Episode299 修学旅行三日目 ~桃瀬 撫子の闘い 前編~
私の手を握り、外したお面を片手でギュウと胸の中に抱える撫子を見て、息を呑んでいる男。
「撫子……」
「正継。あの子がお前の例の許嫁なのか?」
徳大寺が撫子の名を呼び、そんな彼の様子を見て一緒にいる他の有明生が確認するように聞いている……が。
私はふと、どこかで見たことのあるような既視感をその男子に抱いた。
何だか初めて見るような気がしないけれど、どこかで見掛けたりしていたのだろうか……?
「そ、そう……だ」
「ならちゃんと話せ。同じ香桜生だからって、お前が勝手に懺悔した話はもう相手も聞いてんだし、勝手なこと言うなって言ったその相手がいま逃げずに、お前と向き合うとしてんだ。過去にお前があの子を追い詰めたことは事実なんだから、彼女がどういう反応を返してもそれはお前の自業自得だぞ」
「わ、解ってる……!」
男子にそう言われて強く拳を握る姿を目を細めて見つめる。
そしてこの場にいる他の有明生の姿をサッと確認するが、拓也は不安そうな顔で徳大寺と撫子を交互に見ており、あとの一人は腕を組んで傍観の姿勢を貫くようだった。
そんな彼等の様子を見ていると、向こう側も何かしら二人の件についての話を知っているらしい。しかもあの男子の言い方からして、非は徳大寺側にあると認識していることが判った。
手を引かれ、撫子が徳大寺に向かって小さく一歩を踏み出すのに付いて歩く。
スンスンと鼻を鳴らしながら、精一杯近づくことができる距離まで足を進めたところで撫子がピタリと止まり、そして顔を上げた。
「……さ、さっき、言ってたこと……全部、ほんと?」
震える声で途切れ途切れに、一生懸命口にする。
一体何を聞いたのか知りたくても頑張ろうとしている彼女を傍で支えていることしか、今の私にできることはない。
繋いでいるのにひんやりとした手へと熱を送るように、ピッタリと握り直した。
撫子からの問いに徳大寺が首肯する。
「あ、ああ。全部、本当のことだ。……小学生の時にずっと、お前のことを追い詰めていたこと、本当に、悪かったと思っている。自分のことばっかりで、全然、お前がどんな気持ちでいたかなんて見えてなくて。俺、あんなんだったし、だから撫子が俺じゃなくて、俺以外のヤツ見て、他のヤツと仲良さそうにしてんの見てたら、すごく嫌な気持ちになった。俺の撫子なのにって。俺の許嫁なのに…………何で、他のヤツと仲良くなってんだよって」
ここまで口を挟まず黙って聞いていたが、共感できるところが何もないことに内心で溜息を吐く。
要は撫子が他の生徒と仲良くしているのを見て、嫉妬していたと言うことだ。
私もお友達がまだ花蓮しかいなかった頃はハロウィンパーティの会場で、彼女が瑠璃子と二人で楽しそうに会話しているのを見て嫉妬したが、瑠璃子のことを知ったらそんな気持ちもすぐに消え失せた。
自分が好きになった相手が気に入った相手なのだ。結果としては私も瑠璃子のことを好きになり、拓也のことも好きになった。
やはりそれを思うと私は徳大寺の気持ちには共感できないし、したくもない。
「……私、ちゃんと聞いた。何がダメだったの?って。ちゃんと、聞いたのに。何で今更、そんなこと言うの?」
「それは……」
「私。私が、あの頃どれだけ辛かったか、本当に知ってる? 話し掛けても、誰からも返事なんて返ってこなくて、ずっと無視されて。髪だって伸ばしたかったのに、引っ張ってきて。仲良くしてくれてたのが急に、意地悪になって……っ! 引っ張られた髪より心の方が、ずっとずっと、痛かったんだよ……!!」
当時を思い出しているのか、また大粒の涙がボロボロと零れ落ちていく。
拭うこともせずに溢れて潤み続ける瞳を真っ直ぐ徳大寺に向け、撫子は自分の気持ちをずっと恐れてきた相手にぶつけた。
「急に態度変わって、ショックで。ずっと、ずっと私が何かしちゃったのかって思った。やっちゃったんならあ、謝りたかったし、また仲良くしてほしいって。だって、だってお父さん、言ってたもん。私の将来の旦那さんだって。だから、」
「それ」
頑張っている撫子がすべて言うのを待たずに何が引っ掛かったのか、徳大寺が不快気に目を細めて彼女を見ていた。
撫子の肩がビクッと揺れたのを見て男子が徳大寺の背中を軽く叩くと彼はハッとし、グッと顎を引いた後で苦々しそうに再び口を開く。
「……俺に優しくしてくれたの、桃瀬のおじさんにそうしろって言われたからだろ」
私の眉間に皺が寄った。
撫子を見れば、何を言われたのか分からないという顔をしている。
「え……?」
「おかしいと思ったんだよ。あんな
「待って。なに、言ってるの……?」
呆然とした撫子の声を聞いて、徳大寺の顔が苦虫を噛み潰したかのように歪む。
「俺は……俺は撫子が自分から俺に優しく、仲良く接してくれているんだと思ってた。けど、そうじゃないんだろ? 桃瀬のおじさんに言われて、嫌々俺と仲良くしてただけなんだろ? 同じ学校に転校してきたのだって、お前が俺と一緒にいたいからじゃなくて、そうしろって言われたから嫌々従っただけなんだろ。俺に向けるのは作られた優しさで、本物は……俺じゃない、違う人間に向けていた。――――許せなかった」
歯を噛みしめる音が耳に届いてくる。
視線を落とした地面を睨みつけて、彼はその黒々とした胸中を吐露していく。
「おじさんに言われて俺と仲良くするんなら、どうして他の人間のことなんか見るんだよ。言われたことに従うんなら、俺のことだけ見てなきゃおかしいだろ。お前が俺じゃないヤツを見るから……だから、俺以外を見れないようにするしかないと思った。お前の周りから人間を消したら、俺しかいなくなるから。……本当はそんなことしても、どうしようもないって思ってた。泣いてる撫子見て、撫子が悪いんじゃないのにって思って。けど……」
口籠るそれを、意を決したかのように。
「けど、『何がダメだったの? 桃が悪いことしたから? 悪いことしたら謝るんだぞって、お父さんが言ってたから』って言っただろ。……思ったよ。俺がお前にしていること、父親にそう言われたから自分が悪いと思って謝ってきたんだなって。ずっと父親ばっか見て、お前は俺のことなんて最初から何一つ見てなかったんだなって。そう、思ったんだ」
『うん。やっぱり高校生になると、色々感情が多感になると思うの。麗花ちゃんはしっかりしているし、引き摺られることはないとは思うけど。それでももし学校で何かあったりしたらと、ママたちも心配で』
どうして。
『家の名前に釣られてくる輩もいるかもしれないし、こう言っては何だが……外からも入ってくるだろう? だから緋凰さんが提案して下さって、パパたちも余計なものから麗花を守りたいと思ったんだよ』
どうして徳大寺の話を聞いて、両親のあの時の言葉が脳内でいま再生されるのか。
――――去年の夏に緋凰家で提案された、私と緋凰さまの婚約。お父様とお母様は私のことを心配して、そう仰っていた。
それを聞いて私は……あんな煩わしいだけの
仮初でも婚約者となるからには、緋凰さま以外の殿方を見てはならない――――と、そう思った。
あの時、誰を目の前にして。誰のことを考えて、そんなことを思ったのか。
ずっと触れ合わせている撫子の手はひんやりとしたまま、私の熱が伝わっていかない。
その事実が……こんなにも苦しくてやりきれない想いが、どうして私の中から生み出されていくのか。
『なあ、――。――じゃなくて、――――から、――――――よ』
――――遠い、遠いどこかから……誰かの
「…………違う」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます