Episode300 修学旅行三日目 ~桃瀬 撫子の闘い 後編~

 ハッとする。隣にいる彼女はふるふると、首を頼りなく横に振った。


「私……桃、違う。お父さんに言われたからじゃ……」

「桃瀬家から撫子との許嫁関係を解消してほしいって頼まれた時、おじさんから撫子が『絶対に嫌! もう解消させて!』って、何度も叫んでいたって聞かされて。俺、その時にやっと目が覚めたんだ」


 徳大寺の顔には途方もない後悔と、それでも尚滲む撫子への熱が浮かんでいる。


「俺がやったことでそこまで撫子を追い詰めたって解って、すごく後悔した。けどお前がおじさんに言われたから頷いて結んだ関係でも、俺は手放したくない。作られた優しさでもあの頃の俺にとっては、救いだったから。撫子が全寮制の香桜女学院を受験するって聞いて、今のままじゃ駄目だと思った。お前を手放さないためには俺が変わって、ちゃんと謝って、お前に認められるような人間にならないとって思ったんだ。だから、」

「――だからっ!」


 一方的に話し続ける徳大寺の言葉を遮ったのは、お腹の底から出したというような大きな叫び。

 大きく息を吐き、キッと睨んで撫子は再び叫んだ。


「だからっ、勝手なことばっかり言わないでって言ってるの!! 桃聞いたのに! ちゃんと教えてって言ったのに! 聞いた時に無視したくせに、何で今更そんなこと言うの!? それに全部全部勝手に桃のこと決めつけて! 正くんは桃が正くんのこと見てないって言ったけど、正くんだって桃のこと、全然見てないじゃんか……っ!!」


 ぶるぶると震えてしゃくり上げながら、けれど必死に彼女は自分の想いを相手に言い放つ。


「恋とか好きとかそんな恋愛のことなんて、桃分かんない! だって、だって正くんに全部壊されたもん! 恋愛どころかお友達の好きだって、分かんなくなっちゃったもん……! お父さんに正くんが桃のことを好きって言ってくれたから、許嫁になったんだって言われて。でも桃は許嫁とかよく分かんなくて、けど、けど桃も、桃も正くんともっと仲良くなりたかったから……だから転校の話だって、頷いたのに!」

「え……」

「本当は学校転校したくなかった。だって仲良しのお友達、いっぱいいたもん。でも許嫁になったって言われる前、次はいつ会えるの?ってお父さんに聞くくらい桃、正くんと会えるの楽しみにしてたくらい好きだったから。だから正くんと同じ学校なんだ!って桃、嬉しかったのに……」


 出会った時、彼は優しかったのだと聞いた。

 けれど彼の通う学校に転校して数日後には、そうじゃなくなったと。


「お父さんに言われたからじゃない。ちゃんと自分の気持ちに従って受け入れたことだもん。正くんのことが嫌だなんて言ったことないし、思ったこともないよ。だって桃、初めて会った時から優しい正くんのことが、大好きだったから」

「撫子、俺」

「ねえ、覚えてる? 初めて会った時のこと」


 小さく頷く徳大寺を見て、撫子も頷く。


「桃はちゃんと覚えてる。お父さんたちが話すから、外で遊んできなさいって言われて。でもお庭に大きなトカゲがいて桃が怖くて動けなくなった時、正くんも怖がってたのに石を投げて、桃のこと助けてくれたでしょ? 石もトカゲの体に当てるんじゃなくて、初めから地面を狙ってたのも、ちゃんと見てた。それで正くんが『大丈夫?』って言ってくれて。その時から桃、正くんのことが好きになったの。……お友達としてその時ちゃんと正くんに、桃は『好き』って気持ちを持ってたの」


 それなのに、一体どこから狂い始めたのか。


 撫子は徳大寺に好意を抱いていたのに、何故徳大寺は自分の思い込みに囚われて、最低な道に走ってしまったのか。撫子が限界を迎える前に何故、彼女の異変に気づけなかったのか。

 気づいて後悔してやり直したいと。そう願っても、もう遅いのに。



「正くん……――――桃との許嫁関係、解消して」



 はっきりと、相手に届く声で彼女はそう告げた。


 静まり返る場。告げられた相手の顔は青褪めて震えている。

 そんな徳大寺の姿をしっかりと視界に映し、ポタリと涙を落して、関係を続けられない理由を彼女は語った。


「正くんが後悔してるのも、桃にしたことを許してほしいって言うのも、お面してる時から聞いていたから分かった。でもね……桃はもう、正くんのことを信じられないの。転校してからの日々は桃にとって、本当に地獄だったの。色んな人に訴えて、お父さんにもお母さんにも、桃が一番信じてる人たちに我慢しなさいって言われて、桃の言うこと無視されて、本当に……本当に辛かったの。誰も助けてくれない毎日が、本当に死にそうなほど辛くて。香桜に逃げても桃……クラスの誰とも目が合わせられなくて、喋れなくなった。仲良くなれても、また正くんみたいに豹変されたらどうしようって、そう思ったら怖くて! だったらずっと一人でいいって、もうそう思うことでしか、自分のことを守れなくなっちゃったの!!」



『どうして……? いなくなっちゃうなら、何で一人でいる桃に仲良くしたいって言ったの? 何で桃に優しくしてくれたの!? ずっと一緒にいられないのなら……、また一人になっちゃうなら、桃は初めから一人のままでいたかったよ……っ!!』



 心からの悲痛な叫びを聞いて、もしあの時花蓮と出会っていなければと想像したら。きっと私は、撫子のようになっていた。


「同年代の子は誰も信じられない。そう思ってずっと一人で過ごしてた。……でもそんな桃のことをちゃんと見て、理解してくれる子がいたの」


 撫子の顔が私に向く。笑おうとして、けれどどんどん溢れてくる気持ちに追い付いていないのか、下手くそな笑い方になっていた。


「喋れないの無視する形になっちゃっても、無視してるって言っても、桃は無視してるんじゃないって、ちゃんと判ってくれた。だから桃、もう一度誰かを信じてみたいって。この子とちゃんと話せるようになりたいって、そう強く思ったの。誰かをもう一度信じるための、勇気をもらったの!」



 ――彼女を勇気づけることくらいはできる存在になれたのだと思いたい



 ……なれていたのか。私はちゃんと彼女の支えに、なれていた。


 お面の奥で私の視界も滲んで揺らぐ。たったほんの数秒だけ見つめ合い、再び目の前にいる存在へと顔を戻した撫子は、「だから、」と告げる。


「勇気を出して、ちゃんと正くんに言うね。桃にとって正くんは、もう恐怖の対象でしかないの。一緒にいても笑うことなんてできないし、今はこうして喋れているけど多分、一人になったら喋れない。正くんが桃のことをそう思っていたって分かっても、困るの。謝られても嬉しくもなんともない。……ねえ、どうしてもっと早く言ってくれなかったの? 何で桃がこうなっちゃってから言うの? こんなに時間が経ってから『悪かった』って謝られても、もう遅いよ……」


 聞かれた時に無視せず話をしていれば。一度止めようとした時に止めていれば。

 謝罪のタイミングを間違えなければ、こんな結末を迎えずに済んだかもしれないのに。


 肩を落とし、俯く徳大寺から地面へと落ちて濡らすものが見えた。

 すべては徳大寺の自業自得であり、取れるすべての選択肢を間違え続けたむくいでしかない。……けれど。


「少し、そちらにお尋ねしたいことがありますぴょん」


 二人のやり取りを静かに見守っていた有明の面々が、初めて当事者以外で言葉を発した私へと視線を向けてくる。


「私はこの子から事情を聞いて知っております……ぴょんけど、そちらもその方からお話を聞いていらしたのですかぴょん? こちら側としては事情を知る者は皆、その方に非しかないと思って叩きの……社会……いえ、敵だと認識しておりましたのですが、ぴょん。何やら知っていても、非はその方にあると認識しておられるようですし。でしたら何故若干彼に協力的なのか、お伺いしたく……ぴょん」

「言いにくかったら、別にぴょん付けなくてもいいと思うよ」


 いつもの口調に戻りそうなのを頑張ってぴょんぴょん言っていたら、拓也から無理しなくてもと言われた。

 ありがたいことですけど、元の口調で話すと気になる人がこの場にいるんですの!


 そしてそんな私の質問に答えたのは拓也ではなく、最初に徳大寺へ声を掛けていた、どこか見覚えのあるあの有明生で。


「弁解の余地もないほどコイツが悪いのは、俺らも解ってるんだけどさ。話聞いたらコイツ自身が後悔しているのと、やり直したいって気持ちは本物だったから、突き放しきれなかったんだよ。……そっちの彼女に聞くけどコイツ、分かりやすく変わっただろ? 確かに努力の方向性とか、何よりも最優先しなきゃいけないことは間違えていたかもしれない。でもアンタにとっては酷なことを言うようだけど、そこだけは解ってやってくれたりしないか?」

「…………」

「……撫子?」


 黙ったまま彼の言葉を聞いていた撫子は、私がそうなのかと声を掛けたら小さく頷いた。


「……うん、変わってる。声で正くんだって判ったけど、最初誰??って思ったくらい、変わってる」

「それは、何が?」

「体型。正くん、前はすごく大きかったの」


 前はすごく大きかったと言われても、今も十分体格は大きく、ガッシリしているように見えるのだけど。

 理解が及ばない私の様子を見て男子が携帯を取り出し、徳大寺に「見せてもいいか?」と尋ね、頷いて了承を得てから近づいてきて、携帯を見せてくる。


「なっ……!?」


 その画面に映し出されている画像を見て、私は愕然としてしまった。


「こ、これ。え……!? 同一人物ですの!?」

「間違いなくな」


 画像の徳大寺は、簡単に言うと――――太っていた。

 それはもう太っていた。パンパンピチピチの半袖短パンの体操服を着て、首の部分がお肉に埋もれて見えないほどの巨漢であった。


「小さい頃からこれなんだと。だから同年代は誰も寄ってこなくて、初めて自分に優しくしてくれたのがその彼女らしくて。で彼女は体型のことを気にせずに一緒に遊んでくれて、アイツは許嫁関係結んで舞い上がってたんだけど、彼女が同じ学校に転校してきてから忘れてたコンプレックス思い出したみたいで。それに……周囲にいる奴らに、言われたそうだ。『親に言われでもしなきゃ、アンタみたいにすっごく太っている子と許嫁になんてなりたくないよ。撫子ちゃんが可哀想。ね、やっぱり撫子ちゃんも嫌なんだよ。他の男の子と話している時の方が、すごく楽しそうだし』って」

「え……?」


 撫子が目を見開いて、そうして徳大寺を見つめる。


「だから『親に言われて』って他が言った言葉と、彼女自身が言った『お父さんが言ったから』って言葉がアイツの中で結びついて、もうそういう風にしか見れなくなったらしい。だからって彼女に当たるのはおかしいし、本人に聞かれた時にそれを言えば良かったって話なんだけど、疑心暗鬼に陥って、『そうだ』って言われたらと考えると怖くてどうしようもなかったって、俺はそう正継から聞いた。有明を受験したのも彼女に関係解消を求められて香桜に行かれたから、このままだと駄目だと思って、ちゃんと彼女に見合うような男に生まれ変わって、自分がしたことを許嫁にちゃんと謝りたいからって決意したからなんだよ」

「僕はそういう事情があったのは知らなかったけど、でも難しい授業にもちゃんと付いていって、瘦せるために毎日放課後にトレーニングしているのを見て、すごい努力家なんだなって思ってたんだ。彼のこと最初は馬鹿にしている生徒も多かったけど、けど諦めずに続けてそれが実を結んでいって、そんな姿が周囲にも受け入れられるようになっていったんだ。だから僕たちの学年は、今では彼のことを皆尊敬しているよ」


 拓也までがそんなことを言ってきて、話を一通り聞いた私は思わず繋いでいない方の手で、お面の額部分を押さえた。

 共感したくない。撫子のことを思えば、決して同情や共感なんて覚えたくはない。……しかし!


 周囲の言葉に疑心暗鬼に陥って態度がキツくなった過去の私もそうだし、体型のことを馬鹿にされてそれに傷つき、コンプレックスを抱いている瑠璃子の気持ちもよく知っているから、「完全にお前だけが悪い」とはどうしても言えなくなってしまった……!!


 そんな凄まじい葛藤を抱いていると、後方から「あの」と声が掛かる。

 まさかこの件で何か口を出すつもりなのかと目を見開くと同時に、私の隣に並び立つ気配がし……何で寄って来るんですの近いですわ!!


 彼――春日井さまが彼等を、そして未だ俯いたままの徳大寺を見る。


「僕はたまたま話を聞いていた第三者で、部外者だけど。ちょっと思うところがあるから、彼と話をさせてもらってもいいかな?」


 他の有明生はまだしも、意外なことに拓也も春日井さまのことを知っているのか、頷いている。

 男子が徳大寺にも声を掛け、腕で拭ってから顔を上げた彼も、この場に割って入った第三者へと顔を向けた。

 そうしてすっかり覇気をなくしている風貌の徳大寺へと視線を固定したまま、春日井さまは。


「初対面だけど、徳大寺くんと呼ばさせてもらうね。――――僕も、君と同じだったよ」



 そんなことを、口にした。

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