Episode303.5 幕間 運命は彼等の中で、グルグルと
白ウサギを追い掛けていった結果、他校生による痴情の
その内の一人――忍は隣を歩く、やや疲労しているように見える同行者を見遣った。
同行者が突然首を突っ込み出した時には忍もギョッとしたが、彼は同行者――夕紀が相手に向かって
しかしあの頼みごとをされた後に聞くと、どうして彼があんなことを言ってきたのか。それを理解することが余計に難しくなってしまった。
大事な友人に係わること。だからこそ忍は堪らず口を開いて、彼にその疑問を突き付けていた。
「……矛盾している」
「ん?」
忍が呟いたことを拾った夕紀が彼に顔を向けると、忍もまた彼を見据えた。
「初めから許されていないと春日井くんは思っている。なら何故『許されていたら』と、そんなことを?」
忍は思い返す。夕紀はあの時『もし』と口にして、そんなことを言っていた。
けれど公園で夕紀が口にしていた内容では、初めから許されることなんて期待していないと言っているも同然であった。
彼女の夕紀に対する態度が変わらなかったことを客観的に見ると、確かに彼のことを許していないように見えると忍も思う。
しかしながら忍は彼女の――麗花の夕紀へ向けている気持ちを察している。
そして何故麗花の態度が変わらなかったのではなく、変えられなかったのか、その理由をも。
忍が呈した問いに夕紀は暫くの間、無言であった。
それは言おうか言うまいか悩んでいる間ではなく、夕紀にとってはとても複雑な胸中を鎮めて整理するまでの、必要な間であった。
「……色々、考えたんだよ」
始まりはその一言から。夕紀は彼女がいない時間の中で感じていたことを、忍に吐露した。
「公園で僕が言ったこと、あれは僕自身への戒めでもある。本人じゃないから付いた傷の深さなんて判らない。だから傷を付けた方は、甘い認識を持って相手に接するべきじゃないんだ。甘い認識を持ったせいでまた傷つけるかもしれないから。……今度こそ、見誤ってはいけないんだ」
重さを唐突に増した言葉に、僅かながら忍の眉根が動く。
話している間の視線は忍に向いておらず、先に見える街並みの通りを彼は遠く見つめている。
「――陽翔が薔之院さんに女性としての好意を持っていることは、君も知っているだろ?」
それはもう嫌と言うほど、と忍は思った。
思って――――そこで夕紀が何故そのことを出してきたのかを。何故夕紀があんなことを彼に対し頼んできたのかを、彼は察してしまった。
夕紀は前だけを見ている。見ているから忍の顔色が悪くなったことに気がつかない。
気がつかないから、見誤ってはいけないと口にしたその見誤りをしているのだと、彼が思うこともない。
「陽翔は慎重に、けれど積極的に動こうとしている。薔之院さんは相手と堂々と向き合う人だから、多分相性的には良いと思うよ。初等部で同じクラスだった頃からずっと薔之院さんのことを見ていたから、彼が外の人間の話に惑わされることもない。陽翔自身が一歩を踏み出せば、元々あるカリスマ性が輝いて、彼は人を惹きつける。……これは推測だけど。僕が陽翔と仲が良いから今まで交流を避けていただけで、陽翔から向かう分には彼女も受け入れるんじゃないかな? 受け入れて、親しくなって…………陽翔と親しい僕に対して、態度を軟化せざるを得なくなるかもしれない」
だから彼女の自分に対しての態度を。
その意味を都合の良いように勘違いして気持ちを見誤ってはならないのだと、そう夕紀は言う。
「君には明かすけど、僕は陽翔にも色々と複雑な気持ちを抱いているんだ。そういうのもあって僕は陽翔のことを純粋に応援することはできないけど、薔之院さんのことを――――彼女のことを想うのなら。何が彼女にとって一番良い選択なのかを考えることくらいは、僕にもできるから」
忍の問いに自らの心境をそのまま返して、彼は自らの親友と落ち合うべく歩を進めた。
そうすべきであると。……それでも夕紀の中で未だにグルグルとしている、それを奥へと押し込めて。
忍もまたそんな夕紀の言葉と新たに明かされたことに頭をグルグルとさせながら、今は彼の隣を歩き続けるしかなかった。
どうしよう。また郁人にストレスフルな相談の電話をしなければ……と、そう思いながら。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「俺さ~。お前から聞いてる話とクマ子ちゃんの印象って全っ然合わないんだけど、何なの? あんな感じの子だったんなら、そりゃ俺が探しても見つからんと思う訳よ。そこんとこどう考えてんの、詩月さん」
クマのお面を着けた他校の女子生徒と、彼女に呼ばれて来た同位家格の同級生と別れて喫茶店から出たその後。
のんびりと歩きながらそんなことを口にした晃星に詩月は視線を一度向け、そしてすぐに前を向いた。
「俺が抱いた印象は俺のもので、お前が抱いた印象はお前のものだ。同じ人間じゃないんだから、人の印象なんて違って当たり前だろう」
「いやいや違い過ぎるわ。……本当やけにクマ子に絡んでいくから、俺マジでビビったんだけど。つか分かんの? 会ったって言ってもかなり昔の話だし、顔もアレじゃ分かんないじゃん」
記憶なんか段々薄れていくもので。忘れ去ることの方が大半で、それが普通なのではないかと晃星は思う。
それなのに晃星から見た彼女に対して接していた詩月の態度は、どう見ても普通ではなかった。
あまりにも晃星が知る詩月の姿とはかけ離れていて。
相手がいるからそう表には出さずにおちゃらけた態度でどうにか誤魔化したものの、内心では非常に驚愕していたのだ。
それに驚愕と言えば、その彼女が呼びつけた人間がまさかの人物であったこともそうである。
まさかあの緋凰 陽翔にあんな女子の知り合いがいることなど……そもそも彼が親しくしているのは彼の親友である夕紀と、数年前から陽翔自身で絡み始めた忍くらいしかいないと、そう晃星は認識していた。
長らく麗花にちょっかいを掛けていたから、陽翔が麗花をずっと見ていたことも知っている。そして麗花を恋愛対象として彼が好いていることも。
呼びつけられ、わざわざ向かっても良い程に親しい同級生の女子が彼にいることなど、晃星は初めて知ったのだ。
「緋凰くん、八年って言ってたよね。しかもあんな気心が知れてるって感じで女子と話してるの見んの、初めてだわ。春日井くんも知ってんのかな? つかあんな緋凰くん見たら親衛隊なんて、口から魂抜けてくんじゃね?」
「緋凰……」
ポツリと名前だけを口にした、詩月の呟きを耳にする。
特に何かしらの感情がそこに込められている訳でもなかったので、だから何となくそう――晃星は何となく、それを口にした。
「緋凰くんとそんな長い付き合いならさ、結構な家のご令嬢ってことじゃん。それに香桜生だし。家同士釣り合いが取れて本人同士も仲が良いなら、将来的に婚約結んでたりとかしてそ――」
――――口を噤まざるを得なかった。
以降を言葉にして出せなかった。何故、そんな目をしているのかと。
「してそうだよね~」と言おうとして、隣を振り向いた時。詩月は昏い目をして、晃星を見ていたから。
「……何」
従兄弟という血の繋がりを伴う関係性且つ、同位家格。加えてお互いに気心が知れていたから長年ともに行動してきた。
けれど呆れたような、冷めた視線を送られることはあっても今まで晃星は、一度もそんな目を詩月から向けられたことがなかった。
自分がどんな目をして晃星を見ているのかに気付いているのかいないのか、詩月は従兄弟から放たれた疑問に「何がだ」と単調に返してくる。
晃星は知っている。詩月が自身の感情を乱すのは彼の家族と一応己と、『天さん』という文通相手。
それと――――詩月がずっと再会することを望んでいる、天使ちゃん。
それ以外の人間は詩月にとって、その他大勢という名の一括りであることを知っている。
詩月だけではない。元々白鴎家の人間というのは、総じて他人に向ける感情が淡泊であるのだ。
晃星の父親である静夜だって、晃星にとっては叔母で詩月の母である静香だって。それに佳月や満月も。
佳月の時は同級生で釣り合う家格の人間が奏多しかいないからと、普通に納得した。
満月の時もまあ佳月と似たような状況で、けれどあんなに真っ直ぐとただ一人しか気にしていなかったことに少し疑問を感じはしたが、納得はした。
彼等と近しい晃星だけが知っている。先ほどの詩月と同じ昏い目を彼等もまた、していたことがあるのだということを。
そしてそんな目をしているのは、誰の時も似た状況であったのだということを。
「……あの子、お前が会いたいと思っている天使ちゃんじゃなかったじゃん。お前だって違うって、そう思っただろ?」
喫茶店で彼がしていた態度を指摘すれば、詩月は僅かに視線を下げた。
下げ、そうして再び上がってきた時には目の昏さは消えていたけれど、何か別のモノがそこにはあった。
「確かに『高学年では』と言っていたが、それで違うと確定した訳じゃない」
「は?」
「今回は状況が……時間もだな。俺と“彼女”が出会う時はいつも偶然で、時間がない。最初の時も友人を待たせていると言っていたし、二回目は互いに迎えがあった。三回目は……」
詩月は言いたくないのか言葉を一時的に切ったが、話は続いて。
「今回も連れとはぐれているという、良くない状況だった。それに……学院の女子に取っている態度を、ただ俺が彼女に取りたくなかっただけだしな」
不注意に苦言を呈すどころか、親身になって言葉を掛ける。歩き疲れたか気を遣う。自分から手を繋ぐ。
そして更には――。
「お茶代を勝手に支払ってあげたのも?」
晃星にとっては歩きスマホで従兄弟にぶつかりかけた、ただそれだけ……にしては面白い子だと思ったのも事実で、何となくその場で別れるには惜しい気がした。
だから詩月の態度が変だという認識はあった上で、付き添うことに彼は同意したのだ。
「ぶつかりかけただけのよく知りもしない相手からそんなことされるの、俺だったら引くけどね~。あっちがお詫びでするならまだしも、こっちがするとか。後から何かされそうとか、ありそうとか思うじゃん」
「だからだろ」
「…………何て?」
聞き間違いではないかと、晃星は詩月に引き攣った顔を向けた。
晃星の隣を歩いているのは幼い頃からずっと一緒にいて、良く知っている相手の筈だった。
けれど良く知っている筈のその相手は、涼しい顔をして晃星へと語る。
「“彼女”はそれを都合良く受け取って、何も思わずに終わらすような人じゃない。……ずっと気にしていればいい。この四度目の出会いを――――自らが『運命』だと言った、俺との出逢いをな」
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