖くて、拒否してしまっていたんだ。
「おまえ、大丈夫か?」
角ウサギの脅威から脱した安堵感と本当に異世界に来てしまったんだという絶望感に、一度ついた地面についた尻から根を張ったように立ち上がることが出来なかった。
「大丈夫、じゃ、ないです」
するとそんな僕の心情を察してか彼女は僕の目の前まで来てくれた。
内心そのまま手を差し伸べて立ち上がらせてくれるのかと思ったが、彼女はなぜかそのまま膝をついて頭を下げた。
「すまない。おまえにも生活があったはずなのに私の我がままのせいでこんなところまで無理やり呼び寄せてしまった」
正直意外だった。
会ったばかりだけどなんとなく彼女は「どんまい、どんまい、元気出せ」と無責任に励ましそうなタイプの人間かと思っていたからまさかこんなに面と向かって謝罪させるとは思ってもみなかった。
「時間はかかるかもしれないがおまえのことは私が必ず元の世界に帰してみせる。だからしばらくの間は辛抱してほしい。この通りだ」
そう言って彼女は改めて深々と僕は頭を下げてみせた。
そんな彼女の姿には不思議と説得力があって今まで抱えていた不安や絶望感はきれいに消えていく気がした。
「…はい。お願いします。僕も僕に出来ることなら何でもしますから。えっと…」
「シエナだ」
「僕は柳町茶太郎です。茶太郎でいいです」
「あぁ、これからしばらくの間よろしく頼むぞ茶太郎」
そう言ってシエナさんは立ち上がり、手を差し伸べてくれたので僕はその手をしっかりと握りしめ、立ち上がった。
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