Episode293.5 side 尼海堂 忍⑤ 修学旅行三日目 ~忍は何の夢を見るか~

 十月に入り、遂にこの聖天学院にも修学旅行という行事が訪れた。

 最初は場所が国内であることに少々の不満を持つ生徒もそれなりにいたが、やはり学院で行う特別な行事だということもあって三日目に入った今では、皆すっかりと楽しんでいる様子である。


 そんな様子に現金であるなと思うものの、自分もいつもと違う空気にこの修学旅行で知らぬ内に浮かれていたようだ。――その発言を聞くまでの話だが。


「…………何と?」

「え? 聖天学院の制服も可愛いと思いますけれど、香桜女学院のも可愛くていいなと」


 そう言う新田さんは自分の顔を見てキョトリとしており、それがまたとても可愛い……違う。いや違わないが、今はそうじゃない。何て? 香桜女学院??


「香桜女学院……」

「尼海堂さまの班はすれ違いませんでした? チャコールブラウンのワンピースタイプの制服なんですけれど。カトリック系の女子校だからかその制服がシスターっぽくて、とっても可愛かったんです!」


 拳を握ってそう力説してくるが待ってくれ。今それどころじゃない。

 札幌市内での自由行動ということで適当に一人で巡ろうとしていたところを話し掛けられて、浮かれていた現金な気分が一気に下降した。


 三日目は札幌市内を自由に行動とされている。昨日も午前中は函館市内での自由行動があったが、そこでは割り当てられた班で移動するも気を抜けばすぐに行方不明扱いされるので、何とか気配を消さないように頑張って皆に付いて行った。……まあ、班員も自分がいるか度々確認してくれたことも大きかったりするが。

 だからすれ違う通行人を気にする余裕はぶっちゃけそんなになかったのだ。


 いた? そんな制服いた? 言われるといたような気もするが、こういう外出行事に限って誰かとはぐれると碌なことにならなかった思い出があるので、やっぱり自分の意識外にあったようだ。

 香桜女学院は麗花が通っている学校である。そこと修学旅行先が重なった? 同じ日程で? ……え?



『ほっ、カイ、ドウ、とか』



 ……フランスにいないことを知っている? いや、それだと自分に何かしら言ってくる筈だ。

 だったら緋凰くんに搭載されている麗花センサーが反応したのか? 初等部一年生の頃からずっと麗花のことを見てたっぽいし。……野生の勘ヤッバ!!


 そしてよくよく思い出せば、この修学旅行が始まってから見掛ける彼の様子はどこか変だった。

 この地に来ても不死鳥親衛隊フェニックスガーディアンズに囲まれるのは変わらないが、その中心にいる緋凰くんは何かを探すかのようにキョロキョロと視線を彷徨わせることが多かったのだ。あと時折何かを確認するかのように、ジッと携帯画面に目を凝らしていた。


 てっきり行きたい場所があって目印か何かを探しているのかと思っていたのに、それがまさかの麗花センサーが反応したが故の行動だったとは。

 親交行事中にあれだけスラスラと謎を解いていた緋凰くんなのだ。きっと何かに引っ掛かったのだ。ヤバい。自分はどうしたら。


「新田さまー! そろそろ参りましょうー!」

「あ、はい! すみません尼海堂さま。呼ばれましたので、私行きますね!」

「え」


 笑ってそう言った新田さんは途中でグッと拳を握って、彼女を待つ赤薔薇親衛隊ローズガーディアンズの友人らの元へと走って行った。

 ……てっきり自分と一緒に行動したいのかと思っていたが、違ったらしい。


 二重の衝撃を受けて思わず頭を抱えて座り込みたいブルーな気分に陥っていると、「尼海堂くん」と呼ばれて声がした方を見れば、何故かそこには春日井くんがいた。え、何だ?


「良かった、まだ移動していなくて。女子と話していたからすぐ分かったよ」


 誰かに存在を認識されていると認識されやすくなる不思議。


「……何か用事?」


 尋ねると、彼は少々苦笑した。


「いや、用事とかじゃなくて。一人なら一緒に市内回らない?」

「……」


 何故そんな誘いを新田さんからではなく、春日井くんから掛けられるのか。自分に三度目の衝撃が訪れた。

 同じクラスと言っても、今まで彼から個人的に接触されたことはない。今回が初めて。


 春日井くんには春日井くんで、こういう行事で一緒に行動するくらいの仲の友人はいる。けれど見たところ彼はいま一人だ。

 彼に近づきたい女子の姿が視界に入るが自分の存在が認識されているからか、こちらの様子を窺っているだけで彼女らが近づいてくる気配はない。


「友人らは」

「僕から断ったんだ。……正直に言うと、君と個人的な話がしたい」


 マジか。何でよりによって修学旅行中の今? クラスとかサロンで話せただろ。……話せないことだと心当たりが一つしかないもうヤダ本州に帰りたい。


「……緋凰くん」

「陽翔とは後で合流する形になってる。それからは三人で回ろう」


 回ろうとかもう何か決定事項みたいな言い方されたのだが。

 微笑みの圧が某トラウマを刺激してきたのとさっき知った香桜女学院の件もあって、内心渋々その誘いを了承することにした。


 後から緋凰くんが合流するのなら、近くにいた方が未然にトラブルを防げるのではないかと思ったのだ。去らば、ストレスフリーな自分の修学旅行よ……。


 特に市内での行き先などは決めていなかったので、春日井くんの隣に並んで札幌の通りを歩き始める。

 ……女子らが追い掛けてくる気配はない。それは珍しくも、春日井くんが分かりやすく人を受け付けない雰囲気を出しているからだ。


 女子の一部が積極的になって一番被害を被っているのは、何と言っても春日井くんだ。

 秋苑寺くんも基本的に女子に対して受け入れ態勢だが、彼の場合は空気を読まずに踏み込み過ぎるとバッサリいくことがある。だから踏み込んでもバッサリいかず、やんわりな春日井くんにいつも集中するのだ。


 その彼がこうも判りやすく『話し掛けてくるな』オーラを出している。自分に向けられて発せられているものではないとは判るが、いつもと違う雰囲気を纏う彼に話し掛ける勇気が彼女らにはなかったのだろう。


「――尼海堂くんはさ。高等部、どっちに行くの?」


 雑踏に紛れた中で、唐突に発せられたそれ。

 意外な切り口で来たなと思ったが、まあ彼の親友幼馴染とも自分は関わっているし、彼にとって自分の進路先は気になることなのだろう。


 正直、自分はどっちでも良かった。未だ忍者になるという夢は諦めきれないが、現実をちゃんとその視界に映して見ると、それは本当に夢物語の世界なのだと突きつけられていた。

 彼等が生きていた時代は、それが必要とされることだったからだ。自分が生きているこの時代には、彼等は不要な存在であるのだと既に理解している。


 それに自分は尼海堂家の一人息子でその家の跡取りという立場。

 幼い頃は許されていたそれが(母はずっと口煩く言っていたが)高等部進学選択の用紙を配られて帰宅した日に、それまで何も言わなかった寡黙な父から言われたのだ。


「……真剣に考えなさい」 と。


 自らに修行を課したことで身体的な能力は秀でていると思う。父は柔道家、母はフェンシング選手。両親は互いに現役選手として自らを鍛え、指導者として人に教えている。

 父は自分に柔道もフェンシングも課そうとしなかった。父は息子なのだから、己の跡を継げとは言わない。そういう人だ。


 それに後継と言うのなら、それは自分ではなくヤツが――――郁人がいる。


 自分が忍者修行に一直線になっている時、郁人は叔父に引き摺られて柔道を習わされていた。

 道場に来るたびに『なんでボクが』『ボクはあつくるしいのがキライなのだよ!』とブリブリ言っていたが、ある時から柔道をすることに対して文句を口にしながらも、それが満更でもなさそうな態度に変わっていたのだ。


『……面白い子猿がいてね。まあ彼の相手をするのはそう嫌でもないから、あの悔しそうな顔を見るために僕が更に強くなるというのもやぶさかではないさ。ハッハッハ!』


 コイツ普通に性格外道と思った。


 だから例えそんな動機でもずっと柔道に取り組み続けてきた郁人を押し退けて、自らが後継者となるには些か身勝手すぎると感じた。

 父と叔父は兄弟で、自分たちも従兄弟という関係。同じ血筋ならずっとやり続けてきた郁人の方が、“尼海堂”を継いだ方がいいだろうと。


 郁人が指導者たる父の跡を、道場の経営をしている叔父の跡を自分が。だから自分が銀霜か紅霧、どちらかに進むとしたら、それは――



「――――紅霧学院」

「え?」


 答えて、若干驚いたような応えが返ってくる。

 視線を向ければ声音の色と同じく、意外だというような顔をした春日井くんが自分を見ていた。


「いや、てっきり銀霜学院の方かと」

「……“尼海堂”の一人息子だから?」

「それもあるけど、秋苑寺くんがそっちだから。陽翔のことを頼んだけど、仲が良いのは秋苑寺くんだろ?」


 ……仲が良いと言うのだろうか? まあ秋苑寺くんとは友達ではあるが。


「家と、自分の将来像を真剣に考えた結果。“尼海堂”の道場を継ぐのは、自分」



 ――郁人と話をした。五年生の時に彼から情報収集の連絡を受け、その一年後の同じような時期にこちらから彼に連絡を取り始めてから、他愛ない連絡を取り合うことが互いに増えていったからだった。


 だから聞いてみたのだ。将来のことをどう考えているのかと。

 そうして話をして自分の将来像を伝えた時、お互いが納得する形になった結果として――自分は紅霧学院に内部進学。郁人が銀霜学院を外部受験することに決まったのだ。

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