Episode293 修学旅行三日目 ~ロッサウサギに訪れる危機~

 一番近くと言ってもそれなりに離れた場所にあったドラッグストアで必要な物を購入し、早く彼女の元に戻らなければと、私はせかせかと足を動かした。


 いつもならば変な方向に行きそうになる三人を止めるのが私の役目だった。

 けれどピーチに……撫子に手を引かれて走り始めた時、逃げた後のことなんてすっかりと頭から消え去ってしまっていた。


 多分だけれど、私も色々と気が動転していたのだ。

 撫子の件もそうだけれど、花蓮もまた二人に言えていないことがあるし、私だってまさかこの地で聖天学院生に遭遇するなどとは思ってもいなかった。


 花蓮のお面作戦に強く拒否できなかったのは、そのせいもある。昨日でさえ頭が真っ白になって二つに結んでいた髪をわざわざ下ろして、顔を隠す行動を取ってしまったのだ。

 薔之院家の娘としてあり得ない行動だったと、後から恥じている。


 札幌と言っても広い。皆に言えることだが、そうそう巡り会うことはないと思っている。

 けれど万が一がある。葵も乗り気ではなかったけれど、楽しそうな撫子の様子を見て受け入れていた。




 ―― 一年生の時、同じクラスになった撫子を見ていて、私と似ていると思った。

 初日に寮であった、葵との争いの仲裁に入った時にも感じたことだけれど。強い警戒と諦めの混ざり合ったあの目が、かつての自分を思い起こさせたのだ。


 私は嫌われる人間。嫌っているのに近づかないでほしい。

 どうして私ではダメなのか。私の何がいけないのか。


 そんなことを思っては人に対する物言いが段々とキツくなり、これ以上自分が傷つかないように自分で自分を守るしかなかった。



『ごきげんよう。覚えていらっしゃいますかしら? 私、寮の初日に貴女とお会いした者で、薔之院 麗花という者なのですけれど』

『…………』

『先程の自己紹介、聞いておりましたわ。桃瀬さまと仰るのですわよね? 同じ学院の級友ですもの、仲良くして頂けると嬉しいですわ』

『…………』

『……少しずつ、ゆっくりでよろしいですわ。何か話したくなったら仰って。それまでは私が貴女に話し掛け続けますわ』


 そう告げれば警戒を宿しながらも、ほんの少しだけその瞳に困惑の色を滲ませた。

 私の話に耳を傾けてはいても、大体無言でいる人間は忍で慣れている。まあ忍に関しては独特の間があってから返事をしたり、顔に出したりするので、無反応ということではないのだが。


 それから彼女にした宣言通り休憩時間になると話し掛けたり、移動教室の時は誘って一緒に行動したり、あと花蓮とも度々会わせたりした。

 花蓮は俯いて何も言わない撫子を見ても頭からぽやぽやと花を飛ばしていたので、どうせ「小っちゃくて可愛いな~。癒されるな~」とか能天気なことを思っているに違いなかった。


 まあ花蓮は花蓮で、撫子と同室のもう一人とてんやわんやしていたが、私が間に入るようなことでもなさそうな感じだったので、心置きなく撫子とのコミュニケーションに集中した。


『……どうして』


 ポツリと小さく小さく呟かれた言葉にこれは逃してはいけないと、すぐさま『どうしましたの?』と聞いた。

 目を合わそうとして、けれど怯えたようにすぐ逸らしてしまう撫子を待つ。それから大分経って、遂に次の言葉を聞くことができた。


『…………どうして、薔之院さまは、私に話し掛けてくるの? 私、いつも、無視、してるのに……』


 ゆっくりとでも、ちゃんと自分の気持ちを言ってくれる。

 その疑問を受けた私は、個人で自己紹介した時と変わらぬ気持ちを彼女に返した。


『初めに言ったと思いますわ。仲良くして頂けると嬉しいと。それに私、貴女から無視されているとは思っておりませんもの』

『え?』

『私が話していても途中で席を立ちませんし、ちゃんと聞いて下さっているでしょう? 反応がないから無視されているなどと、そんな風に安易に判断する人間ではなくてよ』

『…………』


 それからだ。それから撫子は本当に少しずつ、私と会話を交わしてくれるようになったのだ。

 そうしてどうして撫子が今の彼女のようになったのか、その理由と事情を話してくれた時――私は撫子から涙ながらになじられた。


『どうして……? いなくなっちゃうなら、何で一人でいる桃に仲良くしたいって言ったの? 何で桃に優しくしてくれたの!? ずっと一緒にいられないのなら。また一人になっちゃうなら、桃は初めから一人のままでいたかったよ……っ!!』


 甘えたことを言っているとは思わなかった。

 私はそれを、彼女のそんな想いをよく理解できたから。


『……まったく同じではないですけれど。かつては私も、撫子と同じでしたわ』


 次から次へと瞳から溢れるもので顔を濡らして、再び殻に閉じこもろうとする彼女を真っ直ぐと見て、言葉を重ねた。


『仲良くなったと思って、「お友達になって下さい」と告げようとしていた子が、本当は私のことを嫌っておりましたの。トイレの個室にいて、そこに私がいることを知らなかった彼女が他の子にそう言っていたのですわ。それから私も誰かを信じられなくなって、疑心暗鬼に陥りましたの。周囲への態度もキツくなって、そんな私の態度に周りは怯えて、それを感じた私も更に頑なになって。悪循環しかありませんでしたわ。それでも……そんな中でも、私自身を見て、お友達になってくれる子がおりましたの』


 私が香桜女学院を受験した理由。

 彼女と一緒にいたくて、守りたくて。


『私はその子と――花蓮とお友達になって救われましたわ。私はもう一人ではないと。私は高校を受験してここから離れますけれど、それで花蓮と離れたとしても、決して一人ではありませんわ。だってお互いをお友達だと想っている限り、いつかまた必ずどこかで会えますもの』

『!』

『撫子は自分の行動を逃げたと仰いますけれど、それは逃げだとは思いませんわ。貴女、ちゃんと自分の力で頑張ったじゃありませんの。頑張ったからこうしてちゃんと、自分の気持ちを話せる人間に出会えたのですわよ』


 既に泣いていたのに更に大号泣し始めてしまったことにはちょっと慌てたけれど、かつて泣いてしまった私に花蓮がしてくれた時のように、私は撫子の背中をポンポンと優しく撫でて落ち着かせるのだった。



 それからもいつも一緒にいる私達四人以外にはまだ頑なな態度でいた撫子だけど、花蓮に事情を打ち明けてからの彼女はまた少しずつ変わり始める。

 私も知った時には驚いたけれど、花蓮も高等部には進まないと知ったことで、強く変わらなければと自らを奮い立たせたのだろう。

 私達以外とも会話をするようになって、行動するようになって、笑うことが増えてきて。


 ――――撫子は、ちゃんと自分の力でそこまで大きく成長した。


 私も花蓮もアドバイスをしただけ。

 そこまで変われたのは、彼女の中にある気持ちが大きかったからだ。


 一人で指名打診の練習をしていたと花蓮から聞いた時、もう大丈夫だと思った。

 ちゃんと自分で初めから一歩を踏み出していた撫子は、途中気持ちが疲れて羽根休みをしていたけれど、また顔を上げて歩き始めている。



『……ずっと止まらず歩き続けろと言いたい訳じゃないの。足を止めても良いわ。休憩に時間が掛かっても良い。ゆっくりとでもまた歩き始めてくれたら、それで良いのよ』



 ポッポお姉様の実姉である鳩羽先輩の仰ったこと。

 とても身に沁みるお言葉だった。あの時の私は別のことを口にしていたけれど、撫子のこともどこか頭にあったのだ。


 初めは私が彼女の手を引いていたのに、いつの間にか――――私の方が彼女に手を引かれるようになっていると、その時気づいた。

 決めたけれどまだ向き合えておらず、その場に留まっている私の手を引いて、「桃も頑張ってるよ! だから麗花ちゃんも頑張って!」と。


 頭の中でにっこりと笑っている撫子に、そう言われたような気がした。




 だから手を引かれた時、足を止めることなく一緒に走り出してしまったのか。先に一歩を踏み出した撫子の背を追うように、私もその一歩を。


 許嫁のことは私にも花蓮にも、どうにかすることはできない。

 ただ友達だからと家同士で成された約束事に、私達が口を出すことはできないのだ。桃瀬家の問題は撫子自身が解決するしかない。


 けれど何かあれば力を貸すことはできる。彼女を勇気づけることくらいはできる存在になれたのだと思いたい。

 修学旅行で、許嫁に怯える彼女がずっと笑顔のまま過ごせられるようにと。



「……ピーチ?」


 そう、願っていたのに。


 ベンチに座って待っている筈の撫子がいない。来た道を戻るまでにすれ違ったりなどしなかった。


「ピーチっ! ピーチどこですの!? ……撫子!? 撫子!!」


 近くにある数か所の通りを見回してもそれらしき姿が見えない。どこにもいない。

 彼女はちゃんと言っていた。「うん。桃、待ってるね」と。だから自分でどこかに行く筈がないのだ。


 急いで携帯を取り出して見るが、撫子から何の連絡も入っていない。もしお手洗いで動いたとしても状況的に、連絡せずに向かうような子ではない。


 ハッとしてアプリを開き位置情報を確認すれば、ここから数メートル先……よく分からないがそんな場所にいる。

 そこまでを把握して――――ザッと嫌な予感に襲われた。


「まさかあの子……っ」


 自分から連絡も入れずに動く筈がない。ならば連絡も入れることができない状態で、誰かに無理やり移動させられたとしか考えられない。


「あのクソ許嫁野郎っ!!」


 カッとなって思わず花蓮のように口悪く大きな声で罵ってしまうが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 手にしているドラッグストアで購入した中身入りの袋を急いでリュックの中に仕舞い込み、アプリを開いたままの携帯を片手にダッと走り出す。


 撫子を傷つけるクソ許嫁野郎め! 足を怪我しているあの子を本当に連れ回していたら首根っこひっ掴んで、この手でギッタンギッタンに叩きのめしてやりますわっ!!


 怒りに我を忘れて撫子救出と許嫁野郎をボコす想像をしながら、素早く位置情報を確認して猛然と道を駆け抜けていく私は、けれど気づく筈もなかった。


 香桜女学院の制服で、ウサギのお面を顔に着けたまま街中を爆走する私。

 怒りが燃え盛っているその目には景色以外の情報など微塵も映っておらず、誰の横を通ったか知らずとも、そんな私の姿を目にして呆気に取られていた人間が――――二人、その場にいたことに。

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