Episode306 『姉妹』の特別な思い出
パカリと小さな引き出しを開ける。そして中に寝転んでいる指人形サイズの編みぐるみを立たせてよしと頷いて一歩下がり、並んだ人形たちを去年と同様にじっくりと見つめた。
水槽の中で泳いでいるサケの大群を見てインスピレーションを湧かせていた手芸部副部長・関さんに期待しておけと言われたアドベントカレンダーだが、今年もまったく以って個性的な作品揃いである。
本日は十六日の土曜日なので十六番目の引き出しを開けたのだが、入っていたのは魚を咥えたクマの上に跨っているサンタさん。どうやらトナカイ担当の運び屋は今年でお役御免となったらしい。
その前のも遡って見てみるが、体育座りでエプロンにポンポン帽ではなく三角巾を着けているサンタ、マスクして布団に寝ているトナカイ、目が燃えているサンタ……などなど。
ふむ。お役御免じゃなくて、体調不良による休業だったようだ。
例によってそういったストーリーがあるらしく、その後サンタさんはタンポポを手にしていたり、鯉のぼりを持っていたり、トマトを持っていたりと、どうやら一人でプレゼントの中身を探す旅に出たということらしい。
それで今日の分はクマと協力して魚……サケを獲ったと。
プレゼントを開けたら生魚が入っていたってそれ、受け取った子どもは喜ぶのかなぁ? 私は嫌だなぁ。
そんな風にしみじみと感じ入りながら本日のお役目を終えた私は、職員室前の廊下を後にする。
今は午前中で実技対策は午後から開始するので、寮の部屋に戻ったら軽く参考書を開いて何問か解いておこうかと、そう考えていたところ――
「あっ、花蓮お姉様!」
本を数冊ほど腕に抱えている姫川少女と丁度曲がり角のところで、バッタリと出会った。
嬉しそうに笑って近づいてきた彼女にこちらも微笑んで、お互いに挨拶を交わす。
「ごきげんよう、姫川さん」
「ごきげんよう! アドベントカレンダーお疲れ様です! 午後からの練習も応援しております!」
何のために休日に校舎を訪れているのかとか、これからすることも把握されているとは。私のプライバシーは一体どこへ消えたのか。
私過激派な彼女にそれを聞くと恐ろしい答えが返ってきそうなので、その件については敢えて突っ込まないまま、淑女の微笑みを維持して会話を続ける。
「ありがとうございます。姫川さんは図書室にご用事だったのですか?」
「はい! 課題用の参考資料と、あとはちょっと、個人的に学んでみたいことがありまして」
「個人的に?」
少し首を傾けて聞くと、彼女は照れたように頬を淡く染めた。
「はい。冬休みが明けたら、私ももう【香桜華会】の会長として正式に活動しなければなりませんから。ですからまだお姉様たちがいらっしゃる間に、少しでも人心掌握の術を会得しておきたくて」
ヤダー。何かこの子、怖いこと言ってるぅ。それにどう考えなくても照れて言うことじゃないよね、それ。
思わず表情が淑女の微笑みからスンと真顔になりそうになったが、そっと見せてくる表紙に『人間の深淵』という恐ろしいタイトルを目にして、あやうく本当にスンとしかけた。
「図書室にこんな本が置いてあったとは、今の今まで知りませんでした……」
「お姉様よく図書室に出入りしていらっしゃいましたけど、主に小説が置いてある書棚で探しておられましたものね」
「姫川さん。貴女は一体どういうルーティーンで日々を過ごしているのですか」
過激派通り越して発言がもうストーカーのそれなんだけど。小動物系の庇護欲そそる容姿をしている子からそんな怖い発言なんて、できれば聞きたくありませんでした。
……まあここで会ったのもご縁だろう。もう少ししたら『花組』の任期も終了するし、参考書の予定は取り止めにして、『妹』と過ごそうと予定変更する。
「姫川さんはこの後、お時間ありますか? もしよろしければ、もう少しお話ししたいなと思うのですが」
「全然大丈夫です!」
提案した途端パッと顔を輝かせて食い気味に頷いた彼女を伴い、場所を移そうと廊下を連れ立って歩く。
「どちらへ向かうのですか?」
「そうですね。中庭だと冷えるでしょうから、私の部屋でも構いませんか?」
「えっ! 花蓮お姉様のお部屋……!?」
先ほどの比ではないくらいに染まった頬を見て、決して嫌がっている訳ではないと判断する。
直の『姉妹』だから今までも二人だけで会話をしたりして過ごすことはあったけど、思えばこうして自分の部屋に招くのは初めてのことだった。
嬉しそうに口元が弛んで、小さなお花を飛び散らせているのがよく分かる。
本当にこの子、私のことが好きなんだなぁ……。
こんな風に素直に喜んでいる姿を見ていると、仕方がないなぁと思う。好かれて悪い気はしないし、むしろ嬉しい。
姫川少女は私に対する行き過ぎた発言や行動が目立つだけで、私が本気で嫌だと思うことや周囲を攻撃したりすることはない。一部の人間に恐怖を齎すことはあるけれど。
しっかりと線引きをして律しており、それを超えてこないのだ。だからこそ私も何だかんだと心の中で思いながらも、彼女のことを受け入れているのである。
「花蓮お姉様」
そんなことを含め、部屋で何を話そうかなと考えていると、隣を歩く姫川少女に呼ばれた。
「はい」と応えて顔を姫川少女へと向かせると、彼女は私を見て笑みを浮かべている。
「私、高等部はそのまま進みます」
「……え?」
唐突にそんなことを言われて目を丸くする。
「ここを受験した動機は、お姉様がいらっしゃったからです。小学生の時から花蓮お姉様はずっと私の憧れでした。初めてお話しさせて頂いた時に言っちゃっているので、ご存知だとは思うんですけど」
「あ。ええ、それは」
「お姉様にとっては同じ小学校出身の後輩で、そのご縁で『妹』としてご指名下さったと思います。後輩の中で誰よりもお姉様に近い場所に置いて下さるんだと思って、私、とっても嬉しかったんです」
私が姫川少女に指名打診をした時、食い気味で即時オッケーだった。
下見をしていても私の中では姫川少女を見た時から、彼女以外を『妹』に指名する頭は端からなかったとも言える。けれどそれはただ単に同じ学校出身だったからという理由だけじゃなくて、ちゃんと“彼女”を見て決めたことだ。
「あの、姫川さん」
「ふふ、分かっています。お姉様は私だからご指名下さりました。私が言ったのは理由の一つです。この一年間【香桜華会】でずっとお傍におりましたから、お姉様が私の表面じゃなくて、ちゃんと中身を見て接して下さっているって判ったんです」
「……見れていないこともありました」
今度は姫川少女が目を丸くし、そんな彼女に私は告げる。
「姫川さんの学年の子。その子たちが貴女に向けている態度のことです。憧れや崇拝が行き過ぎて、したいのにやらせてもらえないこともあったりしたんですよね? 貴女の『姉』としてそこを見れていなかったのは、申し訳なく思っています」
そう言うと、姫川少女は少しだけ間を置いてから。
「同学年の子のことは香桜に入学してから始まったことではありませんし、私のことを知らない子たちからすれば、私のこの容姿がそういう対象として映るのは自覚しています。容姿は整形すれば変えられますが、私は今の自分の存在を自分で否定するつもりはありません。それに整形したとして、それでも周りの態度が変わらなかったら怖いですし。生まれた時から私は私なんですから、だったら自分自身との付き合い方を変えた方が楽になると思ったんです」
「生徒総会の時に貴女が麗花さんと会話した内容を、彼女から聞きました」
「はい、構いません。麗花お姉様にお伝えしたことは、あの時の私の本心です」
「今は違うのですか?」
言い方に疑問を感じて問えば、首を横に振られる。
「いいえ、変わっていません。……変わっていないと言ってもそれは根っこの部分で、最近はそれにプラスして、と言うべきでしょうか? このプラス部分が一応、内部進学する理由でもありますし」
それから彼女は腕に抱えている数冊の本―― 一番上にある、『人間の深淵』に視線を落として。
「私、夢ができたんです。心理カウンセラーになりたいっていう、夢が」
「それは将来の……?」
「はい。姫川家は上に兄姉がおりますし、三番目の私は特に縛られず自由なんです。ですから好きな道を選べます。……ご迷惑をお掛けする前、私は自分自身が抱えている恐怖からずっと逃げていました。そのせいで憧れのお姉様にご迷惑をお掛けして、変わりたいと思って。でも私が変わったと思っても、周りの子のほとんどは変わりませんでした」
変わらなかったと、苦笑を溢す。
「イラッとしましたけど考え方を変えることで、上手くその気持ちを昇華させることができました。あと、少数でも私自身を見てくれる子がいたから」
「木戸さんですか?」
「ふふっ、はい! 『風組』の三人はちゃんと私のことを見ていますけど、特に青葉ちゃんはそうなんです。面白い子で、他の子と違って私のこと怖がってるみたいなのに、自分から近づいてきて。この前も、『姫ちゃん! あんな未来にならないように私、頑張るからね!』なんて、宣言してきたんです」
青葉ちゃんが何を思ってそんなことを言ったのか、私は一瞬の内に理解した。
香桜祭のクラス展示を見た瞬間、彼女の目玉は飛び出したに違いない。それとも凍りついたのだろうか?
思考が一瞬逸れたが話を戻す。
「それで、どうして心理カウンセラーになろうと思ったのですか?」
「あ、そうでしたね。それで私の場合はそんな感じで、気持ちのほとんどを自分の中で解決することができましたけど、きっと中にはそうすることが難しい人もいます。周りから向けられる視線を気にして、上手く自分を表現できなかったり、求められることに無理して合わせ続けたり。それはちょっとだけ……祥子ちゃんを見ていて思いました」
ハッとする。『比較対象にしちゃ色々な意味でダメだけど』と、美羽ちゃんが祥子ちゃんの話を聞いて、そう口にしていたことを思い出した。
祥子ちゃんは自分以外の三人と自分を比較して卑下していたが、その中でも一を五にする姫川少女を強く意識していた筈。
なら逆に近い場所で彼女と接していた姫川少女だって、そんな祥子ちゃんに気づかない訳がなかった。
「私と違って祥子ちゃんは自分を認めずに、追い込む方向に行きました。私、祥子ちゃんが必死になっているの知っていましたけど、彼女にとっての比較対象でしたから。下手に私が何か言ったら余計に追い込んでしまうと思って、自分から踏み込めませんでした」
そうして、「だから、」と。
「あの時祥子ちゃんが笑っているのを見て、お姉様たちが解決して下さったんだって判った時に、思ったんです。『私、また怖がって、何もできなかったな』って。祥子ちゃんのことを誰かに相談していたら、もっと早くあんな風に笑わせてあげることができたかもしれません。踏み込めなくても、できたことはあった筈なのに……」
いつも私の前では笑顔でいた姫川少女の顔がそこで、初めて歪んだ。
姫川少女もまた、ロッテンシスターと同じで自分が何もしない……できなかったことを悔やんでいた。
「姫川さん。私は貴女が竹野原さんに対して何もしなかったことは、それも一つの選択肢だったと思いますよ。場合によっては貴女の言うように、プレッシャーが相手に上乗せされることもあったでしょうから」
「でもそれが“正しいこと”だったとは、どうしても思えないんです!」
隣に並んでいた身体がズレる。両腕で本を抱えたままそこに立ち止まった姫川少女を振り返って、お互い真っ直ぐに視線を交わし合う。
「結局私は、自分のことで精一杯だったんです。嫌われたくないからと。生徒を導いていく立場の生徒会長になるのに、お友達のことよりも、自分の感情を優先させてたんです! ……変わったと思っていました。けど、変わってなんていなかった。最もな理由をつけて、ただ逃げてただけなんです……っ!」
歪んだ表情のまま堰切ったように吐き出して、けれど彼女は涙を流さなかった。瞳は潤んでいて、必死に我慢しているのだと判った。
「けど、もう逃げたくありません。私は花蓮お姉様に憧れています。けどただ憧れているだけじゃ、何の意味も成長もありません。お姉様から学んだことを活かして行動しないと、お姉様の『妹』としても、【香桜華会】会長としても相応しくありません。何より……そんな私が『妹』に、何かを教えることだってできません。だから、決めたんです。もっと自分の心とも、誰かの心とも寄り添うって。大切な、身近にいる誰かの心を救うんだと」
――――自分の心に向き合えない人間が、他の誰かの心と向き合える訳がない。
今の姫川少女が抱えている想いを。初めてこうして話してくれた心の悩みを聞いた私は、彼女を『妹』に指名して良かったと、改めてそう思った。
「姫川さん」
静かに名を呼んだ私を見つめる瞳に、少しだけ怯えが滲む。しかしそんな怯えを払うように、私は彼女に優しく微笑んだ。
「先ほどご自分では変わっていなかったと仰っておりましたが、私はそうは思いません」
「え……」
「元々私は同じ学校出身だからというだけではなく、貴女が変わろうと思って変われる子だと知っていたから。だから貴女を『妹』に指名したんですよ」
少女の瞳が大きく見開かれ、そのせいで我慢していた涙がポロリと一粒、下に落ちる。
「本当に変わっていなかったら、そうやって自分自身とそもそも向き合いません。自分に甘くなあなあになって、楽な道ばかりを選びます。後悔をそのままにせず、自分に何ができるかを考えて、目標を夢とした貴女は決して弱い人間などではありません。ちゃんと強く、立派に成長していますよ」
ハンカチを取り出して、今や大粒の涙をボロボロと零しているそれを拭ってあげる。
両手が塞がっているから自分ではできないことを、『姉』の私がやってあげる。
「自分にできることを一生懸命探して、率先してやってくれて、一を五にして返してくれて。仕事上でもとても助かっています。『風組』の子たちもそんな貴女の姿をその目で見て、頼れる会長として“姫川 心愛”を支えていこうとしています。困った時や悩んだりした時は、こうして貴女の『姉』を頼って下さい。――――貴女は私にとって大切な、自慢の『妹』なんですから」
ちゃんと見ているよ、貴女という一人の人間を。
ちゃんと私は、“姫川 心愛”を認めているよ。
去年は千鶴お姉様から彼女の思い出のお裾分けを頂いた。
今年はこの冬の空の下で――――『姉妹』だけの、特別な思い出を。
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