Episode310 あなたへの贈りもの

 三月に入って高等部の先輩方が一足早くご卒業された日から、約二週間後。中等部でも前期課程修了式が行われた。

 講堂兼体育館にて全中等部生が参列し、後輩らに見守れながら整然とした雰囲気で、式の時間は滞りなく流れていく。


 下級生からのはなむけの言葉では、【香桜華会】会長である姫川少女がその大役を務め、中等部を卒業するこちら側は【香桜華会】前会長であるきくっちーが務めた。

 ちなみに入学式では試験結果で麗花が新入生代表挨拶をしていたが、私達に代表で迎えの言葉を贈って下さったのは、当時の【香桜華会】会長である。


 私達【香桜華会】はミサがある度に全校生徒が見ている前で聖歌を歌っているので、プレッシャーを感じたり緊張することもない。壇上に上がった彼女たちは、二人ともしっかりとした顔つきで務め上げていた。

 それにしても姫川少女からはなむけを贈られるのは、二度目ときた。何だか色々と感慨深いね。


 そうして一通りの式が済んで各自教室へと戻り、先生からの伝達事項を聞いて解散する。

 解散後はこの度目出度く中等部から卒業して他校へと進学する私に対して、クラスの子たちからは涙とともに別れを惜しまれながら、激励の言葉を贈られた。


「百合宮さま。ご卒業されても、私達のことを忘れないで下さいね」

「皆で旅行に行く時は、今度こそ必ず百合宮さまもお誘いしますから! 菊池さまと桃瀬さまも含めて薔之院さまとも、ぜひ!」

「ご心配なさらないで下さい。これからも中等部で語り継がれる偉大なお二方の名前とともに、今なお色褪いろあせないその思い出を胸に刻んで、私達も高等部で邁進していきますわ……!」

「ありがとうございます。ですが一部気になる発言があったように思いますが、それは突っ込んだ方がよろしいのでしょうか?」


 【香桜華会】で矢面に立っていたのはきくっちーの筈なのに、何故書記の私と会計の麗花の名前が中等部で語り継がれることになるのか。それも学院から卒業していなくなる上で。


 それに色褪せるのは褪せたらで、いくら何でもそれは早過ぎやしな……ん? よく考えたら語り継がれる名前って、一体どっちのこと? 百合宮 花蓮? それとも百合の掌中の珠リス・トレゾール??


 クラスの子とそんな風にお喋りをして過ごした後は、生活寮に戻って荷物の整理をする。

 大体のものは既に片付け終えてはいて、着替えやら教科書類は学院から業者に配送手続きをして、家に送ってくれる段取りになっているのだ。だから今からするのは最後の忘れ物チェックと、簡単なお掃除だけ。


 緋凰家でやらかした悲しい事件をもう二度と繰り返さないためにも、クローゼットや机の引き出しの中は念入りに。何も残っていないことを確認して頷き、用具室から雑巾を取ってきて窓や床を拭く。

 学院の方針で寮の部屋は、その部屋の住人が掃除をすることになっていた。


 綺麗にし終わって雑巾も用具室に仕舞い終えたら、部屋のベッドに腰かけふぅと一息吐く。家に帰るのはその日中ではなく、一日過ごしてからとなる。

 目を閉じて少しだけ物思いに耽っていると、コンコンとノックの音が聞こえた。「どうぞ」と声を掛けて入室を促すと、カチャリと控えめな音を出して顔を覗かせたのは桃ちゃんだった。


「お邪魔します」

「どうぞどうぞ」


 クッションはもう既に段ボールの中なので勉強机に付いている椅子に座ってもらい、暇になった時間を一緒に過ごす。


「麗花のところにはもう行った?」

「ううん、先に花蓮ちゃんのところに来たの。それに絶対後から皆来るよ」

「え。何で集合場所が私の部屋?」


 そんな私の疑問は笑って誤魔化され、「あのね」と入室してきた時から手にしていた、二つの小さな紙袋を差し出された。

 基本が白地の小花模様で包装されているその包みを受け取ると、何だか柔らかそうなものが入っている感触がする。


「それね。修学旅行で桃が足を怪我しちゃった時の、お返しなの」


 言われて思い出した。

 ロッテンシスターから逃げ回っていた時に転んで怪我をした桃ちゃんの膝に、たっくんと裏エースくんが止血のためにハンカチを巻いてくれていたことを。


「ちゃんとお返しするって言ったから、この前の休日で買ってきたの。お願いしても良い?」

「うん、もちろん。どっちもハンカチなの?」

「そう」


 コクリと頷かれ、律義だなぁと思いながらスーツケースの中に大切に詰め込む。


「花蓮ちゃん」

「なに~?」

「三年間、ありがとう」


 その改まった言い方に振り向けば照れているらしく、ちょっとだけ頬が赤かった。


「麗花ちゃんだけじゃなくて、花蓮ちゃんもいてくれたから。ちゃんと話せなくても、笑って何でもないように言ってくれたの、嬉しかった。それに正くんのことを話した時に言ってくれた花蓮ちゃんの言葉があったから、直接言う勇気も持てたの。修学旅行が終わっても行事とか受験とかでタイミングなくて、ちゃんとしたお礼言うの最後になっちゃったけど……。桃とお友達になってくれて、ありがとう」


 お別れを前にしてもそれは一時いっときのことで、永遠ではないから。

 だからこうして穏やかで温かな空気感の中で、私達は笑い合える。


「私も。お友達になってくれてありがとう、桃ちゃん」

「えへへ。……あ」


 コンコンと再びドアノックの音がしてそれに桃ちゃんが反応して声を上げたものの、今度の来訪者は私が「どうぞ」と許可を出す前に、相変わらずバアアァン!といきなりドアを開けてきた。

 ノックすることを覚えたんなら、今度は入室の許可を待つことを覚えてよ、きくっちー。


「遊びに来たぞー! ……って、何だ。アタシが一番乗りじゃないのかよ」


 元気よく入って来たきくっちーが椅子に座っている桃ちゃんを見て拍子抜けしたように言うのに対し、桃ちゃんはぷぅと頬を膨らませた。ハムスターみたい。


「桃のこと邪魔者みたいに言わないで!」

「は? 言ってないだろ」

「顔が言ってたの!」

「桃ちゃんどーどー。もう……。二人とも春からまた同室に戻るんだから、ケンカせずにちゃんと仲良くしてよ?」


 そう言うのも学年末テストの結果、成績はやはり私達元『花組』がトップフォーを飾ったからだ。

 寮の部屋は高等部に上がるとまた元のように戻り、成績上で特別制度が適用されるのも同様。だから再びきくっちーと桃ちゃんは二人部屋の同室者となる。


 いつかも見たような二人のやりとりを聞いて呆れ混じりにそう言えば、何故か二人とも朗らかに笑った。


「多少の言い合いはするかもだけど、それがアタシたちだろ」

「お互いにもう何でも言えるから。ケンカするほど仲が良いっていうの、桃憧れてたの!」

「そうそう。言い合っても初対面の時以上な、あんなカオスにはもうならないって。……だから花蓮もさ、麗花と一緒に頑張れよ」


 落ち着いた柔らかな微笑みと激励の言葉に、私は目を見開く。

 感謝と激励。同じ学び舎で共に過ごした私へと贈られる、二人からの最後の言葉プレゼント


「――うん! 私も麗花と一緒に頑張る! ありがとう、きくっちー」


 笑ってお礼を告げるときくっちーが照れて頭をかく。

 そんな素直な反応を見せる彼女に桃ちゃんと二人でニヨニヨしていれば、何とドアから本日三回目のノック音が聞こえてきて。


 やれやれ本当に桃ちゃんが言った通りになったなと、私は最後の来訪者を迎え入れるための言葉を発した――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 ドキドキと高鳴る心臓をどうにか落ち着かせようと、深呼吸を数回ほど繰り返す。

 そんな私の手の中に収まっているのは、先ほど北見さんから受け取った電話の子機。


 ――――春の休暇で入学するまでに自宅で過ごす私の元へ、遂に約束の連絡が彼から来たのである。

 三年だ。本当にあの卒業式の日からお別れして途中で再会することもなく、顔を見ることも声を聴くこともできなくなってから三年の月日が経過した。


 帰宅してからいつ連絡が来るのかと時間が経つごとに緊張が高まっていたけれど、早く出なくちゃいけないのに、いざその時が来たら来たで通話ボタンを押すのに指先が震え始める。


 こ、声が変わってたりとかしてるのかな!? 待って何て言おう、ずっと考えていたのに話したいことが頭から飛んでった!


 緊張のあまり自分でも何やってんだと思いながらいい加減早く出ないとと、意を決して通話ボタンをピッと押してすぐさま耳に当てた。


「もしもし!! こちら百合宮 花蓮でございます!!」

『……っ、だ、っからお前さ! 受話器耳に当ててんだから、大きな声で喋るなっつーの! 久し振りに耳キーンてなっただろ!?』

「すみません」


 勢いが余り過ぎてつい。

 というか電話だとしても感動的な再会の場面なのに、のっけから怒られるって。……声、ちょっと低くなってる。


『――……あー、ひ、久し振り。元気だったか?』


 向こう側で一つ咳払いをしてからの、ちょっぴり素っ気ない言い方。

 けれどそれも彼が私との久し振りの会話で緊張しているからだと感じて、思わず頬がニヨリと弛みそうになった。


「風邪を引くこともなく、とても健康的に過ごしておりました。そちらはどうでしたか?」

『俺もずっと元気だった。……んー』


 何やら唸り始めたので、どうしたのかと目を瞬かせれば。


『色々と話す内容あんのに、何か……。何から話せばいいか分かんなくなった。めっちゃ大きな声で名乗ってきたのが貫通して、色々考えてたこと飛んでったわ』

「あら奇遇ですね。私も緊張で考えていたこと、通話前に吹っ飛びましたもの」

『いや明らかに俺のはお前のせいだからな』

「……ふふふっ」


 声を、話すことを聞いただけで判る。お互いにお互いのことでは、何も変わっていないのだと。

 三年という月日を経ても、まるで小学生の時と同じようなやり取りをしている私達。


「ねえ太刀川くん」

『ん?』


 初めの素っ気ない口調から少し話しただけで、優しい声音へと変わる。


「高校はどこの学校にお通いになられます?」

『紅霧学院。前に言ってた、元々受験するって決めてたところだな』

「無事に合格されたんですね。おめでとうございます」

『おう、サンキュ。花蓮はどこ? 近いところだったら嬉しいけど』


 自分から話を振ったので聞き返されることは予定通りだが、それでも顔いっぱいに笑みが溢れるのを抑えきれない。


「紅霧学院です」

『こう…………は? 待て、どこのコウム学院だって?』


 多分に疑問と戸惑いが含まれているその返答ににんまりとしながら、私はフンスと鼻を一つ鳴らした。



「聞いて驚き、そして私のことを目一杯褒めなさい! ――――私も春から貴方と同じ、紅霧学院生です!!」



 自信満々にそう高らかに宣言した私への、恋する大好きな人からの返答は――――『はああああっ!? おまっ、裏で何かやってないよな!!?』というあんまりにもあんまりなものであったことは、きっと生涯絶対に忘れることはないであろう。






 ――臙脂えんじ色のブレザーに、ブラウンの生地に赤と白とダークブラウンのラインで彩られたリボン。そしてリボンと同じ色彩を使用したタータンチェック柄のスカート。

 紅霧学院生が着用する制服に身を包んだ一人の新入生が、下駄箱のある玄関前に佇んでいる。


 彼女は入学式の日に相応しいよく晴れた空を見つめながら、登校するにはまだ早い時間の中で、再びの新入生代表挨拶を務めることになっている親友が来るのを待っていた。

 口を閉ざしてそこに佇んでいる姿だけを見れば、その儚さを感じさせる容姿と少女の持つ生来の雰囲気とが相俟って、多くの人間は彼女のことを近づき難い存在であると。そんな印象を抱くのだろう。


 しかしながらその場で静かに微笑んでいるだけであった少女の顔は、呆気に取られた表情で彼女の名を呼んだ待ち人を見つけた瞬間に、その儚き雰囲気をパッと霧散させて――――生き生きと。


 青天の下で、その陽の光を浴びて咲き誇る満開の花のような光り輝く笑顔を、少女は彼女のとても大切な親友に向けた。



「サプラーイズ! これから三年間よろしくね、麗花っ!!」

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