Episode303 修学旅行三日目 ~選ぶたった一つの選択肢~

 あれから私は緋凰とともにきくっちーこと、マムパンジーに向かってマップアプリの位置情報を頼りに近づいていたのだが、途中からおかしいと思い始めていた。

 何故ならばカフェを出発した時から、マムパンジーを示している点の位置が動いていないからだ。ロッテンシスターを振り切っていてもそうでなくても、移動すれば点は動く筈である。


「何かあったんでしょうか?」

「単に休憩しているとか、連れの誰かが来るのをそこで待ってるだけじゃねぇ?」

「休憩と言われたらそれには頷けますが……。こちらが向かっていることを知れば、彼女もこちらの動きに合わせて移動してくると思います」

「……まあ行ってみなきゃ分からねぇだろ」


 確かにここでブツブツ言っていてもしょうがない。


 言われ、若干歩くスピードを速めた私達は途中で誰かに絡まれることもなく、マムパンジーが留まっている場所へと向かって――――呆気に取られた。


 そこではチンパンジーのお面を着けたままのきくっちーと、いつもキチッとしている髪型が若干乱れているロッテンシスターの二人が、一つのベンチに並んで座っていたので。

 そしてそんな彼女ら……と言ってもきくっちーは雰囲気でだが、ベンチの裏にある木を背景に、二人ともが黄昏ている様子であった。


「うわ、マジでチンパンジーだ。リアル面に需要あんのかよ……」


 まさかの捕まっていたのかと慄く私の横で、緋凰がげんなりとした声でそう言った。


「チンパンジーの横にいんの、お前らが追われてたっつー学年主任か?」

「あ、はい。そうです」

「じゃあ俺はもうお役御免だな。ったく、別れた所から大分離れちまった」


 ズボンからゴソゴソと携帯を取り出し、サッと操作して耳に当てている。


「……お、夕紀? お前ら今どこ? あー……いや俺もちょっと色々あってな。…………分かった、じゃあ俺もそこにボチボチ向かうわ。多分二十分くらいは掛かる」


 そうやってピッと電話を切った後、向こうはどうなったのかと冷や冷やしながら彼に尋ねる。


「か、春日井さまは、もうお一人で?」

「いや、元々三人でいたところの横をウサギが走っていったから、あっちは連れと二人だ。落ち合う場所言われたから俺もそっちに向かう」

「そうですか……。あの、ありがとうございました」

「ああ。もう迷子になんじゃねーぞ、鈍くさ亀」


 はぐれた相手の居場所も分かるので厳密に言わなくても迷子ではないが、ペコリと頭を下げてその背を見送る。

 取り敢えず連れの他に人がいそうな口振りではなかったので、もう一緒ではないのだろうと思ったのだ。そもそも追いつけなくて見失った可能性もあるし。


 見送って後、仕方なくマムパンジーとロッテンシスターの座るベンチに近づいていく。するとチンパンジーの顔が動き、私を発見して「あ、花蓮」とモロに私の名前を口にした。

 ……うん、まあもう仕方がないよね。


「……クマのお面は百合宮さんですか」

「はい。逃走して申し訳ありませんでした、シスター」


 謝罪をするとシスターはふぅと一息吐く。

 すると私から見て左側にずれてマムパンジーとの空白を増やし、そこに座るように促されたので大人しく従い、二人の間に挟まれるようにして腰を下ろした。


「一人で大丈夫でしたか?」

「えっと、はい。いま同じように修学旅行に来ている他校の生徒で、知り合いがおりまして。連絡を取ってここまで付き添って頂きました」

「そうですか。有明学園の生徒ですか?」

「いえ、別の……聖天学院の方です」

「聖天学院……」


 質問されることに答え、付き添い人が聖天学院の生徒だと聞いたシスターは、何故か自身の眉間を指先でつまむようにして揉み込んだ。


「……菊池さんからお聞きしました。桃瀬さんのことを」


 逃げて捕まってしまった以上は、その理由を話さない訳にはいかなかったのだろう。


「お面の発案者は私です。これくらいしか自由研修中に、桃瀬さんを守る術が思いつきませんでした」

「学院側としては、生徒個人の事情に左右されて大事を変更する訳には参りません。我が校に在籍している大体の生徒は上流階級の箱入りのご令嬢です。許嫁や婚約が定まっている生徒も一定数おりますが、六年間という年数はそれ以外の生徒にとっては、長らく異性と関わり合う機会がないことを示しております。そんな箱入りの生徒たちが社会に出た時になって、異性の存在に戸惑うようなことがあってはならないと、私達教師は深慮しているのです」


 ……やはりそういうことだったのか。普段は女子しかいない閉鎖した空間から僅かでも異性の存在を認識させるために、わざわざ他校と場所も日程もかち合わせるように仕組まれ……いや、配慮されていた。


「桃瀬さんは学力の面においては非常に優秀な生徒です。家柄も良く……しかし、情操教育の面では大きく不安のある生徒でした。私達教師に対しては何の問題もなく会話も可能なのに、同年代の生徒に対しては馴染むどころか、自ら関わることを拒否しているのです。確かに人付き合いが苦手な生徒もいますが、彼女のそれは違うと、見ていて判りました」

「先生方はそんな桃瀬さんに対して、何か考えていらっしゃったのですか?」

「……回答するに難しい質問ですね。私は学年主任ですから個人をではなく、学年の全体を見通さねばならない立場にあります。すべてを平等に、個人を特別に扱うことはあってはならないのです。個人を見ることは、教室を担当している教師の領分と見做しておりますし。……ですから鳩羽さんが桃瀬さんを『妹』にと申請してきた時には承認するかどうか、正直迷いました」


 指名打診をして『姉妹』間で纏まれば、基本的に後は顧問であるロッテンシスターに申請書を提出して承認を得て、そこで正式に『姉妹』及び【香桜華会】に所属という形になる。

 けれどシスターの言い方では顧問が承認しない場合もあるのだと、聞いて初めて知った。


「家柄や学力の面では申し分ないのに、菊池さんも桃瀬さんも不安要素しかない生徒でした。ですが菊池さんは百合宮さんに、桃瀬さんは薔之院さんと関わりを持つことによって、多少はその不安要素も軽減されました。やはり生徒は生徒同士で解決し、自立をしていくべきであると改めたのです。私達教師は生徒を見守りその成長を促し、妨げとなるものは、可能な限り取り除くことが仕事なのであると」

「けどシスターはアタシたちによくプレッシャー掛けてきますよね」

「何か仰いましたか? 菊池さん」

「いえ何も」


 堪らず口を挟んだマムパンジーがシスターに切って捨てられたところで、子どもには子どもの事情、大人には大人の事情があって、どちらも切り離せないものだよなぁと私も考える。


 教師もあまり首を突っ込み過ぎると生徒個人の解決能力向上の妨げになる場合もあるし、突っ込まなかったら突っ込まなかったで生徒が潰れてしまう場合もある。

 特に人間不信を抱えていた桃ちゃんの場合は首を突っ込むにしても、かなり際どく難しい問題であっただろう。同情しすぎても桃ちゃんはそこから抜け出せないし、中途半端に接すれば余計頑なになってしまっただろうし。



『……本当に一人だった時、周囲の人間に向けていた私の態度。花蓮と出会う前のことですわ。それが撫子を目にした時に、そんな昔の私と似ていると思いましたの』



 桃ちゃんの気持ちを本当の意味で理解して寄り添える麗花だったからこそ彼女は頑なにならず、心を開くことができたのだと思う。

 お互いに関わり合う相手が反対だったら、きっと上手くはいかなかった。


 もし麗花ではなく私が桃ちゃんと最初に関わっていたとしたら、恐らく桃ちゃんは心を開いてくれなかったと思う。

 自分が経験したことではないから、本当の意味で彼女に寄り添うことなんてできない。掛ける言葉なんて表面上の薄っぺらいものにしかならなかった筈。


 事情を明かしてくれた時にはもう、“私”という人間を知ってくれていた後だったから。だから私の言葉も彼女に届くようになっていたのだ。


 そしてきくっちーがロックオンしていたのが麗花だった場合のことを考えてみる。最初の関わりがアレだった上で鑑みて、麗花の方が早々に切って捨てていた筈だ。

 理由を耳にしても頷く可能性は低い。私が淑女の何たるかを伝授してきくっちーが本気で取り組んでいるその様子を間近で見ていたからこそ、麗花も彼女に協力したのだ。


 そんなことを思考していると、シスターがベンチから立ち上がった。

 立ち上がり私達に振り向いて――ほんの少しだけ、笑みを浮かべた。


「お面の件は許可します。既に生徒たちにも企画であると内々に周知しているようですし、生徒に受け入れられていることであれば良しとしましょう。……友のことを考えてのその行動は、我が校の生徒の振る舞いとして相応しいものです。それでは私はこちらで失礼しますよ。ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう、シスター」

「ごきげんよう」


 私達も立って礼をすれば、ロッテンシスターは真っ直ぐと背筋を伸ばして私が来た方向へと、乱れぬ歩みで去って行った。


「……シスターさ、ウチの卒業生なんだって」


 きくっちーを見ると彼女は私ではなく、シスターが去って行った方向を未だ見つめている。


「それで、バリバリの不良娘だったらしい」

「へぇー……え!? 不良!?」

「うん。どんだけ走っても全然シスター止まんなくて、アタシが先にギブした。ここでもうヘロヘロになってさ。シスターも息切れしてたけどすぐ復活してて、体力オバケどんだけって思ったよ。すごいよな」

「ええー……確かにそれはすごい……って、そんな話してたの?」

「うん。アタシたちがこうしている理由説明したら、シスターも自分のことを教えてくれたんだ」


 二人揃って再び元のベンチに座り、きくっちーは続きを話してくれた。


「シスターにも擦れてた時期があって、親から矯正みたいな感じで強制的に受験させられたらしい。それで受かりはしたんだけど、香桜って昔から校則が厳しい感じで、よく授業サボったり学院を抜け出そうとしてたんだって」

「あの厳格なロッテンシスターが……?」

「びっくりだよな。でそんな不良シスターを毎度追い掛けていたのが、今の学院長なんだと。当時の担任だったんだって」


 今の学院長とは、いつもニコニコして花壇のお花にピンクのジョウロでお水をあげている、可愛いお爺ちゃんのことである。

 シスターとの年齢差を思えば、確かに無いことは無いが。


「学院長とシスターの間に、そんな青春ドラマみたいなことが」

「そう。それで青春ドラマみたいに不良シスターは不良から足を洗って、その恩を返すために自分も教師になろうと思ってここまで来たんだってさ。だから昔の自分みたいな生徒……まあアタシは不良じゃないけど、模範から外れている生徒には殊更厳しい目で見るようになって、愛のムチを振り回してたらしい」

「愛の鞭」

「アタシらがいつも受けてる特大プレッシャーのことな。【香桜華会】も【香桜華会】で、ある意味模範とは外れてるだろ? トップの生徒だから天狗にならないようにって」


 そりゃあんな特大プレッシャーかまされたら天狗にはなれまい。なれるのは屍、それ一択のみである。


「シスターは学院長に手を差し伸べてもらったけど、シスターは……撫子に手を差し伸べてあげることができなかったって、悔いていたよ」


 ハッとする。

 見つけた時の二人の様子は黄昏ていて、丁度その話をしていたのだと察した。


「どうにか生徒と関わらせたくても話そうとしないし、アイツが自分から避けているんじゃな。撫子の態度を見ていて、個別で話をするのも難しいって手をこまねいている内に、麗花が撫子に接するようになって。それで結果的に良い方向に変化していったのは喜ばしいことだけど、教師としては何もできなかったって言ってた」

「……それを聞いて、きくっちーはどう思ったの?」


 質問してもすぐに答えは返ってこなくて、暫くの間は静かな時間が過ぎていく。

 そうして彼女は、ややあっと。


「教師じゃなくても、友達でも何でも。誰かとの関わり合いって、難しいなって思った」


 乾いた空気を伝って、きくっちーののんびりとした声が耳に届く。


「撫子との最初もそうだし、郁人とのこともそうだし。花蓮とだって途中拗れそうになったし。アタシたち四人は今こうして上手く噛み合っているけどさ。それにも噛み合うだけの時間とか、気持ちとかがあって。何かこう、上手く言えないんだけどさ。自分は『そうしたい』って気持ちはあるのに相手のことを考えると踏み切れないのって、本当に……難しいよな」


 自分だけの問題ならまだ良い。自分のことは自分が責任を負えばいいから。

 けれどその先に相手が伴うとなると、その責任を負うことに恐れを抱く。自分がやったことで相手を傷つけてしまう可能性があるから。――けれど。


「自分以外の誰かが存在する限り、そうやって悩んでたくさん考えて、たった一つの選択肢を選ぶしかないよ。勇気を出して一歩を踏み出さなきゃ、何も始まらないんだから」

「……うん。そうだな。そうやってアタシも、香桜に来たから」


 言い終えた後、パッと立ち上がるきくっちー。


「アタシたちもそろそろ行くか。探されてるかもだし」


 頷いて私もベンチから立ち上がり、携帯のアプリを起動してずっと別れたままの二人の所在を確認する。


「あ、二人でこっちに向かってるみたい」

「じゃあさっさと合流しようぜ。あーもうとっくに昼過ぎてるし。お腹すいたー」


 そうして私達もこの場を後にし、麗花と桃ちゃんペアと合流すべく歩き出した。

 お互いを目指して向かっていたために迷わず、二人とは無事に合流を果たせたものの――



「花蓮ちゃんのばかああぁぁっ!! 桃のせいでごめんなさああぁぁぃぃぃ!!」



 ――――と桃ちゃんから盛大な罵倒と謝罪を大号泣タックルとともに喰らい、何だどうした!?と麗花を見るもウサギ面のまま喋らないせいで何も分からず。

 そしてそんな三人を見て、私と同じように混乱するしかないきくっちーの図になったのであった。

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