悪徳財団の野望! すべてはここから始まった!

「……ハル?」

 会議の片づけをしていた秋紗は、まだ春羽が部屋を出ていないことに気がついた。それも、どこか神妙な顔つきで。

「まだ何か疑問とか要望とかあった?」

「ううん、そういうのじゃないの。ありがとう、たった数日でこんなに調べてくれて」

 春羽はそう言うが、それが単なる感謝の言葉でないことは秋紗ならすぐ分かる。何せ春羽は感情が顔に出やすい。

「でも、無理してない? もし大変だったら、私がどこか代わるから言ってね。例えばほら、当日の警備に加わる役とか」

 この辺が本音だろう。精一杯の困笑の裏に、心配の念が透けて見える。

「ハル。ありがとう、その気持ちは嬉しいよ」

 と秋紗は答える。そうあることではない、社交辞令じみた作り物の笑みではなく、等身大の感情を表情に出して。

「だけど、私はハルみたいに頭が良いわけじゃないし、ナツみたいにビジネスができるわけじゃない。普段は素人なりに手伝って茶を濁しているけど、私って人間が役に立てるのは結局こんなときくらいなんだよ」

「そんなことないよ! アキちゃんは昔から私のこと助けてくれたし、私にはとてもできないことを簡単にこなせるし、すごく便りになるし──」

 春羽はそう言葉を連ねた。

 この辺には秋紗に対するリスペクトも当然あるが、いくらかは春羽が自身に抱く負い目のようなものも含まれている。春羽は理工学でこそ世界の第一線に通ずる実力者だが、それ以外の面では平均的かそれ以下だという自己認識を持っている。秋紗もそうだが、夏瀬も冬峰も、春羽には難しすぎる分野のエキスパートであり、その分羨望の目で見てしまうことも多い。

「アキちゃんが一緒にいてくれなかったら、私、この組織を始められなかったと思う。だから、そんなに卑下しないで」

「……悪かった。ありがとう」

 そう言って秋紗は、ちょうど良い位置にある春羽の頭にポンポンと手をやる。子供っぽいと思われるかもしれないが、そうされるのは悪い気分ではない。ただしこれをして良いのは秋紗と兄・四季人だけの特権である。

「でもさ、ハル。この一件は私に任せてほしい。何をどう言い換えたって、私はこういうことを生業としてきたことは変わらないし、一番得意なこともこういう活動だと思ってる。私は、できる限り一番得意なやり方でハルの力になりたい。ダメかな」

 秋紗は、迷いも淀みもない口調で春羽に語りかける。それで、意図せずも上目遣いになりながら春羽は秋紗を見上げて言った。

「……アキちゃん。また、お願いしちゃって良いかな。私もできることはやるから」

「オーケー。」

 頷きながら、秋紗は悪徳財団立ち上げの日のことを思い出す。



 ──両腕を失い、かつての雇い主だった総司令にも手放され、病院に閉じこめられていた2年前のある日。

 お見舞いという形で春羽と運命的な再会を果たした秋紗は、その数日後、春羽からひとつの驚くべき提案を受けた。

「アキちゃん。私ね、どうしてもやりたいことがあるの。だからケガが治ったら私のアドバイザーになってくれないかな。あと、これと一緒に会社も立ち上げる予定だから、もしこれからの仕事が決まってないなら私の会社に来てくれない? ゆっくり考えてくれて良いし、分からないところがあったら何でも答えるから」

「……やりたいことって?」

「うん。私ね、前の職場でラストリアクターっていう発電機を作っていたの」

 ラストリアクター。それ自体は当時の秋紗もある程度のことは知っていた。莫大なエネルギーを製造できること、ラストエクスカリバーの動力源として使用されたこと、そのほかにも色々と。春羽が開発に関わっていたことは知らなかったが。

「……それで多くの人が幸せになるって信じてた。でも、今、私が作ったリアクターのいくつかは兵器として、人を傷つけるために使用されている。ついこないだもね、よその星で兵器転用されようとしたリアクターが臨界事故を起こして、何億人もの人が亡くなったって……」

 そういう春羽は、秋紗の手前なんとか笑顔を作っているが、非常に辛そうな心境が透けて見える顔をしていた。そういうことを隠し切れないのは、幼い日の春羽から何も変わっていなかった。

「だから、これから私、そういう使われ方をしているラストリアクターを破壊しようと思うの。勿論、何の権力もない私がそんなことを『合法的に』できるわけはないことは分かってる。それなら、犯罪者になっても良い、テロリストになっても良い。それで救える命があるなら……」

 それはどれほど衝撃的な話なのかは、想像に難くなかろう。今、目の前で親友が悪の道へ進もうとしている。まして秋紗はこれまで正義のエージェントとして働いてきた人物だ。しかも春羽は、それを理解した上でこんな話をしているのである。

「大丈夫。危ないところは全部私がやるし、アキちゃんには迷惑かけない。いざとなったら私ひとりが罪をかぶるから。アキちゃんは相談に乗ってくれるだけで良いの。ダメ、かな……」

「ハル。その信念は尊重する。けど、やり方を間違えちゃいけない。正しいことは、正しいやり方で──」

 そう言いかけて、秋紗は止めた。

 正しいことは正しいやり方で? どの口が言うか。自分とて、正義という目的のために殺戮を繰り返してきたではないか。それも、罪のない人間を巻き添えにすることも幾度となくあった。秋紗自身はこれまでそれを、正義という大義名分のもとに「必要な犠牲」と割り切っていた。だが、心身ともに弱り切った今なら分かる。決して、そうではなかった。

「そっか……。そう、だよね。ごめんね」

 ハルは切ないくらいに困笑しながら、述べた。

「これは私ひとりの問題だものね。私ひとりでやらなきゃよね。でも、ありがとう。話だけでも聞いてくれて」

 そう言葉を紡ぐ春羽の姿を見て、秋紗は決断した。


 ──何を恐れる必要がある。今までだって立派な御託を並べて悪逆非道の限りを尽くしてきたじゃないか。今更、もう後には戻れない。この手はぬぐい切れないほどの血で汚れてしまった。

 ──でも、彼女の手はまだ綺麗なままだ。もしその手が汚れてしまったら、優しい彼女はきっと彼女のままでいられなくなる。


──手を汚すのは、私ひとりだけで良い。



 § § §



 悪徳財団緊急会議から1日が経った。

ここは、蓮舎庵市中央区の一流住宅街。地価だけでも相当なものだが、立ち並ぶ住宅のひとつひとつが高級な造りだ。

その中でもひと際目立つ大豪邸がある。その門の前に春羽はいた。それも、いつもより少しだけ良い服を着て。

時刻は夕暮れ。夕日色の陽光に強く照らされた呼び鈴を押す。

「ごめんください。春羽です」

 とインターホンに述べると、即座に門が開き、中から顔なじみの執事が現れる。

「ようこそお越しくださいました、春羽さま」

「すみません、急に押しかけてしまって」

「とんでもございません。ご主人様も奥様も、春羽さまのご来訪を大変喜んでおられましたよ」

 手厚い歓迎の辞を述べる執事に招かれる形で、春羽は中に入った。

 ここは佐藤沢邸。春羽の祖父にしてTOEグループ総帥でもある佐藤沢円寿郎と、その夫人である佐藤沢ふきの二人が暮らす邸宅である。なので、何人かいる使用人はみんな春羽のことをよく知っている。

 こういう場になると、春羽の育ちの良さが現れる。一般人なら緊張しかねないような豪邸だというのに、所作が場慣れしているのだ。

 ──招かれたのは応接室。幼いころは即ダイニングなりリビングなりだったのだが、大人になってからは客人として扱われている。これは春羽と言えど、流石に少しくすぐったい。

「おお、春羽。相変わらず元気そうじゃな」

 応接室で待ち構えていた白髪の老人、佐藤沢円寿郎は孫の到着に顔をほころばせた。流石は財界の大御所、三つ揃いのスーツがよく似合う。

「ご無沙汰しております、お爺様」

「これ、堅苦しいのはよせ。人目を気にせねばならん場でもないだろう」

 と円寿郎が言う。

「ついこないだまで、わしの膝の上で「じいじ、じぃじ」と言っていたのに」

「そんなの、もう20年近く前の話よ、おじいちゃん」

「おお、そうじゃ! その意気じゃ! 孫は孫らしく、もっとじいじに甘えんか!」

 これが財界の大御所のアットホームな姿である。

 だが佐藤沢円寿郎を侮ってはいけない。彼が創業者というわけではないが、一昔前は一介のローカルな工学企業だったTOE社を、世界規模でも戦えるレベルの巨大財閥に育て上げた、伝説級の経営者である。

 ここまで孫にデレデレなのも、春羽がTOEグループに属さず商売をしているからだ。もし彼女がグループ内の社員であったら、こんなに甘くはない。事実、グループの後継ぎとして育てられている円寿郎の長男(春羽の叔父)やその子には、愛のムチという名のスパルタ教育が行われている。

 現在は経営の第一線こそ長男に譲ったが、多額の寄付を方々に行っていることもあり、その圧倒的存在感は健在。メディアの前に現れることもあれば、商談やセレモニーに招待されることも多く、少なくとも「隠居」という言葉とはまだまだ無縁である。

「おばあちゃんは?」

 と春羽が尋ねた途端、噂をすればナントヤラで

「まあ春羽、いらっしゃい。またずいぶん、大きくなって」

 応接室の扉が開き、優雅な老婦人である祖母のふきがお茶をもって現れる。

 豪邸というとお抱えの家政婦が料理を作るイメージがあるかもしれないが、ふきは大の料理好き。「私は何もせずにいることができないのよ」が口癖で、体調やスケジュールの許す限り台所を人に譲らないのである。そんな生活を数十年も続けているのだから、料理下手なわけがない。

 本来、来客にお茶を出すというのは使用人がやることなのかもしれないが、

『かわいい孫が来たんだから、お茶くらい私に出させてくれても良いじゃない。私は、何もせずにいることができないのよ』

 とふきが我儘を言ったのだろう。そんな光景は春羽ですら想像できる。

「お久しぶり、おばあちゃん。ごめんね、急に押しかけて」

「いいのよ。これくらいのことがないと、生活に張り合いがなくなっちゃうんだから。今夜は私が腕によりをかけてお料理を作るから、お腹いっぱい食べていきなさい」

 として、厨房に戻っていった。相変わらずアクティブなおばあちゃんである。

「それで、一体今度はどうした、春羽。わしにお願いしたいことがあると聞いたが」

 春羽がソファに腰かけると、円寿郎は尋ねた。

「実はね……」

「分かったぞ。さてはまた何か悪いことをたくらんどるな」

 と円寿郎はニヤリと笑う。

「遠慮せず聞かせなさい。うちは、盗聴対策バッチリじゃからな」


 ──実は、春羽が悪徳財団を立ち上げるにあたり、相談した相手は秋紗ひとりだけではない。もうひとり、話をした相手がいた。それがこの長老、佐藤沢円寿郎である。

 つまり円寿郎は、孫が悪の組織を切り盛りしていることを最初から知っているのだ。

 春羽の「ラストリアクターの軍事利用阻止」という野望に対して、

「話を聞く限り、筋は通っとるな。世界を敵に回す覚悟があるなら、わしは陰ながら応援するぞ」

 と、止めるどころか危険な発破をかけ、それどころか

「わしも今でこそこんなお堅い生活を送っとるが、若い頃は気に入らん奴に片っ端からドロップキックをかましとったもんじゃ」

 とまで言い放ったという。

 とは言え、悪徳財団の運営そのものに円寿郎は関わっていない。そのスタンスは言わば「孫の活躍を遠くから眺めるおじいちゃん」そのもの。春羽も、なるべく祖父に頼らないよう組織を運営してきた。そもそも秋紗・夏瀬・冬峰という高スペックな同僚に恵まれ、おじいちゃんに頼るまでもなかったというのが一番大きな要因かもしれないが。


「……なるほど。しかし、まさかエネルギープラントにそんな大層なもんが運びこまれていたとはの」

 話の全容を聞いた円寿郎は深くうなずいた。どうやら、それは彼すら知らなかったことらしい。

「うん。それを、悪の組織の手には渡したくないの。そんなことになったら──」

「確かに。人道的にも、春羽の活動理念と照らし合わせても、許すわけにはいかんな。筋は通っとる」

「昨日、そのことについて話し合ってね。その日だけ警備に加わって敵を迎撃するっていう案が出たの。でも、悪の幹部として行ったら警備どころの話じゃなくなるわ。私たちが迎撃されちゃう。かと言って、HAL社としてもエネルギープラントの警備に関われるわけじゃないし。何か、良い方法はないかなって」

「それはもっともな話じゃな。表の顔も裏の顔も使いにくいというわけか」

「ええ……」

 そう悩ましそうな顔を祖父に向ける春羽。

「それはヒーローにお願いするわけにはいかんのか? それこそ四季人に連絡すれば早いじゃろうに」

 と円寿郎は言う。当たり前だが、春羽の兄である四季人もまた円寿郎の孫であることに違いはない。なのでヒーローの話になるときは真っ先にその名が挙がる。

「それがね。ヒーローは、襲撃があると予想される日に行われる、新型宇宙タンカーの除幕式の警備にあたるみたいなの。除幕式のことはおじいちゃんも知ってるよね?」

「おお。知っとるも何も、我がグループが推し進めた一大プロジェクトじゃからな。ああいう新型ビークルのお披露目というのは、何歳になっても胸躍るもんじゃ。が、確かに、そちらの警備にヒーローがあたるとなると、エネルギープラントは手薄になってしまうの」

 円寿郎は少しの間考えこんでいた。だが、すぐにニヤリとし

「一応確認するが、春羽。仮にラストリアクターを守り抜けたとして、それを自分の手柄として世間に発表するつもりはあるか?」

「いえ。むしろ、あまり目立ちたくないかな」

「さようか。ならば『このプラン』はありじゃな」

「何か良いアイディアが?」

「その通り。ただし、これは約束してもらわんとならんぞ。その日、警備役を誰に任せるかには口出しせんが、春羽は絶対におとなしくしていなさい。間違っても敵と対面せんように。分かったかの?」

「うん……。一応、アキちゃんにお願いする話にはなってるから、大丈夫」

 本当なら春羽自身に戦える力があれば良いのだが。下手すると、悪徳四天王の中で最弱なのは自分なのではないかとすら思う。少なくとも、そうではないと反論できるだけの根拠は何もない。

「よしよし。なら、後は任せておけ。段取りがついたら連絡しよう」

「良いの? ありがとう、おじいちゃん」

 春羽は喜びのあまり、深く頭を下げた。

「これこれ、堅いぞ春羽」

「でも、おじいちゃんやグループの負担になっちゃわない? 大丈夫?」

「ははは。良いか、孫のおねだりに金を渋るのは三流の男がすること。金に糸目をつかわんのは二流の男がすることじゃ」

「じゃあ、一流は?」

「孫のおねだりで金儲けをする」

 と、あまりに突拍子もないことを真顔で言う祖父。これには天才たる春羽の顔にも「?」の字が浮かぶ。

「春羽がひとつの会社の長であるように、わしもグループの長じゃ。ここはひとつ、Win-Winの関係を築こうじゃないか、春羽」

 そう言って財界の錬金術師、佐藤沢円寿郎は大物らしく大笑いしたのであった。

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