Episode302 修学旅行三日目 ~想いを積み重ねた先に~
花蓮と聞いて動きを止めた撫子の様子を見て、国内でも高名な百合宮家の名前を出したところで警戒されていると思ったのか、拓也が話を続けてくる。
「僕と彼、花蓮ちゃんと同じ私立小学校の同級生なんだ。僕は六年間ずっと同じクラスで席も前後で一緒だったし、本の趣味とかも合って、その縁で仲良くなったんだよ。君を見掛けて放っておけなかったのも体育の授業で花蓮ちゃん、よく顔面にボールぶつけたり、転んで怪我してたから」
「…………」
「えっと、今年の夏に僕、偶然花蓮ちゃんと再会して。色々……徳大寺くんのことも聞かれたりしたし、この修学旅行のこともちょっとだけ話してはいたんだけど……」
ハンカチの件で進撃していた勢いを失くし、無反応になってしまった撫子に向けてあれこれ言っているが、聞いている私はもう気が気ではなかった。
拓也が自分と“彼”と言って指し示したことで、そのどこか見覚えのある男子が誰であるかということに、私は気がついてしまったから。
……『新くん』という人物ですわ! 目の前にいる彼こそが話に聞いている、花蓮の好きな殿方でしたのね……!! 私すごく昔に一度だけ会ったことがありますわ!
撫子から事情を明かされたと聞いた時に、彼女に好きな人がいることを話したとあの子は言っていたけれど、一体何をどこまで話しているのかまでは聞いていない。ただ許嫁と同じ学校に通っているとは言えなかったと、そう私は聞いているだけで。
細かいことを撫子に言っていなければ、最後まで気づかない可能性もあるけれど……。
「……花蓮ちゃんと、同じ小学校なの?」
「あ、うん」
「貴方と、貴方が?」
「おう。俺はクラス離れたけどな」
「でも新くん休み時間はずっと教室来てたから、違うクラスってあんまり思わなかったけど」
「教室通い……。だん……男子校……」
小さく硬い呟きが落ちる。そして撫子は拓也ではなく、もう一人の方へと向き直った。
……きっと気づいてしまったのだろう。あれだけ泣いた後なのに、その瞳はまた溢れ出しそうなほどに潤んでいる。
「あの! かれ、花蓮ちゃんと、約束してますか? 三年後って……」
撫子のその言葉に彼は少しだけ目を見開いた後、緩く笑って。
「ああ。三年後にまた会おうって、約束してる」
「……!」
「アイツ、俺が正継と同じ学校だって言ってなかったんだろ? 拓也からも軽く聞いてたし、アンタのその反応見てたら判る。それにそのお面も話聞いた後じゃ、どうしてそんなことしてんのかも想像つくし。……アイツ、元気か?」
ブンブンと首を縦に振るせいで決壊して、遂に溢れ出してしまう。
「ごめっ、ごめんなさい! 桃、桃のせいで花蓮ちゃん、我慢しちゃ……っ! 聞い、聞いてたのにっ……あ、待って! 電話、今から電話するっ」
「あ、ちょっと待った」
繋いでいた手を離して、携帯を取り出そうとする撫子を彼が止める。
疑問を表情に浮かべた撫子とその隣にいる私を視界に収めて、彼は意外なことを告げてきた。
「電話して、わざわざこっちに来させなくていいから」
「……何故ですかぴょん」
花蓮の――――彼女の彼に対する想いを知っている。
ずっと会いたいと思っていることも、私達では満たすことができない寂しさを抱えていることも。
そして今回修学旅行先が重なってしまって、撫子の事情を優先して、どれだけの我慢を彼女に強いさせてしまったのかも。
昔からだ。昔からあの子は、自分よりも
近しい人の気持ちを汲み取って内に抱えて、主張してほしい大事なことばかりを自己主張しない。
長年の付き合いの私でもこちらがしつこく聞いて、それでもどうするか悩んだ上で、やっと言ってくれるレベルなのに。
そんな彼女が枕に顔を押し付けて、言ったのだ。
『……本当は会いたい。だって、ずっと我慢してる。ずっと一緒にいて、声だって聞けてたのに。毎日ノートに書いてるけど。皆と一緒に笑って過ごしているけど。でも、だってやっぱり、寂しい……っ』
震える声でそう、言っていたのに。
取り繕って『大丈夫だから』と口にする彼女に、「守れても自分が傷つけば、それに意味なんてない」なんて、酷い言葉しか言えなくて。
お面のことを発案された時、私の言った言葉が影響したことだと判った。
それと、絶対に花蓮は私が撫子のことを言っていると勘違いしていた。あの子の事情が撫子にバレて、それを知った撫子が傷つくと。だから頓珍漢な答えを出したと言ったのだ。
――――私が傷つくと言ったのは。それを指して言ったのは、貴女のことだと言うのに
「二年と十ヵ月、花蓮はずっと貴方に会いたいのを我慢していましたぴょん。それなのに電話して呼ぶのも、言葉を交わすのも拒否するぴょん?」
かつて一度会った時、おぼろげながらも彼が花蓮のために進んでコーチしていた姿を覚えている。運動会の終わりに、彼女のことを強く心配していたのも。
花蓮があれだけ強い想いを貴方に抱いているのに、貴方はそうじゃないのかと。――――けれど。
「あー……悪い、あれだけじゃ言葉が足りなかったよな。けどさ、ここで会うんならもうとっくに会ってるだろ。会えてないってことは、そういうことなんだと思う。……三年ってさ、長いか短いか微妙な年数だよな。中学で別れる前、お互いに残りの時間を大事に過ごしていた時は、目の前にある“今”を見てたんだ。一緒にいる時は“今”を見て、別れて会えない今は過去じゃなくて、“先”のことを見てる。だから離れている俺と花蓮をいま繋いでんのは、三年後に会うって言うシンプルな約束だけ」
顔を上向かせて空を見上げる彼に釣られて、視線をそこに向ける。
所々にうろこ雲が浮かんでゆったりと風に流されていく、晴れやかで涼しい秋の空。
「多分、あの約束が言霊になってんだろうな。去年の夏とか、この修学旅行でも。同じ場所にいて近いところにいるのに会わないんなら、『まだ早い。甘えずに交わした約束をちゃんと果たせ』って、神様か仏様か、そこら辺に言われてんだと思う。元々家格レベルが合ってない小学校に花蓮が通って、同じ学校に俺も通っていたってところから、すごい運の巡り合わせで、奇跡だったんだ」
『世界中には数え切れない程の人がいて、一生にその内の何人、何十人って人達と出会って、縁を繋ぐことができるんだろう?』
『意味のない出会いなんてない。だから私は出会って、縁を繋いだ人達を大切にしたいって、今はそう思ってるよ』
同じ時期に、同じようにして見ているからか。
去年の香桜祭の受付案内時に花蓮が口にしていたその言葉を、不意に思い出した。
「――三年。それ以上でも、以下でもない」
見上げていた場所から顔を戻す。そうして彼は、ニッと笑って。
「三年後に絶対また会うって決めてんだ。俺にとってもアイツにとってもそれが必要な時間なら、会わない間に積み重ねてきた想いを抱えきって、そうして再会するべきだろ。俺も、多分花蓮も。そうやってお互い、頑張ってきたんだから」
頑張ってきた。……ああ、そう。確かに花蓮は頑張っていた。
毎日ずっと彼に贈る、その日の彼女の思い出をノートに綴っていた。会わない間のラブレターと言っていたけれど、「何かもう日記みたいになっちゃった」と溢していて。
それも、彼から言われたことだからと。彼のことを想う時間を作るのだと。
会えない寂しさも感じていただろうけれど、再会してラブレター日記を読んだ時の彼がどんな反応をするのかを想像して、楽しそうに笑っていることの方が多かった。
「……写真」
ポツリと、小さな声で撫子が言う。
「今日、写真撮ったの。お面してない状態で、クラーク博士と皆で並んで撮って。ちょっと見るだけでも、駄目ですか……?」
グスッと鼻を鳴らしてそんなことを言うのは、きっと彼女なりに花蓮のことを想ってのことだろう。写真くらいならお互いに見てもいいのではないか、と。
けれど私達に向かってああまで言った彼が譲ることはなく、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、「ごめんな」と返答する。
そんな彼と今まで見てきた花蓮のことを振り返って、私は思った。
――きっと何があってもこの二人には、私達のようなすれ違いは起きないのでしょうね、と。
彼女も、彼も。場所は離れていてもお互いを信頼して、想いは変わらずに心を繋いでいる。……約束の時まで、あと五ヵ月。
「言葉は」
そう口にした私に彼の顔が向く。
我慢を強いて、酷い言葉を言ってしまった私が彼女にできることをと考えたら、それしかないと思った。
「貴方が私達に言った言葉は、そのまま伝えてもよろしいですかぴょん。撫子の件は彼女もずっと心配していて、
「……おう。ありがとな」
「いえ」
優しい顔をして笑う彼を見て、思う。
彼からの言葉を聞いて泣くだろうか。怒るだろうか。……笑うだろうか?
――――我慢して待つのを受け入れるのではなく、幸せの糧として
そうして想いを積み重ねて待つ方であれば良いと――……そう願う
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「……本当に、写真見せてもらわなくて良かったの? 新くん」
自身の学友の許嫁と友達に向かって大層なことを言っていた、隣を歩く彼の顔を見た拓也は溜息を吐く。
「去年の夏に会えなかったことブツブツ言って、僕が偶然今年の夏に会ったって言った時もすごい顔してたのに。お家のこととか色々あるのは知ってるけど、
「お前、ホント俺にも言うようになったよな」
「当たり前でしょ。どれだけ一緒にいると思ってるの。花蓮ちゃんも花蓮ちゃんだし。本当二人って、似た者同士だと思う」
公園での邂逅から解散して、前を歩く学友――関係は解消するが繋がりは切れなかったことに喜び、安堵している背中と、やり直しをするに当たって最初の手紙の内容はどうすればいいかを相談されている背中を、拓也は複雑そうな顔で見つめている。
「……本音で言や、そりゃ見たかったよ。けど見たら見たで、欲が出て今度は会いたくなるだろ。せっかくここまで我慢してやってきたのに、一回会ったらもうあと五ヵ月も待てるかよ。……あーもうマジで誰だよ知り合いの息子って! 昔知り合いの御曹司がどうたら言っていたような気もするけど、ソイツか!? ソイツのことなのか!?」
「知らないよ」
拓也は敢えて彼に、“あの彼”のことは言っていなかった。
こういうのは本当に本人からじゃなくて又聞きして知るの、良くないと思っているので。
会えない期間のことを見ていたら余計な情報を与えたら与えたで、何とか我慢している彼が色々余計なことを考えて暴走する可能性がある。
傷つける方向では絶対にないだろうが、一方的なすれ違いを起こされるのは周囲に多大な影響を及ぼすしで、あの時のことを思い返せばもう二度と御免であった。
「あっちもこっちも大変だなぁ……」
拓也の見ている先を追い、彼が苦笑を溢す。
「正継的にはあれでも良いんだろ。最悪、そのままサヨナラだった訳だから」
「何か徳大寺くんや新くんを見てるからかもしれないけど。恋愛って、僕は大人になってからでいいやって思うよ」
「そうか? 銀霜受かって、お前だってそこで誰かを好きになるかもしれないだろ?」
「えー、ないと思う。きっと勉強でいっぱいいっぱいになるし、それにお嬢様ばっかりでしょ? 皆が皆、花蓮ちゃんみたいな感じじゃないだろうし」
自分はそういうのはいいと消極的なことをぼやく拓也に、彼が何事かを言おうとして――
「――――
名を呼ばれ、彼は拓也から少し前を歩く学友へと顔を振り向かせた。
学友はうんざりしたような顔でこちらを見ており、その隣にいるもう一人も困ったような表情でいる。
「柚子島も! 本当コイツどうにかしてくれ。あれこれ言ってもあーだこーだ言って、全然納得しないんだよ。俺もう無理! パス!」
「だって絶対にもう失敗できないだろ!?」
「あーうるさいっ、ウダウダ言うな! お前は相思相愛の彼女がいる俺のアドバイスを素直にそのまま呑み込め!」
前方でガヤガヤ言い合っている二人に拓也も彼も苦笑を溢し、「ったく、しょうがねーなー」と先に一歩前を歩き始めた彼。
今度はその背中へと視線を遣り、拓也は密やかな笑みを浮かべた。
――――言っていない。彼女が彼と同じ高校を目指していることも。
結果がどうなるかはまだ分からないが、端からその可能性を頭に入れていない彼が彼女の頑張りを知った時、どういう反応をするのか。
そう想像して先のことを考えると、今からとても楽しみでならないのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます