Episode307 【香桜華会】『花組』が解散する日

 首までを覆う黒いAラインワンピースの上に、長めの純白のケープ。そして花模様を編んで作られている白いレースのベールを頭に被れば、今年最後のミサに臨む【香桜華会】の特別コーデが完成する。

 二年の間でも数回しか着用しなかったこの衣装だけど、これを着るのも今回で最後かと思ったら、何だか感慨深くなってしまう。


「あ。青葉ちゃん、ベールちょっと曲がってるよ」

「えっ、ありがとうございます! 撫子お姉様」


 話が聞こえてそちらに顔を向けると青葉ちゃんのベールがちょっとずれていたようで、気づいた桃ちゃんがちょいちょいと直してあげていた。

 そんな『姉妹』のやりとりを見ていると、私も初めてのミサで雲雀お姉様からベールを直してもらったことを思い出す。


 【香桜華会】に所属して初めて迎えたイースターミサでは、雰囲気に呑まれることなくやりきった。


 私と麗花は高位家格のご令嬢故に初めから特に緊張もしておらず、きくっちーもちゃんと切り替えてこなしていたし、さすがに桃ちゃんは緊張がちょっと顔に出ていたけど失敗はしなかった。

 代替わりして迎えた『風組』にとってはこちらもたくさん練習した分、『香桜の顔』としてしっかりとその場に立って、自らの役割を果たしていた。


 入学したての、責任も立場も何もなかった時に経験したミサは、ただすごいなぁと思っていた。

 麗花がやるならと。それに伴って付いてくる責任とか立場もよく考えずに所属して。

 所属したらしたで、その実態が学院の雑用係でプレッシャー掛けられながら屍になりまくって。


 椿お姉様からいきなり飛んでくる注意、雲雀お姉様が奏でる耳に優しいBGM、一緒にお菓子を食べてホッと息を吐かせてくれる千鶴お姉様、ちょっとしたイタズラに巻き込んでくるポッポお姉様。

 そんなお姉様たちと一緒に迎える行事には、いつも安心感があった。たった一歳しか違わない筈なのに、その背中はとても大きくて、広くて。


 甘えていたと思う。他の生徒からは憧れや尊敬の視線を一身に受け、メンバーしかいない会室ではそんな視線を向けられることもないから、『香桜の顔』からは解放されて。他の生徒には絶対に見せない姿を見せることができていた。

 まだ『妹』という立場であった頃、たくさんのことを学んだ。忙しくて疲れることも多かったけど、皆と過ごす【香桜華会】の日々は、それに負けないくらい楽しかった。


 そんな日々を過ごして、甘えさせてくれたお姉様たちをお見送りして。

 そうして今度は、『姉』となって。


 結局私は会室で『妹』たちに素を見せることはなかったけれど、それでも彼女たちと過ごす時間は好きだった。

 『姉』となって初めて見えてくるものもあったし、より責任を負う立場となったけれど、私達は私達なりのやり方で『妹』を――皆を導けたと思う。


「確認するまでもないでしょうけれど、流れは頭に入っておりますわね?」

「はい、大丈夫です。麗花お姉様」


 麗花が『姉』らしく真面目な顔でそう問うのに対し、落ち着いて笑みを浮かべながら頷いている祥子ちゃん。

 秋にはあんなに自信がなくてと言っていた、彼女の不安気な姿はもうすっかりとない。自身の『姉』をまっすぐ見つめ、今やその彼女と同じように背筋を伸ばして、凛としている。

 その横顔は自信満々……とまではいかないが、彼女らしい控えめな自信を少しだけ覗かせていた。


「絶対にアタシは失敗しないからな! 見ていてくれよ!」

「えええ!? 私もやる側の人間なんですけど葵お姉様! ジッとは見れないかもしれないです!」


 自分で失敗フラグを立てたから少し怖いのか、そんなことを言って美羽ちゃんに詰め寄っているきくっちー。

 やめなさい。美羽ちゃんまで失敗に巻き込む気か。


「氷室さん。会長のことは気にせずに、自分の歌に集中した方がよろしいですよ。気にして聞いて、つられて音程を外したら目も当てられません。特に今回は聖書の朗読もありますからね。自分のことに集中することを私が許可します」

「アタシは失敗しない!」

「葵ちゃん。失敗しないって言えば言うほど失敗すると思うから、もう言わない方がいいよ」

「同感ですわ。自分で率を上げてどうするんですの」

「自己暗示してるだけなのに、何で率が上がるわけ!?」


 堪らず口を挟んだら他の二人からも、私に同意した「やめろ」が飛んできた。

 まったく。ミサに限り頼りにならない会長である。


「ふふふっ。美羽ちゃん、葵お姉様はそうやって緊張をとって下さっているだけだよ。いつも通りやれば大丈夫なんだから、一緒に頑張ろ!」

「あ、うん。そうだね、姫ちゃん!」


 どうしようとオロオロしていた美羽ちゃんにタタッと近づき、フォローを入れた私の『妹』――姫川少女に美羽ちゃんが笑顔で頷いた。そしてそんな彼女らの様子を見た私は密かに苦笑する。


 やっぱり同学年の子は同学年の子の方がよく見えているようだ。

 きくっちーに言われた時は結構大きな反応を返していたが、それは美羽ちゃんが多少なりとも緊張していたからなのだと、『妹』の話を聞いて気づく。


 姫川少女が「いつも通りにやれば」と口にしたが今回は他のミサと違い、このクリスマスミサだけは高等部の【香桜華会】と合同で行っている。

 聖歌は中等部高等部別々で披露するが、聖書朗読は交えてとなる。その並びもお互いに挟まれる形での配置になるので、中等部……それも二年生はより緊張するのだろう。


「姫川さん」


 私に呼ばれ、顔を輝かせてパッとすぐに来た彼女のベールを直す仕草をすると、そんな私の行動に彼女はきょとんとした。


「花蓮お姉様? さっき鏡で確認しましたけど、大丈夫でしたよ?」

「はい。私がただ触りたかっただけですから」

「!?」


 頬を染めた『妹』にふふふと笑う。何だかその反応が初々しくて可愛くて、つい頭を撫でた。


「氷室さんのことに気づいて偉いですね。ヨシヨシ」

「~~っ!! あっ、青葉ちゃああぁぁんっ!!」

「あら」


 せっかく『姉妹』の触れ合いをしていたというのに、何故か私の『妹』は彼女のお友達の元へと逃げていってしまった。何故だ。


「どうしたんでしょうか? いつも自分から向かって来ますのに」

「今まで貴女からというのはなかったでしょう。ただでさえ貴女のことを過剰に慕っておりますのに、あんなことをされたらいくら姫川さんと言えども、羞恥が爆発しますわよ。引き摺って姫川さんまで失敗したらどうするんですの」

「までって何だ! アタシが失敗する前提で話すのやめろ!」

「皆。そろそろ移動しないと、シスターに遅いって怒られちゃうかも」


 そんな言い合いももう慣れたもので、桃ちゃんが行こうと促してくる。

 こんな風にワチャワチャとした『姉』たちを見た『妹』たちは、楽しそうに笑う。


 お姉様たちはそれぞれで私達の緊張を取って下さったけれど、私達は皆を巻き込んで緊張なんて吹き飛ばしていく。

 そうしてアンティークの扉を出た瞬間から『香桜の顔』となり、一列に並んで静々と講堂に訪れる。いつもならチャペルで行われるが、合同のクリスマスミサは生徒数の関係により、全員が収容可能な講堂で行われるのだ。


 終業式が終わって幾許かの休憩時間を挟んでからの、カトリック校にとってイースターの次に重要と言っても過言ではない、この行事。

 講堂兼体育館に辿り着いた私達は、学年劇で利用したステージに繋がるドアから入った。

 ステージ上の準備などは終業式終了後、ミサの最後に降誕劇を行う高等部の演劇部員が行ってくれているので、既に万端といった感じ。


 そして私達がステージ裏で左右に別れて待機していると、少ししてから高等部【香桜華会】のお姉様方がやって来た。

 彼女たちは高等部一年という空白の期間を挟んではいるが、三年目と四年目なのでその行動もスムーズに行われている。

 ちなみに唯一面識のある鳩羽会長は私のいる側ではなくて反対側の方の配置らしく、私に気づいてニコッと笑って手を振って下さったが、言葉を交わすことなく行かれてしまった。


 高等部・中等部と交互になる配置なので、真ん中となるのは両会長。こちら側はきくっちーが先頭につき、高等部のお姉様の後ろに私、その後ろがまた高等部お姉様となる。

 聖書は椅子の上に置かれていて、見て確認することはできないが、自分が朗読する内容は覚えているので脳内で復習していると、後ろから軽く肩を叩かれた。


「はい?」

「百合宮さん、ですよね?」


 振り向いて顔を合わせれば、確認するようにそう問われたので黙して頷く。

 するとそのお姉様は小さく微笑んだ。


「在学中に貴女とはぜひ一度、お話ししてみたいと思っていたんです。私の『妹』の、『妹』に」


 それを聞いてハッとする。

 じゃあこの方が雲雀お姉様の仰っていた、あの厳しくて落ち込むことも多々あったと言う、雲雀お姉様の『姉』!?


「初めまして、百合宮 花蓮と申します」

「初めまして、雨桐あまぎり 千晴ちはると申します」


 優美な笑みを浮かべている顔を見つめるけれど、第一印象として、話に聞いていたような厳しさがある方には見えなかった。

 厳しいと言えば椿お姉様や麗花のような感じのイメージで固定されているので、雲雀お姉様のように穏やかな表情をされている雨桐先輩と「厳しい」が、どうにもイメージに合わなかったのだ。


 けれどそう感じていた私に、彼女はフッと笑みを深めて。


「ミサまでにそう時間がある訳ではないので、ただ一言だけ問いますね。雲雀は貴女にとって、どんな『姉』でありましたか?」


 前言撤回します。恐らくこの方、静かにジリジリと追い詰めるタイプの厳しさを持つ方です。どことなくウチのお兄様と似た匂いがします。

 唐突な質問にコクリと小さく息を呑み、私も微笑んで自分の『姉』への想いを告げる。


「では、私も一言でお返しします。雲雀お姉様は私にとって、なくてはならない『姉』です」


 ……ちゃんと伝わっただろうか? この問いの答えに正解や不正解はない筈だが、この方が『妹』に見ていたものと、私の答えは一致しただろうか?

 内心ドキドキしながら微笑んでお互いに見つめ合っていると、「そうですか」と雨桐先輩が頷いた。


「不躾な問いに答えて下さり、ありがとうございます。……安心しました」

「はい。卒業しても雲雀お姉様は私の『お姉様』です」


 話を終えると静かにお互い会釈して、前を向く。

 そして私は表には出さずとも、やっぱり『姉』にとって『妹』は可愛いものなんだなと感じた。且つ、本当に厳しい方なんだとも。


『ありましたか?』


 なんて過去形で言われたのに釣られて、


『「姉」でした』


 と返していたら恐らく、そこまでの関係性にしか成り得なかったのだと見做されていただろう。ああ怖い怖い。

 私の不用意な発言で来年【香桜華会】入りが既に決まっている雲雀お姉様にピンチを招かなくて、本当に良かったです……!




 そうして時間となりミサ本番を迎えた私達は、今年最後――――私と麗花、高等部三年生のお姉様方にとっては本当に最後のミサを、できて当たり前の『香桜の顔』として立派に務め上げた。

 あれだけ失敗フラグを立てていたきくっちーも独唱観賞会の時のように正確な音程で最後まで聖歌を歌い上げ、『妹』たちも聖書朗読では詰まったり噛むこともなく読み上げる。


 クリスマスキャンドルの灯ったステージで、降誕劇が今年も粛々と行われて。

 お勤めをしなければならなかった【香桜華会】に設けられた席でそれを観賞しながら、私達は楽しいひと時を過ごし、その後会室にて『姉妹』お互いに言葉を贈り合った。


 一緒に過ごした時を、想い出を。教え、教えられたことを感謝とともに言葉に乗せて。

 この聖なる日に――――中等部【香桜華会】『花組』は、解散した。

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