Episode301 修学旅行三日目 ~消せない傷跡と不透明な道~

「僕も、君と同じだったよ。相手のことが見えていなくて、僕の言葉で傷つけてしまったことがある」


 そんな言葉を最初として、春日井さまが穏やかな声で話し出した。


「一度見て聞いたものがそうであると思い込んで、相手のことをちゃんと見ようとしていなかったんだ。後はそうだね。その後の相手の様子を見ていて、あの時下した自分の評価が正しいのか途中で迷って、けれど結局そのまま時間だけが過ぎていったこととか。後になればなるほど言い辛くなって、結局今更なタイミングで謝罪の言葉を告げたこととか。僕も同じように言われたよ、『本当に今更だ』って」


 気付かざるを得なかった。彼は、を言っているのだと。


 何故。どうして今この場で、それを聞かされなければいけないのか。これは私が私だと明かさないまま、聞いていていいことなのか。

 お面で私が誰かと分からない今……今度彼と向き合う時は、ちゃんと面と向かってと――そう、決めていたのに。


「……僕の場合は、すぐ身近にまっすぐその相手のことを見ている存在がいた。周囲の人間が言っている噂なんかに左右されず、自分がずっと見続けてきたもので判断して……今も、そう。僕なんかよりも、ずっと彼は彼女のことをちゃんと正しく見ていたんだ」


 春日井さまの身近にいて噂に左右されず、私のことを正しく見ている人間……?

 首を巡らして忍を見ると彼は春日井さまをジッと見ていたが、私の視線に気づいて若干首を傾げてくる。


 同じファヴォリと言うことなら、「すぐ身近」には当て嵌まる。

 どうして一緒に行動しているのかは分からないが、初等部卒業前には緋凰さまとも忍は交流していたし、その親友である春日井さまと中等部で親交を深めていても、何ら不思議なことではないと思った。


 そうですわね。ええ、忍は私のことをよく理解してくれておりますわ!


 そうやってコクコク頷いて納得していると、次に発せられた内容に私の思考は一時的に止まった。


「――――許されないのも、きっと同じだ」



 ……え?


 目を見開きどういうことだと思う間にも、その理由が明かされて呆然とする羽目になる。


「僕の場合は初めから許されるとは思っていなかった。僕に対する、彼女の態度がずっとそうだったからね。傷つけた時から全然変わらず、必要な時以外は顔を向けてくることさえなかった。それは、今更の謝罪をした後でも。僕が悩んでいる間に動け……いや、動かなかったことで、許されたかもしれないタイミングは既に逸してしまったのだと。そうまざまざと突きつけられたんだ」


 耳にしている内容にも、その――――穏やかな声音にも。

 確かに私は客観的に見たら、その前と後の彼に対する態度は変わっていなかっただろう。けれど違う。許すとか許さないとか、そんなことを私は一度として思ったことがない。

 謝罪を告げられる以前は嫌われているのだからと、嫌な思いを……傷つかないように自衛していた。


 告げられた後は気持ちがグルグルして、どうすればいいのかが分からなかったから。

 香桜女学院を受験するから短い時間しかいられず、勉強に集中しなければと逃げてしまった。

 私があの時のことを許していないのだと。そう思われていただなんて、思いもしなかった。


 と言うか『許してほしいとは言わない』って、あの時仰っていたじゃありませんの。『ただの自己満足だから』とも。

 だから私は言われたことを受け止めるだけで精一杯で、許すとか許さないとか、そんな次元の話にはもうないと思っていたのに。だって本当に今更で。


 だから今更、「許してほしい」とか言われても。貴方が私に求めているものは、私からの“赦し”だけなのか。ただ一言「許す」と言って、それで貴方の方は終わりになるのか。

 私だけが貴方にグルグルぐちゃぐちゃした気持ちを抱えたまま、私だけをそこに一人で置き去りにするつもりなのか。

 だってそうじゃないと、こんなに穏やかな声で言う筈がない。



 ――――仕方がないとでも言うような。


 『もう終わっている』というような、そんな口振りで言う筈がないのだ――……。



「傷つけたのは僕の方なのに。僕がたった一回そうだと決めつけて言った言葉が本人をどれだけ傷つけたのか、本人じゃないから判らない。判らないから、そうやって『許されるかもしれない』と甘い考えを持ってしまう。……徳大寺くん。自分が過去にやったことはいくら後悔してもなかったことにはならない。そこにどんな理由があったとしても、自分がその選択を選んでしまったことは事実であり、消えることはない。相手が受けた傷もずっとそこに残されたまま、都合よく忘れられることなんてないんだ」


 ずっと穏やかだった声に、そこで力が込められた気がした。


「だから君は、彼女が君に対して告げた言葉をちゃんと受け止めるべきだ。受け止めて、何が彼女にとって一番良い選択なのかを考えるべきだ。彼女のことを想うならどうすれば良いのか…………もう、解る筈だよ」


 促された先。徳大寺へと視線を向ければ彼の顔は後悔をそのままに、静かで――凪いだ声で「撫子」と呼んだ。

 撫子が顔を動かした気配はなかった。彼女は徳大寺側の事情を拓也たちから聞いた時のまま、ずっと彼のことを見つめている。


「冬に帰省したら、ちゃんとお父さんに言うって約束する。お前との許嫁関係は、解消するって」


 ――解消することを認めた。

 絶対にしないと突っぱねていた解消を、行うと。


「……ごめん。そんな風に苦しんでいたなんて、知らなかった。本当に馬鹿だった。何で周囲の言葉ばかりで、好きだった撫子の言葉をちゃんと聞こうとしなかったんだろうな。……よく聞いて信じるべきだったのは、たった一人の好きな子の言葉だけで良かったのに」


 そう言った後、彼は有明の面々へと顔を振り向かせた。


「俺の後悔にずっと付き合ってくれて、皆ありがとう。俺は自分のしたことの報いをちゃんと受け止めた」

「徳大寺くん……」


 拓也が躊躇うように呼ぶも、何とか笑ってみせた彼は再び撫子の方を向いて。


「解消したらもう会うことはないから安心して。今までずっと、本当にごめん。……じゃあ、もう行こ…」

「――待って」


 別れを告げ、去ろうとした徳大寺を呼び止めた小さな声。

 撫子は眉をギュッと寄せて、振り向いた彼に予想外なことを告げる。


「許嫁の解消は、するけど。会うのも、無理だけど。今は……、無理だけど」


 気づいた。繋いでいるそこが、いつの間にかじんわりと温かくなっている。


「電話……も、厳しいかもだけど。お、お手紙くらいなら、大丈夫だと、思う」

「…………え」

「話聞いて、思ったの。仲良くしなさいって、確かにお父さんに言われたことはあって。でも正くんのことを好きって思ったの、その後なの。……桃、正くんが優しいのに甘えて、ちゃんと『桃は正くんが好き』って言ったことなかった。正くんがそんなことを言われてたのも、桃、知らなかったから」


 唇を噛んで撫子もまた、後悔の表情を見せた。


「転校したばっかりで正くんがいても不安な気持ちはあったし、だから前にいた学校みたいにお友達たくさん作りたくて、正くん以外ともお話したの。だから桃も正くんを取り巻いていた嫌なこと、ちゃんと見えてなかった。どうしてって理由を聞くばっかりで、桃が正くんのことをあの時どう思っていたのかとか、ちゃんと言えば良かったって、聞いて思ったの。そうしたら傷ついたの桃だけじゃなくて、正くんもだったんだって、気づくことができたと思う……!」

「いや、でも悪いのは全部俺だし」

「もちろん正くんも悪い。周囲の子達が一番悪い。でも桃も悪い。正くんに、そう思わせちゃったから」


 ――もうそこには、入学した時のように周囲を警戒して拒絶していた姿はなかった。

 たくさんの情報と人の想いを小さな身体で一気に受け止めて、自分を傷つけた人間をどうにか必死に受け入れようとしている大きな姿だけが、そこにある。


「正くんが桃にしたことは許せないけど。忘れることなんてできないけど。過去に受けたことはどうしたって消えないけど。……でも、未来は分からないから」


 “未来”。


「桃だって、もう同年代の子は誰も信じられないって思ってた。でも今こうして隣にいてくれる子のことが大好きだし、あとね、すごく仲良しの子がもう二人いるの。桃のために色々考えてくれて、一緒にいてくれて。入学した時はこんな風に楽しく過ごせられるって、全然思ってなかった。だから……」


 顔を上げて、相手をしっかりと見つめて。

 今度こそすれ違わないようにと、自分の口から今の気持ちを伝える。


「だから桃の正くんを信じられないって気持ちも、変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。それは桃への正くん次第だと思う。けどそれも機会がないと駄目だし、桃にも悪いところがあったから。だから……今度こそちゃんと、話そう? また、お友達になれるところから、ス、スタート、したい」


 名の付く関係を真っ新にして、関係を断つのではなく初めからやり直したいと。


「……いい、のか?」

「良くなかったら言わないよ。でもちゃ、ちゃんと許嫁は解消して! じゃないとお手紙もしない!」

「……わかった。わかっ、た……!」


 何度も頷いて再び涙を流す徳大寺の背を拓也以外の二人の男子が叩く。拓也もホッと安堵したように彼等を見つめ、そしてそんな様子を見ている私にも隣から視線が……。

 あまりにも外れないので内心ドギマギしながら彼に顔を向け、素っ気ない口調で話し掛けてしまった。


「何ですかぴょん」

「あ、いや……」


 すると何故か彼は一度有明生の方へ視線を投げ、次で再度私へと戻してきたかと思ったら手で顔の下半分を覆い隠して、とても気まずそうに。


「その、いきなり肩に触れて呼び止めたこととか……。あと、その時に僕が君に色々言ったことなんだけど、ちょっと忘れてもらえないかな……?」

「人違いに気づかれましたぴょん?」

「うん……ごめん。背格好とか、行動が知り合いによく似ていて……。追い掛けたりして、驚かせたよね」


 ええ、それはもうとても。

 特別親しくしているご令嬢が貴方にいることも、私とのことをそんな風に考えていたことも……とても驚いた。

 驚いて、今度は自分にそのことが重く圧し掛かってくる。


 撫子と徳大寺だけじゃない。私と春日井さまの間にも、気持ちと認識のすれ違いが起きている。

 許す許さないじゃなくて、私が貴方を避けていたのにもそうじゃない理由があると。


 ここで私が薔之院 麗花だと明かし、そのことをちゃんと説明すればと。……そう、思うのに。



『いつも頼ってくるのに何で今回だけそう拒否されるのか分からないけど、危ないことに巻き込まれているのなら放っておける訳ないじゃないか! 一応僕たちそういう仲ではあるだろ!?』



 忘れてくれと言われた。

 なのに――――あの時言われた言葉が耳にこびりついて、忘れさせてくれない。



「ロッサちゃん、ちょっとこっちいい?」


 撫子が躊躇いがちに聞いてきたのに頷き、彼女が足を向ける先にいるのが拓也ということに気付いて何故と思うも、彼に話し掛けた撫子が口にする内容にああと納得しかけてすぐにハッとした。


「あの、ハンカチなんですけど! こ、今度、新品の買ってお返しします! だからあの、知り合いの香桜生の子がいるって言ってたと思うんですけど、そ、その子から経由させて頂ければと思って。だからあの、誰かって言うの、教えてくれませんか……!」

「え? いやハンカチくらい別に」

「俺も気にしないぞ」


 結構な距離を歩いたから二枚も替えたようだ。

 気にしないと言っている相手に対し逆に気にする撫子は何か吹っ切れたのか、男子相手でも退く姿勢を見せない。


「こ、こういうのは、ちゃんとしなきゃ駄目だと思います! お互い貸し借りなしで!」

「な、撫子! ちょ、ちょっと冷静になるぴょん! 向こうは良いと仰って下さっているのですから、あまり言うのも」

「え、どうして? こういう時ロッサちゃん、いつもちゃんとした方が良いって言うのに」

「うっ……!」


 そ、それはそうなのですけど! 私の名前が出ても花蓮の名前が出ても、ちょっと今回はどっちも不味い気が……!

 そんな私の消極的な言動をどう解釈したのか、恐らく徳大寺と撫子の関係性も考慮して遠慮し続けるのもどうかと思ったのだろう。私の名前を出さず、拓也はもう一人の方の知り合いの名前を言ってしまった。


「えっと、だったら一応言うね。よく知っている子だと思う。百合宮 花蓮さんって言う子なんだけど」


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