Episode305 いまここにある絆は

 最後らへんはゆっくりできなかった怒涛の三泊四日の修学旅行を終え、学院に戻ってから大体一ヵ月後。

 私達【香桜華会】は現在期末テストに加えて十二月行事である、クリスマスミサの聖歌練習諸々に取り組んでいるところであった。




 大きく開いていた口を閉じて真面目な顔をしたきくっちーが、彼女の目の前に並んでいる私達三人をジッと見つめている。

 そんな彼女を私達三人も真面目な顔で見返して、そうして――――


「おめでとう、きくっちー! 音程バッチリだよ!」

「最後のミサでようやく、ですわね」

「すごい葵ちゃん! もうこれで、皆の前でも堂々と歌えるね!」

「今までも堂々と歌ってましたけど!?」


 きくっちー限定・定期独唱観賞会を開き聖歌チェックを入れていたのだが、ミサの度に何度も繰り返し練習をしていたことで、彼女は音程を一度も外すことなくちゃんと歌えるようになっていた。

 うん、もうギャ音とは言えないレベルだ。


 拍手して喜んでいる桃ちゃんに突っ込みを入れたきくっちーであるが、その表情はとても嬉しそうに緩んでいる。


「これで来年また指名されたとしても、もう千鶴お姉様が夕陽に向かって浄化の儀式をすることはなくなるね」

「最初はあまりの酷さに黄昏ていらっしゃいましたものね」

「うん。あの時雲雀お姉様、千鶴お姉様が泣いちゃうって言って、お手伝いしに行ったの」

「そうでしたの。椿お姉様も私の指導をしながらも気にはされていらっしゃっていて、練習後に『アレは覚悟して臨まなければ……』と仰っておられましたわ」

「そうだったんだ」

「あのさ。そこで『あの時あの瞬間のあの人はこうだった……!』みたいな感じでこっちに聞こえるようにコソコソっぽく話すの、やめてくんない?」

「あっ、じゃあポッポお姉様はね!」

「じゃあって堂々とも言わなくていいから!」


 『妹』たちを先に帰寮させて、独唱観賞会のために会室に居残っていた『姉』組もそろそろ戸締りをしようと動き出した。

 予め資料などは片付けていたが残しがないかチェックを入れ、窓の施錠も確認する。


「……椿お姉様と雲雀お姉様、来年は誰を指名するんだろうな」


 確認できるところは全部して、じゃあ帰寮しようと荷物を手に会室の鍵を閉めて廊下を歩き始めた時、ふとそんなことをきくっちーが口にした。


「今までの感じで行くと、多分アタシも撫子もまた指名されると思う。それに歴代のお姉様たちも中等部・高等部で姉妹が変わることはなかったみたいだし。この間千鶴お姉様とメールで話したんだけどさ。お姉様たち、もう四人揃ってまた指名されたんだって」

「そうなの? 『姉』泣かせだったって仰られていたのに?」

「うん。何か、『個性が強すぎて他の後輩がかすんで見えてしまう……』って、選択の余地がなかったみたいな感じで言われたらしいよ。まあそれだけじゃなくて、お姉様たちがちゃんと『姉』として務め上げていたことも見ていた上で、みたいだけど」


 中等部と高等部で指名打診の時期が変わってくるのは、やはり既に相手のことを知っているからだろう。

 中等部で慎重に下見を行って一年間付き合う相手を決めて指名するのに、自分と相性が悪いだろう人間を選ぶわけがない。


 だから何だかんだ言ってもお姉様たちのお姉様方も、お姉様たちのことは可愛い『妹』であったのだと思う。

 それに傍目から見てもお姉様たちの『妹』である私達の個性も、彼女たちの個性と負けず劣らず強いものであっただろうに、そんな私達を彼女たちは『姉』として、しっかりと導いて下さった。


 きっとお姉様たちも高等部に進まれても、『妹』から『姉』となった私達のことを見ている。

 学び舎が分かれた今でも、ずっと仲良く連絡を交わしていることがその証拠だ。……私も、麗花も。


「お伝えした上で椿お姉様は、『妹』として私を受け入れて下さいましたわ。椿お姉様の『妹』として断言しますけど。どの生徒を『妹』として指名されても、椿お姉様は必ず私と切り離して、新たな『姉妹』関係を作り上げられますわ。誰かと比較などせず、ちゃんとその方自身を見て向き合われる方ですから」


 そうはっきりと淀みなく麗花が言う。

 私もそんな彼女の言葉を聞いて、雲雀お姉様のことを想った。


「私も。ちゃんとお伝えした上で私との日々を過ごしたいって、そう仰って下さったから。雲雀お姉様なら誰と『妹』になっても、ちゃんとその子との時間を大切にされると思う」


 お互いに解った上での“一年間”だった。

 自分じゃない誰かが新しくお姉様の『妹』として選ばれるのだと思うと、ちょっと複雑な気持ちにもなるが、そんなのはここから離れる私達が口にして良いことじゃない。


「別の高校に行ってそれで消えるような、そんな安っぽい関係を私と雲雀お姉様、麗花と椿お姉様が作っていた訳じゃないよ。尊敬するお姉様の新しい出会いを『妹』である私達は、ちゃんと応援して祝福する」

「『花組』であれば私達の学年には、その条件に該当する名前の生徒は何人かおりますわ。そして学院生から向けられる憧れのプレッシャーに耐え、背負うことができる子も。……ですから貴女たちも高等部で誰が『妹』に指名されたとしても、その子たちに私と花蓮を重ねてはなりませんわよ」


 私は主に『妹』の視点でお姉様方のことを返したが、やっぱり麗花は同級生の視点を捨て置くことなくズバッと切り込んでいった。麗花だなぁ……。


「べ、別に重ねたりとか、そんな失礼なことはしないけど! でもやっぱ……一年生の頃からずっと、四人でいたからさ」

「四人で【香桜華会】のお仕事するのも、今度のクリスマスミサで終わりだもんね。そしたらすぐに冬休み入っちゃうし、二人とも受験に集中しなくちゃだから、お話するのも減っちゃうし……」


 どことなく気落ちしたきくっちーの声に触発されたように、桃ちゃんも静かな声でそう口にした。

 中等部【香桜華会】『花組』が解散しても友達の縁が切れる訳ではないのだが、一緒にやっていた何かが無くなってしまうことで、哀愁を強く感じてしまうらしい。まあ二月入ったらすぐに受験日来るし、それまでは確かに気を緩めることはできない。


 実技検査が一番外せないので緋凰鬼コーチから課せられた練習法を重点的に、学力検査もケアレスミスがないように復習を続けている。

 きくっちーなら実技対策で一緒に過ごせるが、やはり四人揃ってとなると厳しい。


 気楽に一緒に過ごせられるようになるのも受験が開けてからで、二月自体は学院行事で合唱コンクールがあるから、クラスで練習するのに時間を取られる。

 そうすると修了と卒業の月である三月――それも日数は一ヵ月と無い。


「桃、ちゃんとこの一年間楽しく過ごせたよ。楽しむって決めたから。でもこうして終わりが近づいてくると、一年って短いなって。もっと、もっと時間があったらなって。そう思っちゃうの」

「アタシも。いつも一緒にいるのが当たり前だったから。当たり前じゃない時が来るっていうのが、実感湧かなくて。会長として立派に、アタシたちの最後の【香桜華会】の行事を務め上げなきゃって思うんだけど、何か…………ははっ。会室で『妹』に言葉を贈る前に、聖歌歌ってる時点で泣くかもしれないな」


 ……残る人間と、出て行く人間の違いってやつかな。


 必然的に新しい環境に慣れなくてはならない私と麗花は先のことを見ているけれど、香桜でずっと同じ人間と過ごすきくっちーと桃ちゃんは、同じ場所に留まるがゆえに人間がいなくなることを、強く意識せざるを得なくなる。

 三年間のほとんどを一緒に過ごしてきた仲なのであれば、尚更。


 麗花を見れば彼女は少しだけ眉を寄せていた。長年の付き合いである私から見たそれは、何かをこらえている時の顔で。

 きっと同じように寂しさを感じている。けれど自分の口からそれを言ってしまうと、余計に残る側の二人の哀愁が増すと考えているのだろう。


 ……私は何か、言えるだろうか。



「――――奇跡って、言ったと思う」



 四人で過ごしてきた日々を振り返りながら考えていたら、自然とそんな一言が出てきた。


「雲雀お姉様に向けて言った言葉だけど、他のお姉様たちと、三人と。共に過ごせたこの時間は、奇跡って。後はやっぱり進路の関係で別れちゃうけど、姉妹とか友達の繋がりとかは切れないとも。色々あったよね。最初はお互いにこんな風に付き合うなんて絶対思ってなかったし、言い合って認め合うのもそうだし。今じゃ別れを惜しんで惜しまれる仲になったんだよ、私達。だから―― 一回のお別れで残念がって、そこで終わらせないでよ」


 目を丸くしたきくっちーと桃ちゃんに向かって、微笑んで告げる。


「二人の言葉を聞いてると、もうそこで終わりって言われてるようで嫌なんだけど。ずっと続けていこうよ。たったちょっと会えなくなるだけじゃん。二人が香桜祭のチケット送ってくれたら私と麗花、来年学院に入れるし。あ、卒業生って言うことで普通に入れてくれたりしないかな? 麗花どう思う?」

「確認しないと何とも言えませんわね」

「そこはノリで入れるって言ってほしいところです、麗花さん」

「私はそういう規則事に関して、不確かなことは言葉にしない主義ですわ」


 まったく。こんな場面でもプライスレスな麗花さんです。


「てな訳で会おうと思ったらいつでも……じゃないけど、会えるんだから! 二人には目先のお別れじゃなくて、私達と同じように再会する少し先のことを見てほしいの」

「私も撫子にはかなり前に伝えたと思いますけれど。お互いをお友達だと想っている限り、いつかまた必ず会えますわ。今度は偶然ではなく“必然”として。……貴女たちは私達に『来てほしい』と、そう気兼ねなく言える仲でしょう。香桜祭だけじゃありませんわ。夏や冬の長期休暇でも訪問の旨をご連絡下されば、率先して対応しますわよ。というか連絡先も交換しておりますのよ? 貴女たちが携帯に登録している私達のそれは一体何なんですの? 飾りですの?」

「せっかく交換したんだから、ちゃんと実用的に活かしてねー?」


 そうやって口々に言う私達に二人とも最初は呆気に取られていたけれど、次第にその顔から哀愁は失われていって。

 二人で顔を見合わせて、おかしそうに笑った。


「ホント、二人には敵わないわ」

「こんなことがあったよ、とかでも連絡して良い?」

「もちろんですわ」

「私達も『いま何してるー?』とか送るから、全然大丈夫だよ」


 後ろ向きではなく、前向きに。お別れの時が来てもまた会えるのだと、築いた絆を繋ぎ続ける。


「花蓮、麗花。撫子も」


 明るく笑うきくっちーが私達の一歩前に出る。

 そして――



「アタシたち【香桜華会】『花組』にとって最後の行事、クリスマスミサ。――――絶対成功させるぞ!」



 私達を真っ直ぐに見つめて、彼女はそう強く宣言した。それは【香桜華会】会長としての言葉だった。



「ええ。ですが一言申し上げるなら、私達三人は失敗なんてしたことありませんわよ。会長」

「大体葵ちゃん……会長がちょっと音程外すくらいだもんね」

「そうやって勢い込み過ぎて、最後大事なところで音程外さないでよ。会長」

「何っでお前らはそうフラグが立つようなことを言うんだよ!?」

「最初に失敗するフラグ立てたの会長じゃん」

「会長言うな! あーもうっ! 感動系で終わらないの、ほんっとアタシたちらしいな!!」


 プンスコするきくっちーに笑い、笑う私達を見てきくっちーもまた笑う。

 そうして私達『花組』は四人で仲良く、ゆっくりと寮への道を歩いて行った。

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